マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜 作:きのこ大三元
10月31日 夕方
国連軍横浜基地・訓練場
<< 御剣 冥夜 >>
鎧衣美琴が、戻ってきた。
その事実だけで、訓練場の空気は少し変わっていた。
声はどこか明るく、足取りも軽い。誰かの表情も、ほんの少しだけ柔らいでいる。
夕方の訓練場には、まだ昼間の熱が残っている。踏み固められた地面には訓練用の白線が引かれ、端の方にはカラーコーンと簡易標識が並んでいた。教官用の端末台には、今日の訓練予定と負荷制限の項目が表示されている。
そこに五人分の足音が揃うだけで、見慣れていたはずの場所が少し違って見えた。
たった一人。
されど、一人。
207B分隊は、ようやく五人に戻ったのだ。
「いやー、やっぱり訓練場っていいね!」
鎧衣は、両手を頭の後ろで組みながら、明るく笑っていた。
入院していたとは思えないほど、声に張りがある。もちろん、まだ本調子ではないはずだ。神宮司教官からも、負荷制限と休憩時間を必ず守るように何度も言われている。
だが、鎧衣はそれを分かっているのかいないのか、いつもの調子で軽く跳ねるように歩いていた。
「鎧衣、あまりはしゃぎすぎない方がいいわ」
榊が眉を寄せる。
「復帰直後なのよ。少しは自重しなさい」
「大丈夫だよ、榊。ちゃんと医務区画でも確認してもらったし」
「そういう問題ではなくて」
「榊は心配性だなぁ」
「心配して何が悪いのよ」
榊の声は少し硬い。
だが、その硬さの奥に安堵があることくらいは、私にも分かった。
榊千鶴は、口では厳しいことを言う。けれど、鎧衣が戻ってきたことを、誰よりも安心しているのかもしれない。
彩峰は、その横で腕を組んだまま立っていた。
いつも通り、表情は読みにくい。
だが、鎧衣を見る目は、どこか静かだった。
「……騒がしいのが戻ってきた」
「ひどいなぁ、慧さん」
「事実」
「もっと感動的な言い方してよ」
「……うるさいのが戻ってきた」
「悪化してるよ!」
珠瀬が、二人のやり取りを見て小さく笑う。
「で、でも、美琴さんが戻ってきてくれて、私も嬉しいです」
「[壬姫](https://w.atwiki.jp/wiki9_alternative/pages/36.html "珠瀬 壬姫 (7236d)")さん〜!」
鎧衣が勢いよく珠瀬へ近づく。
珠瀬は少し驚きながらも、嬉しそうに笑っていた。
その様子を見て、私は胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
これが、207B。
榊がいて。
彩峰がいて。
珠瀬がいて。
鎧衣がいて。
そして、私がいる。
五人揃って、ようやく一つの形になる。
それを、私は今さらのように実感していた。
「鎧衣」
私は声をかけた。
「無理はしていないか?」
鎧衣はこちらを見ると、にっと笑った。
「大丈夫だよ、冥夜さん。むしろ思ってたより身体が軽いんだ」
「身体が軽い?」
「うん。入院してたから、もっと鈍ってると思ってたんだけどね。医務区画でもらった回復補助剤が効いたのかな」
「回復補助剤……」
私は、少しだけ眉を寄せた。
「うん。小さい琥珀色の瓶に入ってたやつ。医務区画でバイタルも確認したし、香月博士の許可も出てるから大丈夫だって」
「そうか」
それならば、問題はないのだろう。
少なくとも、私が疑うべきことではない。医務区画が確認し、夕呼が許可している。ならば、鎧衣の回復を助けるためのものに違いない。
……そう思うことにした。
けれど、胸の奥に小さな違和感が残った。
最近、この基地ではいくつものものが動いている。
神宮寺少佐。
XM3。
月詠の変化。
A-01への教導。
神宮司教官の様子。
そして、回復補助剤。
それらがまったく無関係だとは、なぜか思えなかった。
「御剣?」
鎧衣が首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや。何でもない」
私は首を横に振った。
「だが、身体が軽い時ほど無理をしやすい。神宮司教官の指示には必ず従うのだぞ」
「分かってるって。真白さんにも、無理はしないでって言われそうだし」
その名前が出た瞬間、胸の奥が、ほんの少しだけ揺れた。
神宮寺真白。
白き少佐。
A-01へXM3教導を始めた人物。
月詠真那と、少しずつ距離を近づけている人物。
そして、私に「冥夜ならできる」と言った人。
あの言葉は、まだ胸の奥に残っている。
月詠の紅い武御雷が、XM3の中で滑るように動いた光景。それを見た時、私は思った。
あそこへ行きたい、と。
守られるだけではなく、自分自身の足で前へ進みたい、と。
だからこそ、今の鎧衣の言葉に、私は静かに頷いた。
「そうだな。神宮寺少佐なら、きっとそう言う」
「だよねー」
鎧衣は笑った。
明るくて、軽い。
けれど、その笑顔があるだけで、訓練場の空気が戻ってくる。
207Bは、五人揃った。
ならば、次へ進まなければならない。
そう思った時だった。
「集合!」
神宮司教官の声が、訓練場に響いた。
私たちは一斉に姿勢を正す。
「これより、今後の訓練予定について伝える」
神宮司教官は、いつも通り厳しい表情で私たちを見渡した。
しかし、その視線は一人一人を確かめるようでもあった。
榊。
彩峰。
珠瀬。
鎧衣。
そして、私。
五人が揃っていることを確認するように、神宮司教官の目が静かに動く。
「一昨日から鎧衣が復帰したことで、207B分隊は再び五人となった」
「はい!」
鎧衣が元気よく返事をする。
「ただし、鎧衣は復帰直後だ。本人が大丈夫だと言っても、身体が完全に戻っているとは限らない。周囲も含め、無理をさせるな」
「はい!」
今度は全員の声が揃った。
神宮司教官は、少しだけ頷く。
「その上で、総合戦闘技術演習の日程についてだ」
その言葉に、訓練場の空気が変わった。
榊の背筋がわずかに伸びる。
珠瀬が息を呑む。
彩峰は無表情のまま、しかし目だけがわずかに鋭くなる。
鎧衣も、明るい表情を少しだけ引き締めた。
私は、胸の奥で静かに息を整えた。
「本来の予定より、演習日程を前倒しする可能性が高い」
「前倒し……ですか」
榊が思わず呟いた。
「そうだ」
神宮司教官は、榊を見る。
「候補日はまだ最終決定ではない。だが、現在の進捗と今後の訓練計画を踏まえ、早めに仕上げへ入る」
「理由を伺ってもよろしいでしょうか」
榊の声は硬い。
だが、そこに反発だけがあるわけではない。
分隊長として、理由を確認しようとしている声だった。
神宮司教官は、少しだけ間を置いて答えた。
「あなたたちは、基礎だけを積んでいる段階から、次の段階へ進む時期に来ている」
榊の目が揺れる。
「次の段階……」
「総合戦闘技術演習は、そのための試練です。個人技ではなく、五人で動けるか。互いの欠点を補い、互いの長所を活かせるか。それを見る」
神宮司教官の声は厳しい。
だが、いつもより少しだけ温かかった。
「鎧衣が戻ったことで、あなたたちはようやく五人揃った。ならば、五人で越えるべき壁も見えるはずです」
珠瀬が、小さく拳を握る。
彩峰は静かに榊を見た。
榊は、その視線に気づいたように、少しだけ目を伏せる。
二人の間には、まだ硬さがある。
完全に噛み合っているとは言えない。
けれど、以前のようにただぶつかるだけではない。
互いを見ようとしている。
それだけでも、変化なのだと思った。
「神宮司教官」
私は口を開いた。
「はい、御剣」
「我々は、前倒しに足ると判断されたのでしょうか」
神宮司教官の視線が、こちらへ向く。
「足るかどうかは、これからの訓練で示しなさい」
厳しい返答。
だが、私はそれで十分だった。
「はい」
「あなたたちに必要なのは、誰かに合格させてもらうことではありません」
その言葉が、静かに胸へ落ちた。
「神宮寺少佐がいくら助言をしても、私がいくら訓練を組んでも、最後に越えるのはあなたたち自身です」
神宮寺少佐の名が出た瞬間、珠瀬の表情が少しだけ引き締まった。
きっと、あの言葉を思い出したのだろう。
一呼吸。
狙う前に。
慌てる前に。
逃げる前に。
自分の心を整えるための一呼吸。
珠瀬は、神宮寺少佐のその言葉を、ずっと大切にしているように見えた。
榊も、彩峰も、鎧衣も、それぞれ何かを受け取っている。
私も同じだ。
冥夜ならできる。
簡単ではないと知りながら、それでも言ってくれた言葉。
その言葉が、私の背中を押している。
「だからこそ」
神宮司教官は、少しだけ声を低くした。
「神宮寺少佐に頼りきることは許しません」
その一言で、空気が引き締まった。
「彼は、あなたたちの答えを代わりに出す存在ではありません。必要な時に方向を示すことはあっても、歩くのはあなたたちです」
「……はい」
榊が答える。
その声には、いつもの硬さの奥に、覚悟があった。
彩峰も、小さく頷いた。
珠瀬は不安そうではあったが、逃げる目ではない。
鎧衣は笑みを消し、真剣に教官を見ている。
私も、背筋を伸ばした。
「総合戦闘技術演習の日程は、数日以内に正式に通達します。それまで、あなたたちは一日一日を無駄にしないように」
「はい!」
五人の声が揃った。
神宮司教官は、わずかに頷く。
「では、訓練を再開します。鎧衣は復帰初日として負荷を制限。榊、彩峰、御剣は連携確認。珠瀬は射撃姿勢と呼吸の再確認。各自、位置につきなさい」
「はい!」
私たちは一斉に動き出した。
鎧衣が、軽く腕を回す。
「よーし、久しぶりに動くぞー」
「だから、無理をするなと言われたばかりでしょう」
榊がすぐに注意する。
「分かってるって。でもさ、やっぱり嬉しいんだよ。みんなとまた訓練できるの」
その言葉に、榊は一瞬だけ黙った。
そして、少しだけ表情を和らげた。
「……なら、余計に無理をしないことね」
「うん!」
彩峰が、ぼそっと呟く。
「……騒がしい」
「慧さん、それさっきも言った!」
「何度でも言う」
珠瀬が、ふふっと笑う。
その笑い声を聞いて、私は思った。
ああ。
ようやく、戻ってきたのだ。
207Bが、五人に戻った。
◇
10月31日 夕方
横浜基地・訓練場外縁
<< 神宮寺 真白 >>
少し離れた場所から、207Bの訓練を見ていた。
本当は、あまり口を出さない方がいい。
今の207Bに必要なのは、自分の助言ではなく、彼女たち自身の積み重ねだ。
まりもさんにも言われた。
期待は、時に重荷になる。
早く進ませたい。
強くなってほしい。
生き残ってほしい。
その気持ちは本物だ。
けれど、それを押しつければ、彼女たちを潰してしまうかもしれない。
だから今日は、少し離れて見るだけにした。
訓練場では、五人が動いている。
榊千鶴。
彩峰慧。
珠瀬壬姫。
御剣冥夜。
そして、鎧衣美琴。
五人揃った207B。
その光景を見ているだけで、胸の奥が少し熱くなる。
「……ようやく、揃った」
小さく呟く。
美琴は、思ったより元気そうだった。
病み上がりのはずなのに、動きが軽い。ただ、無理をしている感じではない。身体が動くことを、心から喜んでいるように見えた。
医務区画から回復補助が出ているとは聞いている。
夕呼の管理下で、何かしらのサンプルも使われているらしい。詳しいことは知らない。聞いても、たぶん教えてもらえない。
それでも、今の美琴が笑っていることは確かだった。
「神宮寺少佐」
背後から声をかけられる。
振り返ると、まりもさんが立っていた。
「まりもさん」
「見学ですか?」
「はい。邪魔にならない範囲で」
「それなら構いません」
まりもさんは、自分の隣に立った。
しばらく、二人で訓練場を見る。
五人の声が、夕方の空気に響いている。
「総合演習、前倒しするんですね」
「まだ正式決定ではありません」
「でも、伝えたんですよね」
「準備を始めさせる必要がありますから」
まりもさんの声は静かだった。
「ただし、焦らせるつもりはありません。最終判断は私がします」
「はい」
「鎧衣の回復状況も含めて、無理があると判断すれば延期します」
「それでお願いします」
自分は頷いた。
「自分は、少し急ぎすぎているのかもしれません」
まりもさんは、少しだけこちらを見る。
「自覚があるなら、まだ大丈夫です」
「大丈夫ですかね……」
「少なくとも、自覚がないよりは」
厳しい。
でも、優しい。
まりもさんらしい言葉だった。
「神宮寺少佐」
「はい」
「あなたがあの子たちを心配していることは分かります」
「……はい」
「ですが、あの子たちは訓練兵です。まだ守られるべき存在でもあります」
「分かっています」
「同時に、自分たちで越えなければならない壁もあります」
訓練場で、榊と彩峰が連携位置を確認している。
まだ少しぎこちない。
けれど、以前よりも互いを見ている。
珠瀬は呼吸を整え、射撃姿勢を作っている。
冥夜は、鎧衣の動きを気にしながらも、自分の足元を見失っていない。
鎧衣は明るい声で皆を動かしながら、時折、神宮司教官の指示に素直に頷いている。
「……そうですね」
自分は小さく答えた。
「自分が全部助けるわけにはいかない」
「ええ」
「でも、助けられるところは助けたいです」
「それも悪いことではありません」
まりもさんは、訓練場を見たまま言った。
「ただし、助けることと、代わりに背負うことは違います」
その言葉が、胸に残った。
助けること。
代わりに背負うこと。
自分は、いつもその境界を間違えそうになる。
未来を知っているから。
失うものを知っているから。
だから、先に動きたくなる。
全部を抱え込みたくなる。
けれど、それでは駄目なのだ。
「……覚えておきます」
「お願いします」
まりもさんは、少しだけ表情を緩めた。
「それに、あの子たちは思っているより強いですよ」
「はい」
それは、分かる。
今日の彼女たちを見れば、分かる。
まだ未熟だ。
まだ危うい。
けれど、確かに前へ進んでいる。
「神宮寺少佐」
「はい」
「総合演習が前倒しになるなら、あなたにも協力していただくことになります」
「もちろんです」
「ただし、直接答えを与えすぎないように」
「はい」
「あと、無理をしないように」
「……皆さん、それ言いますね」
「言われる理由があるからです」
反論できなかった。
まりもさんは少しだけ笑った。
「さて。私は戻ります。あの子たちを見ていないと、鎧衣がすぐ調子に乗りそうなので」
「確かに」
訓練場では、美琴が少し大きく動こうとして、榊に即座に止められていた。
まりもさんは小さく息を吐く。
「まったく……復帰も間もないのに元気すぎる」
その声には、呆れと安堵が混ざっていた。
そして、まりもさんは訓練場へ戻っていった。
自分はその背中を見送る。
神宮司まりも。
207Bの教官。
自分が守りたい人。
そして、207Bを本当に導ける人。
自分は、あの人の代わりにはなれない。
なるべきでもない。
だからこそ、できることをする。
少し離れた場所から、必要な時だけ背中を押す。
それでいい。
それが、今の自分にできることだ。
夕方の訓練場に、五人の声が響く。
207Bが五人揃った。
総合戦闘技術演習は、前倒しになる。
その先に何があるのか、まだ彼女たちは知らない。
けれど、確かに動き始めている。
自分は、訓練場の端で小さく息を吐いた。
その時だった。
「真白さーん!」
明るい声が、訓練場の方から飛んできた。
鎧衣美琴だった。
まりもさんに止められたのか、走ってはいない。しかし、片手を大きく振りながら、こちらへ向かってくる。
「鎧衣訓練兵、復帰おめでとうございます」
「ありがとうございます!」
鎧衣はにっと笑った。
「でも、真白さんって呼んじゃ駄目ですか?」
「えっと、訓練中は少佐でお願いします」
「じゃあ訓練外なら?」
「……状況によります」
「やった、可能性あり!」
「今の返事でそうなります?」
鎧衣の軽さに、思わず肩の力が抜ける。
美琴は、こちらの表情を見て、少しだけ目を細めた。
「真白さん、考えすぎてる顔してますよ」
「……分かりますか?」
「分かりますよ。山で迷った時と同じ顔です」
「山で迷った時」
「そういう時は、一回止まるんです。無理に進むと、余計に迷いますから」
その言葉は、思ったより真っ直ぐ胸に入ってきた。
「一回、止まる……」
「はい。まし――じゃなくて、神宮寺少佐は、たぶん進むのは得意です。でも、止まるのは苦手そうです」
「……よく見てますね」
「ボク、こういう勘はいいんです」
美琴は、少し得意げに笑った。
「だから、困ったら言ってください。ボク、道を探すのは得意ですから」
軽い言葉だった。
いつもの調子で、深刻さなんてほとんどない。
けれど、その軽さに少し救われる。
「ありがとうございます、鎧衣訓練兵」
「どういたしまして!」
その時、訓練場から榊の声が飛んだ。
「鎧衣! まだ訓練中でしょう!」
「はーい! 今戻るよー!」
美琴はまた手を振って、訓練場へ戻っていく。
その背中は、やはり軽い。
でも、ただ軽いだけではなかった。
207Bに必要な明るさ。
誰かの緊張をほどく声。
道を見失った時に、ふっと別の方向を指せる勘。
この子も、きっと伸びる。
そう思った。
そして、同時に思う。
この五人を、ちゃんと前へ進ませたい。
ただし、代わりに背負うのではなく。
彼女たち自身の足で。
鎧衣美琴は、207Bへ戻ってきた。
榊千鶴は、その復帰を叱りながら喜んだ。
彩峰慧は、騒がしいと言いながら受け入れた。
珠瀬壬姫は、安心したように笑った。
御剣冥夜は、五人揃った意味を胸に刻んだ。
そして自分は、少しだけ分かった。
207Bを前へ進ませることは、彼女たちの代わりに歩くことではない。
背中を押す。
道を照らす。
けれど、最後の一歩は彼女たち自身に踏ませる。
たぶん、それが教導官として求められていることなのだ。
その日、五人揃った207Bに、前倒しの試練が告げられた。
訓練場の夕方の空気の中で、彼女たちはまだ笑っている。
少し不安そうに。
それでも、前を向いて。
第18話「五人目の帰還」 END
本当は10/29日にしっかりと復帰描写をしたかったのですが、A-01と訓練中だったので、描写をずらしました。