(ここは――)
冷たい水の中にいるような感覚だった。
光の届かない深淵。音も、痛みも、記憶も、どこか曖昧なまま揺蕩う。
浮かびあがる無数の声と、誰かの影。
その中に――
一つ、確かに聞き覚えのある声があった。
「よくここまで来たね、カエデ」
その声は、どこか懐かしく、けれど思い出せない。
目を凝らすと、そこにいたのは――1人の女性だった。
「私は……アタラヨ。
真名は、雑賀孫一。貴方の、母親よ」
胸の奥に、何かが弾けるように波紋を広げた。
「え………?アタ、ラヨが雑賀孫一で……?私の、母親……?」
カエデはぶんぶんと首を振った。
全くもって、理解が追いつかない。
「お父さんが貴方を造った理由……それを伝える時が来たわね」
孫一の声は、柔らかくもどこか切なさを帯びていた。
彼女の語る内容は、まるで悪い夢のように現実離れしていた。
ーーーーー
かつて、孫一と忠勝その娘ーー「東雲楓」は不慮の事故により、植物状態となる。
そして、その事故により、楓の母である孫一は帰らぬ人となってしまった。
忠勝は、娘が目覚めないのは『孫一から 第13の陽の欠片「忘却」を受け継いだ為に「母の死」という辛い現実を忘れることが出来ず、その事実を拒否しているから』だと考えた。
忠勝は東雲楓から「母親の死」という記憶を消し去る為に、陽の欠片の解放を決意する。
そこで、娘そっくりの機械ーー
「カエデ」を作り出し、「忘却の欠片」を埋め込み、楓から引き離した。
この状態で世界をループさせれば、楓は悲しい記憶として「母親の存在」を忘れ、目を覚ます。
だが、それだけでは計画は不完全だった。
「貴方のお父さんーーー忠勝は、曽是の忠臣だった。けれど妻である私が、曽是の天下統一に反対していたから。『陽の光が見たい』…そんな私の夢を、あの人は尊重してくれていた」
アタラヨ、もとい雑賀孫一は語る。
その顔には時折自嘲気味な憂いが混じっているようにも見えた。
「曽是にとって私は、忠臣を誑かす邪魔者だったんでしょうね。…だから、あの事故が起きた」
忠勝は、妻の夢を叶える為、楓を守る為。陽の欠片を集め曽是を打倒することを決意した。
だが、自分が動けば楓本体の身に危険が及ぶかもしれない。
そこで、楓の記憶と人格をもとに、『カエデ』という機械を作った。
忘却の欠片を内蔵し、陽の欠片を集めるための存在とする為に。
「代わり……?」
カエデは、ようやく声を出した。
目を伏せる。震える手を見つめる。
「私は、楓の代わりに作られた……機械……」
「そうかもしれない。
……でも、貴方には貴方の魂がある」
孫一は、優しく手を差し伸べた。
「カエデ。貴方はね……確かに私が教えた記憶を持っていない。けれど、それでも。
泣いたり、笑ったり、怒ったり。
楓と同じように迷って、悩んで、誰かのために剣を抜いた。
それは、“心”があるからよ」
「でも……!」
カエデは叫ぶ。
「それは……それは本当に、私自身のものなの?
誰かのために、作られたプログラムなんじゃないの……!?」
沈黙が落ちた。
けれど、その静寂の中、孫一の声が静かに響く。
「貴方が誰かの言葉に笑ってくれた瞬間があった。
誰かを救いたいと願った瞬間があった。
それは“代替”なんかじゃない。
楓にも、カエデにも、同じように“生きる”理由があるの」
「……」
カエデは唇を噛む。
握った手に、震えが宿る。
忘却の欠片――自身の頭部に埋め込まれたそれが、鈍く疼いていた。
“悲しい記憶を消して、目を覚まさせる”
父が信じた方法。
でもそれは
母親の死を「無かったことにする」道だ。
「私は、たぶん……」
カエデはぽつりと言った。
「ずっと、誰かに愛された記憶が欲しかった。
私にはそれが無かった。
私は誰の娘でもなくて……ただ“陽の欠片を集める機械”だったから」
孫一は微笑む。
「いいえ。
カエデ、貴方も私の娘よ。
どちらが本物とか、代わりなんて関係ない。
私は、貴方を信じてる」
不意に、涙がカエデの頬を伝う。
……涙?
カエデは驚いた。機械であるはずの自分に、こんな反応が残っていることに。
だけど、確かに。
心が、泣いていた。
孫一の姿が、ゆっくりと光に溶けていく。
「さあ、もう行きなさい。
……“お父さんを、お願いね”」
「……っ、うん。ありがとう………お母さん」
カエデは、涙の滲む視界の奥で、彼女の姿が消えるのを見届けた。
そして、彼女は――
目を覚ました。