マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜 作:きのこ大三元
11月13日 朝
国連軍横浜基地・香月夕呼執務室
<< 神宮寺 真白 >>
「副司令。XM3の追加改良案があります」
そう切り出した瞬間、夕呼副司令の視線が手元の端末からこちらへ移った。
朝の執務室は相変わらず薄暗い。机上には新潟防衛戦のログ、A-01の機動記録、JM-01の損傷報告、XM3実戦評価がいくつも開かれ、少し離れた端末には臼杵さんの医療経過まで表示されている。
戦闘そのものは終わっても、結果だけはまだ横浜基地のあちこちで動き続けていた。
「追加改良案?」
夕呼副司令が椅子の背へ身体を預け、片眉を上げる。
「昨日、医務室で休めって散々言われてた人間が?」
「……休みました」
「何時間?」
「横にはなりました」
「それを休んだとは言わないのよ」
即答だった。
執務室の端でピアティフ中尉の指が端末を滑る。
「神宮寺少佐の昨夜の睡眠時間、確認項目へ追加します」
「ピアティフ中尉、そこは記録しなくても……」
「必要事項です」
「必要なんですね……」
横を見ると、霞がこちらを見ていた。何も言わない。ただ見ている。
妙に効いた。
「……すみません。でも、忘れないうちにまとめておきたくて」
夕呼副司令が軽く息を吐く。
「で? また妙なところから拾ってきた発想?」
「発想元については……かなり説明しづらいです」
「でしょうね」
それ以上は追及しなかった。ここには、わざわざ聞かない方がいいことがある。自分の知識も、その出所も、今は必要な部分だけ利用すればいい。
「まあいいわ。出所より、使えるかどうかを説明しなさい」
「はい」
持参した端末を机へ置く。昨夜の勢いで書いたメモは、朝になって見返すと少し恥ずかしかった。思いつきをそのまま並べた箇所もあるし、途中から名前遊びまで始まっている。
それでも、一番上の項目だけは変えなかった。
《XM3追加機能案》
《登録機動ショートカット》
夕呼副司令の目が文字を追う。
「登録機動?」
「はい」
一度、息を整える。
「XM3は、速く動けるOSです。でも新潟で、速く動けることと正しく動けることは別だと分かりました」
夕呼副司令の目から、少しだけからかう色が消えた。
「続けなさい」
「A-01の皆さんは使えました。水月中尉も、伊隅大尉も、宗像中尉も、風間少尉も、それぞれ自分の役割の中へXM3を落とし込めていました」
「実戦部隊だもの」
「はい。でも、207Bや一般衛士まで同じとは限りません」
指先で次の資料を開く。
「XM3は反応が鋭いです。衛士が迷っても、機体側は待ってくれません。恐怖で操縦桿へ余計な力を入れれば、その入力まで素早く拾う。避けることには成功しても、その次にどこへ戻るのかを決められなければ、孤立する可能性があります」
口にしながら、新潟の一場面が脳裏を掠めた。赤い警告表示と、遙中尉が示した青い帰還線。その外へ出たJM-01。
一度だけ息を吐く。
「だから、よく使う安全寄りの動きを、最初から一つの“型”として登録しておくんです」
ピアティフ中尉が画面へ視線を寄せた。
「登録済みの入力列を、簡易操作で呼び出すという意味でしょうか」
「はい。完全な自動操縦にはしません。衛士自身が呼び出して、途中でキャンセルもできる。状況に応じて分岐も入れられる形です」
夕呼副司令の指が、机を二度叩いた。
「発想元は?」
「複雑な操作を、初心者でも扱いやすくする娯楽用の簡易操作です」
「娯楽」
「はい」
夕呼副司令が額へ指を当てた。
「……娯楽から戦術機OSの改良案を持ってくる男」
「自分でもどうかとは思います」
「でも、理屈は通ってるのよね」
声が少し変わった。
研究者の顔になった。
「具体例」
「はい」
画面を切り替える。
《汎用ショートカットA》
《低姿勢化 → 横方向離脱 → 後退 → 射撃姿勢復帰》
《汎用ショートカットB》
《前進停止 → 後方斜行 → 味方射線開放 → 隊列復帰》
《汎用ショートカットC》
《近接攻撃終了 → 姿勢反転 → 短距離離脱 → 射線開放》
《レーザー警報用》
《上昇入力抑制 → 即時低姿勢化 → 横方向離脱 → 遮蔽物候補へ移動 → 帰還方向へ復帰》
夕呼副司令の視線が最後の一項で止まった。
「……なるほど」
「XM3の先行入力を、あらかじめ組んだ型として呼び出します」
「完全自動回避じゃない」
「違います。あくまで衛士が使う道具です。最初の数動作だけでも迷わず出せれば、その後は自分で操作を取り戻せます」
ピアティフ中尉が端末へ入力しながら頷く。
「既存XM3の入力処理上に、登録機動を管理する層を追加する形になりますね」
「そうね」
夕呼副司令も画面を追った。
「先行入力もキャンセルも既にある。登録した入力列を呼び出すだけなら、根本からOSを作り直す必要はない」
「じゃあ……」
「実装そのものは、そこまで難しくないでしょうね」
少しだけ肩の力が抜ける。だが、夕呼副司令の目は緩まなかった。
「問題は運用よ」
「……はい」
「軍用技術なんて、大抵そこが一番面倒なの。作れることと、安全に使わせられることは別」
ピアティフ中尉も頷く。
「衛士ごとの設定管理、使用履歴、教官側からの制限機能。登録機動の更新権限も必要です」
「そこは、自分も重要だと思います」
次の画面を出した。
《運用レベル案》
《1.汎用初期設定》
《安全重視。回避・姿勢回復・離脱・隊列復帰を中心とする》
《2.個人調整設定》
《衛士の操縦特性・役割・機体負荷に合わせて変更》
《3.真白専用設定》
《JM-01暫定制御/高負荷抑制制御および白刃構想を前提》
《一般衛士への流用禁止》
夕呼副司令が最後の行を見て、満足そうに目を細めた。
「自分で危険物扱いできるようになったのは成長ね」
「危険物って……」
「違う?」
「……否定しづらいです」
新潟のJM-01を思えば、強く言い返せなかった。
「自分の機動を、そのまま誰かへ渡すのは危険です。JM-01の暫定制御も、A-01の支援も、遙中尉が示した帰還線もありました。それでも自分は一度そこから外れて、機体を壊した」
口にすると、まだ胸の奥が鈍く重くなる。それでも、そこで全部を自分の責任へ戻すのはもう違う。
「なので汎用設定は、強くなくていいんです」
夕呼副司令がこちらを見る。
「迷った時に、死なないための型にしたいです」
一拍。
「……補助輪ね」
「はい」
「勝つための必殺技じゃなく、まず死なないための補助輪」
その表現は、かなりしっくりきた。
「そうです」
そこへ霞が小さく口を開く。
「戻るためのボタンですか」
思わず霞を見る。昨夜、自分が一人で呟いた言葉と同じだった。
「……うん」
自然に笑みが漏れる。
「戻るためのボタン」
霞が頷く。
「はい」
夕呼副司令も薄く笑った。
「その方がコンセプトとして分かりやすいわね」
ピアティフ中尉が端末へ入力する。
「機能仮称は?」
一番聞かれたくて、一番聞かれてほしかったところだった。
「……MODERNで」
「モダン?」
「はい」
少し姿勢を正す。
「Maneuver Operation Direct Entry Relay Node……」
口にして、自分でも語尾が弱くなる。
「……みたいな」
「みたいな?」
夕呼副司令の目が細くなった。
「近代化された簡易入力支援、みたいな意味で……」
「元ネタ、絶対そこじゃないでしょうね」
「……発想元は説明しづらいです」
「でしょうね」
完全に見抜かれていた。
ピアティフ中尉だけが真面目な顔で記録を続ける。
「簡易機動入力支援機構《MODERN》。通称『モダン入力』。名称由来は香月副司令管理情報」
「その書き方、ちょっと恥ずかしいですね」
「正式な由来が不明ですので」
「適切です……」
夕呼副司令が資料を先へ送る。
「個人調整は?」
「役割と癖に合わせます。水月中尉なら踏み込み後の復帰、茜さんなら前へ出た後の隊列復帰。冥夜は近接斬撃後の姿勢回復、千鶴さんなら射線管理を崩さない位置への復帰が候補です」
「彩峰は?」
「型で縛りすぎると、たぶん逆に弱くなります。最初の一手だけ補助して、その後は自由にした方がいいと思います」
「なるほど」
「美琴さんは地形利用中の緊急離脱や偵察位置への復帰。たまは……狙撃姿勢の安定と、撃った後の姿勢復帰ですね」
夕呼副司令の指が止まった。
「珠瀬の狙撃姿勢……」
小さな呟きだった。
自分にも別のものが頭を掠める。珠瀬事務次官。HSST。そして、空へ向けられるかもしれない大口径砲。
まだ話すべき時ではない。
今はMODERNの話だ。
夕呼副司令も何かを察したのか、それ以上は触れなかった。
「レーザー警報用は、かなり優先度が高いと思っています」
自分から話を戻す。
「新潟で自分が照準された時、恐怖で判断が一瞬遅れました。しかも、安全側の制御を捨てて高度を取りました」
「最悪の実例ね」
「……はい」
反論の余地がない。
「だから、照射警報時の最初の動きだけでも登録しておく。上昇を抑えて、姿勢を落として、横へ射線を切る。その後は遮蔽物か味方側へ戻す」
「自動回避と何が違う?」
「避けて終わらないところです」
夕呼副司令の目がこちらへ戻る。
「危険から外れた後、どこにいるかまで考える。味方の射線を塞がない。孤立しない。できれば隊列か帰還方向まで戻す」
「避けるまでじゃなく、帰るまで」
「はい」
「……本当に新潟で懲りたのね」
「かなり」
少しだけ笑われた。その程度で済むなら安い。
「ちなみに、攻撃系も登録できます」
画面を切り替えると、夕呼副司令の口元が僅かに上がった。
「あら。やっぱり必殺技も欲しいの?」
「違います」
「違う?」
「……欲しくないと言うと、ちょっと嘘になりますけど」
「正直でよろしい」
霞までこちらを見た。
少し恥ずかしい。
「でも優先順位は回避と帰還です」
表示した攻撃系の案には、近接離脱や小型種掃討、突撃級の進路変更、要撃級への接近後の離脱など、昨夜思いついた候補が並んでいる。
夕呼副司令の目が、一番下で止まった。
「《帰還線再接続》?」
「それは、自分用に考えた仮登録です」
詳細を開く。
《真白専用登録機動案》
《白線返し》
《低姿勢侵入》
↓
《36mm短連射による小型種排除》
↓
《長刀による大型種進路変更》
↓
《必要時120mmによる退路確保》
↓
《追加装甲による反撃受け流し》
↓
《味方射線を開放しつつ帰還方向へ離脱》
夕呼副司令が数秒黙った。
「……地味」
「はい」
「必殺技って言うには撃破数も派手さもない」
「必殺技じゃありませんから」
「でも、あんたらしいわね」
少しだけ胸の奥が温かくなる。
「味方の帰る線を、もう一度作るための動きです」
「《白線返し》」
「仮です」
「白い火消し役にはちょうどいいんじゃない?」
思わず苦笑した。
「……その呼び名、帝国側で本当に定着しそうで怖いんですけど」
「もう遅いんじゃない?」
「ですよね……」
それでも嫌ではなかった。敵を何体倒したかではなく、戦線の穴へ入り、戻れる幅を作る。そして自分もそこから帰ってくる。
それなら、新潟で覚えたものを少しは次へ残せる。
「ただし」
夕呼副司令の声が低くなった。
「《白線返し》は真白専用」
「はい」
「一般配布なし。攻撃系登録は便利なぶん危険よ」
「対人戦では特に、ですよね」
昨夜まとめた弱点を説明する。
BETA戦でも、地形や敵密度が想定と違えば登録機動そのものが危険になる。頼りすぎれば衛士自身の判断力を落とし、キャンセルの判断が遅れれば孤立する。連続使用による機体負荷も無視できない。
対衛士戦ではもっと分かりやすい。同じ型を繰り返せば復帰位置を読まれ、登録パターンそのものを待ち伏せされる。使用ログを解析されれば、衛士個人の癖まで拾われる可能性がある。
夕呼副司令が頷いた。
「BETAは今のところ、こっちのショートカットを読んで狩るような真似はしない。でも人間なら、一度見た動きを次から利用する」
「なので、同じ目的でも複数パターンを用意します。ただ、増やしすぎると今度は初心者向けじゃなくなるので」
「そこね」
夕呼副司令がピアティフ中尉へ顔を向けた。
「仕様化できる?」
「可能です」
返答は早かった。
「既存XM3の機能を利用するため、大規模な再設計は不要と思われます。ただし登録機動管理画面、使用権限、教官側のロック機能、ログ閲覧機能は必要です」
「訓練では教官が制限できるようにする」
「妥当です」
「A-01なら遙」
「はい」
「207Bは?」
夕呼副司令がこちらを見る。
「まりもさんです。自分もログ確認には入りますけど、使用許可は教官判断がいいと思います」
そう答えると、夕呼副司令が少し目を細めた。
「207Bへすぐ使わせたいとは言わないのね」
「まだ早いです」
「理由は?」
「補助輪を先につけすぎたら、自分で姿勢を戻す感覚を覚えられないからです。まず普通に操縦できるようになってから、危険時の補助として渡すべきだと思います」
「合格」
短く言われた。
「前のあんたなら、便利なものは早く渡せばいいって言いかねなかった」
「……そうかもしれません」
否定はできなかった。
「じゃあ、最初はまりもへ見せる。207Bへの導入時期は教官判断」
「はい」
「霞」
夕呼副司令が呼ぶ。
「真白の戦闘ログから、汎用化できる復帰動作だけ抜き出せる?」
霞は画面を見て、それからこちらを見た。
「真白さん用の危ない動きは、入れません」
「ええ。絶対入れないで」
「そこまで強く言います?」
「言うわよ」
夕呼副司令は即答した。
「あんた用の動きは補助輪じゃないもの」
一拍。
「ブレーキを付けた曲芸用一輪車よ」
「それ、前より少しマシになってません?」
「ブレーキ付きだからね」
「褒められてない……」
ピアティフ中尉の指が動く。
「真白専用設定。一般配布禁止。高リスク機動群として分離管理」
「それはちゃんとした書き方で助かります」
霞が小さく呟いた。
「曲芸用一輪車」
「霞、そこ覚えなくていいから」
「はい」
ほんの僅かに口元が緩んでいた。執務室の空気も少しだけ軽くなる。
夕呼副司令はもう一度資料を最初から流し見してから、端末を閉じた。
「仮採用」
一瞬、聞き間違えたかと思った。
「……本当ですか?」
「使える可能性は十分ある。少なくともXM3の拡張案としては現実的」
「ありがとうございます」
「ただし条件」
すぐに続いた。
「これは強くなるための機能として作らない。最優先は回避、姿勢回復、射線開放、隊列復帰。その後で攻撃系」
「分かりました」
「《白線返し》だけは残していいわ」
思わず顔を上げた。
「いいんですか?」
「地味だから」
「またそれですか」
「でも実戦的。敵を倒すためじゃなく、味方と自分の退路を作る攻撃機動なら、MODERNの思想からも外れない」
夕呼副司令が少し笑う。
「必殺技が欲しいなら、それで我慢しなさい」
「だから必殺技じゃありませんって」
「はいはい」
信じていない返事だった。
ピアティフ中尉が仕様案へ追記する。
「《白線返し》。分類、真白専用帰還線再接続機動。一般配布禁止」
「それでお願いします」
「承知しました」
「あと、真白専用設定は隔離管理。私と霞の許可なしに他機へコピー禁止」
「はい」
「それから」
夕呼副司令の視線が、画面ではなくこちらへ向いた。
「今日は寝なさい」
「……はい?」
「はい、じゃない。今この場で一番重要な仕様よ」
ピアティフ中尉が頷く。
「同意します」
霞も頷いた。
「休んでください」
三方向から囲まれた。
逃げ道がない。
「……実行します」
「よろしい」
夕呼副司令は満足そうに頷くと、すぐ仕事の顔へ戻った。
「MODERNはまず汎用初期設定から。ピアティフ、仕様書を起こして。霞は真白のログから安全側の復帰機動を抽出。攻撃系は《白線返し》だけ残して他は保留」
「承知しました」
「はい」
「自分は?」
「まりもへの説明資料を作って、口頭で説明。それが終わったら休む」
「……了解しました」
夕呼副司令がこちらを見て、眉をひそめた。
「というか今、顔色悪いわよ」
「そんなにですか?」
「研究者にまで心配される顔色って、相当でしょうね」
かなりまずいらしい。
霞が近くの椅子を少し引いた。
「真白さん」
「はい」
「戻るためのボタンを作る人が、戻れなくなるのは困ります」
何も言い返せなかった。
「……はい」
おとなしく座る。
夕呼副司令の端末には、ピアティフ中尉が起こしたばかりの仮仕様が表示されていた。
《XM3拡張機能案》
《簡易機動入力支援機構――MODERN》
《第一目的:衛士の生存性向上》
《第二目的:姿勢・隊列・帰還方向への復帰補助》
《登録機動は任意キャンセル可能》
《真白専用高負荷機動群は分離管理》
ほんの一晩前まで、自分の端末にしかなかった走り書きだった。それが今は、夕呼副司令とピアティフ中尉と霞の手を通り、軍用の言葉へ置き換えられている。
もう、自分一人の思いつきではない。
「ワンボタンの未来、ね」
夕呼副司令が小さく呟いた。
「馬鹿みたいな出所だけど、嫌いじゃないわ」
「褒められてる気がしません」
「褒めてるのよ。珍しく」
霞が仕様書を見る。
「戻るためのボタンです」
「ええ」
夕呼副司令も頷いた。
「それでいきましょう」
画面に《仮採用》の文字が加わった。
ほんの一晩前、自分だけが見ていた雑なメモ。その隣に今は、使用権限や制限、一般配布禁止の文字が並んでいる。
《MODERN》
まだ一行目だった。
第41.5話「MODERN入力」 END