マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜 作:きのこ大三元
10月29日 夜
国連軍横浜基地 B19フロア・副司令執務室
<< 神宮寺 真白 >>
「まりもにXM3を教えなさい」
香月夕呼副司令は、いつものように軽く言った。
軽く。
本当に軽く。
まるで、明日の朝食のメニューを決めるくらいの気軽さで。
「……はい?」
だから、自分は間抜けな声を出してしまった。
A-01へのXM3講義が終わった直後。緊張で肩は凝っているし、胃は地味に痛いし、頭の中ではさっきの説明が何度も反芻されている。
先行入力。
キャンセル。
コンボ。
従来OSとの違い。
入力遅延。
操縦桿の遊び。
即応性三割増し。
雑な入力もそのまま機体に出る危険性。
自分なりに、かなり頑張って説明したつもりだった。
それなのに、副司令はその講義ログを一通り確認したあと、当然のようにそう言ったのだ。
まりもさんに、XM3を教えろ、と。
「えっと……自分が、まりもさんに、ですか?」
「他に誰がいるのよ」
「いや、その……まりもさんって、教官ですよね?」
「そうね」
「つまり、教えるプロですよね?」
「そうね」
「その人に、自分が教えるんですか?」
「そう言ってるでしょ」
副司令は、端末から目を離さずに答えた。
いや、分かっている。
言葉の意味は分かっている。
でも、納得が追いつかない。
神宮司まりも軍曹。
207Bの教官。
白銀武を現実に立たせた人。
自分にとって、あの人はただの教官ではない。厳しくて、怖くて、でも本当は誰よりも訓練兵を見ている人だ。
そんな人に、自分が新型OSを教える。
「……怒られませんかね」
「怒られるでしょうね」
「そこは否定してください」
「無理ね」
「副司令……」
「でも、それでいいのよ」
副司令は、そこでようやく顔を上げた。
研究者の目。
面白がっているようで、ちゃんとこちらを見ている目だった。
「A-01は理解が早い。伊隅も宗像も遙も、自分たちで勝手に噛み砕いてくれる。だから、あんたの説明でもある程度は通る」
「……はい」
「でも、訓練兵はそうはいかない」
その言葉で、胸の奥が少し重くなった。
榊訓練兵、御剣訓練兵、彩峰訓練兵、珠瀬訓練兵、鎧衣訓練兵。
207Bの顔が浮かぶ。
「XM3は便利よ。即応性を引き上げる。従来OSの鈍さを削って、衛士の意思を機体へ早く通す。でも、便利なものほど、最初の教え方を間違えると人を殺す」
副司令は淡々と言った。
「だから、まず教官に触らせる」
「……まりもさんに、危険性を見てもらうためですか」
「それもあるわ」
副司令は口元を少しだけ上げる。
「それと、あんたの教え方が独りよがりかどうかを確認するため」
刺さる。
かなり刺さる。
「独りよがり……ですか」
「技術を知ってる人間はね、つい“できること”から教えたがるのよ」
副司令は、指先で机を軽く叩いた。
「でも、現場の教官は違う。まず“してはいけないこと”から教える。何をしたら死ぬか。どこで止まれないと壊れるか。誰がどういう失敗をするか。そういうものを先に見る」
「……」
「まりもは、その感覚を持ってる」
確かに、そうだ。
まりもさんは戦術機の最新理論に詳しい技術者ではないかもしれない。けれど、訓練兵がどこで躓くかを知っている。
焦った時に何をするか。
怖くなった時にどこを見るか。
命令を聞いているつもりで、何を聞き逃すか。
そういう、人間の怖さを知っている。
「教官が理解できない教え方なら、訓練兵にも部隊にも通用しないわ」
副司令の声が、少しだけ低くなった。
「だから、今夜。まりもに制限版XM3を触らせなさい」
「……分かりました」
自分は頷いた。
怖い。
正直、かなり怖い。
A-01相手の講義も緊張した。
でも、まりもさん相手は別の怖さがある。
あの人は、たぶん見抜く。
自分が白銀武の知識をなぞっているだけの部分を。
自分がまだ“教える怖さ”を分かっていないことを。
「神宮寺少佐」
副司令が言った。
「はい」
「今夜、あんたがXM3を教える相手は、神宮司まりも軍曹よ」
「はい」
「あの子を実験台として見ないこと」
「……はい」
「そして、ただの受講者としても見ないこと」
副司令は、少しだけ笑った。
「教官として、利用しなさい」
「言い方……」
「事実よ」
まったく、この人は。
でも、たぶん正しい。
まりもさんは、ただ教えられる人ではない。自分がこれから誰かに教えるために、最初に向き合うべき人だ。
「行きなさい」
副司令は端末へ視線を戻した。
「まりもにはもう連絡してあるわ」
「早いですね……」
「時間がないもの」
その一言で、背筋が少し冷えた。
そうだ。
時間はない。
10月29日。
新潟まで、もう二週間もない。
その先には、もっと多くの運命が待っている。
誰かが死ぬはずだった日。
誰かが壊れるはずだった日。
それを変えるために、XM3が必要になる。
「……行ってきます」
「ええ」
副司令は、最後にこちらを見て言った。
「怒られてきなさい」
「できれば優しめでお願いします……」
「まりも次第ね」
ひどい。
でも、否定できない。
自分は小さく息を吐いて、副司令室を出た。
◇
10月29日 夜
横浜基地・戦術機シミュレーター室
<< 神宮寺 真白 >>
シミュレーター室の照明は、夜になると妙に冷たく見える。
昼間なら、訓練兵や整備員、管制担当の声がある。でも今は静かで、機械の低い駆動音だけが響いていた。
自分は端末を確認しながら、制限版XM3の設定を再確認する。
「先行入力は二段まで。キャンセル可能範囲は、歩行、旋回、跳躍後の姿勢復帰、射撃後硬直の短縮のみ。連続キャンセルは禁止。関節負荷リミッターは通常より厳しめ……」
声に出して確認する。
こうでもしないと、不安だった。
完全版ではない。
訓練用の制限版。
A-01へ本格的に触らせる前の、さらに手前。
まりもさんに体験してもらうためのもの。
それでも、危ない。
XM3は、機体を速くするOSではない。
機体を、衛士の意思に遅れさせないOSだ。
だからこそ、操縦桿やペダルの遊びが少ない。
入力すれば、動く。
思ったより、ずっと早く。
雑に入れれば、雑に。
焦れば、焦ったまま。
「……本当に、教え方を間違えたら危ないな」
自分で口にして、また胃が痛くなる。
その時、背後の扉が開いた。
「神宮寺少佐」
「は、はい!」
思わず背筋が伸びた。
入ってきたのは、神宮司まりも軍曹だった。
強化装備姿。
髪をきちんとまとめ、いつものように背筋が伸びている。
その姿を見るだけで、条件反射的に怒られる気がしてしまう。
別に怒られるようなことはしていない。
たぶん。
まだ。
「お待たせしました」
「い、いえ。こちらこそ、夜分にすみません」
「香月副司令から、新型OSの個別説明を受けるよう指示を受けています」
「はい」
「よろしくお願いします、神宮寺少佐」
まりもさんが、きちんと敬礼する。
自分も慌てて返礼した。
階級上は、自分の方が上。
少佐待遇。
特務技術顧問。
分かっている。
分かっているのだが。
「……なんというか、自分がまりもさんに教えるって、すごく変な感じですね」
「階級上は、あなたが少佐です」
「そうなんですけど……」
「それに、私は新型OSに関しては素人です。遠慮せず指導してください」
そう言われると、余計に緊張する。
まりもさんは、少しだけ表情を緩めた。
「ただし」
「はい」
「教え方に問題があれば、指摘します」
「……ですよね」
「はい」
やっぱり怒られる未来しか見えない。
でも、それでいい。
副司令もそう言っていた。
「では、始めましょう」
「はい」
自分は端末を操作した。
シミュレーターの設定画面に、吹雪の訓練機データが表示される。
実機ではない。
それでも、操縦感覚はかなり近い。
「まず、従来OS相当の設定で軽く動かしていただきます。その後、制限版XM3へ切り替えます」
「差異を体感するためですね」
「はい」
「分かりました」
まりもさんは、シミュレーター筐体へ入った。
自分は管制席へ座る。
モニターに、まりもさんの機体データが映った。心拍、視線、操縦入力、機体応答。それらが、淡い光の線になって流れていく。
本来なら、まりもさんは現役の最前線衛士ではない。
でも、基礎はしっかりしている。
それは、動かし始めてすぐに分かった。
派手さはない。
無理な加速もない。
急な切り返しもない。
けれど、姿勢が崩れない。
歩行から停止。停止から旋回。短距離跳躍。着地。射撃姿勢。後退。
すべてが丁寧だった。
「……すごい」
思わず呟く。
『何か?』
通信越しに、まりもさんの声が返ってきた。
「あ、いえ。基礎が綺麗だなと」
『褒めても何も出ませんよ』
「本心です」
『なら、ありがとうございます』
淡々としている。
でも、ほんの少しだけ声が柔らかい。
「では、次に制限版XM3へ切り替えます」
『了解』
自分は、設定を切り替えた。
画面上に表示が出る。
《XM3制限版 起動》
《入力補助範囲 限定》
《先行入力 二段階》
《キャンセル範囲 制限》
《関節負荷リミッター 強化》
「まりもさん、まずは歩行から停止までお願いします。入力は従来OSと同じ感覚で」
『了解しました』
機体が動く。
一歩。
二歩。
停止。
その瞬間、まりもさんの入力がわずかに乱れた。
機体は止まった。
だが、従来OSよりも早く、鋭く止まりすぎた。
『……これは』
まりもさんの声が低くなる。
「どう感じましたか?」
『軽い、というより……機体の遅れが少ないですね』
「はい」
『ですが、止まり方が鋭すぎる。従来OSの感覚で入力すると、少し強く出ます』
「その通りです」
やはり、すぐに気づいた。
「操縦桿やペダルの遊びがほとんどありません。従来OSのつもりで入力すると、思ったより早く機体が反応します」
『つまり、雑な入力もそのまま出る』
「はい」
『便利ですね』
まりもさんは、短く言った。
そしてすぐ続けた。
『そして、危険です』
その言葉が、胸に刺さった。
「……はい」
『訓練兵にそのまま渡していいものではありませんね』
「そう思います」
『思います、ではなく、断言してください』
「……はい。訓練兵にそのまま渡してはいけないものです」
『よろしい』
一瞬で教官モードだ。
でも、その言葉がありがたかった。
自分が曖昧にしていたところを、まりもさんは曖昧なままにさせない。
「次に、先行入力を試します。歩行中に、次の旋回動作を予約してください」
『了解』
まりもさんの機体が歩く。
途中で、旋回入力。
従来OSなら、一度歩行動作が終わってから切り替わる。
しかしXM3は、次の動作が先に組まれる。
吹雪の動きが滑らかに曲がった。
『……なるほど』
まりもさんの声に、わずかな驚きが混じる。
『動作が繋がる』
「はい。これが先行入力です。現在の動作が終わる前に、次の動作を予約できます」
『戦場では有用ですね』
「はい」
『ただし、予約した動作が間違っていた場合、修正が遅れる可能性がある』
「……はい」
『訓練兵は、焦ると先に逃げ道を入れたがるかもしれません』
「逃げ道、ですか」
『例えば、敵が接近した瞬間に回避を予約する。ですが、その回避先が別の敵の進路上だった場合、かえって危険です』
まりもさんは、淡々と続ける。
『つまり、先行入力を教える前に、周囲を見る癖をつけなければなりません』
「……なるほど」
自分はメモを取った。
先行入力。
動作予約。
便利な機能。
そう考えていた。
でも、まりもさんはすぐに「失敗する訓練兵」を想像する。
これが教官なのだと思った。
「次はキャンセルです。射撃姿勢から回避へ移ります。ただし、制限版なので、硬直短縮のみです」
『了解』
まりもさんの機体が射撃姿勢を取る。
模擬標的へ射撃。
直後、機体が横へ抜けた。
動作が早い。
従来OSなら残る硬直が、かなり減っている。
『……これも便利です』
まりもさんは言った。
『ですが、使い方を誤れば、姿勢が崩れますね』
「はい。キャンセルを連打すると、関節負荷も増えます」
『訓練兵はやりますね』
「……やりますかね」
『やります』
即答だった。
『できるようになったことは試したくなるものです。特に、若い訓練兵は』
207Bの顔がまた浮かぶ。
鎧衣訓練兵は、やりそうだ。
彩峰訓練兵も感覚でやりそうだ。
榊訓練兵は逆に、手順として覚えすぎて硬くなりそうだ。
御剣訓練兵は踏み込みすぎるかもしれない。
珠瀬訓練兵は慎重すぎて遅れるかもしれない。
「……確かに」
『神宮寺少佐』
「はい」
『あなたは、XM3で何ができるかをよく知っている』
「……はい」
『ですが、訓練兵がそれをどう誤用するかを、もっと考えるべきです』
その言葉は、まっすぐだった。
叱責ではない。
でも、逃げ場がない。
「……はい」
『例えば榊なら、動作を正確に繋げようとして入力が硬くなるでしょう』
「分かります」
『彩峰なら、感覚で扱うこと自体は早いかもしれません。ですが、味方との連携を置き去りにする可能性があります』
「……ありそうです」
『珠瀬は、狙撃姿勢に入るまでの微調整には向いているかもしれません。ただし、撃つ前に迷う癖が出れば、先行入力の意味がなくなります』
「はい」
『御剣は踏み込みが強い。XM3の反応性が加われば、前へ出すぎる可能性があります』
「はい」
『鎧衣は柔軟です。予定外の状況で化けるでしょう。ただし、柔軟さが味方に伝わらなければ、ただの予測不能になります』
「……まりもさん、やっぱりすごいですね」
『私は、彼女たちの教官ですから』
その一言は、静かだった。
けれど、とても強かった。
『あなたは技術を知っています』
まりもさんは言った。
『ですが、私は訓練兵の怖さを知っています』
自分は、何も言えなかった。
本当に、その通りだった。
自分はXM3の未来を知っている。
使えば戦術機の動きが変わることも。
人類の戦力が底上げされることも。
白銀武がこれで未来を切り開いたことも。
でも。
目の前の訓練兵が、どこで怖がるか。
どこで焦るか。
どこで失敗するか。
そこまで、本当に見えていただろうか。
『神宮寺少佐』
「はい」
『一度、模擬回避を入れてください』
「分かりました」
自分は、軽い模擬戦闘シナリオを起動した。
小型標的が複数。
簡易的な射撃と接近行動。
まりもさんの機体が動く。
派手ではない。
でも、無駄が少ない。
XM3の速度に振り回されないよう、入力を少しずつ調整しているのがログから分かった。
一度、わざと強めの入力を入れる。
機体が鋭く動きすぎる。
まりもさんは、すぐに戻す。
『今のが、過入力ですね』
「はい」
『訓練兵なら、今の動きを成功と勘違いするかもしれません』
「成功と、ですか?」
『避けられたからです』
その言葉に、はっとした。
避けられた。
それは、戦場では正しい。
でも、偶然避けられたことを、制御できたと勘違いすれば危険だ。
『避けられたことを褒めるのではなく、戻れたことを褒めるべきです』
「戻れたこと……」
『はい』
まりもさんの声は、はっきりしていた。
『戦場では、動けることより、戻れることが重要です。前に出た後、味方の位置へ戻れるか。回避した後、隊列へ戻れるか。焦った後、呼吸を戻せるか』
「……」
『XM3は速く動けます。だからこそ、戻る訓練を先にするべきです』
自分は、端末にその言葉を打ち込んだ。
戻る訓練。
止まる訓練。
できることではなく、してはいけないことから。
自分の中で、何かが少し組み替わっていく。
◇
訓練は一時間ほど続いた。
まりもさんは、決して派手な機動はしなかった。でも、その分だけ、XM3の本質を見ていた。
入力が早く通ること。
遊びが少ないこと。
反応が鋭いこと。
便利であること。
危険であること。
そして、誰にどう教えるべきか。
終了後、まりもさんはシミュレーターから出てきた。
額に少し汗が滲んでいる。
「お疲れ様です」
自分がタオルを差し出すと、まりもさんは受け取って軽く頷いた。
「ありがとうございます」
「どうでしたか?」
「率直に言えば、恐ろしいOSです」
「……恐ろしい、ですか」
「はい」
まりもさんは、タオルで汗を拭いながら言った。
「慣れれば、確かに生存率は上がるでしょう。即応性が上がる。回避も間に合う。射撃後の隙も減る。戦術機の常識が変わる可能性があります」
「はい」
「ですが、未熟な衛士にとっては、自分が急に上手くなったように錯覚する危険があります」
「……」
「それが一番怖い」
その言葉が、重かった。
自分はXM3を希望として見ていた。
でも、まりもさんは希望と同時に、傲慢さの危険を見ている。
「神宮寺少佐」
「はい」
「このOSを訓練兵に教えるなら、最初に言うべきことがあります」
「何でしょうか」
まりもさんは、まっすぐ自分を見た。
「これは、あなたたちを強くするOSではありません」
自分は息を止めた。
「生きて帰るためのOSです」
胸の奥が、少し熱くなる。
自分も、そう言った。
A-01への講義で。
でも、まりもさんの言葉には重さが違った。
現場で訓練兵を見てきた人の言葉だった。
「そして、神宮寺少佐」
「はい」
「その説明をするなら、あなた自身も帰ってくる側に含めてください」
心臓が、少し嫌な跳ね方をした。
「……自分も、ですか」
「はい」
まりもさんの声は、静かだった。
「あなたは、誰かを帰すことばかり考えているように見えます」
「そんなことは……」
言いかけて、止まる。
否定しきれなかった。
まりもさんは続ける。
「ですが、教導官が帰ってこない前提で教える技術など、訓練兵には渡せません」
「……」
「あなたが生きて帰ることも、教導の一部です」
その言葉は、思った以上に刺さった。
自分は、未来を知っている。
誰が死ぬかを知っている。
だから、誰かを助けたい。
誰かを帰したい。
でも、その中に自分を入れることが、どうしても下手だった。
自分は異物だ。
本来ここにいなかった人間だ。
白銀武の代わりに来てしまった誰かだ。
だから、自分が壊れても仕方ない。
そんな考えが、どこかにあったのかもしれない。
「……まりもさん」
「はい」
「自分、まだ教えるのが怖いです」
口にしてから、少しだけ情けなくなる。
でも、まりもさんは笑わなかった。
「怖くて当然です」
「当然、ですか」
「はい。誰かを戦場へ送り出す技術を教えるのですから」
まりもさんは、少しだけ目を伏せた。
「教えるということは、その人が戦場へ出る未来を認めることでもあります」
「……」
「だから、怖くない人の方が危険です」
その言葉に、少し救われた。
「神宮寺少佐」
「はい」
「あなたは、XM3を知っています」
「……はい」
「ですが、知っていることと、教えることは違います」
「はい」
「教えるなら、相手を見なさい」
「相手を……」
「207Bなら207Bを。A-01ならA-01を。伊隅大尉には伊隅大尉の教え方があり、速瀬中尉には速瀬中尉の注意点があり、涼宮茜少尉には涼宮茜少尉の焦りがあります」
まりもさんは、はっきりと言った。
「同じOSでも、同じ教え方では届きません」
「……はい」
「あなたは、技術を渡すのではありません」
まりもさんの声が、少しだけ柔らかくなる。
「その人が生きて帰れる形に、技術を整えて渡すのです」
その瞬間。
自分の中で、XM3というものの見え方が少し変わった。
新型OS。
先行入力。
キャンセル。
コンボ。
三割増しの即応性。
そういう機能の集合ではなく。
誰かを帰すために、一人ずつ形を変えて渡すもの。
「ああ……」
思わず、小さく声が漏れた。
「自分、やっぱり分かってなかったんですね」
「今、分かり始めたのなら十分です」
まりもさんはそう言ってくれた。
「最初から完璧な教導官などいません」
「まりもさんでもですか?」
「私でもです」
少しだけ意外だった。
まりもさんは苦笑する。
「私も、最初から訓練兵のすべてを分かっていたわけではありません。失敗もしました。言いすぎたこともあります。見落としたこともあります」
「……」
「それでも、見続けるしかありません」
まりもさんは、真っ直ぐこちらを見た。
「教える相手を」
その目は、教官の目だった。
厳しくて、優しくて。
逃げることを許さない目。
「神宮寺少佐」
「はい」
「明日、A-01へ制限版XM3を触らせるなら、最初に禁止事項を伝えてください」
「はい」
「先行入力の過信禁止。キャンセル連打禁止。速く動けたことを上達と誤認しないこと。戻る道を残すこと。止まることを軽視しないこと」
「……はい」
「そして、最後にこう伝えてください」
まりもさんは、ゆっくり言った。
「このOSは、あなたたちを英雄にするためのものではありません。生きて帰るためのものです」
自分は、深く頷いた。
「分かりました」
本当に、分かった気がした。
いや、まだ全部ではない。
でも、少なくとも。
今日、A-01に講義した時よりは、少し分かっている。
◇
10月29日 深夜
横浜基地・戦術機シミュレーター室前廊下
<< 神宮寺 真白 >>
シミュレーター室を出ると、廊下は静かだった。
夜の横浜基地は、昼間よりもずっと冷たい。
壁の向こうには、今も戦争がある。
BETAがいて。
人類が追い詰められていて。
自分は、その中で何かを変えようとしている。
「神宮寺少佐」
隣を歩いていたまりもさんが声をかけてきた。
「はい」
「今日はお疲れ様でした」
「こちらこそ、ありがとうございました」
自分は、少しだけ笑った。
「なんというか……自分が教えたというより、自分が教わった気がします」
「それで良いのだと思います」
「良いんですか?」
「はい」
まりもさんは、静かに頷いた。
「教官も、学び続けなければなりません」
その言葉が、胸に残る。
「まりもさん」
「はい」
「自分、ちゃんと教導官になれますかね」
不安だった。
A-01に教える。
207Bに教える。
未来を変えるために、知識を渡す。
でも、その渡し方を間違えたら。
誰かが、早く動けるようになったせいで死ぬかもしれない。
自分の知識で、誰かを壊してしまうかもしれない。
まりもさんは、すぐには答えなかった。
少し歩いてから、言った。
「なれるかどうかは分かりません」
「……ですよね」
「ですが、なろうとすることはできます」
優しいようで、厳しい答えだった。
「相手を見て、失敗を恐れて、それでも教える責任から逃げないのなら」
まりもさんは、自分を見る。
「あなたは、教導官に近づけると思います」
「……ありがとうございます」
胸が少し軽くなった。
でも、同時に重くもなった。
責任は消えない。
むしろ増えた。
けれど、その重さをどう持てばいいのか。
少しだけ、分かった気がした。
「それと」
まりもさんが言った。
「はい」
「あなた自身も、帰ってくる側に含めること」
また、それだ。
「……努力します」
「努力ではなく、約束です」
まりもさんの声が少し強くなる。
「神宮寺少佐」
「はい」
「あなたが誰かに“生きて帰るためのOS”と教えるなら、あなた自身も生きて帰りなさい」
逃げられない。
これは、命令ではない。
でも、命令よりも重い。
「……はい」
自分は、ゆっくり頷いた。
「約束します」
まりもさんは、ようやく少しだけ表情を和らげた。
「なら、よろしい」
その言い方が、教官らしくて。
少しだけ、安心した。
◇
その日、自分は神宮司まりも軍曹に、制限版XM3を教えた。
先行入力を。
キャンセルを。
操縦桿の遊びがほとんどない危険性を。
即応性三割増しの意味を。
けれど、本当に教わったのは自分の方だった。
技術を知っていること。
未来を知っていること。
それだけでは、人に教えることはできない。
相手を見ること。
相手が失敗する場所を考えること。
できることより、してはいけないことから渡すこと。
速く動くことより、戻れることを教えること。
そして。
誰かを戦場から帰したいなら、自分も帰る側に含めること。
それは、神宮寺真白が初めて“教える怖さ”を知った夜。
そして――。
神宮司まりもが、白き少佐にとって最初の“教官の教官”になった夜だった。
END
今後も定期更新していきます。
感想・評価・誤字報告など、とても励みになります。
よろしければ、今後もお付き合いいただけると嬉しいです。