マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜 作:きのこ大三元
11月8日 深夜
国連軍横浜基地・格納庫
<< 浪花 千歳 >>
夜の格納庫は、昼よりも機械の音がよく聞こえる。
換気装置の低い唸り。
工具を置く金属音。
冷却系の作動音。
整備端末が一定間隔で吐き出す警告。
その一つ一つを聞きながら、浪花千歳はJM-01の訓練ログを睨んでいた。
「……あかん」
XM3評価用不知火、仮登録JM-01。
神宮寺真白少佐相当の操縦特性に合わせて調整された、A-01預かりの評価機だ。
実機訓練そのものは成功している。
瞬間的な機動力も高い。入力への追従もよく、姿勢制御も破綻していない。
だからこそ、厄介だった。
「成立してまうんが、一番あかんのよなぁ……」
千歳は負荷グラフを拡大した。
膝部フレーム。
股関節部。
肩部アクチュエータ。
跳躍ユニット。
推進剤消費。
着地衝撃。
近接機動後の姿勢補正。
どれも一度や二度なら許容範囲だ。
だが、連続すれば話は変わる。
負荷が抜ける前に次の入力が入り、さらに次が重なる。
そのたびに機体は姿勢を修正し、関節と推進系へ小さな借金を残していた。
壊れてはいない。
まだ、壊れていないだけだ。
「少佐本人は、動かせてしまうんやろうけど……」
普通の衛士なら、先に人間側が追いつかなくなる。
速度に判断が遅れ、入力が乱れ、そこで自然と限界を知る。
だが、真白は違った。
白銀武から引き継いだとされる衛士経験。
異常な戦術機適性。
XM3との高い親和性。
そして何より、自分を後回しにする悪い癖。
機体が応えてしまえば、あの少佐はさらに次の一手を入力する。
「……機体に根性論は通じませんよ、少佐」
千歳が独り言を漏らした直後、格納庫の入口から足音が聞こえた。
白い制服。
話題の本人だった。
「浪花さん」
「噂をすれば、ですわ」
千歳は椅子を回した。
「こんな時間に何してますのん」
「JM-01のログを、もう一度確認したくて」
「ちょうどええです。うちも少佐に言いたいことがありました」
「……はい」
真白は、怒られると察した顔をした。
最近は分かりやすい。
「これ、見てください」
千歳は端末を向けた。
「膝、股関節、肩。全部跳ねすぎです。推進剤も使いすぎ。特に近接機動のあと、姿勢を戻すところで機体が無理してます」
真白は黙って画面を見た。
「少佐は動かせるんでしょう。でも、JM-01は少佐の身体やありません」
「……はい」
「少佐がまだ行けると思っても、機体が同じとは限りません」
千歳は負荷グラフの山を指した。
「この動き、一回ならできます。二回もできます。三回も、たぶんできます」
そこで指を止める。
「せやけど、それを十回できる保証はありません」
戦場で問題になるのは、そこだった。
一度だけ派手に動けても意味はない。
敵を斬ったあと、歩けなくなれば帰れない。
真白は、しばらく画面を見つめていた。
「……自分は、機体を使いすぎていますか」
「使いすぎです」
「即答ですね」
「整備ログは遠慮しませんから」
真白が少し肩を落とした。
千歳はため息をつく。
「謝らんでええです」
「まだ謝ってません」
「顔が謝ってます」
「最近そればかり言われます……」
少しだけ空気が緩む。
だが、本題は変わらない。
「XM3は、速く動くためのOSやない」
以前にも伝えた言葉だった。
「速く動けてしまうOSです」
真白の表情が変わる。
「せやから、少佐の場合は止める側の仕組みも要ります」
「止める側……」
「少佐が踏み込みすぎる前に、機体側で入力を抑える。危険域へ入る前に、一度姿勢を戻す」
千歳はJM-01を見上げた。
「少佐専用のリミッターです」
◇
11月8日 深夜
国連軍横浜基地・格納庫
<< 神宮寺 真白 >>
リミッター。
その響きは、思っていたより重かった。
戦場へ向かう準備をしている。
普通なら、もっと速く、もっと強くすることを考える時期だ。
なのに、自分に必要なのは制限だった。
「……そんなに酷かったですか」
「酷いです」
「もう少し迷ってください」
「数字が迷わせてくれません」
千歳さんは、シミュレーターと実機の軌道比較を表示した。
ほぼ同じ機動をしている。
それだけを見れば、自分は上手く実機へ落とし込めているようにも見える。
けれど、負荷表示を重ねると別物だった。
シミュレーター上では何度でも成立する。
実機では、着地の衝撃が残る。関節が摩耗する。噴射するたび推進剤が減り、姿勢補正にも負荷がかかる。
「シミュレーターは壊れません。整備班も泣きません」
「はい……」
「実機で同じことを繰り返されたら、こっちは泣きます」
千歳さんはJM-01へ視線を向けた。
「新潟で今の動きを続けたら、少佐が帰る前に脚が死ぬかもしれません」
胸の奥が冷えた。
戦場で機体が止まる。
それは、自分が動けなくなるだけでは済まない。
A-01へ負担をかける。救援を必要とする。場合によっては、自分を回収するために誰かが危険を冒す。
第26話で、高濃度リンク因子を誰へ使うか考えたばかりだった。
足りない切り札を、誰に渡すか。
なのに、自分がJM-01を壊せば、今度は自分自身が救援を必要とする側になる。
「……それは、駄目ですね」
「駄目です」
千歳さんは容赦がない。
「だから対策します」
「どうやって?」
千歳さんは、新しいファイルを開いた。
JM-01近接高負荷抑制制御案。
「長いですね」
「うちも思いました」
画面を見ながら、千歳さんが続ける。
「関節負荷、推進剤消費、姿勢崩れを監視して、危険域に入る前に入力補正をかける。連続機動も一定回数で一回切る」
「強制的にですか」
「はい」
少し抵抗感はある。
自分が動きたい時に、機体側から止められる。
戦場では、それが致命的になる可能性もある。
けれど、今のままなら自分が止まらない。
「……自分を止める仕組み」
「そうです」
千歳さんは、少しだけ笑った。
「刃が鋭すぎるなら、鞘が要るでしょう」
その言葉に、目が止まった。
「鞘……」
「抜きっぱなしの刃物なんて危ないですから」
白い識別ラインの不知火。
近接戦闘。
斬撃。
そして、それを必要な時まで抑える仕組み。
「……白刃」
思わず言葉が漏れた。
「はい?」
「前に考えていた機動案です。薄く、鋭く、必要な分だけ斬って戻る……白い刃みたいな」
「ああ、あれですか」
千歳さんが端末を操作する。
「なら、これは白刃そのものやなくて、その鞘ですね」
画面の名称が書き換えられた。
白刃構想・JM-01暫定制御案。
「……入力するの早くないですか」
「仮称ですし」
「まだ白刃構想自体、何も完成していませんよ」
「だから暫定です」
千歳さんはあっさり言う。
「白刃を作るんやなくて、今あるJM-01を折らんための制御です」
その言葉で、少し整理できた。
これは新しい戦術ではない。
完成された専用機動でもない。
白刃構想という名前だけが先にあり、その前段階としてJM-01へ鞘をつける。
速く斬るためではなく。
刃を折らずに戻すために。
「……それなら、必要だと思います」
「でしょう?」
千歳さんは満足そうに頷いた。
◇
11月9日 未明
国連軍横浜基地・B19フロア解析室
<< 香月 夕呼 >>
「白刃構想?」
夕呼は、端末に表示された仮称を見て眉を上げた。
「随分それっぽい名前になったわね」
「仮称です」
「いいんじゃない? 私は嫌いじゃないわよ」
「夕呼にそう言われると、ちょっと不安です」
「失礼ね」
夕呼は千歳から送られてきたJM-01の負荷ログへ目を通した。
問題はすぐに分かった。
真白の入力そのものは破綻していない。
むしろ、成立しすぎている。
通常なら衛士が諦める機動へ、JM-01がついてきてしまう。
その結果、衛士側ではなく機体側へ負荷が蓄積していた。
「なるほど。動かないのが問題じゃなくて、動いちゃうのが問題なのね」
「はい」
「シミュレーターの感覚、白銀武由来の経験、XM3。全部が悪い方向で噛み合ってる」
「……悪い方向なんですね」
「この件についてはね」
夕呼は、暫定制御案を開いた。
「近接高負荷入力を検出。関節負荷、姿勢、推進剤消費を監視して、一定値を超える前に補正」
ピアティフ中尉が続ける。
「連続高負荷機動は原則三手まで。三手目終了後は、一時的に姿勢安定を優先します」
「三手」
真白が画面を見る。
「斬って、次へ行って、もう一度動いたら、一度戻す」
「大雑把に言えばそうね」
夕呼は頬杖をついた。
「悪くない」
通信回線から千歳の声が飛んできた。
『悪くないやなくて、必要なんです』
「分かってるわよ」
夕呼は少し笑った。
「ただし、解除手段は残す」
真白が顔を上げる。
「解除できるんですか?」
「戦場で絶対に外せないリミッターなんて、場合によっては機体ごと棺桶になるわ」
BETAに包囲され、あと一歩動かなければ死ぬ。
そういう状況で安全装置を優先する意味はない。
「通常はON。緊急時に限り、一時的な手動解除を可能にする。ただし解除時間は制限。機体負荷が危険域へ入れば強制的に再制限」
『解除ログも全部残してください』
千歳が割り込む。
「当然」
『解除後は強制点検』
「それも当然」
『少佐、聞いてます?』
「聞いてます」
通信の向こうで、千歳が一拍置いた。
『解除は必殺技やないです』
「はい」
『借金です』
真白が少し固まった。
「借金……」
『その場で機体から余裕を前借りするだけです。あとで絶対に払わされます』
夕呼は思わず口元を上げた。
「分かりやすいわね」
『笑い事ちゃいます』
「褒めてるのよ」
真白は、端末の負荷曲線を見つめていた。
「つまり、解除できるからといって、使っていいわけではない」
「そういうこと」
夕呼は頷く。
「この制御は、あんたを弱くするためじゃない」
強すぎる入力を抑える。
次の一手へ移れる状態を残す。
戦場の途中で、機体を使い切らない。
XM3が与える自由を殺すのではなく、その自由を最後まで使えるようにする。
「帰るための制限……」
真白が呟いた。
「そういう理解でいいわ」
夕呼は画面を閉じかけ、もう一度手を止めた。
「ただし、白刃構想なんて大層な名前をつけても、今はJM-01の暫定制御に過ぎない」
「はい」
「A-01用の機動体系でもない。新型機の設計思想でもない」
「分かっています」
「ならいいわ」
先の構想へ飛びつかれるのは困る。
今必要なのは、目前の新潟でJM-01と真白を帰還させるための手段だ。
「A-01への説明は?」
真白が聞いた。
「必要最低限にする。JM-01には高負荷機動を抑える暫定制御が入っている。緊急解除を使った場合は、以後の継戦能力が落ちる。その程度で十分」
「まだ白刃構想の名前までは?」
「出さない」
夕呼は即答した。
「今は真白と整備班の内部名称でいい。正式な構想として扱うのは、実戦データを取ってからよ」
真白は、少し安心したように頷いた。
それでいい。
名前だけが先に歩けば、本人までそれへ引っ張られる。
「それと真白」
「はい」
「今日はもう寝なさい」
「でも」
「リンク因子の会議が終わった直後に格納庫へ行って、今度はここ。何時だと思ってるの?」
真白が黙った。
「リミッターを入れる前に、搭乗者本人へリミッターが必要になってるじゃない」
「……反論しづらいです」
「しなくていいから寝なさい」
「はい」
今度は素直だった。
◇
11月9日 朝
国連軍横浜基地・格納庫
<< 浪花 千歳 >>
朝になっても格納庫は止まらない。
JM-01の整備ベイでは、暫定制御の実装作業が続いていた。
「関節負荷監視、もう少し手前から警告出して」
「了解」
「三手目以降は警告だけやなくて、姿勢安定へ補正。少佐は音だけやと無視する可能性あるから」
「それ、本人に聞かれたら怒られません?」
「怒られるより機体壊される方が困ります」
近くの整備員が苦笑しながら作業を続ける。
XM3の自由度そのものを潰す気はない。
真白の操縦を鈍くするつもりもない。
危険な入力が連続した時だけ、機体側から少し手綱を引く。
それだけだ。
だが、その少しが生死を分けることもある。
「浪花さん」
聞き慣れた声に振り返る。
「おはようございます、少佐」
「おはようございます。作業はどうですか?」
「今日中に暫定版は入ります」
「ありがとうございます」
「礼は新潟から帰ってきてからでええです」
真白の顔から笑みが少し消えた。
「……はい」
「使うんでしょう、JM-01」
「その予定です」
千歳は手を止めた。
ここだけは、曖昧にしたくない。
「なら、約束してください」
「何をですか」
「人も機体も、両方返してください」
真白が黙った。
その沈黙だけで、不安になる。
自分だけなら削ってもいい。
機体なら、必要なら壊してもいい。
おそらく真白は、追い詰められればそういう判断をする。
「少佐」
少し強く呼ぶ。
「整備班は壊れた機体なら直せます。でも、帰ってこなかった機体は直せません」
真白の目が揺れる。
「帰ってこなかった人は、もっと直せません」
格納庫に、工具の音だけが残った。
「だから、帰ってきてください。JM-01も、少佐も」
真白はしばらく黙ったあと、ゆっくり頷いた。
「はい」
戦場に絶対はない。
約束したから帰ってこられるわけでもない。
それでも、言わせることには意味があると思いたかった。
「それから、通常時は解除禁止です」
「分かっています」
「危なくなった時も、最初に解除やないですよ」
「まず戻る道を探します」
「それでも必要なら?」
「……借金する」
千歳は少しだけ笑った。
「覚えてるなら結構です」
端末へ戻りながら、最後に一つだけ付け足した。
「これは少佐を遅くするための制御やありません」
「はい」
「帰ってくるまで、刃を折らんための鞘です」
真白はJM-01を見上げる。
「……白刃の鞘」
「そういうことです」
◇
11月9日 昼
国連軍横浜基地・シミュレーター室
<< 神宮寺 真白 >>
白刃構想・JM-01暫定制御案。
実機へ入れる前に、シミュレーター上で制御を試す。
視界が仮想戦場へ切り替わった。
荒れた市街地。
接近するBETA。
手元には長刀。
機体設定はJM-01。
最初の踏み込みで、すぐに違和感があった。
遅い。
いや、違う。
自分が入力した軌道より、少しだけ穏やかに機体が動く。
噴射量が抑えられ、着地後すぐに次へ踏み込もうとすると、姿勢制御が優先された。
「……もどかしい」
シミュレーターなら行けた。
白銀武の感覚なら、さらに一手入れられる。
そう思った瞬間、警告が表示される。
高負荷連続機動――三手。
姿勢安定優先。
「ここで止めるのか……」
通信から千歳さんの声が入った。
『止めてませんよ』
「止められてるように感じます」
『戻してるんです』
戻す。
その言葉を意識して、もう一度動く。
一体目の進路を潰す。
二体目を斬る。
三体目の足を止める。
三手。
以前なら、四手目へ続けた。
だが、今度は機体の補正へ逆らわず、姿勢を戻す。
一度距離を取り、次の敵群を正面へ捉える。
「……あ」
そこで気づいた。
機体がまだ整っている。
四手目を無理に入れなかった分、次の加速へ移れる。
推進剤もわずかに残り、姿勢も崩れていない。
「もう一回お願いします」
何度か同じ機動を試した。
速さだけなら、制御なしの方が上だ。
瞬間的な撃破数も多い。
だが、時間を延ばすと差が逆転する。
制御なしでは、少しずつ機体負荷が積み上がる。
動きは速いままでも、関節負荷と推進剤消費が膨らみ、どこかで姿勢補正に遅れが出る。
暫定制御ありでは、その山が低い。
「……これ、強いですね」
『速くないのに?』
千歳さんが聞く。
「はい」
自分は、再び機体を構えた。
「次も動けるので」
通信の向こうが、少しだけ静かになる。
『それが分かったなら、十分です』
強さとは、一回の最大出力だけではない。
一度斬ったあとに戻れる。
戻ったあと、もう一度動ける。
その繰り返しが、最後まで残る。
それなら。
「帰ってこられる」
『はい』
千歳さんの声は短かった。
『そのための鞘です』
◇
11月9日 夕方
国連軍横浜基地・格納庫
<< 神宮寺 真白 >>
JM-01の前に立つ。
白い識別ラインが、格納庫の照明を受けて薄く浮かんでいた。
端末には、実装予定の暫定制御項目が表示されている。
関節負荷監視。
推進剤消費監視。
近接高負荷機動三手制限。
姿勢安定優先。
緊急時一時解除。
解除時間制限。
解除ログ保存。
解除後強制点検。
ただの設定項目だ。
けれど、自分には鞘のように見えた。
全員を強くすることはできない。
自分を削って、無理に増やすことも許されない。
なら、今あるものを壊さず使う。
人だけではなく、機体も。
白刃構想は、まだ完成していない。
専用機もない。
完成した白兵機動体系もない。
A-01へ正式に教えられるものでもない。
今あるのは、JM-01を新潟から帰すための暫定制御だけだ。
白刃そのものではない。
その前に必要になった、鞘。
「……全力を出すためじゃない」
JM-01を見上げる。
「全力を出し続けないために」
必要な時に斬る。
斬ったら戻る。
戻ったら、また次へ進む。
その繰り返しを最後まで残す。
「帰ってくるために、刃を振るう」
小さな声は、格納庫の機械音へ消えていった。
その日、JM-01に一つの暫定制御案が与えられた。
白刃構想・JM-01暫定制御案。
まだ白刃ではない。
新しい戦術でも、新型機の完成形でもない。
ただ、神宮寺真白が自分の限界より先へ踏み込み、機体まで折ってしまわないための制御だった。
刃を鈍らせるのではなく。
刃を折らず、必要な場所まで持ち帰るために。
白刃そのものより先に生まれたもの。
それは――。
白刃の鞘だった。
第27話「白刃の鞘」 END