マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜   作:きのこ大三元

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第36.5話 幕間「医務室の白き少佐」

11月11日 深夜

横浜基地・医務区画

<< 神宮寺 真白 >>

 

 白い天井を見ていた。消毒液の匂いと、規則正しく鳴る医療機器の電子音。薄いカーテンの向こうでは衛生兵たちが忙しく行き来していて、足音が近づいては遠ざかっていく。

 

 どれも戦場の音ではない。それなのに耳の奥では、レーザー照射警報も、機体警告も、臼杵機が吹き飛ばされた時の衝撃音もまだ消えていなかった。

 

《左膝関節負荷 危険域突破》

《レーザー照射警報》

《ヴァルキリー7、大破》

《衛士生命反応、低下》

 

 目を閉じれば、赤く染まった網膜投影が浮かぶ。白い光が自分のいた空間を貫き、その直後には要撃級の腕と、その前へ割り込んだ臼杵機が見えた。

 

 息が詰まり、すぐに目を開ける。

 

 白い天井が戻ってきた。

 

「神宮寺少佐」

 

 カーテンの向こうから声がして、ピアティフ中尉が入ってきた。姿勢も口調も普段と変わらないが、手にした端末をいつもより少し強く握っているように見える。

 

「検査結果の一次報告が出ました」

「……はい」

 

 反射的に身体を起こそうとすると、背中から脚へ鈍い痛みが走った。

 

「っ……」

「動かないでください。報告はそのまま聞けます」

「……すみません」

「謝罪は不要です」

 

 即答だった。

 

 最近、自分は何度も似たようなことを言われている気がする。謝らなくていい。戻れ。休め。待て。

 

 そして、それを一度守れなかった結果が今だった。

 

 おとなしくベッドへ背中を預け直すと、ピアティフ中尉は端末へ視線を落とした。

 

「外傷は軽微です。打撲、筋疲労、軽度の脱水。それから、強い緊張状態による呼吸と心拍の乱れ。現時点で脳震盪を疑う所見はありません」

「思ったより普通ですね」

「普通ではありません」

 

 間髪を入れず否定される。

 

「身体に大きな損傷がないだけです。JM-01の記録では、暫定制御を解除した直後に急激な姿勢変化と高負荷機動が発生しています。衛士側にも相応の負荷がかかっています」

「……はい」

「率直に言えば、機体側が先に損傷したことで、少佐への負荷がそれ以上増えずに済んだ面もあります」

 

 胸の奥が沈んだ。

 

 歪んだJM-01の左脚と、それを見た千歳さんの表情が浮かぶ。機体も少佐も、必ず帰してください。その約束を思い出すたび、喉の奥が重くなる。

 

「……JM-01は」

「整備班が確認中です。左膝関節、脚部駆動系、跳躍ユニット制御系に大きな損傷。詳細な修復方針は浪花技術少尉たちの判断待ちです」

「そう、ですか」

 

 ピアティフ中尉は端末を閉じ、まっすぐこちらを見た。

 

「機体は、直すために整備班へ戻します。衛士は、生きて戻すために医務室へ運びます」

 

 言葉が胸へ落ちる。

 

「少佐は今、医務室にいます。つまり――まだ戻っている途中です」

「戻っている途中……」

「はい。報告書を書くのも、反省するのも、香月副司令に怒られるのも、全部戻りきってからです」

 

「怒られるのは確定なんですね」

「確定です」

 

 迷いがなかった。

 

 少しだけ笑いそうになったが、その前に別の名前が浮かんだ。

 

「……臼杵さんは」

 

 声が掠れる。

 

 ピアティフ中尉の表情が、ほんの少しだけ硬くなった。

 

「臼杵少尉は現在も集中処置中です」

「生命反応は」

「維持されています」

「……そうですか」

 

 よかった。

 

 そう思った直後、それだけでは済まない重さが戻ってくる。

 

「自分を庇って……。自分が戻れなかったから。自分が暫定制御を外したから」

「神宮寺少佐」

 

 静かに遮られた。

 

「その分析を、今ここで完了させないでください。作戦ログ、機体ログ、通信記録、A-01各員の証言、医療記録。それら全てを確認した上で検討します」

 

 慰めるような口調ではない。だからこそ、その言葉はそのまま入ってきた。

 

「今の少佐が一人で結論を出せば、おそらく最も単純で、最も悪い方向へ寄ります」

「……そう見えますか」

「見えます」

 

 また即答だった。

 

 ピアティフ中尉は端末を胸元へ抱え直す。

 

「少佐はいま、『全部自分が悪い』という結論に逃げようとしています」

「逃げ……?」

「はい。全てを自分一人の責任にしてしまえば、考えることが一つで済むからです」

 

 否定しかけて、言葉が止まった。

 

 新潟では何度も選んだ。待つか、出るか。撃つか、戻るか。最後には、帰還線へ戻るか、それとも別の一機を助けに行くか。

 

 それら全てを「自分が悪かった」で閉じてしまえば、複雑なものを考えなくて済む。

 

「……難しいですね」

「はい」

 

 ピアティフ中尉は頷いた。

 

「だから、今は寝てください」

「急に実務的ですね」

「医務室ですので」

 

 今度は少しだけ笑えた。

 

 その直後、自分の指先が震えていることに気づく。戦闘中はそんな暇がなく、帰還車列でも臼杵さんの生命反応とJM-01の損傷ばかりを見ていた。

 

 横浜へ戻り、検査を受け、こうして何もする必要のないベッドへ横になってから、ようやく身体が戦場を思い出し始めたらしい。

 

「……ピアティフ中尉」

「はい」

「自分、今になって怖くなってきました」

 

 ピアティフ中尉は少しだけ目を伏せた。

 

「正常です」

「正常、ですか」

「はい。戦場で怖くなかったわけではないのでしょう。ただ、怖がる余裕がなかっただけです」

 

 胸の奥で何かが軋んだ。

 

 その通りだった。

 

 怖かった。

 

 ずっと怖かった。

 

 けれど、怖いと感じて止まる暇がなかった。

 

「だから今、身体が思い出しているのでしょう。それも検査対象です」

「……怖いのもですか」

「もちろんです」

 

 ピアティフ中尉は端末へ何かを書き込む。

 

「少佐の能力も、因果反応も、戦術機適性も、XM3への適応も重要です。しかし、それを運用する本人の精神状態を無視すれば、次に壊れます」

「……次」

「はい」

 

 そこで声が少しだけ強くなった。

 

「少佐には、次があります」

 

 その言葉が、妙に重かった。

 

 戦場が終わっても、次がある。帰ってきても、次がある。

 

 少し怖い。

 

 でも、その次へ進むためにも、今は戻らなければならないらしい。

 

「だからこそ、休んでください」

「……はい」

 

 その時、医務室の扉が静かに開いた。

 

 ピアティフ中尉が振り返る。

 

「神宮司大尉」

 

 入ってきたのは、まりもさんだった。

 

 軍服姿のまま。表情は静かだが、目元には隠しきれない疲労が残っている。それでも歩き方はいつもの教官そのもので、ベッドまで来ると、まずこちらが起き上がろうとしていないか確かめるように目を細めた。

 

「検査中でしたか」

「一次検査は終了しています。長時間の面会は控えてください」

「分かりました」

 

 ピアティフ中尉が一歩退き、まりもさんがベッドの横へ立つ。

 

「神宮寺少佐」

「……まりもさん」

「起き上がらなくて結構です」

 

 身体を動かす前に止められた。

 

 おとなしく背中を預け直す。

 

 まりもさんは少しの間こちらを見てから、静かに口を開いた。

 

「よく、帰ってきました」

 

 喉が詰まった。

 

 出撃前にもらった命令が蘇る。

 

 生きて帰ってきなさい。

 

 これは命令です。

 

 その命令だけなら、守った。

 

 けれど。

 

「……臼杵さんが」

「はい」

「重傷なんですよね」

「はい」

 

 まりもさんは否定しなかった。

 

「自分のせいで……」

「その話を、今ここで結論づける必要はありません」

 

 ピアティフ中尉と同じ答えだった。

 

「ですが、あなたがそう感じていることまで否定する必要もありません。初めて本物のBETAと戦い、光線級に照準され、機体損傷を受け、目の前で味方が大破した。それで平気な人間の方が、私は心配です」

 

 一つ一つの言葉が胸へ落ちる。

 

「それでも、あなたは帰ってきました」

「はい」

「だから今は休みなさい」

 

 思わず苦笑した。

 

「皆さん、そればかりですね」

「それだけ、あなたが休まない人間だと知られているのでしょう」

 

 まりもさんは、ずれていた毛布を少しだけ直した。その手つきは教官というより、どこか保護者のものに近かった。

 

「神宮寺少佐」

「はい」

「命令を追加します。今夜は医務室で休みなさい」

「資料確認は」

「禁止です」

「作戦ログは」

「禁止です」

「副司令への報告は」

「明日です」

 

 完全に逃げ道を塞がれた。

 

 横を見ると、ピアティフ中尉まで小さく頷いている。

 

「まりもさん、自分に命令権ありましたっけ……?」

「あります」

「今作りました?」

「必要なら、今作ります」

 

 思わず本当に笑ってしまった。

 

 その瞬間、まりもさんの表情もほんの少しだけ緩む。

 

「少しは、戻ってきましたね」

「……そうでしょうか」

「はい」

 

 一拍。

 

「白き少佐でも、ホワイト・ゼロでもなく。神宮寺真白くんとして」

 

 胸の奥が少しだけ痛んだ。

 

 嫌な痛みではなかった。

 

「……はい」

 

 まりもさんは小さく頷く。

 

「おかえりなさい」

 

 医療機器の電子音の中でも、その言葉だけははっきり聞こえた。

 

「……ただいま、戻りました」

 

 声は震えていた。

 

 けれど、今度は言えた。

 

◇

 

11月12日 未明

横浜基地・医務区画

<< 神宮寺 真白 >>

 

 眠れないと思っていたが、いつの間にか眠っていたらしい。ただし深くはなく、レーザー照射警報が聞こえた気がして身体が跳ね、要撃級の腕が迫る夢で息が乱れ、臼杵機が吹き飛ばされる瞬間を何度も見た。

 

 そのたびに目を開ければ、白い天井がある。

 

 ここは横浜基地の医務室だと頭で確認しても、身体の方はすぐには納得してくれなかった。

 

「……眠れていないですね」

 

 隣から声がして顔を向ける。

 

 衛生兵の女性が端末を持って立っていた。自分より少し年上だろうか。胸元の名札には「愛美」と書かれている。

 

「すみません。起こしましたか」

「いえ、定時確認です。神宮寺少佐、心拍と呼吸が何度か跳ねています」

「……夢見が悪くて」

「新潟の後ですから。無理もないと思います」

 

「医務室の人にそう言われると、少し安心します」

「安心するには、まず寝てください」

「はい……」

 

 真面目に返されてしまった。

 

 愛美は端末へ数値を入力しながら、こちらの状態を確認する。

 

「痛みは?」

「全身が重いくらいです」

「痛み止めの追加はできます。ただし、強いものは避けます」

「大丈夫です」

 

 反射で答えた瞬間、愛美の指が止まった。

 

「大丈夫ですか?」

「……」

 

 また言った。

 

 愛美は少しだけ困ったように笑う。

 

「その『大丈夫』、便利すぎるので禁止した方がよさそうですね」

「皆さん、今日は自分の逃げ道を塞ぐのが上手いですね」

「医務室ですから」

 

 ピアティフ中尉と同じ答えだった。

 

 少し笑ったあと、愛美が端末から目を上げる。

 

「臼杵少尉の処置は、まだ続いています。詳しいことは担当医からになりますが、生命反応は維持されています」

 

 胸が締めつけられたが、それでもその言葉には少し救われた。

 

「ありがとうございます」

 

「私が言うことではないかもしれませんが」

 

 愛美は少しだけ声を落とした。

 

「医務室に運ばれてくる人は、みんな誰かに繋がってここまで来ます。担架で運んでくる人がいて、通信で命を繋ぐ人がいて、機体を開ける整備員がいて、戻れと叫ぶ人もいる」

 

 端末を閉じる。

 

「神宮寺少佐も、そうやって繋がって帰ってきたんだと思います」

 

 何も言えなかった。

 

 水月中尉と宗像中尉にJM-01を支えられた。遙中尉の青い帰還線に導かれ、まりもさんに帰れと命令され、霞が待っていた。

 

 そして、臼杵さんに庇われた。

 

「……そうですね」

 

 ようやく、それだけ言えた。

 

 愛美は軽く頷く。

 

「では、もう一度休んでください。次に来た時も起きていたら、ピアティフ中尉へ報告します」

「それは困ります」

「では、寝てください」

「はい」

 

 強い。

 

 医務室の人は、本当に強い。

 

 目を閉じる。

 

 今度はほんの少しだけ、呼吸がしやすかった。

 

◇

 

11月12日 朝

横浜基地・医務区画

<< 神宮寺 真白 >>

 

 朝の光が、白いカーテンを薄く照らしていた。

 

 ちゃんと眠れたのかは分からない。何度も夢を見て、そのたびに目を覚ました気がする。

 

 それでも夜は越えた。

 

 今、自分は戦場ではなく、横浜基地の医務室にいる。

 

「真白さん」

 

 小さな声がした。

 

 カーテンの向こうに霞が立っている。

 

「霞……?」

「はい」

「どうして」

「来ました」

 

 いつもの短い答え。

 

 それだけで、少し肩の力が抜けた。

 

 霞はベッドの横へ来ると、手に持っていた小さなものを台へ置いた。

 

 貝殻だった。

 

 207Bが南の島から持ち帰り、自分から霞へ渡したもの。

 

「それ……」

「持ってきました」

 

 霞は貝殻を見て、それからこちらを見る。

 

「帰ってきた証です」

 

 胸が少し痛んだ。

 

 昨日までとは違う痛みだった。

 

「……自分は、帰ってきたんですね」

「はい」

「でも、臼杵さんが」

「はい」

「JM-01も」

「はい」

 

 一度言葉に詰まる。

 

「それでも、帰ってきたことにはなるんでしょうか」

 

 霞は迷わなかった。

 

「はい」

 

「ホワイト・ゼロも」

「はい」

「白き少佐も」

「はい」

 

 少しだけ間を置く。

 

「真白さんも、帰ってきました」

 

 視界が滲みそうになり、目を伏せた。

 

 霞は何も言わず、台の上の貝殻を耳へ当てる。

 

「ざあざあ」

 

 真顔だった。

 

 一瞬だけ言葉を失う。

 

 前より少しだけ、波の音に近くなっている。

 

「……上手くなりましたね」

「はい」

 

 ほんの少しだけ得意そうだった。

 

 思わず笑いが漏れる。

 

 それだけで、医務室の空気が戦場から少し遠ざかった。

 

 霞は貝殻を台へ戻す。

 

「真白さん」

「はい」

「今日は、音楽は聞きません」

「聞かないんですか?」

「はい」

 

 霞は静かに続けた。

 

「帰ってきた音は、あとで聞きます」

 

 胸がゆっくり揺れる。

 

「……あとで」

「はい」

「臼杵さんが、目を覚ましたら」

 

 霞が小さく頷いた。

 

「はい」

 

 その約束が、静かに医務室へ置かれた。

 

 帰ってきた音は、自分一人のものではない。A-01が帰ってきた音も、207Bが帰ってきた音もある。

 

 そしていつか、臼杵さんが目を覚ました時に聞く音も。

 

 ゆっくり息を吐いた。

 

「霞」

「はい」

「自分、まだ大丈夫じゃないです。怖いです。臼杵さんのことも、JM-01のことも、考えるとまだ苦しいです」

 

 霞は一度も否定せず、ただこちらを見ている。

 

「はい」

 

「でも……」

 

 台の上の貝殻を見る。

 

「帰ってきました」

 

「はい」

 

「ちゃんと、帰ってきました」

 

「はい」

 

 言えた。

 

 昨日の夜には、まだ自分からは言えなかった言葉だった。

 

 自分が生きて帰ったことを、臼杵さんの傷と切り離して喜ぶことはできない。でも、自分が帰ってきたという事実まで否定すれば、それは待っていた人たちまで否定することになる。

 

 両方を持っていけばいい。

 

 一人ではなく。

 

 誰かと一緒に。

 

「……また怒られますね」

「はい」

「副司令にも、千歳さんにも、まりもさんにも。ピアティフ中尉にも、愛美さんにも」

「はい」

 

「……自分、味方が多いのか敵が多いのか分からなくなってきました」

 

 霞が少しだけ首を傾げる。

 

「味方です」

「厳しい味方ですね」

「はい」

 

 また少しだけ笑えた。

 

 扉の向こうでは、まだ慌ただしい足音が続いている。臼杵さんの治療も終わっていないし、JM-01の修理方針も、捕獲BETAの解析も、新潟防衛戦の報告もこれからだ。

 

 何も終わってはいない。

 

 それでも、夜は越えた。

 

 白き少佐でも、ホワイト・ゼロでもなく。

 

 神宮寺真白として。

 

 自分はまだ大丈夫ではない。

 

 怖さも、後悔も残っている。

 

 それでも。

 

 帰ってきた。

 

 台の上には、小さな貝殻が置かれている。

 

 いつか、もう一度その音を聞くために。

 

 今度は、一人ではなく。

 

第36.5話 幕間「医務室の白き少佐」 END

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