王子ですが、今日も城を抜け出して飲んでいます 作:高校ジャージ10年目
番外編「アルフレッドの休日」
1. 補佐官の過労限界と、悪魔の休養命令
王宮の一角に位置する第一王子補佐官室は、朝から冷ややかな緊張感と、羊皮紙とインクの匂いに満たされていた。
窓から差し込む朝の光を受けながら、アルフレッドは寸分の乱れもない姿勢で机に向かい、猛烈な速度で羽ペンを走らせていた。
彼の目の前には、天井へと届きそうなほど高く積み上げられた未決済の書類の山がある。
新開発されたホップの購入経理報告書、王宮醸造所の設備修繕費、査問委員会への言い訳書類、さらには下町の酒場組合から届いた陳情書。
そのすべてが、ミリ単位で正確な文字によって次々と処理されていく。
しかし、その完璧な手腕とは裏腹に、アルフレッドの顔色は死人のように青白かった。
眼鏡の奥の瞳には血糸が走り、その下には漆黒の極太な隈が深く刻み込まれている。
直近の三日間で彼が取った睡眠時間は、椅子に座ったまま熟睡したわずか数十分のみであった。
カリカリ、カリカリと、規則正しい羽ペンの音だけが室内に響く。
ドガァン!!!
突如として、扉が吹き飛ぶような勢いで蹴り開けられた。
中に躍り込んできたのは、第一王子レオンハルトであった。
彼はいつものように作業着の袖を乱暴に捲り上げ、手にはどこからか持ってきた焼き立てのパンと、未完成の麦汁が入ったフラスコを握りしめている。
「おい、アルフレッド! 昨日の夜に渡した新しい酵母の培養予算の件だがな…」
大声を張り上げながら踏み込んできたレオンハルトだったが、アルフレッドの顔を正面から視界に収めた瞬間、その言葉がピタリと止まった。
王子の眉が、不快そうに、職人的な重々しさを持って跳ね上がる。
「…なんだ、その顔は」
「おはようございます、レオンハルト殿下。朝からノックもなしに扉を破壊しようとするのはお控えください。それと、申し訳ありませんが、その酵母の予算書は現在上から三番目の山にあります。あと三十分で決済いたしますので、静かにお待ちを」
アルフレッドは顔を上げることすらせず、機械的にペンを動かし続けた。その声は掠れ、今にも途切れそうであった。
レオンハルトは無言のまま大股で机へと歩み寄ると、アルフレッドの手から羽ペンを力任せに奪い取った。さらに、目の前にあった厚い書類の山をまとめて抱え込むと、部屋の隅にあるソファの上へと乱暴に投げ捨てた。
「な…何をするのですか、殿下! それは私が三時間かけて整理した…」
「立ち上がれ、アルフレッド」
レオンハルトの低い声には、いつもの破天荒なふざけた調子ではなく、一国の王族としての絶対的な威厳が宿っていた。
王子はアルフレッドの胸ぐらを掴む勢いで立ち上がらせると、その顔を至近距離から睨みつけた。
「お前、今すぐ私服に着替えて王宮から出て行け。今日一日、王宮の敷地に一歩でも足を踏み入れるな。もし見つけ次第、お前を国家反逆罪で地下牢に叩き込んでやる」
「…は? 何を…何を仰っているのですか。私が今ここで倒れれば、明日からの王宮の財務は完全に停滞し、あなたが先週勝手に買い付けた大量のホップの支払いが破綻するのですよ」
「知るか、そんなこと! お前がここで死んだら、誰が俺の次の仕込みの言い訳書類を書くんだ! 補佐官が過労死したなんて噂が立ったら、俺のビールの名誉に関わる! これは王子命令だ。休め!」
レオンハルトはそう怒鳴りつけると、ポケットから金貨がぎっしり詰まった革袋を引っ張り出し、アルフレッドの胸元へと叩きつけた。
「街へ行って、美味いものでも食って寝てろ! 本日の公務はすべて延期だ! 行け!」
アルフレッドは、手に残された革袋の重みと、王子の真剣そのものの眼差しを前に、一瞬言葉を失った。
この男がどれほど理不尽で我が儘であっても、一度こうと決めたら絶対に曲げないことを、誰よりも理解しているのは自分だった。
「…ハァ。後で後悔しても知りませんよ、殿下。書類が山となっても、私は一切の手伝いを拒否いたしますからね」
「おう、好きにしろ! 早く消えろ!」
アルフレッドは深く深い溜息を吐くと、折れそうな腰を伸ばし、半ば強引に執務室を追い出されることとなったのだった。
私室に戻り、普段の完璧な官僚服から、落ち着いたネイビーの私服に着替えたアルフレッドは、王宮の裏門から街へと足を踏み出した。
夏の風が、王都の大通りを爽やかに吹き抜けていく。
しかし、アルフレッドは石畳の真ん中で立ち尽くしていた。
(…さて、何をすればいいのだ?)
手帳を開いてみるが、今日の欄は完璧な空白であった。
普段であれば、一分単位で隙間なく詰め込まれたスケジュールに追われている彼にとって、「何もしなくていい時間」というのは、どんな拷問よりも困惑をもたらすものであった。
服屋を覗く趣味もない。
観劇に興味もない。
散歩をするにも、どうしても王都の都市計画や道路の修繕費用が気になってしまい、心が休まらない。
(…仕事以外の趣味など、私には一つもないな)
自嘲気味に呟いたアルフレッドだったが、ふと自分の足が、無意識のうちに下町の方向へと向かっていることに気づいた。
彼もまた、この麦冠王国に生まれ育った男であり、第一王子レオンハルトという極上の変態醸造家に長年付き合わされてきた人間であった。
誰の邪魔も入らない静かな場所で、状態のいいビールを一杯だけ煽り、静かに喉を湿らせること。それ自体は、彼にとっても決して不快なことではなかった。
(そうだ…静かな酒場へ行こう。賑やかな観光客のいる大通りではなく、下町の職人しか来ないような、静かな路地裏の店へ)
アルフレッドの頭脳には、王都のすべての店舗の税務データと立地が完璧に記憶されていた。
彼は迷うことなく、入り組んだ路地へと足を踏み入れ、建物の隙間にひっそりと佇む老舗の酒場「麦穂の隠れ家」のドアを押した。
店内は薄暗く、昼間ということもあって客はまばらであった。
カツン、カツンと革靴の音を響かせ、アルフレッドは一番奥の、誰の視線も届かないカウンターの端の席へと腰掛けた。
「いらっしゃい、旦那。何にするい?」
「澄んだピルスナーを一杯。それと、塩を軽く振った枝豆を」
「あいよ」
店主が手際よく木樽のバルブをひねり、水晶のように澄み切った黄金色の液体を、きめ細やかな泡と共にグラスへと注ぎ込んでいく。
テーブルに置かれたグラスからは、爽やかなノーブルホップの香りが微かに立ち上っていた。
(ふぅ…誰にも邪魔されない、完璧な静寂だ)
アルフレッドは眼鏡の位置を直し、長年の疲労を癒やすように、ゆっくりとグラスを持ち上げた。
そして、その冷たい泡を唇に触れさせ、一口目を喉へと流し込もうとした、その瞬間であった。
「プハァーッ!! やっぱりこの店のピルスナーは、初速の炭酸のキレが違うぜ! 下町の水質と樽の冷却管理が完璧に噛み合っていやがる!」
すぐ右隣の席から、地鳴りのように響く、聞き覚えがありすぎる豪快な喉鳴らしと絶叫が聞こえた。
アルフレッドの動きが、ピタリと静止した。
グラスを口元に当てたまま、ギギギ…と壊れたからくり人形のような動きで、首を右へと巡らせる。
そこには、粗末な布を頭に巻き、変装したつもりの第一王子レオンハルトが、巨大な大ジョッキを空にして、満足気にお腹を叩いている姿があった。
二人の視線が、至近距離で真っ向から衝突した。
一秒。
二秒。
三秒。
静まり返るカウンターで、レオンハルトの顔が、見る見るうちに強烈なドン引きの表情へと変わっていった。
「…お前、なんなの?」
レオンハルトは心底嫌そうな顔で、身を引いた。
「休みにまで俺の視界に入ってくるなよ。ストーカーか? お前、俺のサボり現場を張るためにわざわざ私服に着替えて追ってきたのか?」
アルフレッドの額に、プチリと青筋が跳ね上がった。
彼は静かにグラスをテーブルに置くと、氷のように冷たい声で返した。
「こっちのセリフですよ、殿下。私に休養命令を突きつけておいて、ご自身は執務を放り出して昼間からこんなところで何をされているのですか。それに、私がわざわざ記憶の底から検索して選んだこの穴場の酒場に、なぜあなたが先に座っているのですか」
「俺はここの店主と古い顔馴染みなんだよ! 休日になればここにフラッと寄るのが俺の日課だ! お前こそ、普段はこんな下町の隠れ家に来ないだろ!」
「税務調査で王都のすべての店舗の売上を把握している私にとって、ここが昼間に最も静かで品質の高い酒を出していることなど常識です!」
二人はカウンター越しに、火花を散らして睨み合った。せっかくの静寂と、極上の一杯の予感は、一瞬にして木っ端微塵に打ち砕かれた。
「…ハァ。台無しだ。殿下と同じ空気を吸いながらでは、せっかくのピルスナーが酸っぱくなります」
「けっ、こっちこそ胃が痛くなるわ! お前のその顔を見ているだけで、未決済の書類の山が目に浮かぶんだよ!」
居心地の悪さが限界に達した二人は、どちらからともなく同時に立ち上がり、飲みかけのジョッキをカウンターへ戻し、代金を叩きつけるように置くと、追いかけ合うようにして店を飛び出した。
眩しい太陽が照りつける路地裏で、二人はハッと足を止めた。
レオンハルトは嫌そうに腕を組み、アルフレッドに向かって人差し指を突きつけた。
「いいか、アルフレッド! 王都は広いんだ。お前と俺がこんな狭い路地で顔を合わせるなんていう不吉な奇跡は、二度と起きてはならない!」
「全くもって同意いたします、殿下。私の休日の貴重な数分間が、あなたというストレスによって無駄に消費されました」
「よし! ならばここで協定を結ぶぞ!」
レオンハルトは路地の真ん中に立ち、左右の道を指差した。
「いいか! お前は右に行け! 俺は左に行く! これでお前は右の職人街、俺は左の商業区だ。二度と交わることはない! 明日また、王宮で会おう!」
「分かりました。非常に合理的です。私は右の職人街の方へ向かい、二度とあなたと顔を合わせないことを神に誓いましょう」
二人は互いに冷ややかな視線を交わし、固く、握手を交わした。
そして、レオンハルトは左の路地へ、アルフレッドは右の路地へと、互いに背を向けて速足で歩き出した。
一人になったアルフレッドは、深く息を吐き出しながら、右の職人街へと続く石畳を進んだ。
(やれやれ…まさかあの変態王子と鉢合わせるとは。だが、これでいい。彼が左の商業区へ向かった以上、この右の職人街のさらに奥深く、地下にあるあの店には絶対に現れない)
アルフレッドが向かったのは、職人街の地下深くに位置する、重厚な石造りの醸造酒場「黒豚の穴ぐら」であった。
ここは、光を嫌う職人たちが静かに黒ビールを味わうための店であり、派手な新しいスタイルを好むレオンハルトがわざわざ足を運ぶような場所ではなかった。
アルフレッドは重い鉄のドアを押し開き、階段を降りて地下へと潜った。
店内の空気はひんやりと冷たく、木樽と炒った麦芽の香ばしい匂いが漂っている。客たちはみな静かに杯を傾けており、大声を出す者は一人もいない。
(…これだ。これこそが、私が求めていた真の休日の姿だ)
アルフレッドは満足気に頷くと、カウンターに腰掛け、店主に短く告げた。
「濃厚なシュヴァルツを一つ。温度は少し高めで頼む」
「あいよ、旦那。分かってるねえ、うちの黒は冷やしすぎない方が香りが立つんだ」
店主が重厚な黒色の液体を陶器のジョッキへと注ぎ込む。きめ細やかな褐色の泡が、静かに盛り上がっていく。
アルフレッドは眼鏡を押し上げ、今度こそ完璧な静寂の中で、その濃厚な泡へと口をつけた。
ローストされた麦芽の香ばしい苦味と、ほんのりとした甘みが、喉奥へと滑らかに広がっていく。完璧な味わいであった。疲弊した脳みそが、少しずつほぐれていくのを感じる。
その時であった。
「店主! この黒ビール、もう少し温度を上げてくれ! 6度じゃ冷たすぎる、8度まで待った方がモルトの甘みが化けるんだよ!」
地下室の最奥にある、巨大なオーク樽のすぐ隣の専用席から、通り抜けるような大声が響き渡った。
アルフレッドの口から、ぷっと黒ビールの泡が吹き出しそうになった。
彼は血走った目で、恐る恐る奥の闇を見つめた。
そこには、左へ向かったはずのレオンハルトが、店主に熱弁を振るいながら、自分と同じシュヴァルツの陶器ジョッキを掲げている姿があった。
「あ…」
レオンハルトもまた、店内の異変に気づいて振り向いた。
陶器ジョッキを掲げたまま固まる王子。
口元に黒い泡をつけたまま固まる補佐官。
数秒間の静寂の後、レオンハルトが跳び上がり、自身の髪を乱暴にかきむしりながら叫んだ。
「お前…本当にストーカーか何かか!!? なんで右の職人街の、しかもこんな地味な地下の店にまで追ってくるんだよ!!」
アルフレッドもまた、立ち上がって激しく机を叩いた。
「こっちのセリフです、殿下!! あなたは左の商業区へ向かうと協定を結んだはずでしょう!! なぜ右の地下深くにあるこの店に、私より先に着いているのですか! 魔法でも使ったのですか!?」
「左の商業区の路地を抜けて、地下の醸造用水路を通れば、ここへ出れるショートカットがあるんだよ!! 醸造士なら常識だろ!!」
「そんな抜け道、知りませんよ!!」
地下室に、二人の怒号が響き渡った。店内の職人たちが怪訝そうな顔で振り向くが、二人はそれどころではなかった。
「お前、本当に俺の行く先々を予測して嫌がらせをしてるだろ!」
「言いがかりはやめてください! 私はただ、この時間帯に最も保存状態の良い黒ビールを出す店を、醸造管理記録から客観的に割り出してここに来ただけです!」
「俺もこの店が一番いい状態のシュヴァルツを出すのを知ってて来たんだよ!!」
叫び終えた瞬間、二人はハッと息を呑んだ。
この時間帯に。
王都で最も状態の良いビールを出す店。
王都は広い。酒場など数千店もある。
それなのに、二人は同じ時間帯に、同じ思考回路を経て、同じ店の、同じビールのもとへと辿り着いてしまっていた。
「…あ」
レオンハルトが呆れたように声を漏らした。
アルフレッドもまた、開いた口が塞がらなくなった。
二人は互いの顔を見合わせ、そのあまりの滑稽さと、自分たちの逃げようのない腐れ縁の深さに、言葉を失った。
沈黙が、地下室を包み込んだ。
アルフレッドは、口元についた黒ビールの泡をハンカチで拭うと、ガックリと肩を落とした。
いつも完璧で、どんな不測の事態にも完璧主義を決して崩さない彼であったが、さすがにこの状況には、脳の処理速度が追いつかなかった。
「…ハァ」
アルフレッドの口から、情けない溜息が漏れた。
すると、彼の胸の奥から、何かがこみ上げてきた。
怒りでもなく、困惑でもなく、ただただ込み上げてくる圧倒的な「おかしさ」であった。
「クッ…」
アルフレッドの口元が、微かに震え始めた。
彼が必死に眼鏡の位置を直し、いつもの冷静さを取り戻そうとすればするほど、腹の底から可笑しさが込み上げてくる。
「くっ…くくく」
「おい、アルフレッド…? お前、ショックのあまりついに壊れたか?」
レオンハルトが怯える中、アルフレッドはついに耐えきれなくなり、机に突っ伏して肩を激しく揺らし始めた。
「クハハハハ! ハハハハハハハ!」
あの冷静沈着な補佐官アルフレッドが、声を上げて大爆笑を始めたのだ。
長年の疲労も、過労の限界も、職務の重圧も、すべてがその爆笑と共に吹き飛んでいくようだった。
自分たちがどれほど不仲を装おうとも、どれほど離れようと試みようとも、結局は同じ麦の魅力に囚われ、同じ場所へと辿り着いてしまうという事実に、笑わずにはいられなかった。
アルフレッドの爆笑につられるように、レオンハルトの顔にも、大きな笑みが広がっていった。
「ハハハハハ! 何なんだよお前は! データの塊のくせに、結局俺と同じ店を選んでやがるじゃねぇか!」
「ハハハ! あなたのその穴だらけの行動パターンが、私の論理的な計算と完全に一致してしまっただけですよ! 殿下!」
「なんだと! だったら俺たちの頭の中身は同じってことか! 冗談じゃねぇ、不吉すぎるわ!」
二人は腹を抱え、涙を流しながら大爆笑した。
地下室の職人たちも、なんだか楽しそうな二人の様子を見て、呆れながらも杯を掲げて笑っていた。
レオンハルトは大笑いしながら、アルフレッドの隣の席へとドカリと腰掛けた。そして、自身の陶器ジョッキをアルフレッドのジョッキへと力任せにぶつけた。
ガチンッ!!
「もう諦めろ、アルフレッド! 今日は逃げられん! 腹を括って俺と飲め!」
アルフレッドは涙を拭うと、溢れ出た黒ビールを惜しむことなく、すっきりとした、今まで見せたこともないような晴れやかな笑顔を浮かべた。
「…ハァ、仕方のないお方だ。今日だけですよ、殿下。明日からは一切の妥協を許しませんからね」
「おう! 今日だけは王子も補佐官もなしだ! ただの酒飲みとして、王都の一番美味いビールを干し尽くすぞ!」
それからの時間は、あっという間に過ぎ去っていった。
二人は「黒豚の穴ぐら」で濃厚なシュヴァルツを何杯も空けると、そのまま勢いに任せて第三、第四の酒場を梯子した。
普段の王宮では、決して口にすることのない言葉が、ビールの泡と共に次々と溢れ出していった。
「言っておきますがね、殿下! あなたが先月買い付けたあの魔導ホップ! あれのせいで、私は財務査問委員会で三時間も詰問されたんですよ! 『第一王子は草を食べているのか』と聞かれた私の気持ちが分かりますか!?」
「ハハハ! 草じゃねぇ、アロマだ! あいつらはホップの真価を知らんのだ! だがアルフレッド、お前が裏で帳簿を捏造…いや、完璧に調整してくれたおかげで、最高のヘイジーが仕込めたんだ! 感謝してるぞ!」
「捏造とは言わないでください! 合法的な予算の組み替えです! …まあ、あの仕上がりを見た時は、少しだけあなたの暴走を許しそうになりましたがね」
「そうだろ! お前だって本当は、俺の造る新しいビールが楽しみで仕方ないんだろ!」
「否定はしませんよ。私はあなたの補佐官ですからね。世界で一番近くで、あの変態的な奇跡を見られる特等席にいるのですから」
二人はジョッキを煽り、肉を突き、王宮の愚痴を叩きつけ合い、そしてこれからの王国の未来について語り合った。
トビーがどれほど頼もしい醸造家へ成長したか。
アンナの野生酵母がどれほど恐ろしい可能性を秘めているか。
そして、レオンハルトが王になった時、この国をどれほど面白く、誰もが美味しいビールを飲んで笑い合える国にするか。
王子と補佐官という立場を捨て、ただ「同じビールを愛する二人の男」として、彼らは夜が明けるまで飲み明かした。
翌朝。
夏の爽やかな朝焼けが、王宮の赤レンガを黄金色に染め上げていた。
王宮の第一王子補佐官室の前。
そこには、酷い二日酔いで頭を押さえ、顔を顰めながら立ち尽くす二人の男の姿があった。
「うぐぐ…頭が、頭が割れそうだ。アルフレッド、お前…最後の店でなんであんな度数の高いトラピストなんて頼んだんだ」
「…うう、静かにしてください、殿下。声が頭に響きます。あなたが『全種類制覇する』なんて言い出すからでしょう」
二人とも、服は皺だらけで、髪はボサボサであった。
しかし、その瞳からは、昨日までの不気味な死人のような影は完全に消え去っていた。
アルフレッドは深く息を吐き出すと、懐からいつもの手帳を取り出し、パチンと開いた。その手つきには、いつもの完璧な有能さが戻っていた。
「…さて、レオンハルト殿下。休日は終了いたしました」
「げっ…」
「昨日、あなたが私を強行突破で休みに行かせたせいで、本日の公務は昨日の分の二倍となっております。これより、未決済の書類百枚の処理と、午前中の予算会議、午後の醸造所査察を完了させますよ」
アルフレッドは眼鏡を押し上げ、悪魔のような完璧な笑みを浮かべた。
「安心してください。今日の私の脳は、昨日のお酒のおかげで、普段の三倍の速度で回転しておりますから。サボる暇など一秒も与えません」
「か、勘弁してくれぇぇぇ! 昨日あんなに仲良く飲んだだろ! 補佐官の情ってものがないのか!」
「それとこれとは別問題です、我が主君。さあ、執務室へ入りますよ!」
補佐官の容赦ない鉄槌と、王子の悲鳴のような絶叫が、朝の王宮の回廊へと響き渡る。
二日酔いの重い頭を抱えながらも、彼らの日常は、再びどこまでも賑やかに、動き始めていくのだった。
全体的に楽しく執筆できたなと思っています。特にビールの面では、自分の知っている知識面を一通り伝えられたなと思います。
反省点としては、一話完結に出来なかったことですかね。トラピストビールあたりからストーリー性重視になってしまったことは従来の流れから逸脱してしまったのかなと思います。(一話完結のタグは消しました)
お酒やつまみを食べながら読むのにぴったりな小説にしたつもりでしたがいかがでしたでしょうか?
また次の小説でお会いできたら嬉しいです。ありがとうございました。