マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜   作:きのこ大三元

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ここから物語も本格的に動き出し、文字数も少しずつ増えていきますが、楽しんでいただければ嬉しいです。



第3話「因果の席」

10月22日 夕方

横浜基地・医務区画前通路

<< 神宮寺 真白 >>

 

「……疲れた……」

 

思わず、そんな声が漏れた。

 

正門を通された後、自分はそのまま香月夕呼副司令のところへ直行――とはならなかった。

当然といえば当然だ。身分証なし、所属不明、戸籍不明。しかも、崩壊した市街地から突然現れた若い男。

そんな人間を、何の確認もなしに基地中枢へ通すほど、横浜基地は甘い場所ではなかった。

 

結果。

 

検査。

検査。

また検査。

 

血液検査。身体測定。反射速度。筋力。視力。聴力。脳波。簡易問診。感染症確認。汚染チェック。

途中からは、何を調べられているのかもよく分からなくなっていた。

 

「……自分、ちゃんと人間ですよね……?」

 

思わず呟いてしまう。自分でも情けない声だった。

けれど、不思議なことに、身体そのものはまだ動く。足取りも重くない。息が切れているわけでもない。頭がぼんやりしているわけでもない。

むしろ、これだけ検査を受けた後にしては、異様なくらい身体は軽かった。

 

ただ、精神的には限界に近い。

知らない世界。知らない基地。知らない軍人。そして、自分を見る視線。

その全部が、じわじわと心を削ってくる。

 

「神宮寺様。こちらです」

 

前を歩くピアティフ中尉が、淡々とした声で告げた。

 

「は、はい……」

 

慌てて背筋を伸ばし、後をついていく。

横浜基地の通路は、どこまでも無機質だった。冷たい壁。低い照明。時折聞こえる軍靴の音。遠くで響く機械の駆動音。

その中を歩きながら、自分はあることに気づいていた。

 

すれ違う兵士のほとんどが、女性だった。

いや、ほとんどというより。

 

男が、いない。

 

少なくとも、自分の視界に入る範囲では、女性兵ばかりだった。

そして、その女性兵たちが、自分を見る。

 

ちらり。

じっ。

また、ちらり。

 

視線が顔に向かい、身体に向かい、また顔に戻る。

まるで珍しい生き物でも見つけたような目。中には、足を止めかける兵士までいた。

 

「……」

 

自分は少しだけ肩を縮めた。

 

やっぱり、変だ。

この世界に来てから、ずっと違和感があった。門番の衛兵も女性だった。基地の中も女性ばかり。

それに、若い男を見る目がどうにも普通ではない。

 

自分は少し迷ったあと、前を歩くピアティフ中尉に声をかけた。

 

「あの……ピアティフ中尉」

「何でしょうか」

「この基地って……女性の兵士が多いんですね」

 

ピアティフ中尉は、一瞬だけこちらを振り返った。

表情は大きく変わらない。けれど、少しだけ目が細くなった気がした。

 

「はい。現在の国連軍横浜基地では、女性兵の比率が非常に高くなっています」

「やっぱり……そうなんですか」

「BETAとの戦闘により、男性人口は大きく減少しています。特に衛士適性を持つ男性は、現在では極めて貴重です」

「……貴重」

 

その言葉に、背中が少し冷たくなった。

貴重。資源。戦力。守るべき存在。

この世界では、男はそういう扱いなのだろうか。

 

ピアティフ中尉は、淡々と続ける。

 

「若い男性が基地内を歩いていれば、注目されるのは避けられません」

「そう、ですよね……」

「特に神宮寺様は、外見的にも目立ちます」

「……それは、褒められてます?」

「事実を申し上げています」

 

淡々とした返答だった。

褒められているのか、分析されているのか分からない。

 

自分は思わず苦笑した。

中性的だとは、前の世界でも言われたことがある。でも、この世界ではそれが余計に目立つらしい。

 

自分は袖を軽く握った。

白を基調とした、妙に浮いた服装。この世界の軍服とも、一般的な私服とも違う。身分証もない。戸籍もない。

よく考えなくても、不審者だ。

 

普通なら、拘束されて終わりだろう。

それでも、ここまで来られたのは。

 

香月夕呼。

 

あの人に、繋がったからだ。

 

「到着しました」

 

ピアティフ中尉が足を止めた。

そこには、他の扉とは明らかに違う雰囲気を持つ部屋があった。

 

香月副司令の執務室。

 

自分は、喉を鳴らした。

 

「……ここが」

「はい。香月副司令がお待ちです」

 

ピアティフ中尉が扉の横に立つ。

軽くノックをすると、中から短い返事があった。

 

「入れなさい」

 

その声を聞いただけで、背筋が伸びる。

画面越しに何度も聞いたような気がする声。けれど、現実として聞くと、まるで圧が違った。

 

「失礼します」

 

ピアティフ中尉が扉を開ける。

その先にいたのは――。

 

「来たわね」

 

白衣の女。

香月夕呼副司令。

 

机に肘をつき、こちらを見ていた。

画面越しに何度も見たはずの顔。けれど、実際に対面すると、まるで印象が違う。

 

美人だ。

それは間違いない。

でも、それ以上に怖い。

 

こちらを値踏みするような視線。逃げ場を塞ぐような沈黙。興味と警戒が混ざった目。

そして、その奥にある、どこまでも冷静な計算。

 

「あの……神宮寺真白です」

「知ってるわ。さっきから散々報告を受けてるもの」

「……ですよね」

 

夕呼副司令は、こちらを頭から足元まで観察するように見る。

その視線に、思わず背筋が固まった。

 

「ピアティフ」

「はい」

「席を外して。しばらく二人で話すわ」

「了解しました」

 

ピアティフ中尉は、こちらに一礼すると、静かに部屋を出ていった。

扉が閉まる。

部屋の中に、自分と夕呼副司令だけが残された。

 

「座りなさい」

「はい」

 

言われるまま、ソファに腰を下ろす。

目の前の机には、資料や端末、何かの数式らしき紙が広がっていた。

 

原作で何度も見た副司令室。

けれど、ここはもうゲームの背景ではない。

 

自分の呼吸音。衣擦れの音。夕呼副司令が指先で机を叩く小さな音。

全部が、現実だった。

 

夕呼副司令は、しばらくこちらを観察するように見ていた。

その沈黙だけで、背中に汗がにじむ。

やがて、彼女は口を開いた。

 

「さて」

 

声が、少し低くなる。

 

「あなたの目的を教えてもらうかしら」

「……目的、ですか」

「ええ。あなたは突然現れた。身分証なし、戸籍なし、所属不明。なのに、あたしの名前を知っていた。横浜基地のことも知っていた。オルタネイティヴ4と00ユニットという単語まで出した」

「……」

「普通なら尋問室行きよ。場合によっては、もっと面倒な場所に送られてもおかしくない」

「……ですよね」

「でも、そうしなかったのは、あなたがあまりにも妙だから」

 

夕呼副司令の目が細くなる。

 

「神宮寺真白。あなた、何者?」

 

部屋の空気が重くなった。

 

嘘をつけば、たぶん見抜かれる。ごまかせば、切り捨てられる。余計なことを言えば、利用される。

どれを選んでも危険だ。

 

けれど、ここで失敗すれば、自分は終わりだ。

いや、自分だけじゃない。この世界を変えるための可能性も、ここで潰れる。

 

自分は膝の上で拳を握った。

怖い。逃げたい。

 

でも。

 

ここで逃げたら、何のためにこの世界へ来たのか分からない。

 

「……その前に、一つ確認してもいいですか」

「何?」

 

夕呼副司令の目が、さらに鋭くなった。

質問するだけでも、試されているような圧がある。

 

自分は喉を鳴らしてから、口を開いた。

 

「今日は……何年の、何月何日ですか?」

「日付?」

「はい。自分にとっては、かなり重要なので」

 

夕呼副司令は、わずかに眉を動かした。

 

「……2001年10月22日よ」

「……」

 

分かっていた。

分かっていたはずなのに。

その日付を実際に聞いた瞬間、背筋が冷たくなった。

 

2001年10月22日。

 

原作が始まる日。

白銀武が、この世界に来るはずの日。

 

いや。

来ていなければならない日。

 

「……もう一つ、確認させてください」

「まだあるの?」

「この横浜基地に……白銀武という人はいますか?」

 

夕呼副司令の表情が、わずかに険しくなる。

 

「白銀武?」

「はい。年齢は自分と同じくらいで、男性です。もしかしたら、今日この基地に来ているか、近くにいるかもしれません」

 

夕呼副司令は、端末に視線を落とした。

数秒。

指先が端末の上を走る。

 

そのわずかな時間が、異様に長く感じた。

心臓の音が、耳の奥で響く。

 

いるのか。

いないのか。

 

もし、いるなら。

自分は、武を助ければいい。彼の知識と経験を軸に、この世界を変えればいい。

 

けれど。

 

「……該当者なし」

 

夕呼副司令は、あっさりと言った。

 

「この基地にも、周辺記録にも、白銀武という人物は確認できないわ」

「……いない」

 

声が勝手に漏れた。

足元が、少しだけ揺らいだ気がした。

 

白銀武がいない。

本来、この日にここへ来るはずの主人公が。この世界を救うはずの因果導体が。

 

いない。

 

「その白銀武って男が、何なの?」

 

夕呼副司令の問いに、自分はすぐには答えられなかった。

頭の中で、いくつもの場面がよぎる。

 

白銀武。

 

何度も絶望を見て。

仲間を失って。

それでも、最後まで走り抜けた人。

 

その彼が、この世界にはいない。

つまり、この世界では、誰かがその役割を背負わなければならない。

 

00ユニット。

新型OS。

A-01。

207B。

桜花作戦。

 

本来なら白銀武が繋いでいくはずだった物語。

それを進める人間が、今ここにはいない。

 

なら。

 

「……自分が」

 

小さく呟いた。

夕呼副司令が、こちらを見る。

 

「自分が……白銀武の代わりに、進めなきゃいけないんですね」

 

口にした瞬間、現実になった気がした。

逃げ場が消えた。

 

自分は主人公じゃない。

そんな器でもない。

ただ、作品を知っているだけの人間だった。

 

でも。

この世界に白銀武がいないなら。

誰かが、その席に座らなければならない。

 

怖い。

重い。

冗談じゃないと思う。

 

でも。

 

「……やるしかないですよね」

 

自分は、震える手を握りしめた。

 

夕呼副司令は、しばらく黙ってこちらを見ていた。

その目から、先ほどまでの軽く探るような色が少しだけ消える。

代わりに浮かんだのは、鋭い興味。そして、ほんの少しの警戒。

 

「白銀武、ね」

 

夕呼副司令は椅子に背を預けた。

 

「その男が、本来この世界で何をするはずだったのか。詳しく聞かせてもらうわ」

「はい」

 

自分は頷いた。

もう、戻れない。

 

2001年10月22日。

白銀武がいない横浜基地で。

神宮寺真白は、自分が“物語の代役”になるのだと理解した。

 

「……自分は、2026年の日本から来ました」

 

夕呼副司令の眉が、わずかに動いた。

 

「続けなさい」

「自分がいた世界には、BETAはいません。戦術機もありません。オルタネイティヴ計画も、人類滅亡の危機もありませんでした」

「証拠は?」

 

即答だった。

予想していた。

 

自分はポケットからスマートフォンを取り出す。

 

「これです」

「……携帯端末?」

 

夕呼副司令の視線が鋭くなる。

自分は画面を起動した。

 

電波は圏外。

日付表示は、なぜかまともに読めない。

けれど、中に残っている画像や動画は開けた。

 

現代日本の街並み。

駅。

コンビニ。

車。

青空の下を歩く人々。

 

BETAの影もない世界。

 

夕呼副司令は、無言で画面を覗き込んだ。

その目が、ほんの少しだけ変わる。

 

「……この解像度。この薄さ。記録媒体の容量も、こっちの技術水準とは合わないわね」

「はい」

「合成の可能性は?」

「この場では否定しきれません。ただ、この端末そのものは、この世界では作れないと思います」

「……ふぅん」

 

夕呼副司令はスマートフォンを手に取ると、角度を変えながら眺めた。

その表情は、先ほどよりも明らかに研究者のものになっていた。

 

危険なものを見つけた科学者。

そんな顔だ。

 

「中身は後で調べるわ」

「……ですよね」

「文句ある?」

「いえ……壊さないでください」

「善処するわ」

「その言い方、不安なんですが……」

 

夕呼副司令は軽く笑った。

その笑い方が、怖い。本当に怖い。

この人、スマホを分解しかねない。いや、絶対する。たぶん、こちらが止めてもする。

 

「それで?」

 

夕呼副司令は、スマートフォンを机に置いた。

 

「どうしてあたしのことを知っているの」

「……自分は、あなたたちの世界に似た物語を知っていました」

「物語?」

「はい。そこでは、白銀武という人物がこの世界に来て、オルタネイティヴ4に関わります。香月夕呼副司令、社霞、鑑純夏、00ユニット、因果律量子論……そういった言葉も出てきました」

 

夕呼副司令の顔から、笑みが消えた。

空気が凍る。

 

「……誰から聞いたの」

「誰からも聞いていません」

「だったら、どうやって知ったの」

「自分の世界では、それが“作品”として存在していました」

「……随分と都合のいい話ね」

「そう思います」

 

自分は素直に頷いた。

 

「でも、自分は知っています。この世界が放っておけばどうなるのかも。桜花作戦も、BETAの脅威も、オルタネイティヴ計画も……断片的ですが、知っています」

 

夕呼副司令は、何も言わなかった。

ただ、じっと見ている。

その沈黙が、怖い。まるで、心臓の音まで分析されているようだった。

 

「試させてもらうわ」

「……はい」

 

「00ユニットの中核は?」

「鑑純夏です」

 

夕呼副司令の目が、わずかに鋭くなる。

 

「白銀武の特異性は?」

「因果導体……だったはずです」

 

「この基地の地下にあるものは?」

「……横浜ハイヴ跡地。反応炉も関係しているはずです」

 

「オルタネイティヴ4の目的は?」

「人間の脳を模した存在――00ユニットによる、BETAとの意思疎通」

 

夕呼副司令は、そこで黙った。

しばらく、部屋に沈黙が落ちる。

やがて彼女は、椅子の背にもたれた。

 

「……ありえないわね」

「はい」

「でも、完全に否定するには材料が多すぎる」

「……信じてもらえますか」

「信じる? 馬鹿言わないで」

 

即答だった。

 

「信じるんじゃないわ。利用価値があるかどうかを判断するの」

 

その言葉に、自分は息を呑む。

でも、不思議と嫌な感じはしなかった。

むしろ、香月夕呼らしいと思った。

 

この人は、そういう人だ。

人類を救うためなら、目の前の異常も、奇跡も、化け物も、全部利用する。

 

「それで?」

 

夕呼副司令は、脚を組み替えた。

 

「あなたは、あたしに何を求めるの?」

 

ここからが本題だ。

自分は、姿勢を正した。

 

「自分を、この基地に置いてください」

「理由は?」

「新型OSの開発に協力できます」

「へぇ?」

「白銀武が作るはずだった機動概念を、自分もある程度知っています。完全ではありませんが、戦術機の動き、先行入力、キャンセル、三次元機動……説明できます」

 

夕呼副司令の目が、少しだけ輝いた。

 

「続けて」

「それに、自分には衛士適性があります。さっきの検査結果で、たぶん分かると思います」

「ええ。異常値だったわ」

「なら、自分を新型OS開発の協力者にしてください」

「協力者、ね」

 

夕呼副司令は面白そうに笑った。

 

「それだけ?」

 

自分は、一度息を吸った。

そして言う。

 

「A-01と、第207衛士訓練小隊B分隊にも関わらせてください」

 

夕呼副司令の表情が変わった。

 

「……随分と大きく出たわね」

「分かってます。自分が普通なら、ありえないことを言ってるって」

 

声が震えそうになる。

けれど、自分は続けた。

 

「でも、時間がありません。ゆっくり信用を積み重ねていたら、間に合わないんです」

「……」

「A-01は重要です。207Bも重要です。これから先、横浜基地で起きることに、彼女たちは深く関わります」

「なぜ?」

「未来を変えるために、必要な人たちだからです」

 

夕呼副司令は、しばらくこちらを見つめた。

そして、ふっと笑った。

 

「自分が何を言ってるか分かってる?」

「はい」

「戸籍も所属もない不審者が、いきなり特殊任務部隊と訓練小隊に関わらせろって言ってるのよ」

「……はい」

「普通なら頭がおかしいわ」

「そうですね……」

 

自分は苦笑するしかなかった。

でも、ここで引くわけにはいかない。

 

「それでも、お願いします」

 

自分は頭を下げた。

 

「自分は、白銀武じゃありません。彼みたいに強くありません。何度もやり直した経験もありません。全部を覚えているわけでもありません」

 

それでも。

 

「あの未来を、見たくないんです」

 

まりもさんのこと。

A-01のこと。

207小隊のこと。

横浜基地のこと。

 

全部を救えるとは言えない。

でも、知っているのに何もしないなんて、無理だった。

 

「自分に使えるものがあるなら、使ってください」

 

夕呼副司令の目が、静かに細くなった。

 

「使ってください、ね」

「はい」

「後悔するわよ」

「……すると思います」

 

正直に答えた。

夕呼副司令が少しだけ眉を上げる。

 

「後悔するって分かってて言ってるの?」

「はい」

 

怖い。

絶対に怖い。

この人に使ってくださいなんて言ったら、間違いなく遠慮なく使われる。

実験もされる。検査もされる。たぶん、眠る時間も削られる。

 

でも。

 

「何もしないで後悔する方が、もっと嫌です」

 

言い切った瞬間、部屋が静かになった。

夕呼副司令は、長い間こちらを見ていた。

そして。

 

「……いいわ」

 

その一言が落ちた。

 

「神宮寺真白。あなたを横浜基地に置いてあげる」

「本当ですか」

「ただし、自由はないと思いなさい」

「……はい」

「あなたは危険すぎる。知識も、持ち物も、存在そのものも。放置できるわけがない」

 

夕呼副司令は端末を操作する。

 

「表向きの身分を作るわ。国連軍横浜基地所属、特務技術顧問。新型OS開発協力者兼、訓練教導補佐」

「技術顧問……」

「待遇階級は少佐相当」

「……はい?」

 

思わず間の抜けた声が出た。

 

少佐。

少佐?

 

「今、少佐って言いました?」

「言ったわよ」

「いや、無理ですよ」

「何が?」

「自分、昨日まで普通の一般人だったんですけど」

「今日から違うわね」

「軽い……!」

 

軽すぎる。あまりにも軽い。

自分の人生で、少佐なんて単語が自分に向けられる日が来るとは思わなかった。

いや、普通来ない。

 

「正式な軍歴を持つ少佐じゃないわ。あくまで少佐相当の待遇階級。あなたを基地内で動かすための便宜上の肩書きよ」

「便宜上で少佐なんですか……」

「若い男を階級なしでA-01や207Bに近づける方が面倒なのよ。少佐待遇なら、少なくとも表向きは通しやすい」

「……なるほど」

 

理屈は分かる。

分かるけど、納得が追いつかない。

 

「それに、あなたは新型OSの知識を持っている。衛士適性も高い。未来知識もある。普通の扱いでは収まらないわ」

 

夕呼副司令は、端末から顔を上げた。

 

「実質的には、あたしの管理下に置く重要隔離対象。そこは理解しておきなさい」

「重要隔離対象……」

 

少佐相当。

特務技術顧問。

新型OS開発協力者。

訓練教導補佐。

 

そして、夕呼副司令管理下の重要隔離対象。

 

肩書きが多い。

多すぎる。

というか、最後だけ妙に怖い。

 

「何か不満?」

「いえ……不満というか、情報量が多すぎて処理できていません」

「慣れなさい」

「無茶言いますね……」

「この世界では無茶を言える人間から生き残るのよ」

「嫌な世界ですね……」

「ええ。嫌な世界よ」

 

夕呼副司令は、あっさり言った。

その言葉に、少しだけ息が詰まった。

 

冗談ではない。

この世界は、本当に嫌な世界だ。

BETAに追い詰められ、人が死に、未来が削られていく世界。

 

だからこそ、無茶をしなければならない。

 

夕呼副司令は机の上に置かれた紙へ視線を向けた。

 

「あとは、あなた自身の能力ね」

「……能力」

 

自分は、服の内側にしまっていた紙を取り出した。

目が覚めた時に落ちてきた、あの紙。

 

夕呼副司令はそれを受け取り、無言で読み始めた。

 

白銀武の因果導体としての性質。

戦闘経験。

衛士としての技術。

戦術機適性。

人を惹きつけやすい因果的な性質。

 

因果強化供給《リンク・ブースト》。

深い信頼、または親密な接触による強化。

 

読み進めるにつれて、夕呼副司令の目が鋭くなっていく。

そして最後まで読み終えると、彼女は小さく息を吐いた。

 

「……なるほどね」

 

その声は、とても静かだった。

 

「これが本当なら、あなたは単なる未来知識持ちじゃない」

「……はい」

「白銀武の代替因子。新型OSの鍵。衛士適性を持つ若い男性。さらに、他者強化能力持ち」

 

夕呼副司令は紙を机に置いた。

 

「人類史が変わるわ」

 

その言葉の重さに、胸が詰まった。

人類史。

そんな言葉を、自分に向けて言われる日が来るなんて思わなかった。

 

「ただし」

 

夕呼副司令の声が鋭くなる。

 

「紙に書いてあるから信じます、なんてやるわけない。検証は必要よ」

「……検証」

 

嫌な予感がした。

とても嫌な予感がした。

 

「身体能力、適性、因果反応、体液成分、接触反応。全部調べる」

「全部……ですか」

「当然でしょ」

「……自分、今日もう結構検査されたんですけど」

「それは基地に入れるための最低限の検査。これからやるのは、あなたを使うための検査」

「言い方……」

「事実よ」

 

夕呼副司令は、少しだけ口元を上げた。

 

「安心しなさい。すぐに解剖したりはしないわ」

「すぐに、って言わないでください……」

 

怖い。

本当に怖い。

 

けれど、不思議と少しだけ肩の力が抜けた。

この人は、自分を利用する。間違いなく利用する。

けれど、今の自分には、その利用価値が必要だった。

 

この世界を変えるためには、香月夕呼の力が必要だ。

 

夕呼副司令は端末を操作し、通信を開いた。

 

「ピアティフ」

 

『はい』

 

「神宮寺真白の身分処理を開始。仮登録でいいわ。所属は国連軍横浜基地。特務技術顧問兼、新型OS開発協力者。待遇階級は少佐相当」

 

『了解しました』

 

「それから、医務区画に追加検査の準備。扱いは最重要機密」

 

『了解しました。神宮寺様の呼称は、今後どのように?』

 

夕呼副司令は、ちらりとこちらを見た。

 

「神宮寺少佐でいいわ」

 

『承知しました』

 

通信が切れる。

 

神宮寺少佐。

 

その言葉が、頭の中で反響する。

 

「……少佐」

「何よ」

「いえ……胃が痛くなってきました」

「検査では胃に異常はなかったわよ」

「そういう意味じゃないです……」

 

夕呼副司令は楽しそうに笑った。

完全に面白がっている。

けれど、その目の奥では、もう計算が始まっているのが分かった。

 

自分をどう使うか。

どの情報を引き出すか。

どの部隊に関わらせるか。

能力をどう検証するか。

どこまで公表し、どこまで隠すか。

 

全部、考えている。

 

「神宮寺真白」

 

名前を呼ばれて、自分は顔を上げた。

夕呼副司令の目は、もう笑っていなかった。

 

「あなたは今日から、この横浜基地の中枢に関わることになる」

「……はい」

「白銀武がいない世界で、あんたが何を知っていて、何ができるのか。全部使わせてもらうわ」

「分かっています」

「逃げられると思わないことね」

「……逃げません」

 

声は震えていた。

でも、言葉だけははっきり出た。

 

「自分は、白銀武じゃありません。きっと、彼みたいにはできません」

 

それでも。

 

「知ってしまった以上、見捨てられません」

 

夕呼副司令は、しばらくこちらを見ていた。

やがて、薄く笑う。

 

「いいわ。その覚悟、どこまで持つか見せてもらう」

 

その言葉は、許可にも聞こえた。

試験開始の合図にも聞こえた。

そして、宣告にも聞こえた。

 

自分は、もう一度膝の上で拳を握った。

怖い。

重い。

逃げたい。

 

でも。

 

「……お願いします、夕呼副司令」

 

震える声で、そう言った。

 

夕呼副司令は、満足げに笑う。

その笑みは、科学者のものにも、軍人のものにも、そして一人の女性のものにも見えた。

 

こうして。

自分のこの世界での役割は、正式に決まった。

 

白銀武の代役。

新型OSの鍵。

A-01と207Bを繋ぐ教導役。

夕呼副司令管理下の重要隔離対象。

 

そして。

人類の未来を底上げするかもしれない、最も危険な切り札。

 

――この時の自分はまだ知らない。

 

その肩書きが、ただの名目では終わらないことを。

少佐相当という仮の身分が、横浜基地の人間関係を大きく動かしていくことを。

 

そして。

自分の身体と能力が、この後すぐに“検体番号JM-001”として扱われることになることを。

 

それは、白銀武のいない世界で。

 

神宮寺真白が、因果の空席に座らされた日だった。

かなりガルパン寄りに詰めました。今後の本編修正も、このくらいの空白密度を下限寄りの基準にして大丈夫です。




――本作用語メモ3――

■ 因果導体
並行世界同士の因果をつなぐ、特殊な存在。
原作では白銀武がこの性質を持っている。

■ 衛士
戦術機に搭乗して戦う兵士。
BETAとの戦いにおける人類側の主力戦力。

■ A-01
香月夕呼直属の特殊任務部隊。
伊隅みちる大尉が率いる精鋭部隊。

■ 第207衛士訓練小隊B分隊
横浜基地で訓練を受けている衛士候補生たちの部隊。
原作では白銀武もこの部隊に加わり、御剣冥夜たちと訓練を受ける。
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