マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜 作:きのこ大三元
11月8日 午前
南方海域・演習指定島 模擬地雷原手前
<< 榊 千鶴 >>
島へ上陸してから四日目の朝。
207Bは、前回の演習で突破できなかった模擬地雷原の前に立っていた。
白い砂地には大小の岩が点在し、その奥に最終到達地点へ続く細い経路が見える。模擬地雷や警報装置は砂の下や岩陰へ隠され、どこまでが安全なのか、外から見ただけでは判断できない。
昨日までに第一・第二目標の破壊を終え、通信手段を持たないまま、二班とも事前に決めた合流地点へ到着した。
残っているのは、ここだけだった。
「……この場所ね」
千鶴が呟くと、珠瀬の肩がわずかに強張った。
冥夜は正面を見据え、彩峰は砂の表面を注意深く観察している。美琴も普段の笑みを抑え、岩場と砂地の境目へ視線を走らせていた。
以前は、ここで全てが崩れた。
千鶴は自分だけで判断しようとし、彩峰は危険を説明せずに進んだ。珠瀬は焦って視野を狭め、冥夜は自分が先に危険を引き受けようとした。美琴が見つけた地形上の特徴も、分隊全体の経路へ活かせなかった。
だが、昨日までの三日間で、自分たちは互いの姿が見えない状況でも役割を果たし、約束した場所へ戻ってきた。
今度は、同じ場所に五人いる。
「全員、ここで止まって」
千鶴は地図を取り出したが、すぐには進路を決めなかった。
「私一人の判断では進まない。見えている情報を全部出して」
四人がそれぞれ地雷原へ視線を向ける。
「彩峰。足元と近距離をお願い」
「中央の砂、均されすぎてる。左側も、石の並びが不自然」
「鎧衣は地形を」
「右奥の岩場から回れそう。でも、途中の斜面が崩れやすい。砂地を真っすぐ抜けるより遠回りだけど、高い場所を取れるよ」
「珠瀬。右側の岩場から、何が見える?」
珠瀬は一度息を整え、双眼鏡を構えた。
「岩の陰に、警報装置らしき反射があります。右側の斜面をそのまま上がると、装置の正面へ出てしまうと思います。ただ、少し手前から岩の裏へ回れば、反応範囲を避けられるかもしれません」
「御剣は?」
「私が先行し、岩陰までの経路を確認できる。ただし、珠瀬と彩峰の確認が終わるまでは動かない」
誰も、勝手に進もうとはしなかった。
彩峰は見つけた違和感を言葉にし、珠瀬は焦らず観測結果を伝えている。冥夜も突出するのではなく、自分が動く条件を明確にした。美琴の地形情報も、迂回路を選ぶための重要な判断材料になっている。
千鶴は全員の報告を頭の中で組み合わせた。
「右側の岩場から回るわ。彩峰が先頭で足元を確認し、鎧衣が足場と迂回経路を見る。珠瀬は後方から警報装置と遠方を観測。御剣は安全地点が確認できた後、次の岩陰まで進んで経路を確保して」
「……了解」
「任せて」
「はい!」
「承知した」
千鶴は四人の顔を見た。
「五人で越えるわ」
最初に彩峰が動いた。
ただし、以前のように黙ったまま先行することはない。
「ここは大丈夫。次の砂は踏まない。榊は二歩右」
「分かった。鎧衣、斜面は?」
「右側は崩れそう。左の岩へ足をかけて、体重を一度に乗せない方がいい」
「御剣、鎧衣の示した位置まで進める?」
「可能だ」
「珠瀬、警報装置は?」
「まだ同じ位置です。御剣さんが次の岩陰へ入れば、装置の反応範囲から外れると思います」
千鶴は確認し、冥夜へ合図を出した。
「御剣、今よ。次の岩陰まで進んで」
「承知!」
冥夜が素早く砂地を越える。
その動きは速かったが、必要な位置まで到達するとすぐに止まった。周囲と退路を確認し、後続が通れる空間を残している。
「岩陰まで到達した。足元に異常はない。ここから先は、右側より左の岩沿いが安全に見える」
「彩峰、確認できる?」
「少し待って」
彩峰は姿勢を低くし、砂と石の並びを見比べた。
「御剣の左。細い線がある。そこは越えない」
「珠瀬から見える?」
「はい。ワイヤーだと思います。その先の岩にも小さな反射があります」
「なら、ワイヤーの手前から斜面側へ回るわ。鎧衣、通れる経路を探して」
「少し上に、岩の間が開いてる。狭いけど、一人ずつなら通れるよ」
美琴は手で経路を示しながら、珠瀬を振り返った。
「たま、先に行く?」
「い、いえ。私は後ろから皆さんを確認します。最後に通ります」
「分かった。足元はボクが教えるね」
「お願いします」
五人は、互いの報告を確かめながら進んだ。
彩峰が近くの危険を拾い、美琴が地形に合わせた通路を見つける。珠瀬は高所や遠方の装置を確認し、冥夜が先の安全地点を確保する。千鶴は集まった情報から次の一歩を決めた。
誰か一人が正解を持っているわけではない。
それぞれが見える範囲を伝え、その情報をつなげることで、初めて安全な経路が形になっていく。
「榊。次は右」
「鎧衣、右側の岩は使える?」
「一人ずつなら大丈夫。御剣は体重をかけすぎないで」
「承知した」
「右前方の警報装置、まだ反応していません。岩の陰を保てば通れます」
「分かった。御剣が渡った後、彩峰、鎧衣、私、珠瀬の順で進むわ」
一人ずつ、慎重に岩場を越える。
珠瀬は最後に一度呼吸を整え、美琴が示した足場へ踏み出した。
「たま、そのまま。次は少し左」
「はい……!」
「上は大丈夫。足元だけ見て」
「一呼吸……大丈夫です」
珠瀬が岩を越え、安全地点へ到達する。
地雷原の出口までは、あとわずかだった。
最後の砂地を前に、彩峰が足を止める。
「正面は駄目。右側、一人分だけ砂の色が違う」
「罠がないという意味?」
「たぶん。でも、確認する」
珠瀬が双眼鏡を向けた。
「右側の先に、最終判定端末が見えます。警報装置は……確認できません」
「鎧衣、地形は?」
「岩場を抜ければ、あとは平ら。途中で崩れる場所もなさそう」
「御剣、最後の経路を確認して」
「承知した。ただし、全員が続ける距離までに留める」
冥夜は彩峰の示した経路へ足を置き、慎重に進んだ。
数歩先で止まり、足元と周囲を確認する。
「異常なし。全員、通過可能だ」
千鶴は一度息を吸った。
「全員、順番に進む。最後まで気を抜かないで」
五人が、一人ずつ地雷原の外へ出る。
最後に珠瀬が境界線を越えた瞬間、最終判定端末から短い電子音が鳴った。
画面へ、演習最終課題完了の表示が浮かぶ。
誰も、すぐには声を出さなかった。
珠瀬が口元を震わせ、美琴が端末と仲間の顔を交互に見る。冥夜は静かに拳を握り、彩峰は地雷原を振り返っていた。
「……越えた?」
美琴が小さく尋ねる。
千鶴は画面に表示された完了判定をもう一度確認した。
声が震えそうになるのを抑えながら、四人へ振り返る。
「ええ。越えたわ」
珠瀬の目から涙がこぼれた。
「や、やりました……!」
「やったー!」
美琴が両手を上げた。
「鎧衣。まだ最終到達点へ着いていないわ」
「でも、地雷原は越えたよ!」
「それはそうだけど……」
叱ろうとしても、千鶴自身の口元も緩んでしまう。
冥夜が地雷原を振り返り、静かに言った。
「今度は、誰も置いていかなかった」
「……うん」
彩峰が小さく答えた。
前回失敗した場所を、五人で越えた。
誰かが正解を与えたのではなく、自分たちで情報を出し、決め、最後まで歩いた。
「最終到達点へ向かいましょう」
千鶴の言葉に、四人が頷く。
五人は揃って、演習最後の道を歩き始めた。
◇
11月8日 昼
南方海域・演習指定島 最終到達点
<< 榊 千鶴 >>
最終到達点には、まりも教官が待っていた。
仮設天幕の前に立ち、五人が近づいても表情を崩さない。千鶴たちは泥と砂にまみれ、数日間の移動と警戒で疲れ切っていたが、誰一人欠けることなく、自分の足で教官の前へ到着した。
「第207衛士訓練小隊B分隊、最終到達点へ到着しました」
千鶴の報告に合わせ、五人が整列する。
まりも教官は全員の状態を確認し、わずかに頷いた。
「まず、講評します」
「はい!」
揃った声が、島の風へ響く。
「今回の行動は、完璧ではありません」
最初の一言は厳しかった。
「第一班は旧通信設備跡への接近時、迂回経路の決定に時間がかかっています。御剣は独断での先行を抑えられていましたが、榊の判断を待つ間に足を止めすぎた場面がありました。鎧衣の地形把握は有効でしたが、発見した情報の優先順位には改善が必要です」
「はい」
千鶴は正面を向いたまま答えた。
「第二班も、旧監視所跡への侵入で予定以上に時間を使っています。彩峰は危険を言葉にできていましたが、報告が短く、珠瀬が判断に迷う場面が残っていました。珠瀬も観測自体は正確でしたが、初動で緊張から確認が遅れています」
「……はい」
「はい」
「合流も期限内ではありましたが、第二班の到着は余裕がありませんでした。経路変更の判断や休息配分には、まだ修正すべき点があります」
悔しさはあった。
しかし、以前の演習後とは違う。何が駄目だったのか分からないまま否定されているのではなく、次に直すべき部分を具体的に示されている。
まりも教官は、五人の顔を順番に見た。
「ですが、あなたたちは通信手段を持たない状態で二班に分かれ、それぞれの目標を破壊し、事前に定めた地点へ全員で合流しました」
声が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「榊は、離れた班まで管理しようとせず、彩峰と珠瀬へ判断を任せました。合流後の地雷原でも、全員の報告を聞いたうえで経路を決めています」
千鶴は小さく息を吸った。
「御剣は自分だけで危険を引き受けず、後続と退路を意識して先行しました。鎧衣は地形の変化を見つけ、分隊が通れる経路へ結びつけています」
冥夜は静かに頭を下げ、美琴は嬉しそうに笑いかけたものの、すぐに姿勢を正した。
「彩峰は危険を黙ったままにせず、珠瀬と分隊へ伝えました。珠瀬も焦りを抑え、遠方観測と警報装置の発見によって進路判断を支えています」
珠瀬の目へ、再び涙が浮かぶ。
彩峰は少し顔を背けたが、その表情は以前より柔らかかった。
「そして、前回失敗した模擬地雷原を、五人全員で突破しました」
まりも教官は一拍置いた。
「最長一週間を想定した演習課程を、四日間で完了した点も評価します」
四日間。
島へ上陸し、二班へ分かれ、互いの安否も分からないまま目標を処理し、再び合流して最後の難所を越えた。
その積み重ねが、ようやく実感として胸へ落ちてきた。
「第207衛士訓練小隊B分隊」
五人が姿勢を正す。
「総合戦闘技術演習、合格です」
一瞬、時間が止まったように感じた。
次の瞬間、美琴の声が弾ける。
「やったぁ!」
「合格……合格ですぅ……!」
珠瀬は泣きながら笑い、冥夜は静かに目を閉じた。
「皆で越えることができたのだな」
「……疲れた」
彩峰の呟きに、千鶴も思わず笑った。
「それは私もよ」
膝から力が抜けそうなほど疲れていた。
それでも、五人は揃って立っている。
誰か一人が合格したのではない。
207Bの五人で、総合戦闘技術演習を越えたのだ。
◇
11月9日 午前
南方海域・演習指定島 海辺
<< 鎧衣 美琴 >>
総合戦闘技術演習は、予定より大幅に早く終わった。
翌日の午前は、装備の点検と撤収準備が終わった後に限り、短い休養時間が認められた。危険な場所へ近づかないこと、決められた範囲から出ないこと、集合時刻を守ることが条件だった。
美琴にとって、それで十分だった。
「せっかく南の島まで来たんだよ。少しくらい海を見ようよ!」
美琴が誘うと、千鶴は予想通り眉を寄せた。
「鎧衣。昨日まで演習だったのよ」
「だからこそだよ。合格したんだから、少し息抜きしよう」
「撤収準備は終わっているの?」
「もちろん!」
「本当に?」
「……一応?」
「鎧衣」
「終わってるって!」
千鶴は疑わしそうだったが、本気で反対しているわけではなかった。
珠瀬も海を気にしているらしく、波打ち際へ何度も視線を向けている。彩峰は既に靴を脱ぎ始め、冥夜はそれを見て少し戸惑っていた。
「彩峰、早いよ」
「海、あるから」
「御剣も行こうよ」
「水着で海へ入ることが、演習後の休養として適切なのか判断しかねるのだが……」
「まりも教官から許可は出てるよ」
「鎧衣の解釈をそのまま信じてよいものか……」
結局、五人は波打ち際まで下りた。
泳ぐほど沖へは出ず、浅い場所で海水へ足を浸すだけだったが、数日間続いた緊張を解くには十分だった。
「つ、冷たいです!」
「すぐ慣れるよ、たま!」
美琴が波を蹴ると、珠瀬は驚きながらも笑った。
千鶴も最初は腕を組んで見ていたが、珠瀬が楽しそうにしているのを見て、少しずつ表情を緩めていく。
彩峰は無言で足を海へ入れ、寄せては返す波を見つめていた。冥夜は足元の砂が引いていく感覚に驚き、一瞬体勢を崩しかける。
「御剣、大丈夫?」
「問題ない。波というものは、想像以上に足元を動かすのだな」
「地雷原を越えた御剣でも、波には驚くんだね」
「鎧衣。笑うでない」
美琴の笑い声につられ、珠瀬も笑う。
彩峰の口元も、わずかに緩んでいた。
演習中は、常に地面や周囲を警戒していた。罠を見つけ、経路を選び、互いの報告を聞きながら前へ進んだ。
同じ砂浜でも、今はもう罠を探す必要がない。
五人で笑っていられることが、少しだけ特別に思えた。
波打ち際を歩いていると、白い砂の上に小さなものが見えた。
「あ」
美琴はしゃがみ込み、砂の中から貝殻を拾い上げた。
手のひらに収まるほど小さく、波に磨かれた表面が淡く光っている。欠けた部分もなく、土産にするにはちょうど良さそうだった。
真白から頼まれた言葉を思い出す。
演習が終わり、本当に余裕があった時だけでいい。
外へ出られない子への土産として、綺麗な貝殻を一つ持ち帰ってほしい。
「……これ、いいかも」
演習はもう終わっている。
五人とも無事で、合格判定も受けた。だからこれは、課題を放り出して拾ったものではない。
自分たちが最後まで戻ってきた後に拾った、帰還の証だった。
「美琴、何を拾ったんですか?」
珠瀬が近づいてくる。
「貝殻。真白少佐に頼まれてたやつ」
「綺麗ですね……」
千鶴も、美琴の手のひらを覗き込んだ。
「昨夜話していた、基地にいる子へのお土産ね」
「うん。これなら喜んでくれるかな」
冥夜が静かに頷く。
「我らが無事に演習を終えた後に拾ったものだ。帰還の証として相応しいと思う」
「……小さい」
彩峰が覗き込み、率直に言った。
「もう、彩峰さん」
珠瀬が困ったように声を上げる。
しかし、彩峰は貝殻をもう一度見てから続けた。
「でも、きれい」
「でしょ?」
美琴は笑い、貝殻をなくさないように布で包んだ。
横浜基地へ戻ったら、真白へ渡そう。
そして、基地にいるという子へ伝えてもらう。
207Bは、五人全員で戻ってきたのだと。
◇
11月10日 夕方
国連軍横浜基地・搬送区画
<< 神宮寺 真白 >>
207Bが総合戦闘技術演習へ出ている間、自分も横浜基地で作業に追われていた。
A-01のXM3訓練、JM-01の調整、白兵負荷低減機動案の整理、新潟方面の情報確認。夕呼との作戦準備も続いている。
11月11日が近づいていた。
BETAの新潟上陸。
その日付が頭から離れない。
だから、207Bの演習へ同行する余裕はなかった。仮に時間があったとしても、今回は彼女たち自身が越えなければならない試練だった。自分が近くにいれば、無意識にこちらの反応や判断を意識してしまうかもしれない。
それでも、心配なものは心配だった。
「……大丈夫だったかな」
搬送区画近くの通路で、手元の資料を確認しながら呟いた時だった。
「あ、いた!」
聞き覚えのある声に顔を上げる。
通路の向こうから、207Bの五人が歩いてきていた。
榊さん、冥夜、彩峰さん、たま、美琴。
数日間を南の島で過ごしたためか、全員少し日焼けしている。疲労は隠せないが、その表情は演習へ向かう前よりも明るかった。
「皆さん……」
言葉が続くより先に、美琴が駆け寄ってくる。
「真白少佐!」
「おかえりなさい。演習は――」
「合格!」
満面の笑みとともに返された一言で、胸の奥に溜まっていた緊張がほどけた。
「……よかった」
本当に、それしか言えなかった。
「合格したんですね」
「はい」
榊さんが少し照れたように頷く。
「予定より早く、四日間で全課程を終えました」
「四日で……すごいです」
「私一人の力ではありません。二班に分かれていた間も、それぞれが役割を果たしました。最後の地雷原も、五人で越えています」
五人で越えた。
その言葉を聞き、胸が熱くなる。
たまも、目を潤ませながら笑っていた。
「前回失敗したところも、ちゃんと越えられました。焦った時も、一呼吸できたんです……!」
「はい。よく頑張りましたね」
冥夜が静かに続ける。
「前へ進むだけでなく、後続が通れる道と退路も確認した。少佐殿から教わったことを、ようやく実際の行動へ移せたと思う」
「自分は、少し言葉を渡しただけです。実際に越えたのは、皆さんですよ」
「白い少佐、心配しすぎ」
彩峰さんが、こちらの顔を見て呟いた。
「……そんなに顔に出ていますか?」
「今も」
否定できなかった。
美琴が何かを思い出したように、制服のポケットへ手を入れる。
「それで、これ」
差し出された手のひらには、小さな白い貝殻が載っていた。
波に磨かれた表面が、通路の照明を淡く反射している。
「……貝殻」
「うん。ちゃんと演習が終わって、合格してから拾ったよ」
その言い方に、少しだけ笑ってしまった。
美琴が演習中に貝殻探しを始めないか、前夜から本気で心配していたからだ。
「ありがとうございます」
「真白少佐が言ってた、基地にいる子へのお土産でしょ?」
「はい」
207Bの五人は、まだ霞のことを詳しく知らない。
外へ出る機会が少なく、実際の海を見ることも難しい子への土産だとだけ伝えていた。
美琴は笑ったまま、貝殻をこちらへ差し出す。
「その子に言っておいて」
「何をですか?」
「207B、五人ともちゃんと戻ってきたよって」
胸が詰まった。
小さな、ただの貝殻。
それでも、今の自分にはとても重く感じられた。
通信も使えない島で二班に分かれ、それぞれの目標を破壊し、約束した場所へ戻った。さらに前回失敗した模擬地雷原を、自分たちの判断で越えた。
この貝殻は、五人全員が横浜基地へ帰ってきた証だった。
「……必ず伝えます」
貝殻を受け取る。
手のひらに、小さな冷たさが残った。
「本当に、お疲れ様でした」
榊さんが静かに頭を下げる。
「ありがとうございます、神宮寺少佐」
「少佐殿。我らは、これで次の課程へ進めます」
冥夜の言葉に、胸の奥がわずかに冷えた。
次へ進めることは喜ばしい。
総合戦闘技術演習を合格したことで、207Bは衛士任官へ一歩近づいた。
同時に、それは戦場へ近づいたということでもある。
しかも、明日には新潟上陸が迫っている。
自分は、その事実を飲み込んだ。
今、彼女たちの前で不安だけを見せるわけにはいかない。
「はい。皆さんなら、次も進めます」
きちんと笑えているかは分からなかった。
それでも、願う。
前へ進んでも、何度でもここへ戻ってきてほしい。
今と同じ五人で。
◇
11月10日 夜
国連軍横浜基地・B19フロア前通路
<< 神宮寺 真白 >>
制服のポケットには、207Bが持ち帰った小さな貝殻が入っている。
霞に渡したら、どのような顔をするだろう。
静かに見つめるのか、少し首を傾げるのか。それとも何も言わず、大切そうにしまってくれるのか。
そんなことを考えながらB19フロアへ向かっていたが、足取りは軽くならなかった。
207Bは、自分たちの力で演習を突破した。
それは嬉しく、誇らしい。
しかし、この世界では強くなるほど戦場へ近づく。
生き残るための力を得ることと、戦場へ出られる人間として認められることが、同じ道の上にある。
「……難しいな」
強くなってほしい。
未来を掴んでほしい。
それでも、危険な場所へ近づいてほしくはない。
どちらも本心だからこそ、簡単に整理できなかった。
B19フロアへ続く扉の前で立ち止まり、ポケット越しに貝殻へ触れる。
小さく、ひんやりとした感触が指先へ返ってきた。
207Bが五人で試練を越え、横浜基地へ帰ってきた証。
明日から何が起きたとしても、今日の帰還まで失われるわけではない。
「……霞」
まだ扉の向こうにいる少女の名前を、小さく呼ぶ。
「お土産、持ってきたよ」
声は届かなくても、貝殻は確かに手の中にある。
その日、207Bは南の島から横浜基地へ帰還した。
互いの判断を信じ、離れている間もそれぞれの役割を果たし、最後には五人で前回の失敗を越えた。
その帰還と成長を示す小さな貝殻は、神宮寺真白の手を通して、基地の地下にいる一人の少女へ届けられようとしていた。
ただし、演習を越えた一歩は、207Bを確かに戦場へ近づけてもいる。
第25話「帰還の貝殻」 END