Akeenohi -アケノヒ-   作:大化

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三話 当主として

 

 

⸻時は少し遡る。

 

 

 

――武田当主就任式ーー

 

 

武田の城、朝

 

山々を越えて吹く風は、まだ冷たかった。

 

武田の城下町は、早朝からざわめいている。

 

城門には紅の旗が並び、武田菱の紋が風に揺れていた。

 

今日は――

武田家当主の就任式。

 

長い戦乱の末、徳川との戦いが終わり、世界はようやく静けさを取り戻し始めていた。

 

城の本丸。

広間には武田の家臣や兵が整列し、重厚な空気が満ちている。

 

その中央へ、ゆっくりと歩み出る青年。

 

武田シンゲン。

 

赤い甲冑を身にまとい、腰には二本の刀。

その姿は、まるで戦国の世からそのまま現れた武将のようだった。

 

だが、彼の表情は硬くない。

むしろどこか、少年のような期待が混じっているようにも見えた。

 

「……」

 

彼は壇上へ上がり、ゆっくりと周囲を見渡した。

 

目の前には武田の兵たち。

 

皆、誇らしげに彼を見ている。

 

その光景を見て、シンゲンは小さく息を吸った。

 

「――武田家当主、武田シンゲンだ」

 

静かな声だったが、広間に響いた。

 

「長い戦いが終わった。徳川という巨大な敵を倒し、この国はようやく……」

 

一度言葉を止める。

 

彼の脳裏に浮かぶのは、これまでの旅だった。

 

カエデ。

テルトラ。

シズメ。

多くの仲間。

 

血と炎の旅路。

その果てに、ここに立っている。

 

「……ようやく、“普通の世の中”を作ることができる」

 

兵たちは黙って聞いていた。

 

シンゲンは続ける。

 

「俺は――」

 

拳を軽く握る。

 

「剣だけで国を治めるつもりはない」

 

広間がわずかにざわめく。

 

「武田は戦いの国だ。だが、それだけじゃない。

この国は、もっと強く、もっと誇れる国になれる」

 

彼は笑った。

 

「俺は、争いのない世を作る」

 

理想的なーー抽象的な宣言。

だが――

 

兵たちは静かに頷いていた。

なぜなら彼らは知っている。

この男が、どれほど剣を振るってきたかを。

どれほどの死線を越えてきたかを。

 

「戦う力は必要だ。だが――」

 

シンゲンは言った。

 

「その力は、人を守るために使う」

 

その言葉に、城内の空気が少し柔らかくなる。

 

そして――

 

式は無事に終わった。

 

武田家当主、武田シンゲンの誕生である。

 

⸻その日の夜

 

祝宴が終わり、城は静まり返っていた。

 

廊下を歩く足音が一つ。

 

シンゲンだった。

 

「……ふぅ」

 

肩の力を抜く。

 

「当主、か……」

 

自分で言った言葉の重みを、今になって実感していた。

 

「俺に務まるのかな」

 

そのときだった。

 

「難しいと思いますぅ」

 

背後から声がした。

 

振り返ると、柱にもたれている小柄な女性。

 

角のような髪飾り。

 

気弱そうな表情。

 

ユキ=ムラマサ。

 

「……聞いてたのか」

 

「全部、聞いてましたぁ」

 

ユキは小さく肩をすくめた。

 

「平和な国を作る、ですかぁ……」

 

どこか困ったような顔。

 

「シンゲン様らしい、夢みたいな話ですねぇ」

 

「夢じゃない。俺は本気だ」

 

「……そうですかぁ」

 

ユキは少し俯く。

 

「でもぉ」

 

その声が、少し低くなる。

 

「感情と記憶が戻った世界って、そんなに甘くないと思いますぅ」

 

シンゲンの表情が変わる。

 

「どういう意味だ」

 

そこへ、もう一つの影が現れた。

 

屋根の梁から、ふわりと降りてくる。

 

紫の外套。

 

細い笑み。

 

ヒロカ=ウィステリア。

 

「簡単ですよ」

 

彼は軽く言った。

 

「徳川が抑え込んでいた“悪意”が、今一斉に戻ってきている」

 

「……」

 

「怒り、復讐、欲望、憎悪…エトセトラ。

全部ですよ」

 

ヒロカは肩をすくめる。

 

「世界はこれから、今までよりずっと荒れる」

 

ユキが小さく頷いた。

 

「言葉とか、理想とか……そういうもので抑えられるレベルじゃないと思いますぅ」

 

シンゲンは黙った。

 

だが、やがて首を振る。

 

「それでもだ」

 

彼の声は、迷っていなかった。

 

「力だけで押さえつける統治は、もう終わりだ」

 

ユキの目が、わずかに細くなる。

 

「俺は、武力に頼らない国を作る」

 

静かな沈黙。

 

そして――

 

ユキ=ムラマサは、ふっと笑った。

 

「……なるほどぉ」

 

一歩、前に出る。

 

「じゃあ」

 

その瞬間。

 

彼女の気配が変わった。

 

空気が張り詰める。

 

「ちょっと試してみますぅ?」

 

「?」

 

次の瞬間。

 

刀が抜かれていた。

 

「――シンゲン様」

 

ユキの声は、もう震えていなかった。

そこにあるのは、かつて大江山を統べる妖怪の長としての声。

 

「その覚悟、本物かどうか」

 

剣先をまっすぐ向ける。

 

「確かめさせてください」

 

シンゲンの瞳が鋭くなる。

 

「……一騎打ち、か」

 

「はい」

 

ユキは微笑んだ。

 

「逃げる時間は、あげませんよ」

 

その瞬間。

 

彼女の姿が消えた。

 

そして――

 

「では、始めましょうかぁ」

 

その言葉の直後だった。

 

ユキ=ムラマサの姿が、消えた。

 

次の瞬間――

 

「ッ!」

 

ギィン!!

火花が弾ける。

 

彼の喉元を狙った刃が、雷・国永によって弾かれていた。

 

「いきなり本気だな…!」

 

シンゲンは小さく笑った。

 

だが、額には汗が滲んでいる。

 

ユキ=ムラマサは、相変わらずの怯えたような顔で小首を傾げた。

 

「え? だってぇ……」

 

一歩、踏み出す。

 

その瞬間、空気が歪む。

 

「戦いって、こういうものじゃないですかぁ?」

 

次の斬撃が来た。

 

兎に角、速い。

 

いや――速すぎる。

 

ギィン!!

ギィン!!

ギィン!!

 

三撃、四撃、五撃。

 

シンゲンの剣が必死に受ける。

 

「く……!」

 

彼の腕が軋む。

その一撃一撃は、まるで岩がぶつかるように重い。

 

「どうしましたぁ?」

 

ユキは首を傾げた。

 

「武田の当主様、なんですよねぇ?」

 

「……!」

 

挑発だった。

 

だが、シンゲンは黙って踏み込んだ。

 

「なら、これでどうだ!」

 

雷・国永が唸る。

鋭い突き。

それは確かに必殺の一撃だった。

 

だが――

ユキの身体は、紙のようにひらりと横へ流れた。

 

「惜しいですねぇ」

 

そして。

カツン、と軽く柄でシンゲンの手首を叩いた。

 

「ぐっ!」

 

雷・国永が宙を舞う。

そのまま蹴りが腹に入った。

 

ドンッ!!

 

シンゲンの身体が廊下の柱に叩きつけられる。

 

「……ッ」

 

息が詰まる。

 

だが、シンゲンはすぐに立ち上がった。

 

「まだだ……!」

 

刀を拾い、再び構える。

 

ユキは少し困った顔をした。

 

「お優しいんですねぇ」

 

「?」

 

「だって、さっきから」

 

彼女は剣を軽く振った。

 

「“私に当てないように斬って”ますもんねぇ」

 

シンゲンの瞳が揺れる。

 

図星だった。

 

これは一騎打ちだ。

 

だが相手は、自分に長く仕えてきた側近であり、剣の師でもある。

生半可な覚悟や、思考はハッキリと読まれている。

 

ユキは小さくため息をついた。

 

「それじゃ、意味ないですよぉ」

 

次の瞬間。

彼女の姿が、また消えた。

そして、一閃。

シンゲンには、その斬撃の軌道すら捉える事が出来なかった。

 

「――ぐッ!」

 

気付いたときには

シンゲンの肩が斬られていた。

 

鮮血が吹き出す。

 

「……遅い」

 

今度の声は、低かった。

 

さきほどまでの怯えた口調ではない。

 

「あなたには、まだ“剣を持つ覚悟”が足りない」

 

ドンッ!!

 

膝蹴りが腹に入る。

シンゲンは地面に崩れ落ちた。

 

「……ぐ……」

 

呼吸ができない。

 

肺が潰れたようだった。

 

視界が揺れる。

 

ユキは静かに近づいた。

 

そして、剣先をシンゲンの喉に向ける。

 

「……シンゲン様」

 

声は、いつもの弱々しいものに戻っていた。

 

「世界は、もう昔とは違うんですぅ」

 

「……」

 

「徳川が消えて、感情も記憶も戻りました」

 

剣先がわずかに動く。

 

「つまり」

 

その声は、静かだった。

 

「人間は、また“本気で争う”んですよぉ」

 

シンゲンは歯を食いしばる。

 

だが、身体が動かない。

 

ユキは続けた。

 

「そんな世界で」

 

彼を見下ろす。

 

「“平和な国を作る”?」

 

その言葉には、嘲笑はなかった。

 

ただ、現実だけがあった。

 

「……甘いですよぉ」

 

しばらく沈黙が続いた。

 

やがて。

 

シンゲンが、ゆっくり口を開く。

 

「……そうかもしれない」

 

ユキが少し目を細める。

 

「でも」

 

彼は拳を握った。

 

「だからって、力だけで支配するのは嫌なんだ…!!」

 

ユキは黙って聞いていた。

 

「必要なら、剣を振るう」

 

シンゲンの声は震えていない。

 

「だが、それは」

 

ゆっくりと立ち上がる。

 

「必要最低限の正義の制裁だ」

 

ユキの目が、わずかに揺れた。

 

「無意味な殺しはしない」

 

雷・国永を拾う。

 

「だが――」

 

彼はまっすぐユキを見た。

 

「守るためなら、誰でも斬る」

 

静かな宣言だった。

ユキ=ムラマサは、しばらく黙っていた。

 

そして。

 

ふっと笑った。

 

「……まぁ、とりあえずそれでいいですぅ」

 

剣を収める。

 

「今の言葉」

 

小さく頷く。

 

「覚えておきますねぇ」

 

そのまま背を向ける。

 

「これで、準備はできました」

 

シンゲンは眉をひそめた。

 

「準備?」

 

ユキは振り返らない。

 

ただ、静かに言った。

 

「全国征伐です」

 

廊下の向こうで、ヒロカが小さく笑っていた。

 

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