王子ですが、今日も城を抜け出して飲んでいます   作:高校ジャージ10年目

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フェルディナンド襲来

 

 その青年は、あたかも天界から舞い降りた気高きが、人間の肉体を借りて現世に顕現したかのような佇まいをしていた。

 

 仕立ての歪み一つない純白の礼服。金糸で繊細な刺繍が施された高雅な外套を肩にかけ、日の光をそのまま紡ぎ出したかのような見事な黄金の髪を完璧な夜会の角度で整えている。その涼やかな切れ込みの目元からは、知性と気品、そして触れる者すべてを魅了する慈愛の光が絶え間なく溢れ出ていた。

 

 麦冠王国の第二王子、フェルディナンド。

 

 彼は幼少の頃より神童と謳われ、大陸の最果てにある最高学府の遠国へ、十代の若さで長期の留学に赴いていた。そこで彼が修めてきたのは、古い伝統に固執するこの国には未だ存在しない、最先端の「論理的医療科学」と、数千人の聴衆を一度に平伏させる「人心掌握の弁論術」であった。

 

「父上。私は遠き異国の地で、我が国の現状を耳にするたび、あまりの品性の欠如に胸を痛めておりました。特に…先日、王都で行われたというあの浅ましい祝祭の顛末は、到底、許されるものではありません」

 

 王宮の謁見の間。高い天井から差し込む神聖な光をその身に浴びながら、フェルディナンドは非の打ち所のない完璧な角度で国王の前に膝をついていた。その声は清らかな鈴の音のように明瞭で、広大な大理石の部屋の隅々へと、恐ろしいほど心地よく響き渡る。

 

 玉座に座る老王は、留学から帰国したばかりの自慢の息子の美しさと威厳に、すっかり目を細めて聞き入っていた。

 

「ほう、フェルディナンドよ。お前はあの、国庫をかつてないほど潤したという『大ビール祭り』を、不浄であると言うのか?」

 

「はい、父上。経済の目先の数字に惑わされてはなりません」

 

 フェルディナンドは爽やかな笑みを崩さぬまま、背後に控えた従者から、分厚い羊皮紙の束を受け取った。そこには、遠国の高名な学者たちが何十年もの歳月をかけて収集したという、膨大な事例と記録が極めて緻密に記されていた。

 

「これをご覧くだされば明白です。酒という液体は、人の理性を内側から腐らせる猛毒に他なりません。アルコールを体内に取り込んだ平民は、脳の思考力を奪われ、結果として労働の生産性を著しく低下させます。それだけではありません。酒は家族の平穏を壊し、暴力の温床となり、長きにわたって国民の健やかな身体を蝕み続ける『万病の元』なのです。兄上…レオンハルト兄上は、その変態的な執念をもって下町の民に劇薬を配り、国家の土台を静かに食い荒らしているのです」

 

「な、何と…。酒にそのような恐ろしい害悪が隠されていたとは」

 

 国王は、フェルディナンドが提示した資料の完璧さと、その説得力に満ちた正論の嵐に、完全に気圧されていた。高慢な貴族たちですら、第二王子の放つ「非の打ち所のない正しさ」の前には、反論の言葉を失って沈黙するほかない。

 

「今こそ、我が国は悪しき悪習を断ち切り、真の規律を取り戻すべきです。神に愛される健やかで清廉な国家を作るため…父上、今すぐこの国に『禁酒法』を発令するのです」

 

 フェルディナンドの瞳の奥で、優しげな微笑みとは裏腹の、冷徹な絶対主義者の光がギラリと輝いた。彼は、感情論で迫った枢機卿たちとは格が違った。相手が「王」であれば、その王が最も拒絶できない「国家の正しい未来」という正論を盾にして、内側から完璧に懐柔しにきたのだ。

 

 

 

 翌日、王宮の第一王子補佐官室。

 

 そこでは、いつもと変わらず、アルフレッドが山のように積まれた未決済の書類を前に、ペンを走らせていた。

 

 コン、コン、コン。

 

 非の打ち所のないリズムで扉が叩かれ、アルフレッドが顔を上げるよりも早く、第二王子フェルディナンドがその華麗な姿を室内に現した。

 

「失礼するよ、アルフレッド。我が国で最も有能でありながら、最も不当な扱いを受けている苦労人に、少し話があってね」

 

 フェルディナンドは爽やかな風を連れて歩くようにアルフレッドの机の前へと進み、その細い指先で、アルフレッドが処理していた「大ビール祭りのホップ購入費」の書類をトントンと指差した。

 

「私はね、遠国の地からずっと、君の卓越した事務処理能力を高く評価していたんだ。だが同時に、激しい憤りも感じていた。なぜ君ほどの天才が、あの破天荒で、公務をサボり、王室の予算をビールの泡のように浪費するだけの『変態王子』の我が儘に、毎日血涙を流しながら付き合わされなければならないのか、と」

 

 アルフレッドはペンの動きを止め、眼鏡の位置を修正した。その表情は鉄の仮面のように無機質だったが、フェルディナンドは彼の心の奥底にある「限界」を見透かしたように、さらに甘く、理路整然とした言葉を重ねていく。

 

「兄上…レオンハルトは、今回の祭りのためだけに、国家予算に匹敵する外貨をホップ代としてドブに捨てた。君がどれほど完璧な帳簿を作ろうとも、あの男が一晩暴走すれば、君の数ヶ月の努力はすべて水の泡だ。悲しくはないかい? 規律を愛する君が、最も規律のない男の奴隷でいることが」

 

「…第二王子殿下。それは、どのような意味でしょうか」

 

「私のもとへ来るといい、アルフレッド」

 

 フェルディナンドは両腕を広げ、極上の笑みを浮かべた。

 

「私が父上に発令させる『禁酒法』は、この国からすべての不条理な予算の消滅を防ぎ、国民に健康的で完璧な規律をもたらす。君が私の右腕となってくれれば、もう二度と、わけのわからない『濁り酒』の言い訳書類を査問委員会に提出する必要はなくなる。不透明な予算の浪費をすべて根絶し、君が真に求めていた【完璧な規律ある王室の姿】を、私と一緒に作ろうじゃないか」

 

 完璧な正論。そして、アルフレッドという男の「最も深い傷口」を的確に突いた、これ以上ない救いの手。

 

 アルフレッドはしばし沈黙し、その視線を、レオンハルトが残していったホップのシミがついた机の端へと落とした。そして。

 

「…承知いたしました、フェルディナンド殿下」

 

 アルフレッドは静かに立ち上がり、机の上のレオンハルトの書類を、ゴミ箱へと流れるような動作で叩き落とした。

 

「…これこそ、私が長年求めていた、真の王室の姿です。私は今日この瞬間をもちまして、第一王子レオンハルトへの臣従を破棄し、殿下の掲げる白き規律のために、私のすべての事務処理能力を捧げることを誓います」

 

「ははっ!素晴らしい決断だ、アルフレッド! 君という翼を得て、我が規律は完成した!」

 

 フェルディナンドは勝利を確信し、その眉目秀麗な顔に、この世の誰よりも傲慢で美しい笑みを深く刻み込んだ。

 

 

 

 その日の午後、作戦会議室の扉が乱暴に蹴り開けられた。

 

 中にいたのは、いつものように新しいビールの構想を練りながら、楽しげに麦の粒を齧っていた第一王子レオンハルトだった。しかし、室内に足を踏み入れてきた弟と、その背後に控える人間を見た瞬間、王子の動きがピタリと止まった。

 

「兄上。たった今、父上の独断により、我が麦冠王国全土に『禁酒法』が電撃発令されました」

 

 フェルディナンドは、羊皮紙の公文書を突きつけながら、憐れむような笑みを浮かべた。

 

「本日をもって、王国内におけるすべての酒類の醸造、販売、および飲酒は公式に全面禁止となります。違反した者は、身分を問わず国家反逆罪として処刑、または永久追放。当然、兄上の持つ公式な醸造権も、すべてこの場で剥奪いたします」

 

「な…何だと!? 禁酒法だと!?」

 

 レオンハルトの瞳が、驚愕で大きく見開かれた。彼は慌てて、フェルディナンドの背後に立つ男へと視線を向けた。

 

「おい、アルフレッド! どういうことだ! はやく、このクソ真面目な弟の書類を却下しろ! おい、何をしてる!」

 

 しかし、アルフレッドはレオンハルトの叫びを、氷のように冷たい目で見つめ返すだけだった。彼は眼鏡を押し上げると、一歩前へ出て、一寸の狂いもない事務的な声を室内に響かせた。

 

「無駄です、レオンハルト第一王子。その公文書を作成し、王国内のすべての酒場、および醸造所を瞬時に封鎖するための『執行計画書』を書き上げたのは、他でもないこの私ですから」

 

「な、何だとアルフレッド!? お前…、俺を裏切るのか!?」

 

 レオンハルトは椅子から転げ落ちんばかりに激しく立ち上がり、机を両手で叩いた。その顔は、長年連れ添った最愛の相棒に背後から刺された男の、生々しい「絶望」と「驚愕」に完全に支配されていた。王子の大きな身体が、信じられないというように小刻みに震えている。

 

「裏切りではありません。私はただ、より規律正しく、より生産的な未来を選択したに過ぎません。あなたの我が儘に付き合わされ、ホップの臭いが染み付いた書類を処理する日々は、昨日をもって永久に終了いたしました。これからはフェルディナンド殿下のもとで、健康的で無駄のない、完璧な王国の財務を築いてまいります。さようなら、無駄の体現者よ」

 

 アルフレッドは冷徹に言い放つと、レオンハルトの目の前にあった愛用のペンを回収し、フェルディナンドの斜め後ろへと流れるように移動した。

 

「ハハハハハ! 見ましたか、兄上!」

 

 それまでの一連の劇的な光景を特等席で眺めていた第二王子フェルディナンドが、ついに堪えきれずに、謁見の間に響き渡るような大高笑いを炸裂させた。その容姿の美しさも相まって、彼の高笑いはあたかも勝利の女神がラッパを吹き鳴らしているかのような、圧倒的な傲慢さに満ちていた。

 

「兄上、これが『規律』の力です! あなたがどれほど下町の愚民どもを美味さで洗脳しようとも、国家の正しき論理の前には、君の優秀な補佐官すらも一瞬で寝返る! あなたの傲慢な生活も、今日この瞬間をもって完全にここまでだ! すべてのビールは押収され、明後日、中央広場にて国民の目の前でドブへと廃棄される! 君の絶望したその顔、本当に見物だよ、兄上!」

 

 フェルディナンドは勝ち誇った笑みを浮かべ、アルフレッドを従えて、悠然と作戦会議室を去っていった。

 

 残されたレオンハルトは、静まり返った室内で、ただ一人、机に両手をついたままガタガタと震え、頭を垂れていた。

 

 

 数時間後。王都のすべての酒場は、アルフレッドの作成した完璧な布陣の治安維持部隊によって瞬時に閉鎖され、街からは一瞬にして活気ある喧騒が消え去っていた。国民は「健康で正しい生活」を強制され、どこか死んだような、退屈な目で街を行き交っている。

 

 王宮の地下、誰も知らない秘密の隠れ家。

 

 薄暗いランプの光が揺れる中、新人醸造家のトビーと、修道院から極秘裏に呼び出されたシスター・アンナが、暗い表情で座り込んでいた。

 

「終わった…。アルフレッド様が敵に回るなんて、もうこの国でビールを造る方法なんてどこにもないんだ。明後日には、僕たちが命がけで仕込んだあのヘイジーペールエールも、すべて広場でドブに捨てられちゃうんだ…」

 

 トビーは涙を流して床に突っ伏していた。アンナもまた、愛しい酵母たちの入ったガラス瓶を抱きしめ、「私の可愛い子たちが、お酒の禁止なんていう冷たい法律で凍らされちゃうなんて…」と、今にも呪いの呪文を唱えそうなほど暗いオーラを放っている。

 

 しかし。

 

 その薄暗い部屋の奥で、壁に背を預けていたレオンハルトが、ゆっくりと顔を上げた。

 

 その顔には、先ほど作戦会議室で見せたはずの、あの絶望と驚愕の表情は、微塵も残っていなかった。

 

「…ククク、アハハハハハ!」

 

 王子は腹を抱え、涙を流しながら、今度は自らが低い笑い声を地下室に響かせた。

 

「殿下?ショックのあまり、ついに脳みそまで発酵しちゃったんですか?」

 

 トビーが怯える中、レオンハルトは瞳の奥に、これまで以上の邪悪で知的な「変態の輝き」をカッと燃え上がらせた。

 

「馬鹿を言え、トビー。驚いたか? あいつらの前で見せた、俺の迫真の絶望の演技は! フェルディナンドの奴、俺のあのドタバタした驚き顔を見て、すっかり有頂天になって高笑いしていやがったぞ! ああ、傑作だ!」

 

「え…? えんぎ?」

 

 トビーとアンナが呆然とする中、レオンハルトは不敵に笑い、地下の机の上に一枚の「法律の条文」を叩きつけた。

 

「いいか、お前たち。完璧な正論を振りかざす奴を正面から叩き潰すには、まず相手を限界まで油断させ、その『正論の檻』の内側に引きずり込むのが一番なんだよ。あいつらが『アルコール』を国家の敵だと言うなら、俺たちはそのアルコールを逆手に取って、世界の常識をひっくり返す『新たな奇跡』を仕込むまでだ」

 

 レオンハルトは不敵に笑い、地下室の奥で静かに佇む、未知の醸造装置へと歩み寄った。

 

「アルフレッドが完璧に執行する『禁酒法』。その完璧すぎる檻の隙間には、あいつらには逆立ちしても見つけられない、最強の『法律の抜け穴』が眠っている。トビー、アンナ、泣いている暇はないぞ。アルコールがゼロでありながら、脳がとろけるほど美味い、世界初の『水』の仕込みを始めるぞ! 俺たちの本当の逆襲は、ここからだ!」

 

 王子の力強い宣言とともに、地下の秘密醸造所に、再び怪しげな発酵の炎が灯る。

 

 

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