マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜   作:きのこ大三元

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本日も更新です。

構想を見直した結果、本話は第3.5話となりました。

2件目の評価もありがとうございます。
とても励みになっています。

本話は、真白の能力やその裏側に少し踏み込む回となっています。
物語の土台に関わる部分でもありますので、楽しんでいただけたら嬉しいです。



第3.5話「検体番号:神宮寺真白」

10月22日 夕方

横浜基地・香月副司令執務室

<< 神宮寺 真白 >>

「……検査、ですか」

自分の声は、自分で思っていた以上に情けなかった。

ついさっきまで、自分は香月夕呼副司令と話していた。

白銀武がこの世界にいないこと。

自分が2026年の日本から来たこと。

オルタネイティヴ4のこと。

00ユニットのこと。

新型OSのこと。

そして、自分に与えられた意味不明な能力のこと。

その結果、自分は横浜基地に置かれることになった。

国連軍横浜基地所属。

特務技術顧問。

新型OS開発協力者。

待遇階級、少佐相当。

そして実質は、香月夕呼副司令管理下の重要隔離対象。

……肩書きが多すぎる。

昨日まで普通の現代日本人だった自分が、今日いきなり少佐相当。

意味が分からない。

「何よ、その顔」

夕呼副司令が、机の向こうで頬杖をついた。

「いえ……今日だけで、自分の人生が何回分か進んだ気がして」

「大袈裟ね」

「大袈裟じゃないです。転移して、横浜基地に来て、副司令に会って、少佐相当になって、今度はまた検査ですよ?」

言ってから、少し後悔した。

相手は香月夕呼副司令だ。

文句を言う相手としては、たぶん最悪に近い。

けれど、夕呼副司令は怒らなかった。

むしろ少し楽しそうに笑った。

「文句を言える元気があるなら大丈夫ね」

「大丈夫の基準がおかしくないですか?」

「この基地では正常よ」

「それが一番怖いんですが……」

思わず肩を落とす。

夕呼副司令は、机の上に置かれた紙を指先で叩いた。

自分がこの世界に来た時に持っていた、あの紙。

白銀武の因果導体としての性質。

戦闘経験。

衛士適性。

戦術機への適応力。

人を惹きつけやすい因果的性質。

そして、因果強化供給《リンク・ブースト》。

「これが本当なら、あんたは単なる未来知識持ちじゃないわ」

夕呼副司令は言った。

「白銀武の代替因子。新型OSの鍵。衛士適性を持つ若い男性。さらに他者強化能力持ち」

「……声に出されると、かなり重いですね」

「実際、重いわよ」

夕呼副司令は、あっさり言う。

「人類史が変わる可能性がある」

人類史。

そんな言葉を、自分に向けて言われる日が来るなんて思わなかった。

この世界では、衛士が足りない。

戦力が足りない。

時間も足りない。

そんな中で、衛士の能力を引き上げられる可能性がある。

確かに、それは大きい。

大きすぎる。

「……香月副司令」

「何?」

「自分は、この力を使う覚悟はあります」

声が少し震えた。

「でも……人を道具みたいには、したくありません」

言った瞬間、自分でも甘いと思った。

この世界で、そんなことを言っている余裕があるのか。

毎日誰かが死んでいる世界で。

人類が追い詰められている世界で。

それでも、言わずにはいられなかった。

夕呼副司令は、しばらく黙ってこちらを見ていた。

そして、小さく息を吐いた。

「甘いわね」

「……はい」

「でも、完全に間違っているわけでもない」

「え?」

「信頼関係が効果に影響するなら、無理やり使うのは効率が悪い。拒絶反応や精神的な歪みが出れば、戦力低下に繋がる可能性もある。つまり、あなたの甘さにも合理性はあるわ」

「合理性、ですか」

「ええ。感情論じゃなくて効率の話」

言い方は冷たい。

でも、全部否定されたわけではない。

それだけで、少しだけ救われた気がした。

「ただし」

夕呼副司令の声が変わる。

「検証は必要よ」

「……ですよね」

嫌な予感がした。

とても嫌な予感がした。

夕呼副司令が端末を操作する。

表示された項目を見て、思わず顔が引きつった。

血液検査。

唾液検査。

皮膚組織採取。

脳波測定。

筋反応測定。

因果反応計測。

高濃度リンク因子濃度測定。

接触反応検査。

「……接触反応?」

「まずは簡易確認よ」

そう言って、夕呼副司令が立ち上がる。

「さて」

白衣の裾が揺れる。

「理屈は分かった。次は実証よ」

「実証……?」

「サンプルを取る前に、反応を見るの」

嫌な予感しかしない。

「安心しなさい。難しいことはしないわ」

そう言って、夕呼副司令はこちらに歩み寄ってきた。

距離が近い。

思わず後ずさりそうになったところで、夕呼副司令が足を止める。

「嫌なら言いなさい」

「……え?」

「信頼関係が効果に影響する可能性があるんでしょう? 無理やりやっても意味がないわ」

その言葉に、少し驚いた。

この人は優しいわけではない。

でも、無意味に壊そうとしているわけでもない。

「……必要なんですよね」

「必要よ」

即答だった。

「戦力になるなら、全部使う。けれど、使い潰すつもりはない」

迷いのない言葉。

軍人の判断。

科学者の判断。

そして、香月夕呼という人間の判断。

自分は小さく息を吸った。

怖い。

恥ずかしい。

逃げたい。

でも、ここで逃げるわけにはいかない。

「……分かりました」

震える声で言う。

「自分にできることなら、やります」

夕呼副司令の口元が、少しだけ上がった。

「いい返事ね」

そう言って、彼女の手が自分の肩に置かれる。

その手は自然で、迷いがなかった。

けれど、触れられた瞬間。

身体の奥が、ぞわりと揺れた。

「っ……」

肩に触れられただけ。

それだけのはずだった。

なのに、指先から熱が広がるような感覚がある。

いや、違う。

熱が入ってきたのではない。

自分の内側にあった何かが、触れられたことで表面に浮かび上がってきたような感覚。

「……反応は良好ね」

夕呼副司令の声が近い。

観察するような視線。

指先が、肩から腕へとわずかに動く。

「データは正直ね」

小さく笑う声。

「夕呼副司令……これ……」

「必要よ」

即答だった。

「あなたの身体が、どの程度接触に反応するのか。どこでリンク因子が活性化するのか。どこまでが心理反応で、どこからが因果反応なのか。確認しておく必要がある」

言葉は冷静だった。

でも、触れている手だけが妙に現実的だった。

「……っ」

目を閉じる。

恥ずかしい。

怖い。

でも、不快ではなかった。

それが、余計に困る。

「いいわ。そのまま」

少しだけ声が柔らかくなった気がした。

気のせいかもしれない。

けれど、その瞬間。

身体の奥から、力が抜けるような感覚が走った。

「っ……!」

思わず息が漏れる。

頭が少しぼやける。

足元が一瞬、頼りなくなる。

胸の奥に、熱だけが残る。

「……なるほど」

夕呼副司令は、すぐに手を離した。

何事もなかったかのように机へ戻り、端末に何かを入力し始める。

「予想以上ね」

「……はぁ……」

自分はその場で呼吸を整えた。

肩に残る感触。

身体に残る妙な熱。

それが検査の反応なのか、自分自身の動揺なのか分からない。

「接触によるリンク因子反応は即時反映。精神的緊張による増幅あり。持続性も要確認……」

夕呼副司令は完全に分析モードだった。

「……夕呼副司令」

「何?」

「自分、今すごく恥ずかしいんですけど……」

「でしょうね」

「そこは否定してほしかったです……」

「でも、データとしては有用よ」

「褒められてる気がしません……」

夕呼副司令は、くすりと笑った。

「今日はここまで」

「え?」

「この形式での確認は、よ。これ以上は精神負荷が高いわ」

「一応、気にしてくれるんですね」

「あんたが壊れたら困るもの」

「合理性……」

「ええ、合理性」

夕呼副司令は当然のように言った。

でも、その目はほんの少しだけ、さっきより柔らかかった気がした。

「この後は医務区画で正式な検査。血液、唾液、皮膚組織、体液成分、脳波、筋反応。全部取るわ」

「……やっぱり全部なんですね」

「当然でしょ」

「……でも、また検査ですか……」

思わず本音が漏れた。

夕呼副司令が、ぴたりとこちらを見る。

「何か言った?」

「いえ……言いました」

「正直ね」

「今日だけで検査と説明と検査なので……自分、そろそろ人間じゃなくて実験動物になった気分です」

「失礼ね。実験動物よりずっと丁重に扱ってるわよ」

「比較対象が嫌すぎます……」

夕呼副司令は楽しそうに笑った。

完全に面白がっている。

けれど、そのやり取りで少しだけ肩の力が抜けた。

怖い。

恥ずかしい。

逃げたい。

それでも、文句を言えるくらいには、自分はまだ自分でいられる。

そのことに、少しだけ安心した。

「行くわよ、真白」

「はい……」

自分は、夕呼副司令の後に続いて医務区画へ向かった。

 

10月22日 夜

横浜基地・医務区画

<< 神宮寺 真白 >>

検査は長かった。

とにかく長かった。

血を採られた。

唾液を採られた。

髪も数本抜かれた。

皮膚の表面も少し採取された。

脳波を測られ、反射速度を測られ、筋力を測られた。

そして最後の方には、あまり口に出したくない種類の成分採取もあった。

医療行為。

検査。

必要なこと。

頭では分かる。

でも、気持ちが追いつくかどうかは別だった。

「……もう、何も考えたくない……」

ベッドに腰かけながら、小さく呟く。

身体は不思議なくらい軽い。

それが逆に怖かった。

これだけ検査を受けたのに、疲れ切っていない。

血を抜かれたはずなのに、少し休むだけで頭が冴えてくる。

精神的にはぐったりしているのに、身体だけはまだ動けると言っている。

「……本当に、変な身体になったな」

手を握る。

開く。

普通に動く。

その普通さが、今は不気味だった。

「神宮寺少佐」

ピアティフ中尉が端末を確認しながら声をかけてくる。

「次の測定に移ります」

「……まだあるんですか」

「はい」

「ですよね……」

少佐待遇が決まってから、ピアティフ中尉の呼び方は変わっていた。

神宮寺少佐。

まだ慣れない。

というより、一生慣れる気がしない。

「体調に異常はありますか」

「精神的には、かなり疲れました」

「身体的な疲労反応は、通常よりかなり低く出ています」

「……やっぱり変なんですね」

「変というより、異常値です」

即答だった。

この基地の人たちは、みんな言葉が直球すぎる。

隣の観察室から、夕呼副司令の声が聞こえた。

『聞こえてるわよ』

「……すみません」

『謝ることじゃないわ。事実だもの』

モニター越しに、夕呼副司令がこちらを見ている。

完全に研究者の顔だった。

『血液成分、回復反応、細胞活性、どれも通常範囲から外れてる。特に回復関連の数値が異常ね』

「……それ、自分は人間なんですか?」

『人間よ。ただし、かなり面倒な人間ね』

「面倒……」

『褒めてるのよ』

「褒めてないですよね、それ」

夕呼副司令は楽しそうに笑った。

ピアティフ中尉が端末を操作する。

「副司令。高濃度リンク因子反応、複数の体液成分から検出されています」

『濃度は?』

「サンプルによって差がありますが、特定成分で突出。保存時間による低下傾向も確認され始めています」

『鮮度依存ね。予想通り』

「……鮮度」

思わず呟いてしまった。

自分の身体から採られたものに対して、鮮度と言われるのは、なんとも言えない気分だった。

『大事な概念よ。効果が時間で落ちるなら、保存方法も運用方法も変わる』

「運用って言い方がもう嫌です……」

『贅沢ね』

本当に遠慮がない。

ピアティフ中尉がさらに数値を確認する。

「……副司令」

『何?』

「採取量ですが、予定基準値を大きく上回っています」

「……え?」

自分は固まった。

夕呼副司令が端末を覗き込む。

そして。

『……本当ね』

妙に楽しそうな声だった。

「え、あの、何がですか」

『真白』

「はい」

『あんた、本当に色々と規格外ね』

「それ、どういう意味ですか」

『簡単に言うと、出力が高い』

「出力」

『生成量も、回復速度も、因子濃度も想定以上。身体が勝手に補填してる可能性があるわね』

「……それは、いいことなんですか」

『運用上はね』

「また運用……」

嫌な単語ばかり増えていく。

夕呼副司令は少しだけ口元を歪めた。

『もっと雑に言うなら、出しすぎってところかしら』

「なっ……!」

顔が一気に熱くなった。

「そ、そういう言い方やめてください!」

『事実を分かりやすく表現しただけよ』

「絶対わざとですよね!?」

『半分くらいは』

「半分……!」

ピアティフ中尉は、無表情で端末を見ている。

その無表情が逆につらい。

せめて何か言ってほしい。

いや、やっぱり何も言わないでほしい。

「神宮寺少佐」

「は、はい」

「深呼吸を。心拍数が上がっています」

「誰のせいだと思ってるんですか……」

小さく呟くと、モニターの向こうで夕呼副司令がまた笑った。

完全に遊ばれている。

けれど、夕呼副司令の目だけは笑っていなかった。

その奥では、今も計算が続いている。

この能力をどう使うか。

誰に使うか。

どこまで使えるか。

何を隠し、何を見せるか。

自分は、自分の身体がもうただの身体ではなくなっていることを、改めて突きつけられていた。

 

10月22日 夜

横浜基地・医務区画観察室

<< 香月 夕呼 >>

「……想定以上ね」

夕呼は、端末に表示された数値を眺めながら呟いた。

神宮寺真白。

異物。

未来知識保持者。

白銀武の代替因子保有者。

因果強化供給《リンク・ブースト》の発現体。

最初は、荒唐無稽な話だと思った。

だが、検査結果はその荒唐無稽さを否定していない。

むしろ補強している。

通常の人間より高い回復力。

疲労耐性。

反応速度。

衛士適性。

そして、体液成分に含まれる不可解なリンク因子反応。

既存の理論では説明できない。

だが、説明できないからといって、存在しないことにはならない。

「保存による因子濃度低下。本人の回復速度は異常。採取負荷は現状軽微。精神的羞恥反応は強いが、拒絶反応はなし」

夕呼は記録を読み上げるように呟く。

隣に立つピアティフが、静かに頷いた。

「協力姿勢は維持されています」

「そこが厄介なのよね」

「厄介、ですか」

「ええ」

夕呼は、観察室のガラス越しに真白を見た。

医務ベッドに座り、ぐったりした顔をしている青年。

気弱そうで、押しに弱そうで。

自分の価値を理解しきれていない。

けれど、逃げなかった。

あれは、壊し方を間違えると使い物にならなくなる。

逆に言えば。

大切に扱えば、どこまでも利用できる。

「本人の同意と信頼関係が効果に影響する可能性が高い。無理な運用は避けるべきね」

「では、本人にすべて説明しますか?」

ピアティフの問いに、夕呼は即答しなかった。

端末には、次の実験計画案が表示されている。

被験者候補。

衛士適性。

身体能力基準値。

精神安定性。

機密保持能力。

真白との心理的距離。

夕呼の管理可能性。

候補は多くない。

A-01は実戦部隊として適しているが、初回検証に使うには情報の広がりが大きすぎる。

207Bは未熟で変化の観察には向いているが、精神面の揺れが大きい。

ならば。

「最初は、まりもね」

ピアティフがわずかに目を動かした。

「神宮司軍曹ですか」

「ええ。身体データが揃っている。精神的にも安定している。現場経験があり、あたしが管理しやすい」

「神宮寺少佐には?」

「言わない」

即答だった。

ピアティフは沈黙する。

夕呼は端末から目を離さず続けた。

「あの子は、知れば止めるわ。自分の能力を使うことは受け入れている。でも、自分の知らないところで誰かが試されるとなれば、余計な罪悪感を抱く」

「後に知られた場合、信頼を損なう可能性があります」

「分かってるわ」

夕呼の声が少し低くなる。

「でも、今はデータが必要よ。能力が本物か。安全性はどうか。効果量はどの程度か。最初の一例を確認しないことには、次へ進めない」

ピアティフは、それ以上言わなかった。

夕呼は、対象者名を入力する。

神宮司まりも。

目的。

高濃度リンク因子摂取による身体能力および衛士適性変化の初期観測。

説明名目。

疲労回復剤および訓練効率向上補助剤の試験。

真白への説明。

不要。

まりもへの成分開示。

保留。

「……神宮寺と神宮司」

夕呼は、ふと小さく笑った。

「紛らわしい名前ね、本当に」

偶然か。

必然か。

それとも、因果の悪趣味な冗談か。

分からない。

だが、使えるものは使う。

それが香月夕呼という人間だった。

 

10月22日 夜

横浜基地・医務区画

<< 神宮寺 真白 >>

検査が終わった頃には、すっかり夜になっていた。

「……長かった……」

思わず声が漏れる。

身体は不思議なくらい動く。

でも、精神的にはかなり疲れた。

「神宮寺少佐」

ピアティフ中尉が端末を閉じる。

「本日の検査は以上です」

「ありがとうございます……」

「明日以降も追加検査が入る可能性があります」

「……やっぱりあるんですね」

否定してほしかった。

でも、たぶん無理だと思っていた。

自分はベッドから降りる。

足元が少しふらついた。

その瞬間、ピアティフ中尉がそっと支えてくれる。

「大丈夫ですか」

「はい……身体は平気なんですけど、気疲れしたみたいです」

「無理もありません」

その言葉に、少しだけ驚いた。

ピアティフ中尉は相変わらず淡々としている。

けれど、その声にはほんのわずかに気遣いがあった。

「本日はお部屋へご案内します。支給品もそちらに用意されています」

「部屋……」

そうか。

自分には、もうこの基地の中で部屋が用意されている。

横浜基地に泊まる。

それは、もうここから逃げられないということでもある。

「……お願いします」

医務区画を出る。

夜の横浜基地の通路は、昼間よりも静かだった。

遠くで機械の駆動音がする。

誰かの足音が響く。

低い照明が、無機質な壁を青白く照らしている。

その中を歩きながら、自分はふと立ち止まりかけた。

通路の奥。

副司令室の近くに、ひとつの扉がある。

他の部屋とは違う気配がした。

理由は分からない。

ただ、そこだけが妙に気になった。

胸の奥に、かすかなざわめきが走る。

懐かしいような。

悲しいような。

誰かが、そこにいるような。

「神宮寺少佐?」

ピアティフ中尉の声で、我に返る。

「あ……すみません」

「何か?」

「いえ……少し、気になっただけです」

自分は、その扉から目を離した。

今はまだ知らない。

その向こうにいる少女のことを。

社霞という名前を。

そして、この世界の核心に近い場所に、自分がもう足を踏み入れていることを。

「……行きましょう」

「はい」

自分は再び歩き出した。

 

10月22日 夜

横浜基地・真白私室

<< 神宮寺 真白 >>

案内された部屋は、思っていたよりも簡素だった。

ベッド。

机。

ロッカー。

最低限の生活用品。

豪華とは言えない。

けれど、この世界の状況を考えれば、個室を用意されているだけでも十分すぎるのかもしれない。

「こちらが、神宮寺少佐に割り当てられた居室です」

「ありがとうございます」

ピアティフ中尉は、机の上にいくつかの物を置いた。

制服。

階級章。

仮の身分証。

基地内の簡易案内資料。

「不明点がありましたら、いつでもお声がけください」

「はい。助かります」

ピアティフ中尉は綺麗に一礼して、部屋を出ていった。

扉が閉まる。

急に静かになった。

自分は制服を見下ろす。

少佐相当。

本来なら、こんな自分が背負っていいものではない。

この世界に来たばかりの、戸籍すらない人間。

本物の軍人でもなければ、正式な訓練を受けたわけでもない。

それなのに、夕呼副司令は自分にこれを与えた。

その分、働け。

あの人なら、そう言うだろう。

「……やるしかないですよね」

ベッドに腰を下ろす。

全身から力が抜けた。

夕呼副司令の鋭い視線。

検査室の白い光。

ピアティフ中尉の淡々とした声。

自分の中にある謎の能力。

そして、通路で感じた扉の向こうの気配。

全部が一気に押し寄せてくる。

「今日は……寝よう」

考えるべきことはいくらでもある。

白銀武がいないこの世界で、自分が何をするべきか。

XM3をどう進めるか。

A-01や207Bにどう関わるか。

夕呼副司令が自分の能力をどう扱うのか。

けれど、今はもう頭が回らなかった。

布団に倒れ込む。

目を閉じる直前、夕呼副司令の言葉が頭に残っていた。

――人類史が変わるわ。

「……そんな大層な人間じゃないんですけどね」

小さく呟いた声は、誰にも届かないまま、部屋の中に消えた。

 

10月22日 深夜

横浜基地・香月副司令執務室

<< 香月 夕呼 >>

真白が部屋へ戻った後も、夕呼は端末の前に残っていた。

画面には、新しい管理記録が表示されている。

検体番号:JM-001

対象名:神宮寺真白

管理責任者:香月夕呼

機密区分:最重要

夕呼は、その文字を見つめて小さく笑った。

白銀武ではない。

けれど、白銀武の代わりになる可能性を持つ存在。

弱くて。

臆病で。

押しに弱くて。

自分の価値を理解しきれていない青年。

けれど、逃げなかった。

「……そこは評価してあげてもいいわね」

夕呼は端末に次の予定を入力する。

神宮司まりもへの初回外部対象反応試験。

そして、翌日以降の追加検査。

「ようこそ、神宮寺真白」

誰もいない副司令室で、夕呼は静かに呟いた。

「ここから先は、簡単には逃がさないわよ」

その言葉は、祝福にも聞こえた。

宣告にも聞こえた。

そして、遠く離れた真白はまだ知らない。

自分の知らないところで、最初の因果検証が始まろうとしていることを。

その対象が、神宮司まりもであることを。

そしてその小さな隠し事が、やがて自分の胸に深い痛みを残すことになることを。

第4話「検体番号:神宮寺真白」

それは、真白が初めて自分の能力の重さを知った夜。

そして、香月夕呼がその力を本格的に運用し始めた夜だった。

 

 

 




――本作用語メモ3.5――

■ 検体番号
研究・検査対象に付けられる管理用の番号。
真白が通常とは異なる存在として扱われていることを示している。

■ 因果強化供給《リンク・ブースト》
神宮寺真白に宿った、本作独自の能力。
信頼や接触を通じて、相手の能力を高める力。

■ リンク因子
真白の体内に存在するとされる特殊な因子。
衛士の能力向上や回復力に関係している可能性がある。

■ 衛士適性
戦術機を操縦するために必要な適性。
高いほど、衛士としての才能があると判断される。
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