マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜 作:きのこ大三元
11月8日 夜
国連軍横浜基地・副司令執務室
<< 神宮寺 真白 >>
新潟。
壁面モニターの中央に表示された地名から、目を離せなかった。
日本海側の沿岸部。帝国軍の防衛線。佐渡島方面から伸びる複数の進路予測。その矢印の先には、大規模なBETA群の接近が示されている。
11月11日。
記憶の中でも、その日付は変わらない。
BETAの新潟上陸。
「顔色、悪いわよ」
夕呼の声で、ようやく視線を上げた。
「……すみません」
「謝るところじゃないわ。そんな顔をするってことは、今の予測はあんたの知識と大きく外れてないのね?」
「はい。大筋では」
ピアティフ中尉が観測情報を切り替える。
「帝国軍観測網、国連軍の長距離観測、佐渡島周辺の活動兆候を統合した結果です。大規模BETA群が新潟沿岸へ到達する可能性は高いと判断されています」
夕呼が地図の一部を拡大した。
「で、ここは?」
進路予測の一本が、自分の記憶とわずかに違っていた。
「……違います」
「どのくらい?」
「正確な進路を全部覚えているわけではありません。でも、自分が知っている流れとは完全には一致していません」
夕呼は驚かなかった。
「当然でしょうね」
椅子へ身体を預け、地図を見上げる。
「XM3を前倒しして、A-01の訓練も変えた。207Bも予定より早く進んでる。
そして、自分もここにいる。
助けたかったから動いた。
知っていることを使わない方が無責任だと思った。
その結果、知っていた未来まで少しずつ形を変えている。
「真白」
夕呼がこちらを向く。
「あんたの知識は参考情報よ」
「……はい」
「予言じゃない」
一瞬、返事が遅れた。
分かっていたはずなのに、その一言だけは重かった。
「知識を捨てろとは言わないわ。何も知らないより遥かに有利よ。でも、記憶に現実を合わせようとしないこと」
夕呼は進路予測を指した。
「違っていたら、現実を見る。知っていた未来の方を疑いなさい」
「……分かりました」
「それでいいわ」
ピアティフ中尉が次の資料を開く。
A-01訓練計画変更。
海岸線防衛。
市街区域における突破阻止。
混成BETA群への対応。
光線級存在下での制限機動。
撤退線維持。
帰還経路確保。
最後の項目に目が止まった。
「明日から、A-01の訓練を新潟想定へ寄せる」
「正式命令は?」
「まだよ」
夕呼は即答した。
「今は訓練内容だけ。新潟への正式投入、JM-01、帝国側との調整は10日にまとめて動かす」
「A-01には、まだ新潟とは?」
「言わない。察する人間はいるでしょうけどね」
危険が分かっているなら、早く知らせた方がいい。
以前の自分なら、すぐそう考えたと思う。
「情報は、早ければいいわけじゃないんですね」
夕呼が少しだけ口元を上げた。
「ようやく分かってきた?」
「少しだけです」
「早く出せば、それを前提に人は動く。余計な準備もするし、不安にもなる。漏れる可能性だって増える」
必要な時に、必要な量だけ。
頭では理解できる。
それでも、自分にはまだ難しい。
「207Bは?」
ピアティフ中尉へ目を向ける。
「本日は最終課題へ移行しています。重大な負傷、演習中止の報告はありません」
「……そうですか」
肩の力が少し抜けた。
昨日の夜には二班が合流しているはずだ。
今日は、五人で前回越えられなかった場所に挑んでいる。
そこへ自分は手を出せない。
信じるしかなかった。
「真白」
夕呼が地図を指で叩く。
「207Bは10日に帰ってくる。こっちは11日よ」
視線を新潟へ戻した。
あと3日。
記憶の中に、8分という数字が浮かぶ。
自分は一度、手を握った。
「……死なせたくないです」
夕呼も、ピアティフ中尉も何も言わない。
「でも、知っている未来と現実が違い始めてる。記憶を信じすぎても駄目で、無視しても駄目で……」
そこまで言って、言葉を止める。
夕呼は短く息を吐いた。
「全部はできないわ」
「はい」
「でも、何もしないよりはできる」
画面から新潟の予測図が消えた。
「だから準備する。それだけよ」
単純な言葉だった。
今は、それでよかった。
◇
11月9日 午前
国連軍横浜基地・シミュレーター室
<< 神宮寺 真白 >>
翌朝、A-01の訓練内容は明らかに変わっていた。
仮想戦場は、日本海側の沿岸都市を想定した市街地。
海岸側から侵入する混成BETA群を阻止しつつ、友軍の後退を支援する。
ただ倒せばいいわけではない。
前へ出すぎれば、防衛線が開く。
戻りが遅れれば、次の波に捕まる。
光線級を想定した制限が入れば、跳躍ユニットにも好きには頼れない。
「伊隅大尉」
水月中尉がシミュレーターへ入る直前、口を開いた。
「これ、普通の訓練じゃないですよね」
伊隅大尉は装備を確認したまま答える。
「正式命令が出るまでは訓練だ」
「それ、答えになってませんよ」
「今は、それが答えだ」
水月中尉は肩をすくめた。
「了解」
声はいつも通りだったが、目は笑っていない。
遙中尉が管制画面を確認する。
「今回は、撤退経路の指定が細かいですね」
「はい」
自分は頷いた。
「撃破数より、帰還線を維持することを優先してください。敵を追うのではなく、必要な場所で止めて、次の線へ戻る。その繰り返しです」
伊隅大尉がこちらを見る。
「突破阻止と帰還線維持が主目的ですね」
「はい」
「特に水月中尉」
「はいはい」
少し嫌そうな返事。
「速く動けても、一人で前へ行かないでください」
「耳にタコができそう」
「それでも言います」
水月中尉が一瞬目を丸くし、それから笑った。
「少佐殿も言うようになったわね」
「言わないと行きそうなので」
「否定できないのが腹立つわ」
宗像中尉が横から笑う。
「完全に読まれてるじゃない」
「うるさい」
いつものやり取り。
少しだけ、空気が和らいだ。
「訓練を開始する」
伊隅大尉の声で、全員がシミュレーターへ入った。
◇
訓練開始から数分。
最初に前へ出たのは、水月機だった。
速い。
要撃級の脇を抜け、その奥の戦車級まで届く位置。
『速瀬、戻れ。追うな』
伊隅大尉の指示が飛ぶ。
『了解!』
水月機は一瞬だけ前へ向きかけ、そのまま機首を返した。
以前より戻りが早い。
その空いた位置へ宗像機が入り、後方から遙中尉が帰還経路を引き直す。
『水月、第二線へ。宗像中尉は左を補完してください』
『了解』
『はいよ』
隊列が崩れない。
良くなっている。
確実に。
それでも、自分の右手には力が入っていた。
画面のBETA群が、記憶の中の新潟へ重なる。
8分。
ただ、それだけの時間。
そこで一機が前へ出すぎれば。
一人が戻れなくなれば。
それを助けようと誰かが隊列を離れれば。
「神宮寺少佐」
隣からピアティフ中尉の声。
「手を開いてください」
「……え?」
自分の右手を見る。
爪が掌へ食い込んでいた。
「すみません」
「謝罪ではなく、力を抜いてください」
「はい」
指を開く。
赤い跡が残っている。
「この程度なら医務記録には――」
「記録してほしい、という意味ですか?」
「何でもありません」
ピアティフ中尉は、それ以上言わなかった。
視線をモニターへ戻す。
水月機が、再び伊隅大尉の指定位置へ戻っている。
まずは、これを繰り返す。
前へ出る。
戻る。
もう一度動く。
実戦でも、同じことができるように。
◇
11月9日 夕方
国連軍横浜基地・副司令執務室
<< 香月 夕呼 >>
「足りないわね」
夕呼は新潟方面の戦力配置を眺めた。
帝国軍。
国連軍支援枠。
A-01。
XM3。
JM-01。
高濃度リンク因子。
斯衛との調整線。
使えるものを全て並べても、十分ではない。
「でも、盤面にはなる」
真白が画面を見る。
「足りないのに?」
「十分に揃うまで待ってたら、人類はとっくに滅びてるわよ」
夕呼は資料を切り替えた。
「A-01は使える。XM3も実戦へ持っていける。JM-01も最低限は間に合う。リンク因子だって少数ながらある」
「帝国側への調整は?」
「明日」
11月10日。
「帝国側へ協力要請を出す。同時にA-01へ正式任務を渡す」
「内容は?」
「新潟方面への投入。XM3の実戦評価。JM-01の支援」
夕呼は最後に真白の名前を指した。
「それと、神宮寺真白の回収」
真白の眉が動く。
「回収って……」
「必要な言葉よ」
「自分は荷物じゃありません」
「知ってるわよ」
夕呼は肩をすくめる。
「だから、JM-01を捨ててもあんたを連れて帰れ、って意味」
真白が黙った。
「機体は直せる。あんたの代わりは、今のところいない」
「……はい」
「近衛側には月詠から話を通す。帝国軍と斯衛の一部には、XM3とあんたの戦術的重要度を理解させる」
「自分のことも知らせるんですね」
「必要最低限だけね」
特務技術顧問。
XM3教導。
JM-01搭乗予定。
新潟方面での重要人員。
それ以上は伏せる。
「怖い?」
真白は少しだけ息を吐いた。
「怖いです」
「でしょうね」
「でも、何も知られていない状態で戦場へ出る方が危ない」
「正解」
真白が画面から目を離した。
「……飲み込みます」
夕呼は、その言葉だけ少し気になった。
最近、この青年は納得するより、飲み込むと言う。
それを覚えたとも言える。
だが、飲み込み続ければ、そのうちどこかで詰まる。
今は、そこへ手を出す時間がない。
「明日、未来知識と最新観測をもう一度照合する」
「はい」
「それから」
夕呼は少し声を落とした。
「あんたが気にしてる8分」
真白の視線が止まる。
「死の八分……」
「そう。それだけを見るのはやめなさい」
「でも、一番危険なのは――」
「だからよ」
言葉を遮る。
「その前にも戦闘はある。その後には撤退もある」
8分を越えた直後に機体が止まれば意味がない。
撤退線を失えば、そこで終わる。
「8分を生き残ることが任務じゃない」
真白は黙って聞いている。
「新潟へ行って、やることをやって、横浜まで戻る」
一拍。
「そこまでが任務よ」
真白の目が、わずかに揺れた。
「……帰ってくるまで」
「そう」
夕呼は頷いた。
「死の八分を越えて、帰ってきなさい」
しばらくして。
「はい」
今度の返事は、短かった。
◇
11月9日 夜
国連軍横浜基地・格納庫
<< 神宮寺 真白 >>
JM-01は、格納庫の中で静かに立っていた。
白い識別ライン。
XM3。
高負荷入力を抑えるための暫定制御。
自分と同じように、この機体も新潟へ向けて準備されている。
基地全体が、少しずつ同じ方向へ傾いていた。
A-01の訓練が変わった。
帝国への調整も進んでいる。
リンク因子の配分も決まった。
JM-01には、折れる前に戻すための鞘がつく。
準備は進んでいる。
十分ではない。
たぶん最後まで、十分にはならない。
「死の八分を越えて、帰ってくるまで」
夕呼の言葉を繰り返す。
自分は、「死の八分」という言葉に囚われすぎていた。
そこだけを変えればいい。
そこだけを越えれば救える。
どこかで、そう考えていた。
でも、違う。
出撃する。
戦う。
戻る。
そこまで残らなければ意味がない。
A-01も。
JM-01も。
自分も。
「……怖いです」
機械の音だけが返ってくる。
それでも、視線は逸らさなかった。
「でも、逃げたくない」
戦場へ行きたいわけではない。
ただ、知っている危険を前にして、何もしないまま誰かを失う方が怖かった。
11月11日まで、あと2日。
知っていた未来は、もう確定した道ではない。
それでも、新潟は近づいている。
だから、未来を再現するためではなく。
変わった現実の中で、一人でも多く帰すために準備する。
死の八分を越えた、その先まで。
新潟への秒読みは、もう始まっていた。
第28話「新潟への秒読み」 END