マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜 作:きのこ大三元
11月12日 夜
横浜基地・副司令執務室
<< 神宮寺 真白 >>
副司令執務室の照明は、いつもより少し暗く感じた。実際に明るさが変わっているわけではない。そう感じるのは、机上の端末に表示された《捕獲BETA収容計画》と、その隣へ追加された日付のせいだろう。
《12月10日》
《捕獲BETA関連事故予測・追加警戒対象》
昨日までなら、それは自分だけが知っている未来だった。けれど今は違う。夕呼副司令の計画表に、正式な危険情報として刻まれている。
「それじゃ、続きを始めましょうか」
夕呼副司令が椅子へ深く腰掛けた。隣にはピアティフ中尉がおり、端末には既に記録用の画面が開かれている。
「昨日聞いたのは概要だけ。12月10日、XM3のトライアルと捕獲BETA関連の事故が重なり、基地内へBETAが侵入する。その中で、まりもが死亡する可能性がある」
淡々と並べられる。それだけで胸の奥が冷えたが、ここへ来たのはその言葉から逃げるためではない。
「今日は、そこから先を詰めるわ」
「……はい」
「分からないことは、分からないと言いなさい。記憶が曖昧なら曖昧。原作でそうだったのか、あんたの推測なのかも分ける」
「了解しました」
夕呼副司令は、未来を予言として扱わない。起こると決まった出来事でも、正解の載った攻略本でもなく、使える情報だけを取り出して現在の条件と照合する。新潟で未来が変わった今、その扱い方の方がずっと信じられた。
「まず、発生地点」
「正確な区画名までは覚えていません。ただ、基地内へ侵入したBETAと207Bが接触します」
「侵入経路は?」
「分かりません」
「捕獲個体が全て逃げる?」
「そこも断定できません。自分が知っているのは、基地内にBETAがいる状況になったことです」
ピアティフ中尉の指が端末を滑る。夕呼副司令は頷き、間を置かず次へ進んだ。
「XM3トライアルとの関係は」
「同じ時期に行われます。ただ、トライアルそのものが脱走の直接原因だったのかまでは、自分には分かりません」
「なるほど」
すぐに因果関係で結ばない。そこは重要だった。知っている未来を話していると、自分でも出来事同士を勝手に繋げそうになる。それを夕呼副司令が、一つずつ現在の情報へ戻していく。
「次。まりも」
身体が僅かに固くなった。
「……はい」
「どこで、どう死ぬ」
一瞬、言葉に詰まった。医務室で聞いた「おかえりなさい」が頭をよぎる。それでも、ここで曖昧にしてしまえば何のために話しているのか分からない。
「BETAと遭遇します。少なくとも自分が知っている未来では、周囲に十分な護衛がいない状態でした」
「種類は?」
「兵士級だったと思います」
「思う?」
「……はい。そこは記憶に自信がありません」
「それでいいわ。確度を誤魔化さないことの方が重要よ」
夕呼副司令は淡々と記録を進めた。
「207Bはその時、まりもの近く?」
「完全に一緒ではなかったはずです。ただ、事故全体には巻き込まれています」
「白銀武は?」
「いました」
「でも、この世界にはいない」
「はい」
そこで夕呼副司令が一度手を止めた。
「なら、同じ場面が再現される可能性は最初から低い。だからって安心もしない。重要なのは、捕獲BETAを扱う実験とXM3関連行事が近い時期にあり、基地内警戒が崩れた場合にまりもと207Bが巻き込まれる危険があること」
「はい」
「それなら対策できる」
その一言で、詰まっていた息が少しだけ抜けた。未来を口にするたび、あの光景が固定されていくような気がしていたが、今は違う。思い出すためではなく、避けるために話している。
「ただし」
夕呼副司令の声が一段低くなった。
「捕獲BETAは処分しない」
「……分かっています」
昨日も聞いた答えだ。それでも胸の奥が重くなる。
「実物からしか取れない情報がある。行動パターン、拘束状態での反応、麻酔への耐性、各種センサーへの反応。強化装備や戦術機に対してどう行動するかも調べられる」
夕呼副司令は端末へ指を滑らせる。
「00ユニット関連の検証材料として使える可能性もある。ここで全部殺して、安全だけ確保しましたじゃ、人類にそんな余裕はないわ」
「……はい」
分かっている。それが香月夕呼だ。危険だから捨てるのではなく、危険性まで含めて利用する。そして、その合理性が人類を救う可能性もある。
「処分してくださいとは言いません」
夕呼副司令の目が僅かに細くなった。
「へえ」
「必要な実験があることも分かっています。でも、知っている危険を黙って見過ごすことはできません。今度は、先に対策できます」
「そうね」
「だったら、できることは全部やりたいです」
夕呼副司令は少しだけ口元を上げた。
「じゃあ言いなさい」
「……何をですか」
「あんたなら、何を変える?」
端末がこちらへ向けられる。表示された第七演習場地下収容区画の簡易図には、搬入口、独立収容室、監視室、二重隔壁、それに戦術機用緊急展開路まで描かれていた。
ここからは未来の記憶を話すだけではない。今ある横浜基地を見て、自分で考える番だった。
「まず、収容区画から本棟へ向かう経路を、複数箇所で封鎖できるようにしてください」
「既に二重化してる。追加の封鎖点は検討する」
「搬入口と人員通路を完全に分ける」
「予定済み」
「捕獲個体の移送中は、周辺の演習を止める」
「一部制限なら可能」
「実験日程とXM3関連行事を、できれば重ねないでください」
夕呼副司令の指が止まった。
「理由は」
「直接の因果関係は分かりません。でも、自分の知る未来では同じ時期でした。警備や人員配置の負荷が重なる可能性があります」
「……採用候補ね」
ピアティフ中尉が記録する。
「それから、207Bを収容区画へ不用意に近づけないでください」
「理由がなければ近づけない」
「まりもさんも」
そこで声が少しだけ硬くなった。
「12月10日前後は、単独行動させないでください。護衛か、最低でも現在位置を常に把握できるようにしてください」
「まりもに護衛つけたら、本人が嫌がるでしょうね」
「嫌がってもお願いします」
「強く出るわね」
「……ここだけは」
一歩も引けなかった。夕呼副司令は数秒考えたあと、端末へ新しい項目を追加する。
《神宮司大尉・12月10日前後 行動管理強化》
「護衛まで付けるかは状況次第。単独行動を減らし、位置把握は徹底する」
「ありがとうございます」
「まだある?」
「A-01の即応待機」
「全機は無理よ」
「最低限でもいいです。収容区画から何か出た時、すぐ動ける戦術機が欲しいです」
「待機規模は伊隅と詰める」
「自分にも、危険な実験がある日は知らせてください」
「情報制限はする」
「必要最低限で構いません」
少し間を置いた。言おうか迷うほどのことでもないはずなのに、以前の自分なら飲み込んでいたかもしれない。
「後から知るのは嫌です」
夕呼副司令がこちらを見る。
「自分にも、変える機会をください」
しばらく返事はなかった。夕呼副司令は真っすぐこちらを見たあと、小さく息を吐く。
「いいわ」
「……ありがとうございます」
「ただし、一つ勘違いしないこと」
「はい」
「まりもを絶対に死なせない、なんて保証はできない」
胸が痛んだ。それでも目を逸らさない。
「分かっています」
「事故を潰しても別の事故が起きるかもしれない。あんたが未来を変えた結果、別の危険が出る可能性だってある」
新潟で、それはもう経験した。未来を変えれば、傷まで消えるわけではない。
「はい」
「でも、死なせないための手は打つ」
その言葉に、顔を上げた。
夕呼副司令は端末へ日付を入力する。
《12月10日 重点警戒日》
《捕獲BETA関連実験 警戒強化》
《神宮司大尉 行動管理》
《207B 収容区画接触制限》
《A-01 即応待機案検討》
《封鎖手順・人員配置再検証》
未来が、項目へ変わっていく。怖かった記憶が、一つずつ対策へ置き換えられていく。
「これで安心した?」
「……しません」
「でしょうね」
夕呼副司令は立ち上がった。
「じゃあ、見に行くわよ」
「どこへですか?」
「檻の中の未来」
夕呼副司令が端末を閉じる。
「あんたがそこまで怖がるものを、実物見ないで対策しても仕方ないでしょう」
◇
11月12日 夜
横浜基地外縁部・第七演習場地下収容区画
<< 神宮寺 真白 >>
第七演習場は横浜基地本棟から一定の距離を取った場所にあり、地上から見れば戦術機演習用の補助施設にしか見えなかった。資材保管庫を装った建屋から専用エレベーターへ乗り、地下へ下る。途中で二度の認証を受け、分厚い隔壁が開いた先には、演習施設とは明らかに違う空間が広がっていた。
通路は狭く、一定間隔で強化隔壁が設けられている。天井や壁には独立した監視系統が走り、人員用通路と大型コンテナ用の搬入経路も途中から完全に分かれていた。
「本棟とは物理的に距離を取ってる。非常時は区画単位で封鎖。地上の演習場からは戦術機を直接展開できる」
歩きながら夕呼副司令が説明する。
「収容個体ごとに独立室。麻酔管理も個別。電源も監視系も、本棟の主要設備とは切り離してある」
「……かなり考えてあるんですね」
「当たり前でしょ。ペットショップじゃないのよ」
「そうですよね……」
理屈としては分かる。無警戒にBETAを基地へ運び込んでいるわけではない。それでも、胸の奥に張りついた不安は消えなかった。
監視室へ入ると、正面に並ぶ複数のモニターへ収容室内部の映像が表示されていた。兵士級、闘士級、戦車級、それに損傷した要撃級。それぞれが独立した区画へ収められ、麻酔や拘束具によって動きを制限されている。
檻の中だ。逃げられないようにしてある。管理されている。
それでも、BETAであることは何も変わらない。
モニターの中で戦車級の一体が僅かに身体を動かし、拘束具がその動きを止めた。反射的に肩へ力が入る。
「怖い?」
夕呼副司令が聞く。
「……はい」
「ここまでやってても?」
「はい」
目を逸らさなかった。
「ここが本棟より安全なのも分かります。夕呼副司令が何も考えずに持ち込んだわけじゃないことも、今なら分かります」
「じゃあ何が怖いの」
「管理できると思っていたものが、破綻する未来を知っているからです」
夕呼副司令は答えなかった。自分もモニターへ視線を戻す。檻の中のBETAは動かず、画面の片隅では拘束状態と生命反応を示す数字だけが更新されていた。
「でも……ここが、その未来と同じ場所とも限らない」
昨日までなら、そんな言葉は出なかったかもしれない。
「自分が知っている未来では、もっと条件が違いました。白銀武もいました。自分はいなかった。新潟の結果も違う。今は夕呼副司令も12月10日を知っています」
「そうね」
「だから、同じように檻が開くって決めつけるのも違うと思います」
未来は参考であって、答えではない。新潟で覚えたことを、今度はここで使う。
「怖いです。でも、怖いからこそ調べたいです」
夕呼副司令の口元が僅かに上がった。
「ようやく未来情報らしい使い方になってきたじゃない」
「前までは違いました?」
「半分くらい呪いとして抱えてたわね」
「……否定できません」
その時、監視室の扉が開いた。
「博士」
霞だった。手にした端末を夕呼副司令へ差し出す。
「監視データです」
「ありがと」
夕呼副司令が受け取り、霞はこちらを見る。それからモニターへ視線を移し、少しだけ首を傾げた。
「真白さん」
「はい」
「音が、前より違います」
思わず霞を見る。
「……自分の?」
「はい」
「怖いのは変わってないですけどね」
「はい」
迷いのない返事だった。
「でも、今は……怖いって思ってるだけじゃなくて、どうしたら危険を減らせるか考えてます」
霞が小さく頷く。
「聞こえます」
「そこまで分かるんですね」
「はい」
少しだけ笑えた。怖さが消えたわけではない。それでも、胸の奥で鳴っているものが昨日とは違うのなら、それでいい気がした。
夕呼副司令が監視端末へ新しい警戒設定を登録する。
《12月10日 重点警戒日》
文字が保存された。
まだ何も解決していない。捕獲BETAはここにいる。実験も続き、12月10日もこれからやってくる。
けれど、一つだけ確実に違う。
今度は、誰も知らない未来ではない。
◇
11月12日 夜
横浜基地外縁部・第七演習場地上連絡通路
<< 神宮寺 真白 >>
地下収容区画を出ると、夜の空気が冷たかった。コンクリートに囲まれた地下とは違い、僅かに風がある。遠くには横浜基地本棟の灯りが見え、その手前を整備車両の光がゆっくり横切っていった。
あの地下にBETAがいる。そして計画表には、12月10日という日付が刻まれた。何も終わってはいないが、少なくとも朝までとは違う。知っているだけだった未来に、今日初めて人の手が入った。
「……真白さん」
声に振り向く。
通路の先に、赤い斯衛軍服が見えた。
「月詠さん……?」
月詠真那中尉が立っていた。偶然通りかかったというより、こちらが出てくるのを待っていたように見える。
月詠さんは数歩近づくと、静かにこちらへ向き直った。
「お帰りなさいませ、真白さん」
胸の奥が詰まった。
新潟へ向かう前、月詠さんに言われたことを思い出す。戦果を挙げろとは言わない。未来を変えろとも言わない。ただ、生きて戻ってきてほしい。
その約束を、自分は持ち帰ることができた。
「……ただいま、戻りました」
少しだけ声が震えた。
月詠さんは自分の顔を見てから、僅かに目を細める。
「ご無事で何よりです。……とは、素直には申し上げにくいようですが」
「はい。JM-01も壊しましたし……臼杵さんも、まだ意識が戻ってません」
「伺っております」
月詠さんの声は変わらなかった。慰めるように言葉を重ねることも、無理に励ますこともしない。
「ですが、まずは貴方が戻られたことを喜ばせてください」
「……はい」
「新潟へ向かわれる前、私は生きて戻ってほしいと申し上げました」
「覚えてます」
「でしたら、今はそれで十分です」
少しだけ、肩の力が抜けた。
「ありがとうございます」
「礼を言われるほどのことではありません」
そう言いながら、月詠さんはほんの僅かに表情を和らげる。けれど、すぐにいつもの斯衛軍人の顔へ戻った。
「それと、もう一件ございます」
「……一件?」
「本来はこちらをお伝えするため、貴方をお待ちしておりました」
月詠さんは懐から封書を取り出した。斯衛軍の紋章が入った、見覚えのない正式書類だった。
「帝都より、神宮寺真白少佐へ正式な召喚が参っております」
一瞬、意味を理解するのが遅れた。
「……自分に?」
「はい」
月詠さんは頷く。
「新潟での戦果、XM3、そして貴方自身について――帝国側より直接話を聞きたいとのことです」
風が一度、通路を抜けた。
今日一日、12月10日の未来ばかり見ていた。
けれど、その前にもまだ知らない出来事がある。
自分が変えたものは、横浜基地の中だけでは終わらないらしい。
月詠さんの手にある封書を見る。
「……帝都、ですか」
「はい」
赤い斯衛軍服の向こうに、遠く横浜基地の灯りが見えた。
新潟から持ち帰ったものを整理する間もなく、次の場所からもう手が伸びてきている。
未来だけではない。
今の自分が動かした現実も、もう次へ進み始めていた。
第39話「檻の中の未来」 END