マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜 作:きのこ大三元
11月9日 昼
横浜基地・食堂
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食堂の匂いは、いつも少しだけ現実へ引き戻してくれる。
金属の廊下に無機質な照明。端末に並ぶ戦況予測とBETAの進路図。新潟。そして、死の八分。
そういうものばかりを見続けていると、自分がどこに立っているのか分からなくなる時がある。
けれど、食堂へ入れば少し違った。
温かい湯気に味噌汁の匂い。食器が触れ合う音と、隊員たちの話し声。その向こうから、京塚のおばちゃんの大きな声が聞こえてくる。
ここには、まだ人の生活がある。
「……少しだけ、食べよう」
そう呟いて、配膳口へ向かった。
正直、あまり食欲はない。新潟方面の資料に、A-01の訓練変更。JM-01の暫定制御、リンク因子サンプルの運用、帝国側への根回しまで、何もかもが同じ場所へ向かって動き始めていた。
その流れの中で、自分だけがどこかに置いていかれているような感覚がある。
「はい、次!」
聞き慣れた声が飛んだ。
京塚のおばちゃんが白い割烹着姿で大鍋の前に立ち、次々と料理を盛っている。
「若いんだからちゃんと食べな! 午後も訓練あるんだろ!」
「京塚さん、これ多いですって!」
「多くないよ! あんた昨日も遅くまで残ってたじゃないか!」
「何で知ってるんですか!」
「顔見りゃ分かるよ!」
そんなやり取りに、周囲から笑い声が上がる。
自分も列の最後へ並び、前の隊員が料理を受け取るのを待った。やがて順番が回ってくる。
「お願いします」
トレーを差し出した瞬間、おばちゃんの手が止まった。
「あんた」
「……はい?」
「真白ちゃんじゃないか!」
近くにいた何人かがこちらを見る。
真白ちゃん。
その呼び方に、一瞬反応が遅れた。
少佐相当。特務技術顧問。白き少佐。重要戦術資産。
最近はそんな呼ばれ方ばかりだったから、名前を、それもちゃん付けで呼ばれるだけで少し身体の力が抜ける。
「えっと……はい。神宮寺真白です」
「知ってるよ! だから真白ちゃんって呼んだんじゃないか!」
京塚のおばちゃんは豪快に笑った。
「何だい、その顔は。ちゃんと食べに来たのは偉いけど、顔色が悪すぎるよ!」
「そんなにですか」
「そんなにだよ!」
即答だった。
最近、顔に出ていると言われすぎている気がする。夕呼にも、まりもさんにも、ピアティフ中尉にも見抜かれる。
そして、とうとう食堂のおばちゃんにもだ。
「少し、寝不足で」
「少しじゃないね。あんた、ちゃんと食べてるのかい?」
「食べてはいます」
「それは食事を口に入れてるって意味かい? それとも、身体がちゃんと動くくらい食べてるって意味かい?」
言葉に詰まった。
おばちゃんは勝ち誇ったように頷く。
「ほら見なさい」
「……すみません」
「謝らなくていいから食べな!」
そう言って、ご飯を盛り始めた。
一杯――というには、明らかに多い。
「え、あの」
「足りないね」
さらに増えた。
「京塚さん、自分そんなには」
「食べられるよ!」
「根拠が強いですね……」
「若い男がそんな白い顔してちゃ駄目だよ。ほら、肉もつける」
どん、と煮込みが増える。
「野菜も食べな」
小鉢も追加された。
「汁物も熱いうちに飲むんだよ。あと卵」
「卵?」
「栄養!」
あまりの勢いに、断る暇もない。
完成したトレーは、持った瞬間にはっきり分かるくらい重かった。
「京塚さん……これ、普通の量ですか?」
「真白ちゃん用の普通だよ」
「自分用……」
「そう。今のあんたには、これくらい必要」
京塚のおばちゃんは、そこで初めて少し真面目な顔になった。
「あんた、何か大きいもん抱えてる顔してる」
「……」
「詳しいことは聞かないよ。聞いたって、あたしに分かる話じゃないだろうしね」
声を少し落とす。
「でも、食べないと倒れる」
妙にまっすぐな言葉だった。
「戦う人だけが基地を支えてるんじゃないよ」
「……え?」
「戦う人に、食わせる人も必要なんだよ」
おばちゃんは当たり前のことのように続ける。
「整備する人も、記録する人も、掃除する人も、洗濯する人もいる。怒る人も、泣く人も、笑わせる人もね。みんな必要なんだ」
自分は黙って聞いていた。
「だからね、真白ちゃん」
トレーがこちらへ押し出される。
「食べるのも仕事だよ」
その言葉が、胸に落ちた。
食べることも、生きている身体を明日へ持っていくための仕事。
あまりにも普通で、当たり前のことだった。
だからこそ、今の自分には必要だったのかもしれない。
「……はい」
トレーを受け取る。
「いただきます」
「よし! 足りなかったら戻ってきな!」
「これで足りなかったら、自分でも驚きます」
「驚いてから戻ってきな!」
京塚のおばちゃんの声に、周囲の何人かが笑った。
自分も、少しだけ笑えた。
◇
11月9日 昼
横浜基地・食堂
<< 神宮寺 真白 >>
席に座ると、改めてトレーの量に圧倒された。
ご飯、煮込み、野菜、味噌汁、卵に小鉢。どう見ても普段より多い。
けれど、立ち上る湯気を眺めているうちに、少しだけ空腹を思い出した。
箸を取って、まず味噌汁を口へ運ぶ。
「……あったかい」
温かさが胃の奥へ落ちていく。
続けて煮込みを食べると、少し濃くて、甘さと塩気のある味が広がった。
「……美味しい」
思わず声が漏れる。
戦術でも、未来でも、因果でも、リンク因子でもない。
ただ、美味しい。
それだけの感覚が、今は妙にありがたかった。
食べながら周囲を見る。A-01は訓練中だろう。207Bは南の島で演習を続け、霞はB19フロアにいる。まりもさんも夕呼も、それぞれの場所で動いているはずだ。
自分だけが、ここで温かい食事をしている。
そう考えたところで、さっきの声を思い出した。
――食べるのも仕事だよ。
食べなければ動けない。動けなければ、誰かを助けることもできない。
それに。
帰ってくるためにも、身体は必要だ。
自分はもう一口、ご飯を食べた。
「……ちゃんと食べないと」
「お、食べてるねえ」
顔を上げると、京塚のおばちゃんが湯呑みを持って立っていた。
「お茶。ほら」
「あ、ありがとうございます」
「そんなにかしこまらなくていいよ」
おばちゃんは向かいの席へ少しだけ腰を下ろした。
「味、どうだい?」
「美味しいです」
「そうかい。それならよかった」
満足そうに笑う。
「真白ちゃんは、まだここに来て日が浅いんだろう?」
「はい」
「慣れたかい?」
「……どうでしょう」
基地で暮らすことには、少しずつ慣れてきた。
でも、自分に増えていく肩書きには未だに慣れない。
少佐相当。特務技術顧問。重要人員。切り札。
どれも、自分には少し重かった。
「慣れないことばかりです」
「だろうねえ。偉い人たちは難しい名前をつけるのが好きだからね」
「……本当にそうですね」
思わず笑ってしまう。
「でも、あたしには関係ないよ」
「関係ない、ですか」
「そう。少佐だろうが技術顧問だろうが、食堂に来て飯を食うなら、みんな腹を空かせた人間だ」
その言葉に、胸の奥が少し温かくなる。
腹を空かせた人間。
ここ最近では、一番単純な扱いだった。
「だから、真白ちゃんは真白ちゃんでいいんだよ。階級なんか気にしてたら、飯が冷めちまう」
「……ありがとうございます」
声が少し詰まりそうになり、慌てて味噌汁を飲んだ。
おばちゃんは気づいたのか、気づかなかったふりをしたのか、急に明るい声を出す。
「それにね、真白ちゃん」
「はい」
「白い顔して白き少佐なんて呼ばれてたら、縁起でもないよ」
「えっ」
「もっと血色よくしな!」
否定しづらい。
「食べたら、少しは血色よくなりますかね」
「なる! 寝ればもっとなる!」
「寝るのは……努力します」
「努力じゃなくて実行!」
また言われた。
夕呼にも似たようなことを言われた気がする。
「はい。実行します」
「よし」
満足そうに頷いて、おばちゃんは立ち上がった。
「じゃ、あたしは戻るよ。ちゃんと残さず食べな」
「はい」
「足りなかったら」
「戻ってきます」
「分かってるじゃないか!」
豪快に笑いながら配膳口へ戻っていく。
その背中を、しばらく見送った。
戦術機には乗らない。銃を持つわけでも、作戦図を引くわけでもない。
それでも、間違いなくこの基地を支えている。
あの人がいるから誰かが食べ、少し笑って、また自分の仕事へ戻っていく。
「……戦う人だけが、支えてるんじゃない」
もう一度箸を取り、まだ温かい料理を口へ運んだ。
◇
11月9日 夜
横浜基地・食堂
<< 神宮寺 真白 >>
夜になっても、食堂は完全には静かにならない。
訓練を終えた隊員に、整備明けの整備員。書類を抱えた士官や眠そうな技術員が、それぞれ短い時間を見つけて食事を取っている。
自分も、また食堂へ来ていた。
昼にあれだけ食べたのに、夜になればちゃんと腹が減った。それだけでも、昼より少し調子が戻ったような気がする。
「お、戻ってきたね!」
「足りなかったわけではないです」
「腹が減ったなら一緒だよ!」
「そうかもしれません」
「いい返事!」
また、ご飯が多めに盛られる。
昼よりは控えめだった。
たぶん。
「真白ちゃん、明日からもっと忙しくなるんだろ?」
トレーを受け取りかけて、一瞬だけ手が止まった。
詳しいことは言えない。それでも、おばちゃんはそれ以上聞こうとはしなかった。
「……はい。たぶん」
「なら、今日は温かいもん食べて、ちゃんと寝な」
「はい」
「大丈夫、とは言わなくていいよ」
「え?」
「大丈夫じゃない時に大丈夫って言う子は、大抵大丈夫じゃないからね」
また見抜かれた。
どうしてこの基地には、自分の顔を見るだけで色々察する人が多いのだろう。
「……怖いです」
気づけば、口から出ていた。
京塚のおばちゃんは手を止めず、そのまま聞いている。
「明日から、もっと大変になると思います」
「うん」
「自分にできることがあるのは分かってます。でも、失敗したらって考えると……」
「うん」
「誰かが帰ってこられなかったらって思うと、怖いです」
言ってから、少しだけ後悔した。
こんなことを食堂で話すべきではなかったかもしれない。
けれど、おばちゃんは笑いもせず、軽く流しもしなかった。
煮込みを一つだけ追加する。
「怖いなら、ちゃんと帰ってきな」
「……はい?」
「怖いって分かってる人は、無茶しすぎる前に止まれるだろ」
そこで初めて、こちらを見た。
「怖くないって言う人の方が、あたしは怖いよ」
返す言葉がなかった。
「怖くても行くんだろ?」
「……はい」
「なら、怖いままでいいから帰ってきな」
胸の奥が詰まる。
「帰ってきて、また飯食べな」
単純な言葉だった。
新しい兵器でも、作戦でもない。ただ帰ってきて、またここで飯を食べる。
戦場では、それすら約束できない。
だからこそ。
「……はい」
トレーを受け取った。
「帰ってきます」
京塚のおばちゃんは大きく頷く。
「よし。じゃあ、帰ってきたら特盛りだ」
「普通盛りでお願いします」
「駄目だね。帰還祝いだからね」
「それは……食べきれるように頑張ります」
「そう、それでいいんだよ!」
笑い声が食堂に響き、周囲の何人かもこちらを見て笑った。
自分も笑う。
新潟が近い。
死の八分も近い。
怖さは消えない。
それでも、帰ってきた後の光景を一つだけ想像できた。
またこの食堂へ来る。
それでいい。
◇
11月9日 夜
横浜基地・居住区前通路
<< 神宮寺 真白 >>
食堂を出ると、廊下の空気は少し冷えていた。
手には、京塚のおばちゃんから渡された小さな包みがある。
――夜中に腹が減ったら食べな。
中身は、おにぎりだった。
規則的にどうなのかは分からない。でも、断れなかった。
包み越しにも、まだ少し温かい。
人の手で握られたもの。誰かが、自分に食べさせようとしてくれたもの。
それだけで十分だった。
自分は包みを持ち直し、廊下を歩き出す。
戦場で役に立つ兵器ではない。XM3のように戦術機を動かすわけでも、リンク因子のように誰かを強化するわけでもない。
でも。
「……こういうものがあるから、帰りたいんだよな」
食堂の湯気。
京塚のおばちゃんの声。
温かい味噌汁と、多すぎるご飯。
階級ではなく、名前で呼んでくれる人。
明日になれば、また作戦図を見る。A-01と顔を合わせ、帝国側との調整も進む。
新潟はもう目の前だ。
それでも今夜だけは、手の中にある温かさを覚えていたかった。
食べるのも仕事。
怖いままでいいから、帰ってこい。
自分は小さなおにぎりを握りしめないよう、そっと手の中へ収めた。
「……帰って、また飯を食べよう」
戦う理由なら、もういくつもある。
けれど。
帰る理由も、ちゃんとここにあった。
第26.5話「京塚のおばちゃんと白き少佐」 END