鋼の隣人 ―石の世界の副読本(バイブル)―   作:微糖コーヒー

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番外編③:【過去編:0(ゼロ)の記憶】21世紀の佐藤蓮

 

 

 1. 201X年:灰色の「現場」

 

  石化する数年前、佐藤蓮は都内の中堅化学プラントメーカーで、プロセスエンジニアとして働いていた。

 

 当時の彼は、今のような不敵な笑みを浮かべる男ではなかった。連日の深夜残業、上層部からの無理なコストカット要求、そして現場の職人たちとの板挟み。

 

 「佐藤さん、また設計変更ですか? 現場の苦労も知らないで、図面ばっかり引いて……」

 

  現場のベテラン作業員に吐き捨てられた言葉。20代の蓮は、ただ無言で頭を下げることしかできなかった。

 

 彼にとって、エンジニアリングとは「いかに衝突を避け、予定通りに数字をこなすか」という、退屈で息苦しい義務に過ぎなかった。

 

 2. ターニングポイント:深夜の緊急アラート

 

  そんな蓮を変えたのは、ある地方の老朽化した化学工場の定期メンテナンスでの出来事だった。

 

  その夜、蓮は一人で管理室に残っていた。

 

 突如、鳴り響く異常警報。冷却システムの圧力異常。このままでは有毒ガスが漏洩し、近隣住民に甚大な被害が出る恐れがあった。

 

 「……バルブの不具合か? それとも制御系(ソフト)のバグか?」

 

  遠隔操作は受け付けない。マニュアル通りなら、避難を優先し、設備の完全停止を待つ。だが、それでは「間に合わない」ことを、蓮の計算は弾き出していた。

 

  蓮は、マニュアルを投げ捨て、レンチ一本を持って深夜のプラントへ走り出した。

 

 

 

 暗闇の中、うごめく巨大な配管、噴き出す蒸気。

 

 そこは、図面の上では決して見ることのできなかった「生きている機械」の戦場だった。

 

 「……あいつらが、職人たちが言ってたのはこれか。……現場は、俺の想像よりずっと残酷で、ずっと正直だ!」

 

  蓮は震える手で、熱を帯びた手動ハンドルを回した。

 

 皮膚が焼けるような熱気、耳を劈く金属音。

 

 極限の状態。だが、その時初めて、蓮は**「自分が今、この手で数千人の明日を守っている」**という、猛烈な高揚感(アドレナリン)を感じたのだ。

 

 3. 「納期」という名の祈り

 

  間一髪で事故は防がれた。

 

 夜が明け、憔悴しきった蓮の前に、かつて自分を罵ったベテラン作業員が缶コーヒーを置いていった。

 

 「……あんた、いいエンジニアになったな。理屈じゃなく、現場を見てたぜ」

 

  その日から、蓮にとっての「納期」は、単なる数字ではなくなった。

 

「次にこの機械を使う者が、安心して笑える時間を死守すること」

 

 それが、彼の定義するエンジニアの誇りとなった。

 

 4. 2019年:最後の日

 

  そして、あの日。

 

 蓮は、新しいプラントの稼働に向けた最終工程表を書き終え、満足げに伸びをしていた。

 

 「……よし。これで明日の朝、全員が笑顔でキックオフを迎えられる」

 

  デスクの隅に置かれた、いつものレンチ。

 

 遠くで鳴り響く、聞き慣れない音。

 

 窓の外が、不思議な緑色の光に包まれる。

 

 (……納期、……守れたな)

 

  それが、彼の21世紀における最後の思考だった。

 

 5. 3700年後:継承される意志

 

  ふと、蓮は現代(ストーンワールド)で目を覚まし、自分の手を見つめた。

 

 煤と油で汚れ、かつてよりずっと逞しくなった手。

 

 「……千空。てめーの言う『科学の王国』は、21世紀のどのプラントより過酷だぞ」

 

  蓮は、隣で実験に没頭する千空の背中を見ながら、不敵に笑った。

 

 失った世界への未練はない。

 

 ただ、あの夜に誓った「現場を死守する」という意志だけが、3700年の時を超え、石の世界のエンジニアリングを支えている。

 

 「……さあ、次工程の開始だ。……俺の現場に、事故(エラー)は100億%許さない」

 

 

 

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