マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜   作:きのこ大三元

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第26.5話「京塚のおばちゃんと白き少佐」

11月9日 昼

横浜基地・食堂

<< 神宮寺 真白 >>

 

 食堂の匂いは、いつも少しだけ現実へ引き戻してくれる。

 

 金属の廊下に無機質な照明。端末に並ぶ戦況予測とBETAの進路図。新潟。そして、死の八分。

 

 そういうものばかりを見続けていると、自分がどこに立っているのか分からなくなる時がある。

 

 けれど、食堂へ入れば少し違った。

 

 温かい湯気に味噌汁の匂い。食器が触れ合う音と、隊員たちの話し声。その向こうから、京塚のおばちゃんの大きな声が聞こえてくる。

 

 ここには、まだ人の生活がある。

 

「……少しだけ、食べよう」

 

 そう呟いて、配膳口へ向かった。

 

 正直、あまり食欲はない。新潟方面の資料に、A-01の訓練変更。JM-01の暫定制御、リンク因子サンプルの運用、帝国側への根回しまで、何もかもが同じ場所へ向かって動き始めていた。

 

 その流れの中で、自分だけがどこかに置いていかれているような感覚がある。

 

「はい、次!」

 

 聞き慣れた声が飛んだ。

 

 京塚のおばちゃんが白い割烹着姿で大鍋の前に立ち、次々と料理を盛っている。

 

「若いんだからちゃんと食べな! 午後も訓練あるんだろ!」

「京塚さん、これ多いですって!」

「多くないよ! あんた昨日も遅くまで残ってたじゃないか!」

「何で知ってるんですか!」

「顔見りゃ分かるよ!」

 

 そんなやり取りに、周囲から笑い声が上がる。

 

 自分も列の最後へ並び、前の隊員が料理を受け取るのを待った。やがて順番が回ってくる。

 

「お願いします」

 

 トレーを差し出した瞬間、おばちゃんの手が止まった。

 

「あんた」

「……はい?」

「真白ちゃんじゃないか!」

 

 近くにいた何人かがこちらを見る。

 

 真白ちゃん。

 

 その呼び方に、一瞬反応が遅れた。

 

 少佐相当。特務技術顧問。白き少佐。重要戦術資産。

 

 最近はそんな呼ばれ方ばかりだったから、名前を、それもちゃん付けで呼ばれるだけで少し身体の力が抜ける。

 

「えっと……はい。神宮寺真白です」

「知ってるよ! だから真白ちゃんって呼んだんじゃないか!」

 

 京塚のおばちゃんは豪快に笑った。

 

「何だい、その顔は。ちゃんと食べに来たのは偉いけど、顔色が悪すぎるよ!」

「そんなにですか」

「そんなにだよ!」

 

 即答だった。

 

 最近、顔に出ていると言われすぎている気がする。夕呼にも、まりもさんにも、ピアティフ中尉にも見抜かれる。

 

 そして、とうとう食堂のおばちゃんにもだ。

 

「少し、寝不足で」

「少しじゃないね。あんた、ちゃんと食べてるのかい?」

「食べてはいます」

「それは食事を口に入れてるって意味かい? それとも、身体がちゃんと動くくらい食べてるって意味かい?」

 

 言葉に詰まった。

 

 おばちゃんは勝ち誇ったように頷く。

 

「ほら見なさい」

「……すみません」

「謝らなくていいから食べな!」

 

 そう言って、ご飯を盛り始めた。

 

 一杯――というには、明らかに多い。

 

「え、あの」

「足りないね」

 

 さらに増えた。

 

「京塚さん、自分そんなには」

「食べられるよ!」

「根拠が強いですね……」

「若い男がそんな白い顔してちゃ駄目だよ。ほら、肉もつける」

 

 どん、と煮込みが増える。

 

「野菜も食べな」

 

 小鉢も追加された。

 

「汁物も熱いうちに飲むんだよ。あと卵」

「卵?」

「栄養!」

 

 あまりの勢いに、断る暇もない。

 

 完成したトレーは、持った瞬間にはっきり分かるくらい重かった。

 

「京塚さん……これ、普通の量ですか?」

「真白ちゃん用の普通だよ」

「自分用……」

「そう。今のあんたには、これくらい必要」

 

 京塚のおばちゃんは、そこで初めて少し真面目な顔になった。

 

「あんた、何か大きいもん抱えてる顔してる」

「……」

「詳しいことは聞かないよ。聞いたって、あたしに分かる話じゃないだろうしね」

 

 声を少し落とす。

 

「でも、食べないと倒れる」

 

 妙にまっすぐな言葉だった。

 

「戦う人だけが基地を支えてるんじゃないよ」

「……え?」

「戦う人に、食わせる人も必要なんだよ」

 

 おばちゃんは当たり前のことのように続ける。

 

「整備する人も、記録する人も、掃除する人も、洗濯する人もいる。怒る人も、泣く人も、笑わせる人もね。みんな必要なんだ」

 

 自分は黙って聞いていた。

 

「だからね、真白ちゃん」

 

 トレーがこちらへ押し出される。

 

「食べるのも仕事だよ」

 

 その言葉が、胸に落ちた。

 

 食べることも、生きている身体を明日へ持っていくための仕事。

 

 あまりにも普通で、当たり前のことだった。

 

 だからこそ、今の自分には必要だったのかもしれない。

 

「……はい」

 

 トレーを受け取る。

 

「いただきます」

「よし! 足りなかったら戻ってきな!」

「これで足りなかったら、自分でも驚きます」

「驚いてから戻ってきな!」

 

 京塚のおばちゃんの声に、周囲の何人かが笑った。

 

 自分も、少しだけ笑えた。

 

 

11月9日 昼

横浜基地・食堂

<< 神宮寺 真白 >>

 

 席に座ると、改めてトレーの量に圧倒された。

 

 ご飯、煮込み、野菜、味噌汁、卵に小鉢。どう見ても普段より多い。

 

 けれど、立ち上る湯気を眺めているうちに、少しだけ空腹を思い出した。

 

 箸を取って、まず味噌汁を口へ運ぶ。

 

「……あったかい」

 

 温かさが胃の奥へ落ちていく。

 

 続けて煮込みを食べると、少し濃くて、甘さと塩気のある味が広がった。

 

「……美味しい」

 

 思わず声が漏れる。

 

 戦術でも、未来でも、因果でも、リンク因子でもない。

 

 ただ、美味しい。

 

 それだけの感覚が、今は妙にありがたかった。

 

 食べながら周囲を見る。A-01は訓練中だろう。207Bは南の島で演習を続け、霞はB19フロアにいる。まりもさんも夕呼も、それぞれの場所で動いているはずだ。

 

 自分だけが、ここで温かい食事をしている。

 

 そう考えたところで、さっきの声を思い出した。

 

 ――食べるのも仕事だよ。

 

 食べなければ動けない。動けなければ、誰かを助けることもできない。

 

 それに。

 

 帰ってくるためにも、身体は必要だ。

 

 自分はもう一口、ご飯を食べた。

 

「……ちゃんと食べないと」

 

「お、食べてるねえ」

 

 顔を上げると、京塚のおばちゃんが湯呑みを持って立っていた。

 

「お茶。ほら」

「あ、ありがとうございます」

「そんなにかしこまらなくていいよ」

 

 おばちゃんは向かいの席へ少しだけ腰を下ろした。

 

「味、どうだい?」

「美味しいです」

「そうかい。それならよかった」

 

 満足そうに笑う。

 

「真白ちゃんは、まだここに来て日が浅いんだろう?」

「はい」

「慣れたかい?」

「……どうでしょう」

 

 基地で暮らすことには、少しずつ慣れてきた。

 

 でも、自分に増えていく肩書きには未だに慣れない。

 

 少佐相当。特務技術顧問。重要人員。切り札。

 

 どれも、自分には少し重かった。

 

「慣れないことばかりです」

「だろうねえ。偉い人たちは難しい名前をつけるのが好きだからね」

「……本当にそうですね」

 

 思わず笑ってしまう。

 

「でも、あたしには関係ないよ」

「関係ない、ですか」

「そう。少佐だろうが技術顧問だろうが、食堂に来て飯を食うなら、みんな腹を空かせた人間だ」

 

 その言葉に、胸の奥が少し温かくなる。

 

 腹を空かせた人間。

 

 ここ最近では、一番単純な扱いだった。

 

「だから、真白ちゃんは真白ちゃんでいいんだよ。階級なんか気にしてたら、飯が冷めちまう」

「……ありがとうございます」

 

 声が少し詰まりそうになり、慌てて味噌汁を飲んだ。

 

 おばちゃんは気づいたのか、気づかなかったふりをしたのか、急に明るい声を出す。

 

「それにね、真白ちゃん」

「はい」

「白い顔して白き少佐なんて呼ばれてたら、縁起でもないよ」

「えっ」

「もっと血色よくしな!」

 

 否定しづらい。

 

「食べたら、少しは血色よくなりますかね」

「なる! 寝ればもっとなる!」

「寝るのは……努力します」

「努力じゃなくて実行!」

 

 また言われた。

 

 夕呼にも似たようなことを言われた気がする。

 

「はい。実行します」

「よし」

 

 満足そうに頷いて、おばちゃんは立ち上がった。

 

「じゃ、あたしは戻るよ。ちゃんと残さず食べな」

「はい」

「足りなかったら」

「戻ってきます」

「分かってるじゃないか!」

 

 豪快に笑いながら配膳口へ戻っていく。

 

 その背中を、しばらく見送った。

 

 戦術機には乗らない。銃を持つわけでも、作戦図を引くわけでもない。

 

 それでも、間違いなくこの基地を支えている。

 

 あの人がいるから誰かが食べ、少し笑って、また自分の仕事へ戻っていく。

 

「……戦う人だけが、支えてるんじゃない」

 

 もう一度箸を取り、まだ温かい料理を口へ運んだ。

 

 

11月9日 夜

横浜基地・食堂

<< 神宮寺 真白 >>

 

 夜になっても、食堂は完全には静かにならない。

 

 訓練を終えた隊員に、整備明けの整備員。書類を抱えた士官や眠そうな技術員が、それぞれ短い時間を見つけて食事を取っている。

 

 自分も、また食堂へ来ていた。

 

 昼にあれだけ食べたのに、夜になればちゃんと腹が減った。それだけでも、昼より少し調子が戻ったような気がする。

 

「お、戻ってきたね!」

「足りなかったわけではないです」

「腹が減ったなら一緒だよ!」

「そうかもしれません」

「いい返事!」

 

 また、ご飯が多めに盛られる。

 

 昼よりは控えめだった。

 

 たぶん。

 

「真白ちゃん、明日からもっと忙しくなるんだろ?」

 

 トレーを受け取りかけて、一瞬だけ手が止まった。

 

 詳しいことは言えない。それでも、おばちゃんはそれ以上聞こうとはしなかった。

 

「……はい。たぶん」

「なら、今日は温かいもん食べて、ちゃんと寝な」

「はい」

「大丈夫、とは言わなくていいよ」

「え?」

「大丈夫じゃない時に大丈夫って言う子は、大抵大丈夫じゃないからね」

 

 また見抜かれた。

 

 どうしてこの基地には、自分の顔を見るだけで色々察する人が多いのだろう。

 

「……怖いです」

 

 気づけば、口から出ていた。

 

 京塚のおばちゃんは手を止めず、そのまま聞いている。

 

「明日から、もっと大変になると思います」

「うん」

「自分にできることがあるのは分かってます。でも、失敗したらって考えると……」

「うん」

「誰かが帰ってこられなかったらって思うと、怖いです」

 

 言ってから、少しだけ後悔した。

 

 こんなことを食堂で話すべきではなかったかもしれない。

 

 けれど、おばちゃんは笑いもせず、軽く流しもしなかった。

 

 煮込みを一つだけ追加する。

 

「怖いなら、ちゃんと帰ってきな」

「……はい?」

「怖いって分かってる人は、無茶しすぎる前に止まれるだろ」

 

 そこで初めて、こちらを見た。

 

「怖くないって言う人の方が、あたしは怖いよ」

 

 返す言葉がなかった。

 

「怖くても行くんだろ?」

「……はい」

「なら、怖いままでいいから帰ってきな」

 

 胸の奥が詰まる。

 

「帰ってきて、また飯食べな」

 

 単純な言葉だった。

 

 新しい兵器でも、作戦でもない。ただ帰ってきて、またここで飯を食べる。

 

 戦場では、それすら約束できない。

 

 だからこそ。

 

「……はい」

 

 トレーを受け取った。

 

「帰ってきます」

 

 京塚のおばちゃんは大きく頷く。

 

「よし。じゃあ、帰ってきたら特盛りだ」

「普通盛りでお願いします」

「駄目だね。帰還祝いだからね」

「それは……食べきれるように頑張ります」

「そう、それでいいんだよ!」

 

 笑い声が食堂に響き、周囲の何人かもこちらを見て笑った。

 

 自分も笑う。

 

 新潟が近い。

 

 死の八分も近い。

 

 怖さは消えない。

 

 それでも、帰ってきた後の光景を一つだけ想像できた。

 

 またこの食堂へ来る。

 

 それでいい。

 

 

11月9日 夜

横浜基地・居住区前通路

<< 神宮寺 真白 >>

 

 食堂を出ると、廊下の空気は少し冷えていた。

 

 手には、京塚のおばちゃんから渡された小さな包みがある。

 

 ――夜中に腹が減ったら食べな。

 

 中身は、おにぎりだった。

 

 規則的にどうなのかは分からない。でも、断れなかった。

 

 包み越しにも、まだ少し温かい。

 

 人の手で握られたもの。誰かが、自分に食べさせようとしてくれたもの。

 

 それだけで十分だった。

 

 自分は包みを持ち直し、廊下を歩き出す。

 

 戦場で役に立つ兵器ではない。XM3のように戦術機を動かすわけでも、リンク因子のように誰かを強化するわけでもない。

 

 でも。

 

「……こういうものがあるから、帰りたいんだよな」

 

 食堂の湯気。

 

 京塚のおばちゃんの声。

 

 温かい味噌汁と、多すぎるご飯。

 

 階級ではなく、名前で呼んでくれる人。

 

 明日になれば、また作戦図を見る。A-01と顔を合わせ、帝国側との調整も進む。

 

 新潟はもう目の前だ。

 

 それでも今夜だけは、手の中にある温かさを覚えていたかった。

 

 食べるのも仕事。

 

 怖いままでいいから、帰ってこい。

 

 自分は小さなおにぎりを握りしめないよう、そっと手の中へ収めた。

 

「……帰って、また飯を食べよう」

 

 戦う理由なら、もういくつもある。

 

 けれど。

 

 帰る理由も、ちゃんとここにあった。

 

第26.5話「京塚のおばちゃんと白き少佐」 END

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