マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜 作:きのこ大三元
11月12日 深夜
横浜基地・B19フロア 神宮寺真白臨時居室
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天井を見ていた。
医務室ではない。自分に割り当てられた臨時居室の、何の変哲もない白い天井だった。消毒液の匂いも、医療機器の電子音も、薄いカーテン越しを行き来する衛生兵の足音もない。
そのはずなのに、眠れない。
目を閉じると、静かな部屋の代わりに赤い警告表示が浮かぶ。
《レーザー照射警報》
《左膝関節負荷 危険域突破》
《ヴァルキリー7 大破》
《衛士生命反応 低下》
「……」
目を開ければ、また白い天井だった。
身体は疲れ切っている。背中も肩も鈍く重く、操縦桿を握り続けた手にはまだ妙な力が残っていた。眠れば楽になるのだろうが、身体だけ横浜へ戻ってきても、頭の一部はまだ新潟に残っている。
死の八分は越えた。A-01も帰還し、XM3も実戦で通用した。そこに疑いはない。むしろ、その性能は想像していた以上だった。
入力を先に積み、必要なら途中で捨てる。機体の反応を待つ時間を削り、切り返しから次の機動へ繋ぐ。従来OSでは一度動作を終えてから組み直していた部分が、XM3なら一つの流れになる。
水月中尉はその速度を突破力へ変え、伊隅大尉は部隊全体を見ながら必要な瞬間だけ使った。宗像中尉や風間少尉も、それぞれの役割へXM3を落とし込んでいた。
自分も使った。
使えてしまった。
「……強すぎるんだよな」
独り言が、誰もいない部屋へ落ちる。
XM3そのものが危険なのではない。速く動けることが危険なのか――そう考えて、すぐに違和感が残った。
「速く動けることと、正しく動けることは違う……」
新潟で、自分が一番よく証明してしまった。
JM-01には高負荷抑制制御があり、遙中尉の示す帰還線があり、伊隅大尉が止め、水月中尉たちが支えてくれた。それでも自分は一度、その全部から外れた。
速く前へ行けた。
光線級にも届いた。
帝国軍機も救えた。
そして、帰れなくなった。
XM3なら斬るのも、避けるのも、踏み込むのも速くなる。けれど、速く動けるからといって、正しい場所へ戻る判断まで速くなるわけではない。
「……207Bへ、そのまま渡すのは怖いな」
千鶴さん、彩峰さん、たま、冥夜、美琴さん。島から帰ってきた五人は、以前とは見違えるほど強くなっている。それでもA-01とは違う。実戦経験も、恐怖の中で判断する回数も、失敗したあとに立て直す速さも、まだ足りない。
XM3を与えれば、確実に動きは良くなる。だからこそ怖かった。避けられるからもう一歩出る。踏み込めるから戻るための距離まで使う。恐怖で入力が乱れた瞬間、その乱れまで従来より速く機体へ伝わる。
「上手い人には自由度がいる。でも、慣れてない人に最初から全部渡したら……」
そこで思考が途切れた。
天井を見ているうちに、なぜか全く関係のないものが浮かんだ。元の世界の自分の部屋。手の中のコントローラーと、画面の向こうで派手な技を出すキャラクター。
「……あ」
格闘ゲーム。
最近の作品には、初心者向けの簡易操作があった。難しいコマンドを覚えなくても、ボタン一つで技を出せる。連続入力を完全に理解していなくても、簡単な操作から試合そのものへ参加できる。
もちろん万能ではない。自由度は落ちるし、同じ動きを繰り返せば読まれる。細かな最適化では通常操作に負ける。それでも、初心者が「何を入力すればいいのか分からない」と固まる時間は減らせる。
「……ワンボタン」
身体を起こした瞬間、背中に鈍い痛みが走った。
「っ……」
一度止まる。
昨日までなら、そのまま無視して動いていたかもしれない。今日は少しだけ待ち、痛みが引いてからベッドの端へ腰掛けた。
「ワンボタンで……登録した機動を呼び出す?」
完全な自動操縦ではない。機体へ判断を任せるわけでもない。人間が決めた「型」を、必要な時だけ簡易入力で呼び出す。
たとえば敵の攻撃を避けたあと、低姿勢化して横へ離脱し、味方の射線を空けながら後退、最後に射撃姿勢か隊列へ復帰する。それらを一つずつ入力するのではなく、安全寄りの連続機動として先に登録しておく。
「XM3なら……できるか?」
先行入力機能へ、衛士自身の逐次操作ではなく登録済みの入力列を呼び出す。途中キャンセルは残し、状況に応じて分岐できる余地も必要になる。最後まで強制的に動かすのは危険すぎる。
「自動回避じゃない」
口にすると、さっきまで引っかかっていたものが少し外れた。
「回避だけじゃ駄目なんだ」
新潟を思い出す。レーザー照射警報が鳴った時、JM-01には即時降下と遮蔽物への退避ルートが表示されていた。
自分は、それを無視した。
もし若い衛士だったら。あるいは、本当に恐怖で指が止まった衛士だったら。警告が鳴った瞬間、簡易入力一つで最初の数動作だけでも始められたなら。
高高度から降下し、姿勢を低くして射線を切る。遮蔽物へ移り、そのまま味方隊列へ戻る。
「……帰るまでを、一つにする」
声にした瞬間、ばらばらだったものが繋がった。
回避動作でも、必殺技でもない。緊急時に機体を格好良く動かすためでもない。恐怖で思考が止まった一瞬に、「こっちへ戻れ」と機体側から最初のきっかけを渡す。
補助輪。
それが一番近かった。
「格闘ゲームから、戦術機OSの案か……」
自分でもおかしくなって、少し笑った。夕呼副司令へ説明した時の顔が簡単に想像できる。
また妙な世界の文化を持ち込んだわね。
絶対に言う。
「でも……使えるよな」
ワンボタンで勝つ必要はない。
ワンボタンで死ななければいい。
その一瞬を越えた後は、また自分で操縦すればいい。
机へ移り、端末を立ち上げる。新しいメモを開き、《XM3追加機能案》と打ち込んだあと、少し考えてもう一行加えた。
《登録機動ショートカット》
その下へ、思いつくまま条件を書き足していく。
《目的:衛士の判断停止時における初動補助》
《完全自動操縦化はしない》
《任意キャンセル可能》
《登録動作終了後は通常操作へ復帰》
《攻撃より退避・姿勢回復・隊列復帰を優先》
「まずは安全側……」
使う本人が上手くなくても機体を壊しにくいこと。敵へ突っ込ませず、味方の射線も塞がないこと。迷った時に、とりあえず生き残る方向へ動くこと。
汎用初期設定として考えるなら、それくらい臆病でもいい。
候補として《緊急横滑り回避》《低姿勢化》《後退復帰》《味方射線開放》《射撃姿勢復帰》《近接離脱》《レーザー警報時・低高度退避》《帰還線復帰補助》と並べてみる。
書いてみると、意外なほど地味だった。
それでいい。
真白用の高負荷機動とは、最初から分ける。JM-01のように限界ぎりぎりまで機体を振り回すためのものではなく、危険側へ入りそうになった衛士を一度安全圏へ戻すための機能だ。
《真白専用設定は汎用化しない》
その一行だけは、少し強く入力した。新潟のJM-01を見れば、理由は十分だった。
「真白用は、真白用」
白刃構想と一般衛士向けXM3は、同じ方向へ進めてはいけない。白刃は、自分の異常な機動を壊さず成立させ、最後には帰すための機体。こちらは、普通の衛士が危険な瞬間に「普通へ戻る」ための仕組みだ。
似ているようで、役割が違う。
そこまで考えたところで、207Bの顔が順番に浮かんだ。汎用設定だけではなく、個人ごとの調整もできるかもしれない。
千鶴さんなら隊列と射線を維持しやすい復帰機動。冥夜なら近接攻撃後に踏み込みすぎない離脱パターン。彩峰さんは決められた動きを増やしすぎると逆に長所を殺すから、最初の一手だけ渡して、その後は自由にした方がいい。美琴さんなら地形利用と偵察時の緊急退避。
そして、たま。
「……狙撃姿勢の安定化」
思わず指が止まる。
射撃姿勢へ入り、反動を逃がし、次弾へ移る。危険が迫れば、その姿勢を捨てて離脱する。これも登録動作として補助できる。
「たまには……かなり使えるかも」
そこまで考えたところで、別の予定が頭をよぎった。
明日、珠瀬事務次官が横浜へ来る。
HSST。空。そして、珠瀬壬姫が引き金を引くかもしれない未来。
指先が一瞬止まった。
また未来だ。
けれど、今度はすぐに答えを出そうとはしなかった。必要になった時に考える。今は、このメモを終わらせる。
「……対人だと、また違うな」
BETA相手なら、少なくとも現時点では機動パターンを学習して待ち伏せされる心配は薄い。だが模擬戦や対衛士戦では、同じショートカットを繰り返せば熟練衛士には復帰位置を読まれる。
低姿勢化のあとは必ず右、近接離脱後は必ず後退。そんな癖ができれば、戻り先へ先に照準を置かれる。
「同じ目的に、複数パターン……」
右へ避けるだけでも、一度後退を挟む型、低姿勢のまま抜ける型、射撃姿勢へ繋ぐ型、味方の後ろへ戻る型が考えられる。ただ、複雑にしすぎれば初心者向けという最初の目的から外れる。
「……この辺は夕呼副司令たちに投げよう」
口にしてから、自分で少し笑った。
全部を自分で持たない。
最近、何度も言われている。なら技術案だって同じだ。思いついたところまで出して、専門家と一緒に詰めればいい。
問題は名前だった。
「登録機動簡易入力支援……」
そのまますぎる。
端末の隅へ、思いつく英単語を並べてみる。
《Maneuver》
《Operation》
《Direct》
《Entry》
《Response》
《Navigation》
頭文字を拾う。
「……MODERN」
数秒、画面を見つめた。
「モダン入力じゃん」
完全に元ネタそのままだった。しかも、後付け感がすごい。夕呼副司令に見せたら、たぶん一発で何かあると見抜かれる。
「仮称。仮称だからな……」
《MODERN:仮》
念のため、自分への言い訳まで書き加えた。それでも名前が付くと、急にただの思いつきではなくなった気がする。
ふと、霞なら何と言うだろうと思った。たぶん難しい説明を全部聞いたあと、小さく首を傾げる。
そして。
戻るためのボタンですか。
「……戻るためのボタン」
口にすると、それが一番しっくりきた。
怖くて何もできなくなった一瞬に、とりあえず帰る方向へ最初の一歩を動かす。そのためのボタン。
メモの最後へ、新しい項目を追加した。
《設計思想》
《迷った時に、死なないための型を渡す》
《避けて終わりではなく、戻るまでを一つの動作として考える》
そこで手が止まった。
画面の文字の向こうへ、新潟の戦場が重なる。レーザー照射警報。青い帰還線。それを外れた自分。動かなくなったJM-01と、その前へ割り込んだ臼杵機。
もし、あの時。
もっと安全に戻れる仕組みがあったら。
臼杵さんは――。
「……違う」
小さく首を振った。
また、過去へ答えを当てはめようとしている。あの時にこの機能があればどうなったかなんて、今さら誰にも分からない。そもそも自分は、安全側の制御を自分の意思で外した。
機能一つで消せる失敗ではない。
JM-01の左脚は壊れた。臼杵さんは重傷を負った。その事実は変わらない。
でも、そのまま忘れる必要もない。
「傷を機能に変える……っていうのも、なんか嫌な言い方だな」
呟いて、少し考える。
違う。
傷を材料にするのではない。あの日、何が危なかったのか、何が足りなかったのかを忘れないために仕組みへ残す。同じところで、次の誰かが躓かないように。
「……それなら、いいか」
メモを保存する。
時刻を見ると、もうかなり遅い。まりもさんに知られたら確実に怒られるし、ピアティフ中尉にも休息不足として記録されるだろう。霞なら――たぶん、何も言わずにこちらを見る。
「寝よう」
自分からそう言えたことに、少しだけ驚いた。
端末を閉じ、ベッドへ戻る。また同じ白い天井を見上げた。
警告音は消えていない。目を閉じれば、きっとまた新潟を見る。
それでも、さっきまでとは少しだけ違った。
瞼の裏に赤い警告表示が浮かび、その奥に、あの日の青い帰還線が伸びている。
「……戻るためのボタン、か」
悪くない。
机の上では、閉じた端末の中に一枚の雑なメモが残っている。
《XM3追加機能案――MODERN(仮)》
まだ設計図ですらない。実現できるかどうかも分からない、元の世界のゲームから生まれた思いつきにすぎない。
真白はもう一度だけ青い線を思い浮かべ、それを今度は外れないまま、ゆっくり目を閉じた。
第40話「ワンボタンの未来」 END