マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜 作:きのこ大三元
本当、最近暑くて溶けそうです…
今回は20.5話あの人の登場回です!
11月2日 夕方
国連軍横浜基地・医務区画
<< 神宮寺 真白 >>
自分用に調整された不知火――JM-01と対面したあと、夕呼から実機訓練前の検査を命じられた。
「明日から実機訓練に入るわ。今日は医務区画で検査を受けなさい」
拒否権はなかった。正確には、拒否しても通らないと分かっていた。A-01預かりのXM3評価機を目の前にし、自分も教える側だけではいられず、実際に機体へ乗るのだと理解した直後である。その重さが胸に残ったまま、医務区画へ向かう足取りは自然と鈍くなった。
「……検査、多いなぁ」
横浜基地へ来てから、身体検査、衛士適性、因果導体性、リンク因子、疲労や睡眠状態など、何度も調べられている。今回は実機訓練前の身体確認で、必要な処置なのは理解していた。
それでも、医務区画は得意ではない。
少佐相当の待遇を受けていても、自分は香月副司令管理下の重要隔離対象であり、普通の軍人以上に検査される立場だった。そして何より、自分自身がこの身体の仕組みを理解できていない。調べられるたびに、自分が普通の人間ではないと改めて突きつけられる気がした。
医務区画の扉の前で一度息を整え、中へ入る。消毒液と薬品の匂い、白い壁、整然と並ぶ器具。戦場へ直結する基地の中にありながら、この区画だけは別の場所のように静かだった。
受付で名前を告げると、奥の診察室へ案内された。
「神宮寺真白少佐ですね」
柔らかな声に振り返る。
白衣を着た女性が、穏やかな表情で立っていた。落ち着いた声と、患者を安心させるような微笑み。看護師として、ごく自然で丁寧な立ち振る舞いだった。
「本日の検査を担当します。穂村愛美です」
その名前を聞いた瞬間、胸の奥がわずかに冷えた。
穂村愛美。
自分は、この人を知っている。正確には、この世界に関する知識の中で、近づき方を誤れば危うい相手として記憶していた。
「……神宮寺真白です。よろしくお願いします」
表情へ出さないように頭を下げる。
穂村さんは微笑みを崩さず、自然に応じた。
「はい。よろしくお願いします、神宮寺少佐。では、こちらへどうぞ」
声は本当に優しい。態度にも威圧感はなく、患者の緊張を和らげようとしているのが分かる。
だからこそ、警戒した。
この人が危ういのは、乱暴だからでも、悪意があるからでもない。相手の痛みに気づき、寄り添い、必要な距離まで自然に入り込めてしまうからだ。そういう相手ほど、こちらが一度気を許すと距離を戻すのが難しい。
診察用の椅子へ座ると、穂村さんは端末を操作しながら検査内容を説明した。
「本日は、実機訓練前の身体状態、疲労蓄積、血液検査、神経反応値の簡易確認を行います。昨夜の睡眠時間はどれくらいですか?」
「……五時間くらいです」
端末を操作していた手が、一瞬だけ止まった。
「五時間ですか。少ないですね」
「最近、少し忙しくて」
「少し、ですか?」
責めているわけではない。
それでも、曖昧な返事をそのまま通さない声だった。
「……かなり、かもしれません」
「正直でよろしいです」
穂村さんは軽く笑い、続けて食事の回数や体調の変化を確認していく。
「食事は取れていますか?」
「一応、食べています」
「一応、というのは?」
「京塚さんに盛られるので……」
「それは良いことですね。ただ、誰かに用意されないと食べる量が減る、という意味にも聞こえます」
「……否定しづらいです」
短い会話の中で、こちらの生活の癖まで拾われている。
この人は、聞いた言葉だけではなく、言い方や間まで見ている。
「検温と血圧を確認します。腕を出してください」
「分かりました」
袖をまくると、穂村さんの指が手首に触れた。体温を確かめるような丁寧な触れ方で、乱暴さはない。それなのに、必要以上に意識してしまった。
「緊張されていますか?」
「少し」
「医務区画が苦手ですか?」
「得意ではありません」
「検査そのものが嫌いなのでしょうか」
「それもあります」
「他には?」
静かな問いだった。
知っているからです、と答えることはできない。
「……自分の身体が、自分でもよく分からないので」
嘘ではなかった。
穂村さんは少し長くこちらを見たあと、静かに頷いた。
「それは不安になりますね」
声音には同情を押しつける感じがなく、ただ事実を受け止めているようだった。
その自然な優しさが、かえって警戒心を刺激する。
「大丈夫ですよ。できるだけ負担が少ないように進めます」
「……はい」
穂村さんは自分の視線がわずかに逸れたことにも気づいたらしい。
すぐに手を離し、半歩だけ距離を空けた。
「少し近かったでしょうか。患者さんによって、安心できる距離は違いますから」
「いえ……ありがとうございます」
距離を取る判断が早い。
こちらが拒絶の言葉を出す前に反応を読み、負担にならない位置まで下がる。それは看護師として高い能力なのだろう。
ただ、身体の距離は離れても、視線までは離れていなかった。呼吸の間、指先の動き、表情の変化、声の揺れを、静かに観察されている感覚がある。
「神宮寺少佐は、我慢する癖がありますね」
「……よく言われます」
「痛みも、疲れも、不安も、自分の中へ押し込む傾向があるように見えます」
「そんなに分かりますか?」
「はい。かなり顔に出ています」
遙中尉や伊隅大尉、月詠さん、京塚さん、千歳さんにも同じようなことを言われた。自分では隠しているつもりでも、周囲には思っている以上に伝わっているらしい。
「無理をしている人ほど、無理をしていないと言います。大丈夫ではない人ほど、大丈夫だと答えることも多いです」
穂村さんの言葉は穏やかだが、逃げ道がない。
柔らかく包まれているようで、そのまま動きを止められそうな感覚があった。
「穂村さん」
「はい」
「自分は、大丈夫です」
口にした直後、失敗したと思った。
穂村さんは少しだけ目を細める。
「今の説明の直後に、その答えを選ぶのですね」
「……すみません」
「謝る必要はありません。ただ、記録には残します」
「記録に?」
「自己申告と実際の疲労状態に差がある可能性、と記載します」
「夕呼にも報告されますか?」
「必要があれば共有されます」
「そうですか……」
医務区画へ来た時点で、逃げ場など最初からないのだろう。
◇
その後の検査は、淡々と進んだ。血圧、脈拍、採血、神経反応、疲労蓄積。穂村さんの説明は分かりやすく、手際にも無駄がない。こちらの反応を確認しながら進めるため、痛みや不快感も最小限だった。
「少し採血しますね」
「はい」
針が入ったが、ほとんど痛みはなかった。
「上手ですね」
思わず口にすると、穂村さんは少しだけ嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。褒めてもらえると、やはり嬉しいものですね」
その表情は、ごく普通の人のものだった。
仕事を認められて嬉しそうにする、優秀な看護師。
それを見て、警戒が少しだけ緩みかける。
しかし、すぐに思い直した。
今の穂村愛美に悪意はないのだろう。
だからこそ、自分との相性が怖い。
因果強化供給は、信頼や深い接触によって相手へ影響する。自分自身にも、人の感情を引き寄せるような説明しづらい性質がある。その力と、穂村さんの献身性や観察欲が噛み合った時、どこまで距離が近づくのか分からなかった。
「神宮寺少佐」
「はい」
「少し顔色が変わりました。何か気になることがありますか?」
「考え事をしていただけです」
「いつも、ですか?」
「たぶん」
「それは疲れますね」
穂村さんは採血管を慎重に保管しながら、穏やかに続けた。
「考え続ける人には、思考を止められる場所が必要です」
「思考を止める場所……」
「はい。医務区画を、そういう場所の一つにしても構いませんよ」
疲れた人間なら、寄りかかりたくなるような声だった。
この人なら、何も言わなくても気づいてくれる。無理をすれば止め、痛みを隠しても見抜いてくれる。
それは安心できる。
同時に、危険でもあった。
ここを、自分だけの休息場所にしてはいけない。
穂村さんにとっても、自分にとっても。
「ありがとうございます」
できるだけ自然に答える。
「でも、自分には他にも支えてくれる人がいますので」
穂村さんの表情が、ほんの一瞬だけ止まった。
視線の動きも呼吸も、すぐに元へ戻ったため、普通なら気づかなかったかもしれない。
「それは良いことですね。支えてくれる人は、大切にしてください」
「はい」
「ただ、医務区画を遠慮する必要もありません。私は担当記録を確認できますから、体調の変化があればすぐに対応できます」
言葉としては何もおかしくない。
担当看護師として当然の説明だ。
それでも、「確認できます」という言葉が妙に耳へ残った。
「検査は以上です」
穂村さんは端末を閉じた。
「疲労がかなり蓄積しています。実機訓練を中止するほどではありませんが、良い状態とも言えません。明日の訓練後にも再検査を受けてください」
「分かりました」
「今夜は睡眠時間を増やしてください」
「努力します」
「努力ではなく、実行してください」
穏やかなまま、断定された。
「……はい」
「よろしいです」
満足そうに微笑む姿だけを見れば、患者を気遣い、必要なことをきちんと伝える優秀な看護師だった。
だからこそ、真白には扱いが難しい。
「穂村さん。今日はありがとうございました」
「こちらこそ。神宮寺少佐のことを、少し理解できた気がします」
「少し、ですか?」
「はい。ですが、継続して担当すれば、これからもっと分かると思います」
その言葉に、胸の奥が再び冷えた。
継続診療を意味するだけなのかもしれない。
それでも、自分には別の意味まで含まれているように聞こえた。
「……ほどほどにお願いします」
「はい。ほどほどに」
本当に伝わったかは分からない。
医務区画を出る直前、穂村さんは扉の前まで見送りに来た。
「神宮寺少佐」
「はい」
「無理をしても、たぶん分かりますからね」
「……気をつけます」
「はい。気をつけてください」
扉が閉じる。
廊下へ出て、ようやく息を吐いた。
検査そのものより、穂村愛美という人物と向き合う方が疲れた気がする。彼女は丁寧で、穏やかで、患者の異変を見逃さない。悪意で近づく人ではないからこそ、拒絶の仕方も難しい。
「……距離感、気をつけよう」
誰に対しても優しく接すれば良いわけではない。相手を救いたいという気持ちが、距離を誤れば執着や依存に変わることもある。だからといって離れすぎれば、拒絶として傷つけてしまうかもしれない。
穂村愛美との距離は、慎重に測らなければならない。
そう考えながら、医務区画を離れた。
◇
11月2日 夕方
国連軍横浜基地・医務区画
<< 穂村 愛美 >>
神宮寺真白少佐。
穂村愛美は検査記録を整理しながら、端末に表示された名前を見つめていた。
二十歳。
少佐相当待遇。
香月副司令管理下。
身体数値は通常の成人男性から大きく外れている。疲労耐性、回復力、神経反応、情報処理速度のどれも不自然に高い。一方で本人の自己評価は低く、疲労を自覚していながら、休む意思は弱かった。
「……不思議な人」
穏やかで、他人へ気を遣う。
しかし警戒心は強く、こちらが一歩近づけば、相手を傷つけない範囲で半歩下がる。完全には拒絶しないが、それも好意ではなく、拒絶によってこちらを傷つけないための配慮に見えた。
医務区画が苦手なのか。
自分を警戒しているのか。
それとも、別の理由があるのか。
まだ判断できない。
ただ、一つだけは分かった。
「あの人、壊れそう」
身体が強いから壊れないのではない。
むしろ身体が保つ分、精神が限界を越えるまで動き続ける可能性がある。自分が倒れることより、周囲へ迷惑をかけることを恐れている人間の顔だった。
穂村は端末へ検査結果を入力する。
神宮寺真白少佐・実機訓練前検査記録。
疲労蓄積あり。睡眠不足。自己申告と身体状態に差異。過剰な自己抑制および他者優先傾向あり。接触時に軽度の緊張反応を確認。言葉による安心提示には反応するが、過度な接近には警戒を示す。複数の支援者が存在する旨の発言あり。継続観察を要する。
「支えてくれる人がいる、か」
それは良いことだ。
人は一人では壊れやすい。支えてくれる人間がいるなら、その危険は下がる。
だが、支えが多いからといって、必ずしも安心できるわけではない。支えられることへ慣れていない者は、周囲の心配さえ自分の負担として受け止めることがある。神宮寺真白少佐には、その傾向があるように見えた。
「ちゃんと、見ていないと」
穂村は、記録欄の最後を確認する。
――継続観察を要する。
医療従事者として、当然の判断だった。
患者の無理を見逃さず、必要な時に止める。それ以上の意味はない。
少なくとも今は、そう整理できた。
端末を閉じる。
医務区画の白い照明が、静かな室内と穂村の横顔を照らしていた。
その日、穂村愛美の観察記録に、神宮寺真白の名が加わった。
まだ一人の患者として。
放っておけば壊れそうな、少し気になる患者として。
第20.5話「穂村愛美、観察記録」 END