マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜 作:きのこ大三元
11月10日 夕方
横浜基地・副司令執務室前
<< 神宮寺 真白 >>
夕呼副司令に呼ばれた。
……というより、呼ばれるはずだった。
霞から「博士が確認したい資料があります」と聞かされ、自分はB19フロアから副司令執務室へ向かっていた。隣では、社霞が薄紫の髪を揺らしながら静かに歩いている。
「霞」
「はい」
「夕呼副司令、怒ってました?」
「……怒ってはいません」
「それは、機嫌がいいという意味ですか?」
「違います」
「ですよね……」
答えになっているようで、なっていない。
それでも、霞が隣にいるだけで少し落ち着いた。
今日は朝から色々ありすぎた。帝国への裏ルート通達に、A-01への正式任務命令。JM-01と自分の実戦投入、さらに条件付きとはいえBETA捕獲まで加わった。
新潟防衛戦まで、あと1日。
しかも、自分の名前は知らないところで横浜基地の外へ流れ始めている。
「……真白さん」
霞がこちらを見上げた。
「はい」
「歩く速度が、少し遅いです」
「……すみません」
「謝らなくていいです」
霞はいつもの静かな声で続ける。
「でも、無理はしています」
「顔に出ていますか」
「はい」
即答だった。
最近、本当にそればかり言われる。
「大丈夫です」
そう答えかけて、やめた。
霞がじっとこちらを見ている。
「……大丈夫、とは言いません」
「はい」
「でも、今は歩けます」
霞は少しだけ瞬きをしてから、こくりと頷いた。
「分かりました」
やがて副司令執務室の前に着く。
普段なら、扉の向こうから端末を叩く音や夕呼の声が漏れてくる。
今日は妙に静かだった。
「……?」
霞もわずかに首を傾げる。
ノックする。
返事はない。
「夕呼副司令?」
もう一度。
やはり何も聞こえない。
「入っても大丈夫です」
霞が静かに言った。
「本当に?」
「はい」
その言葉を信じて、扉を開けた。
◇
11月10日 夕方
横浜基地・副司令執務室
<< 神宮寺 真白 >>
執務室は暗かった。
照明は落とされ、夕呼の机にあるライトだけが点いている。淡い光が机の周囲だけを切り取り、その先は暗がりへ沈んでいた。
肝心の夕呼はいない。
「……副司令?」
呼びかけた、その時だった。
「博士なら、司令所へ行きましたよ」
「――っ」
反射的に身体が強張った。
霞が半歩、自分の前へ出る。
執務室の奥。
ライトが届くぎりぎりの場所に、一人の男が腰掛けていた。
灰色のコートに茶色のスーツ。抹茶色のネクタイと、クラシックなフェドラ帽。
妙に時代がかった格好なのに、この薄暗い部屋には不自然なくらい馴染んでいる。
「驚かせてしまったかな」
男が穏やかに笑った。
「……どちら様、ですか」
少しだけ声が上ずる。
男は帽子のつばへ軽く触れた。
「初めまして」
一拍。
「私は、微妙に怪しい者だ」
「……微妙に?」
思わず聞き返した。
男は大真面目な顔で頷く。
「完全に怪しいと言われるほどではないが、信用するには少し早い。つまり、微妙に怪しい」
「……自分で言うんですね」
「自己紹介は正確であるべきだからね」
霞は無表情のまま男を見ている。
けれど、自分の前からは動かない。
「警戒しなくても大丈夫だよ、社霞ちゃん」
男が声をかけても、霞は答えなかった。
「なるほど。博士の秘蔵っ子が、君を守ろうとするわけだ」
「……真白さんは、博士の管理対象です」
「管理対象、か。随分と優しい表現を選ぶ」
男は小さく笑い、それから自分へ視線を戻した。
「まあ、改めて名乗ろう。鎧衣左近。情報省に、少し顔が利く男だ」
「鎧衣……」
声が漏れた。
しまった、と思った時にはもう遅い。
「ほう」
左近の目が、ほんの少しだけ鋭くなる。
「私の名前に覚えがあるようだ」
「……いえ、その」
「構わないよ。隠すのが得意な顔ではない」
「最近、それもよく言われます……」
「それは良いことだ。少なくとも、周囲に心配してもらえる」
軽い。
その軽さが、逆に怖かった。
鎧衣左近。
鎧衣美琴の父親であり、情報省の人間。自分が知っている物語でも、裏側からいくつもの情報へ触れていた人物だ。
その本人が、夕呼不在の暗い執務室で待っていた。
微妙どころではない。
かなり怪しい。
「……それで、鎧衣さんはどうしてここに」
「君を見に来た」
「自分を、ですか」
「そうだ」
左近は、机の上に置かれた資料を指先で軽く叩いた。
「神宮寺真白。国連軍横浜基地所属。特務技術顧問。少佐相当待遇。新型OS・XM3の教導担当。明日の新潟防衛戦では、JM-01で実戦投入予定」
自分の情報なのに、他人の口から読み上げられると妙に落ち着かない。
「だが、不思議なことにね」
声が少しだけ低くなった。
「帝国側のデータベースには、君へ繋がる情報がほとんどない」
「……」
「出生記録。戸籍。学籍。軍歴。調べられる範囲では、まともな経歴が出てこない」
身体が固まった。
当然だ。
この世界に、神宮寺真白という人間の人生は存在していない。
「まるで、ある日突然そこへ現れたようだ」
左近の笑みは変わらない。
「書類の上では、君は奇妙な空白だ。だが、こうして目の前にいる。呼吸をして、怯えて、考えて、明日には戦場へ出る」
「……興味深い、ですか」
「情報屋としては、非常に」
そこで、ほんの少し声色が変わった。
「そして父親としては、少し困る」
「父親……」
「美琴から君の話を聞く機会があってね」
「鎧衣さんから……」
「楽しそうに話していたよ。白くて、危なっかしくて、少し変な少佐がいる、と」
「……だいたい合っていますね」
「否定しないのかね」
「否定できるところが少ないので」
左近が初めて楽しそうに笑った。
「なるほど。美琴が気に入るわけだ」
胸の奥に入っていた力が、少しだけ抜ける。
けれど、次の問いで空気はすぐに戻った。
「神宮寺少佐」
「はい」
「君は、美琴たちを戦場へ近づけている自覚はあるかね」
「……あります」
「止めたいと思うかね」
「思います」
即答した。
「では、なぜ止めない」
「止めた結果、もっと弱いまま戦場へ出ることになるかもしれないからです」
まりもさんとの会話が頭をよぎる。
強くなれば戦場へ近づく。
けれど、鍛えなければもっと死ぬ。
「だから、自分にできるなら……生きて戻るためのものを渡したいです」
左近はしばらく黙っていた。
こちらの言葉そのものではなく、その裏側を見ているような目だった。
「君は、随分と苦しい答えを選ぶ」
「楽な答えがあるなら、自分も知りたいです」
「ないね」
あっさり言われた。
「少なくとも、この世界には」
それだけは、冗談には聞こえなかった。
◇
11月10日 夕方
横浜基地・副司令執務室
<< 神宮寺 真白 >>
左近さんは机上の新潟方面図へ視線を移した。
「明日、君は新潟へ出る」
「はい」
「怖いかね」
「怖いです」
そこはもう、誤魔化さなかった。
「怖くないと言えるほど、強くはありません」
「では、なぜ出る」
少し考える。
未来を知っているから。
A-01を死なせたくないから。
XM3を役立てたいから。
どれも間違いではない。
でも、今の自分の答えはもっと単純だった。
「帰ってきてほしい人たちがいるからです」
左近さんの目がわずかに動いた。
「A-01か」
「はい」
「横浜基地の人間も?」
「はい」
「美琴も含まれるのかな」
「……もちろんです」
ほんの一瞬。
左近さんの表情から、情報屋の色が薄れた。
すぐに元へ戻ったけれど。
「明日、君が何かを変えれば」
左近さんが静かに言う。
「君はもう、横浜基地の中だけで完結する存在ではなくなる」
「……どういう意味ですか」
「そのままの意味だよ」
穏やかな口調のまま続ける。
「帝国も、国連も、そして私たち情報省も君を見る。経歴のない人間が新型OSに関わり、その上で戦場へ出て結果まで残せば、誰も放ってはおかない」
「自分は、そんなつもりで……」
「つもりは関係ない」
逃げ道のない言葉だった。
「結果が出れば、人はそこへ意味をつける。意味がつけば組織が動く。そうなれば、君個人の意思だけでは済まなくなる」
分かっていたはずだった。
横浜基地だけで隠し続けられるわけがない。
それでも、情報省の人間から直接言われると重さが違う。
「なら、覚えておくといい」
左近さんは、まっすぐ自分を見る。
「何かを変えられる人間には、その力を利用したい人間も寄ってくる」
部屋がひどく静かに感じた。
「それでも、変えるつもりかね」
自分は拳を握りかけて、やめた。
怖い。
新潟も、BETAも。
外から見られることも、利用されることも。
それでも。
「変えたいです」
声は小さかった。
「自分が何もしなかったら、死ぬ人がいるのを知っています」
「君の知識が外れる可能性もある」
「はい」
「君が動いた結果、別の何かが悪い方向へ変わる可能性も?」
「……あります」
その可能性は、もう夕呼からも言われている。
未来知識は予言ではない。
自分が動いた時点で、現実は少しずつ別のものになっていく。
「それでも?」
「それでも、何もしない理由にはしたくありません」
綺麗な答えではない。
誰かを救うことで、別の何かを変えてしまうかもしれない。
それでも、目の前で失われると分かっているものを、最初から諦めることはできなかった。
「……そうか」
左近さんは静かに頷く。
「美琴が君を面白がる理由が、少し分かった気がする」
「面白がられてるんですか」
「あの子は、面白いものと危なっかしいものが好きでね」
「自分は危なっかしい方ですか」
「両方だろう」
否定できなかった。
その時、執務室の扉が開く。
「騒がしいわよ」
聞き慣れた声。
夕呼が扉の前に立っていた。
「人の部屋で何やってるわけ?」
◇
11月10日 夕方
横浜基地・副司令執務室
<< 香月 夕呼 >>
夕呼は、部屋の中を一目見て状況を理解した。
薄暗い執務室。
机のライト。
椅子に座る鎧衣左近。
その前で固まっている真白と、半歩前へ出た霞。
深いため息が出る。
「左近。あんた、また人の部屋で勝手に芝居がかった登場してるわけ?」
「失礼だな。先に来て待っていただけだよ」
「暗い部屋で?」
「照明はつけていた」
「机のライトだけじゃない」
「雰囲気も大切だ」
「情報省って暇なの?」
「忙しいからこそ、効率的に印象を残す必要がある」
心底面倒くさい。
「真白。こいつの言うことを全部真に受けないこと」
「ひどいな。私は事実しか言っていない」
「事実の見せ方が一番たち悪いのよ」
左近が楽しそうに笑う。
「博士。彼は本当にいたよ」
「だからそう言ったでしょう」
「書類上では、ほとんど存在しないのに」
「今さらそこ?」
「実際に見ると印象が違う」
左近は真白へ視線をやる。
「人は普通、空白から突然生えてくるものではないからね」
「普通じゃないのよ、この子は」
夕呼はあっさり返した。
「だから私が管理してる」
「管理、か」
左近が霞を見る。
「社霞ちゃんも、同じ言葉を使っていたよ」
夕呼も霞へ目を向ける。
「霞。真白を守ろうとした?」
「……はい」
「そう」
それ以上は何も言わなかった。
「で、左近。真白に何を吹き込んだの?」
「明日結果を出せば、横浜基地だけでは済まなくなる、と」
「まあ、事実ね」
「外から利用しようとする人間も出てくる、とも」
「それも事実」
「なら問題はない」
「あるわよ」
夕呼は眉を寄せる。
「明日前線へ出る人間に、前日の夕方から余計な荷物を追加するなって言ってるの」
「知るべきことは、早く知った方がいい」
「早すぎれば潰れるのよ」
「博士がそれを言うのかね」
「私だから言うのよ」
左近が少しだけ黙った。
夕呼は真白を見る。
「真白」
「はい」
「今聞いた話は、頭の隅に置いておきなさい。でも明日は考えなくていい」
「……はい」
「明日考えるのは一つだけ」
目を合わせる。
「生きて帰ってくること」
「はい」
「帝国だの情報省だの国連だのは、帰ってきてから悩みなさい」
「……悩むこと自体は確定なんですね」
「結果を出せばね」
左近が横から口を挟む。
「結果を出せば、見る人間は増える」
「だから今言うなって言ってるでしょうが」
真白の口元がほんの少しだけ緩んだ。
まあ、それならいい。
「神宮寺少佐」
左近が懐へ手を入れた。
真白の肩が跳ね、霞も動く。
だが、取り出されたのは武器でも機密文書でもない。
小さなモアイ像だった。
「……モアイ?」
真白の声が妙なところで裏返る。
「初対面の記念だ」
「……どうしてモアイなんですか?」
「深い意味はない」
「絶対ありそうですけど……」
夕呼は目を細めた。
「盗聴器なら処分するわよ」
「失礼だな。そんなものは入っていない」
「霞」
「……通信反応はありません」
「ほらね」
左近が少し得意そうに言う。
「物理的な仕込みは後で調べるわ」
「博士は疑り深い」
「あんたにだけは言われたくない」
真白は、おそるおそるモアイを受け取った。
手のひらに乗る程度の大きさだが、見た目より少し重い。
「……どうすればいいんですか、これ」
「持っていても、捨ててもいい」
「捨てるのも怖いので……飾ります」
「飾るの?」
思わず聞き返した。
「もらったものですし」
「真白、そういうところよ」
「どういうところですか」
左近が楽しそうに笑っている。
真白はモアイを見下ろした。
「名前は……左近でいいか」
「本人の前で名付けるんじゃないわよ」
「私は構わないよ。光栄だ」
「本当にいいんですか……」
困惑しながらも、真白はモアイを胸ポケットへしまった。
左近はそれを確認して立ち上がる。
「神宮寺少佐」
「はい」
「明日、君を外から見る人間が増えるかもしれない」
真白の表情が少しだけ引き締まる。
「だから時々、それでも見て思い出すといい」
「何をですか」
「情報屋に変な置物を押しつけられるくらいには、君はもう目立っているということを」
「そこなんですか?」
今度は真白が本気で困った顔をした。
夕呼は額へ手を当てる。
さっきまで重かった空気が、少しだけ馬鹿馬鹿しいものになっていた。
たぶん、左近は最初からそこまで計算している。
それが一番腹立たしい。
◇
11月10日 夕方
横浜基地・副司令執務室前
<< 神宮寺 真白 >>
執務室を出ると、廊下の空気が少し冷たく感じた。
霞が隣を歩いている。
何も言わない。
ただ、いつもより少しだけ近かった。
胸ポケットには、小さなモアイが入っている。
名前は左近。
冷静に考えると、かなり意味が分からない。
けれど、さっき聞いた話まで冗談にはできなかった。
帝国にも、国連にも、情報省にも見られる。
結果を出せば、利用しようとする者も出てくる。
それは明日より後の話だ。
今は新潟。
A-01。
JM-01。
死の八分。
そして、帰ってくること。
「……霞」
「はい」
「自分、そんなに怪しいですか」
霞は少し考えた。
「……少し」
「少しですか」
「はい」
「微妙に?」
こくりと頷く。
「微妙に、です」
思わず笑った。
「そっか……微妙に怪しいか」
「はい」
霞が静かにこちらを見る。
「でも、真白さんです」
足が止まりかけた。
帝国の記録に存在しなくても。
戸籍も学籍も、この世界で積み重ねた過去もなくても。
霞は、自分を真白さんと呼ぶ。
「……ありがとうございます」
「はい」
それだけで、少し足元が戻った。
自分は胸ポケットのモアイを軽く押さえ、もう一度歩き出す。
世界のどこに記録されているのかは、今はどうでもいい。
ここには、自分の名前を呼んでくれる人がいる。
そして明日、帰ってくる場所もある。
新潟前夜。
白き少佐は、横浜基地の外からも見られ始めていた。
それでも今はまだ、霞の隣を歩く神宮寺真白だった。
幕間「情報省の男」 END