マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜 作:きのこ大三元
11月10日 未明
横浜基地・副司令執務室
<< 香月 夕呼 >>
横浜基地の夜は眠らない。
それでも未明の副司令執務室は、日中とは別の場所のように静かだった。端末の冷たい光だけが夕呼の顔を照らし、壁面には新潟方面の最新予測図が表示されている。
帝国軍の防衛線。国連軍の支援可能区域。A-01の投入候補地点に、JM-01の行動可能範囲。XM3の実戦評価項目と、条件付きのBETA捕獲候補区域。
その中に、神宮寺真白の名前もある。
「……いよいよね」
隣では、ピアティフ中尉が暗号化文書の最終確認を進めていた。
「帝国側への協力要請文、暗号化完了しました」
「表向きは?」
「新潟方面におけるBETA上陸予測、および防衛線維持に関する緊急協力要請です」
「裏は?」
「斑鳩閣下経由で、帝国軍および斯衛軍の一部指揮系統へ優先通達されます」
夕呼は頷き、文書を呼び出した。
「真白とXM3は最優先。現場の政治判断で潰されたら困るわ」
「神宮寺少佐について、どこまで開示しますか」
「必要最低限よ」
表示されている情報は多くない。
神宮寺真白。国連軍横浜基地所属。特務技術顧問。少佐相当待遇。新型OS・XM3教導担当。JM-01搭乗予定者。そして、新潟防衛戦における重要戦術資産。
因果導体性も、高濃度リンク因子も、真白が持つ未来知識も記されていない。
「秘匿情報は一切出さない。XM3についても詳細仕様は伏せる」
「実戦投入される新型OSであること、生存性および機動性向上に関わること、新潟で実戦評価を行うことまでですね」
「それで十分」
ピアティフ中尉が次の項目へ進む。
「神宮寺少佐の保護優先度は?」
「最高レベルまで上げる。ただし、保護対象としてだけ扱わせないで」
「戦術資産として?」
「ええ」
ピアティフ中尉の指がわずかに止まった。
「言葉は冷たい方が、現場には効くわ」
夕呼は淡々と続ける。
「神宮寺真白という青年を守ってください、と言ったところで、帝国軍の指揮官がどこまで優先するかは分からない。でも、新型OSの教導担当で、JM-01の搭乗者で、横浜基地の重要戦術資産だと伝えれば話は変わる」
「神宮寺少佐本人が聞けば、嫌がりそうですが」
「でしょうね」
少しだけ苦笑する。
「でも、あの子を軽く扱わせないためには必要よ」
守るために、人間ではなく価値を示す。
夕呼自身、そのやり方が綺麗だとは思っていない。だが戦場へ命令を通すなら、綺麗な言葉より優先順位の方が役に立つ。
ピアティフ中尉が文書へ反映する間に、夕呼は別の暗号回線を開いた。
月詠真那への個別通信。
数秒後、画面に月詠の姿が映る。
『香月副司令』
いつものように隙のない表情で敬礼する。
「未明に悪いわね、月詠中尉」
『緊急案件と判断しております』
「ええ。11日の新潟防衛について、帝国側へ裏ルートで協力要請を出す」
月詠の目がわずかに細くなった。
『新潟……やはり、動きますか』
「高確率でね」
『神宮寺少佐も関わるのですか』
「関わるわ」
即答すると、月詠の表情が硬くなる。
『神宮寺少佐を、戦場へ出すおつもりですか』
「出さなければ、死ぬ人間が増える」
冷たい言葉だった。
だが、月詠は感情だけで否定しなかった。帝国軍人である彼女にも、そこは理解できる。
『では、条件があります』
「言ってみなさい」
『神宮寺少佐の帰還を、最優先条件に加えていただきたい』
夕呼はわずかに笑った。
「それを帝国側へ通すために、あんたを呼んだのよ」
月詠が沈黙する。
「帝国軍には、横浜基地所属のXM3評価部隊が新潟へ投入されると伝える。斯衛側には、神宮寺真白とJM-01の行動を妨げず、必要に応じて支援するよう通して」
『護衛ではなく、支援ですか』
「そう。ただ守らせるだけじゃ意味がない。戦力として動かして、その上で生きて戻す」
月詠の視線が鋭くなった。
『神宮寺少佐を、政治の駒として扱うおつもりですか』
「もう駒よ」
ためらわず答える。
「ただし、盤面から落とすつもりはないわ」
しばらく、画面越しに視線がぶつかった。
やがて月詠が静かに頭を下げる。
『承知しました。斯衛側には必要な範囲で通します』
「煌武院殿下には?」
『必要と判断されれば、斑鳩閣下を通じて上奏されるでしょう』
「なら、それでいい」
夕呼は暗号文書を転送した。
「月詠中尉」
『はい』
「真白には、まだ全部は話さない」
『……理由を伺っても?』
「今教えたら、あの子は帝国側の都合まで自分で背負おうとするからよ」
月詠は否定しなかった。
『後で知れば、怒るかもしれません』
「怒ればいいわ」
夕呼は肩をすくめる。
「あの子が他人に怒れるうちは、まだ健全よ」
月詠が、ほんの少しだけ目を伏せた。
『では、私は私の役目を果たします』
「頼むわ」
通信が切れる。
再び静かになった執務室で、ピアティフ中尉が確認を求めた。
「帝国側への送信、実行しますか」
「ええ」
夕呼は端末へ指を置く。
「新潟で真白を潰されるわけにはいかない」
一拍。
「送信」
暗号化された協力要請が、横浜基地から帝国側の裏回線へ流れていった。
神宮寺真白本人は、まだ知らない。
自分の名前に、新しい優先順位が付けられたことを。
◇
11月10日 朝
帝都・帝国側通信室
<< 月詠 真那 >>
月詠真那は、横浜基地から届いた機密通達を改めて確認していた。
表向きは、新潟方面の防衛戦に関する緊急情報提供と協力要請。だが秘匿された補足文書には、優先事項が明確に記されている。
新型OS・XM3。
神宮寺真白少佐相当。
JM-01。
新潟防衛戦への実戦投入と、帝国側部隊による行動阻害の禁止。必要に応じた支援。情報拡散の制限。
そして最後に、一文。
――神宮寺真白およびJM-01については、戦闘評価対象であると同時に、最優先回収対象として扱うこと。
「……最優先回収対象」
軍務上の言葉にすれば、それだけだ。
だが意味は分かる。
何があっても戻せ。
月詠は小さく息を吐いた。
「香月副司令らしい」
言葉は冷たい。
それでも、捨てるための文書ではない。
「月詠中尉」
控えていた斯衛兵が声をかける。
「斑鳩閣下への転送準備、整っております」
「送れ」
「はっ」
数分後、暗号回線が開かれた。
『月詠か』
「はっ。横浜基地、香月副司令より緊急協力要請が入りました」
画面の向こうで、斑鳩崇継が文書を読み進めていく。
表情はほとんど変わらない。
だが、神宮寺真白の項目で視線が止まった。
『神宮寺真白……白き少佐か』
「ご存じでしたか」
『名だけはな』
斑鳩は小さく笑う。
『新型OS、XM3。横浜基地の白き少佐。香月博士がここまで露骨に優先順位を付けるとは、よほど失いたくないらしい』
「明日の新潟についても、相当の警戒をしているようです」
『だろうな』
斑鳩は資料を閉じないまま続けた。
『表向きは、帝国軍の防衛行動を優先する』
「はっ」
『だがA-01と神宮寺真白の行動は妨げるな。現場で可能な範囲の融通も利かせろ』
「承知しました」
一度そこで話が終わるかと思った。
しかし、斑鳩は月詠を呼び止める。
『ただし、月詠』
「はっ」
『神宮寺真白を、香月博士だけの手駒として見るな』
月詠の目がわずかに細くなる。
「帝国として囲う、という意味でしょうか」
『まだ早い』
斑鳩は静かに否定した。
『まず見極める。あの男が本当に盤面を変えるだけの人間なのか、それとも横浜が抱え込んだ新しい火種なのか』
「……承知しました」
『まずは新潟だ』
そこで初めて、文書が閉じられた。
『生きて戻らなければ、次の話もできん』
「はっ」
その点だけは、月詠にも異論がない。
「神宮寺少佐の帰還を最優先条件として、斯衛側にも必要範囲で通達いたします」
『任せる』
通信が切れた。
暗くなった画面に、自分の姿が映る。
神宮寺真白。
肩書きとは裏腹に控えめで、自分自身を後回しにする青年。その名が今、横浜基地を越え、帝国の指揮系統へ入り始めている。
「……少佐」
新潟では、自分の手が届くとは限らない。
だからこそ、今できることをする。
「どうか、戻ってきてください」
小さな言葉は、誰にも聞かれなかった。
◇
11月10日 昼
横浜基地・ブリーフィングルーム
<< 伊隅 みちる >>
A-01がブリーフィングルームへ呼び集められた時点で、伊隅みちるは内容をほぼ察していた。
昨日から訓練が変わっている。
海岸防衛、突破阻止、帰還経路の維持、光線級存在下での制限機動。
あれは訓練のための訓練ではない。
実戦の予行だった。
速瀬水月も、涼宮遙も、宗像美冴も余計な私語はしていない。他の隊員たちも同じだ。
やがて扉が開き、夕呼とピアティフ中尉が入室する。
少し遅れて、真白も姿を見せた。
表情は硬い。
それでも、目を逸らしてはいなかった。
夕呼が端末を操作する。
新潟沿岸部の地図が、正面スクリーンいっぱいに表示された。
「明日、11月11日。新潟方面において、大規模BETA群が上陸する可能性が極めて高い」
室内の空気が一段冷えた。
「A-01は、新潟防衛戦へ投入される」
やはり。
伊隅は静かに息を吸う。
「任務は大きく4つ」
最初の資料が表示される。
「第一、新型OS・XM3の実戦評価」
機動性、回避率、部隊連携、撤退時の生存性。
「第二、BETA進路予測に基づく帝国軍防衛線への支援」
沿岸部の防衛線と、A-01投入予定区域が重なる。
「第三、神宮寺真白およびJM-01の戦闘支援と回収」
その瞬間、数人の視線が真白へ向かった。
本人も一瞬だけ肩を強張らせる。
「そして第四。状況が許すなら、BETA個体を捕獲する」
今度は、空気そのものが変わった。
「BETA捕獲、ですか」
伊隅が問い返す。
「ええ。ただし副次任務よ」
夕呼はすぐに優先順位を表示した。
第一優先――防衛線の維持、およびA-01・JM-01の帰還。
第二優先――XM3とJM-01の実戦データ取得。
第三優先――条件付きBETA捕獲。
「捕獲のために防衛線を崩すことも、誰かを置いていくことも認めない。余裕がなければ即座に捨てなさい」
「対象は?」
「兵士級、闘士級、戦車級。大型種は最初から除外」
「捕獲の可否は、現場で私が判断してよろしいですね」
「ええ。あなたに任せる」
伊隅は頷いた。
横から、水月が小さく息を吐く。
「捕獲って、簡単に言いますけど……相手はBETAですよ?」
「だからA-01に回してるのよ」
「便利に使ってくれますね、本当に」
「使える部隊を使って何が悪いの」
「そこまで堂々と言われると何も言えませんね」
いつもの調子ではある。
だが、伊隅には水月の声に混じる緊張が分かった。
「速瀬」
名前を呼ぶ。
「分かってます。欲張らない、追わない、戻る」
「ならいい」
夕呼が次の資料へ切り替えた。
JM-01。
白い識別ラインを持つ不知火と、その暫定制御概要。
「JM-01には、高負荷機動を抑制する暫定制御が入っている」
伊隅は真白を見る。
「詳しく聞かせてもらえますか」
「はい」
真白が立ち上がった。
「自分は、XM3を使うと機体を動かしすぎます」
何人かの表情が変わる。
「シミュレーターでは成立していた動きでも、実機では関節や推進系へ負担が残る。JM-01は自分の入力に追従できます。でも、追従できることと、安全に続けられることは別です」
遙が確認する。
「そのための抑制制御なんですね」
「はい。関節負荷、推進剤消費、姿勢の崩れを監視して、危険域へ入る前に入力を安全側へ戻します」
「緊急時は?」
伊隅が問う。
真白は少しだけ間を置いた。
「一時解除できます」
室内の視線が集まる。
「ただし、解除中は機体負荷も推進剤消費も跳ね上がります。解除後、自力だけでは安全に離脱できない可能性があります」
夕呼が引き取る。
「だから解除は切り札よ。JM-01が解除を使った場合、A-01は戦闘継続より回収可能な位置の確保を優先すること」
「つまり」
伊隅は資料と真白を交互に見る。
「我々は護衛ではなく、神宮寺少佐を戦力として動かしながら、限界を越えた時には引き戻す役でもある」
「その理解でいいわ」
なるほど。
だから「回収」なのだ。
「神宮寺少佐」
「はい」
「あなたは明日、実際に戦うのですね」
一瞬だけ沈黙した。
それでも、真白は目を逸らさなかった。
「はい。戦います」
声は静かだった。
「でも、倒すことだけを目的にはしたくありません」
少し言葉を選んでから、続ける。
「新潟では、倒すことより、戻ってくることを優先したいです。自分も、A-01の皆さんも、機体も」
伊隅は黙って聞いた。
「誰かを救うために出るなら、救った後に帰ってこなければ意味がないと思うので」
帰る。
A-01にとって、それは簡単な言葉ではない。
任務を果たして、生きて帰る。
当たり前のようでいて、この世界では一番難しい。
「了解しました」
伊隅は真白へ向き直る。
「なら、明日のA-01の任務は一つ増えます」
「増えるんですか?」
「ええ」
一拍。
「神宮寺少佐を含め、全員で帰還することです」
真白の目がわずかに揺れた。
水月が隣で息を吐く。
「そんなこと言われたら、前に出づらいじゃないですか」
「出すぎないでください」
真白が即座に返した。
「……言うようになったわね、少佐殿」
「昨日も言いました」
「耳にタコができそう」
「それでも言います」
宗像が小さく笑う。
「速瀬には、それくらいでちょうどいいんじゃない?」
「宗像まで!」
わずかな笑いが室内に広がり、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。
遙が端末へ視線を落とした。
「帰還経路はこちらで常時更新します。JM-01が解除を使った場合も、最短の離脱線を出します」
「お願いします」
「少佐も、こちらの指示は聞いてくださいね」
「……はい」
その返事に、今度は水月が笑った。
「そこは即答じゃないのね」
「努力します」
「実行してください」
真白が何とも言えない顔をした。
伊隅は、そのやり取りを見ながら任務を整理する。
XM3の実戦評価。
帝国軍防衛線への支援。
JM-01の戦闘支援と回収。
条件付きのBETA捕獲。
不確定要素はいくらでもある。
だが、優先順位だけは明確だった。
防衛線を守る。
戻る線を残す。
そして全員で帰る。
「A-01、各員」
声を上げると、全員の表情が切り替わった。
「明日の任務は困難です。XM3の実戦評価、帝国軍防衛線への支援、神宮寺少佐およびJM-01の戦闘支援。そして条件が許せばBETA捕獲。どれも軽い任務ではありません」
一人ずつを見る。
「ですが、我々はA-01です」
水月が小さく笑った。
「伊隅戦乙女隊、ですからね」
「その通り」
伊隅は頷く。
「全員で出て、全員で帰ります」
『了解!』
声が揃った。
その中で、真白だけが一瞬目を伏せた。
祈っているのか。
覚悟を決めているのか。
伊隅には分からない。
ただ次に顔を上げた時、真白も同じように前を見ていた。
◇
11月10日 夜
横浜基地・副司令執務室
<< 香月 夕呼 >>
帝国への裏ルート通達は通った。
A-01への正式命令も出した。JM-01の情報も必要な範囲まで開示し、BETA捕獲は副次任務として組み込んだ。
準備できることは、ほぼ終わった。
夕呼は新潟方面の予測図を眺める。
帝国軍の防衛線に、A-01の投入予定区域。JM-01の行動範囲と、条件付きの捕獲候補地点。
その間には、いくつもの空白がある。
戦場から空白をなくすことはできない。
予測から外れるBETAの動き。現場指揮官の判断。機体故障。恐怖。偶然。
どれだけ計算しても、最後には必ず何かが残る。
「神宮寺少佐には、帝国側への通達の詳細を伏せたままでよろしいのですか」
ピアティフ中尉の声に、夕呼は画面から目を離さず答える。
「ええ」
「後で知れば、気にされると思います」
「でしょうね」
「すでに十分なものを背負っているようにも見えますが」
「分かってるわ」
夕呼は、新潟の地図を拡大した。
「だから、周りにも背負わせるのよ」
A-01。
帝国軍。
斯衛。
整備班。
ピアティフ。
そして、自分。
「真白一人に、全部抱えさせる気はないわ。本人が勝手に抱えようとしてもね」
「神宮寺少佐は、それを知りません」
「知らなくていいこともあるのよ。少なくとも明日までは」
ピアティフ中尉は、それ以上追及しなかった。
夕呼は端末上の一項目へ視線を落とす。
――最優先回収対象。
個人を守るには、あまりにも冷たい言葉だ。
しかし、だからこそ軍隊の中では意味を持つ。
神宮寺真白を守るための肩書き。
同時に、戦場へ出すための肩書き。
「矛盾してるわね」
「何がでしょうか」
「守りたいから、価値を付ける。価値を付ければ、今度は使われる」
夕呼は小さく笑った。
「まあ、戦争なんてそんなものよね」
画面の向こうでは、予測されたBETA群が新潟へ近づき続けている。
明日になれば、白き少佐という呼び名も、横浜基地だけのものではなくなるかもしれない。
XM3も。
JM-01も。
真白自身も。
実戦に出れば、隠しておけるものは少しずつ減っていく。
それでも、必要なことはやる。
夕呼は最後の確認画面を閉じた。
「明日は、必ず回収するわよ」
人間を物のように扱う言葉。
けれど今だけは、その冷たさでいい。
その言葉が、神宮寺真白を横浜基地へ連れ戻す命令になるのなら。
新潟防衛戦まで、あと1日。
第29話「最優先回収対象」 END