春の朝だった。
城下町の市場には、いつも通りの光景が広がっていた。
魚を並べる商人、野菜を売る老婆、走り回る子供達。
人々は、徳川の滅びの後にようやく戻り始めた平穏を、まだ手探りで受け入れている最中だった。
その空気が、突如として破られる。
遠くから響く、地鳴りのような足音。
やがて城門の外に、軍勢の姿が現れた。
赤と金の旗。
武田と豊臣の軍勢だった。
整然と並んだ兵士達が城門をくぐり、町へと流れ込んでくる。
市場にいた人々は何が起きているのか理解できず、ただ呆然とその様子を見つめていた。
町の役人が慌てて前に出る。
「な、何事ですか!?」
武装した兵の一人が、感情のない声で答えた。
「我らは武田・豊臣連合軍である。この地にて武力蜂起を企てた疑いがあるとの知らせがあった。よって、これより征伐を行う」
役人の顔が真っ青になる。
「ま、待ってください!一体、なんのことだか私共にはさっぱり…!!」
しかし兵は取り合わない。
刀が抜かれる。
「抵抗する者は反逆と見なし、即刻斬り捨てる」
兵達が一斉に刀を構え、市民へ向けた。
市場に悲鳴が広がる。
逃げ惑う人々。
子供を抱えて泣き叫ぶ母親。
兵の一人が、前に出た市民へ刀を振り下ろした。
――その瞬間。
キィンッ!!
鋭い金属音が広場に響いた。
振り下ろされた刀は、途中で止められていた。
兵の目の前に立っていたのは、一人の少女だった。
長い髪を風になびかせ、片目には黒い眼帯。
もう片方の瞳が、まっすぐ兵士を見据えている。
彼女は兵の刀を軽く弾き返し、呆れたようにため息をついた。
「……さすがに、それはやりすぎでしょ」
兵が怒鳴る。
「貴様、何者だ!」
カエデは肩をすくめる。
「ただの通りすがり」
その直後、広場の地面が激しく揺れた。
ドォンッ!!
巨大な機体が空から降り立つ。
門天丸。
装甲の巨体が地面を踏みしめると、兵達がざわめいた。
「まさか……!」
「機神…!上杉か……!?」
コックピットが開き、声が響く。
「…カエデ、何これ」
テルトラだった。
彼女は門天丸の操縦席から周囲を見渡し、呆れたように言う。
「…武田と豊臣の兵が市民に刀向けてるって、冗談でしょ」
カエデは刀を肩に乗せたまま答えた。
「どうも“征伐”らしいよ。武力蜂起の疑い、だってさ」
テルトラはしばらく沈黙した。
そして小さく言う。
「……マジ?」
「大マジ」
その間にも兵達は刀を構え直す。
「最後通告だ。邪魔をするなら、お前達も反逆者と見なす」
カエデは静かにアタラヨを構えた。
「それは困るね」
テルトラの声が、コックピットから聞こえる。
「…流石に市民に手を出すのは見過ごせない」
門天丸の目が光る。
ヴォン――
駆動音が広場に響いた。
兵達がカエデ達へと一斉に襲い掛かる。
次の瞬間、カエデは地面を蹴っていた。
彼女の刀が閃き、兵の武器を次々と弾き飛ばす。
刃を流し、足を払い、鎧の隙間を正確に叩く。
兵達は次々と倒れ、広場に転がっていく。
同時に、門天丸が動いた。
巨腕が振るわれ、兵士達をまとめて吹き飛ばす。
衝撃波で石畳が割れ、兵が宙を舞う。
「ぐぁああっ!」
「止めろ、止まれ!!」
だが門天丸は止まらない。
巨大な拳が地面を叩き、兵の隊列を粉砕する。
数分後。
広場に立っているのは、カエデと門天丸だけだった。
倒れた兵士達が、うめき声を上げている。
門天丸のコックピットが開く。
テルトラが顔を出し、肩をすくめた。
「……で、これどういう状況?」
カエデは遠くの空を見ていた。
煙が上がっている。
別の町でも、同じことが起きているのだろう。
彼女は静かに言った。
「たぶん、始まった」
テルトラが聞く。
「何が?」
カエデは答えた。
「──新しい戦争」
その言葉の先。
遠くの地平線には、まだ進軍を続ける軍勢の影があった。
⸻
燃え残る街を後にし、カエデとテルトラは瓦礫の通りを歩いていた。
兵達は退けた。
だが、問題は何も解決していない。
むしろ、状況は悪化している。
門天丸の装甲が軋む音を立てながら、テルトラが隣を歩くカエデを見下ろした。
「……どう思う?」
カエデは少し考えてから答えた。
「わからない」
それは本音だった。
武田も、豊臣も。
あの戦いを共に生き延びた仲間達だ。
それなのに今、彼らは市民へ刃を向けている。
「でも、必ず理由はあるはず」
カエデはそう言いながら空を見た。
「シンゲンが、こんな事を望むとは思えない」
テルトラは頷いた。
「…だよね」
その時だった。
遠くから、兵の声が聞こえた。
「――隊列を崩すな!」
「前進しろ!」
二人は同時に顔を上げる。
道の先に、武田の軍勢がいた。
そして─その先頭に立つ人物を見て、カエデは足を止めた。
赤い甲冑。
堂々とした立ち姿。
刀を腰に差した若い武将。
武田シンゲンだった。
⸻
シンゲンも、こちらに気づいた。
しばらくの沈黙。
やがて、彼は兵達に手で合図した。
「……下がれ」
武田兵達がざわめく。
「しかし親方様――」
「下がれ、と言った」
低い声だった。
兵達は渋々後退し、距離を取る。
通りの中央に残ったのは三人だけだった。
カエデがゆっくり歩み出る。
「久しぶり」
シンゲンは、わずかに目を細めた。
「……カエデ」
その声には、懐かしさと戸惑いが混じっていた。
テルトラが門天丸の肩にもたれながら言う。
「…ずいぶん派手なことやってるじゃん」
シンゲンは視線を落とす。
「……必要なことだ」
カエデの眉が動いた。
「必要なこと?市民を斬って、その家燃やしてBBQすんのが?」
シンゲンは答えない。
その沈黙が、逆に全てを物語っていた。
カエデは少しだけ声を柔らかくした。
「シンゲン、何があったの?」
「……」
「あなたが望んでやってる事じゃないでしょ」
シンゲンの拳が握られる。
しかし、言葉は出てこない。
カエデは続ける。
「だったら、止めよう」
その言葉は、静かだった。
「こんなやり方じゃ、また同じ事になる」
テルトラも腕を組む。
「…徳川倒した意味なくなるよ」
長い沈黙が落ちた。
シンゲンは、しばらく目を閉じていた。
そして、意を決して口を開こうとした──
その時。
「ごちゃごちゃうるさいですねぇ」
そこに、最初からいたかのように。
一人の少女が立っていた。
小柄な体。
角のような髪飾り。
ユキ=ムラマサだった。
彼女は小さくため息をつく。
その声は、弱々しく、いつも通りおどおどしている。
だが。
彼女の放つ圧力は、空気を重くしている。
武田の兵達ですら、その重圧に思わず背筋を正していた。
ユキはちらりとカエデを見る。
「……あー」
小さく首を傾げる。
「カエデさんでしたっけぇ」
カエデは無言でアタラヨを握る。
だが、動けない。
理屈ではない。
本能が警告している。
動くな、と。
ユキは興味なさそうに続ける。
「別に貴方と遊ぶつもりはないんですぅ」
そのまま視線をシンゲンへ向けた。
「シンゲン様」
声は柔らかい。
だが、そこには絶対的な圧力があった。
「こんなところで立ち止まってる場合じゃないですよぉ」
シンゲンは何か言おうとする。
「……ユキ、俺は――」
ユキが一歩前に出た。
それだけで空気がさらに重くなる。
カエデとテルトラは、無意識に足を踏みしめていた。
身体が勝手に構えている。
ユキは微笑んだ。
「はいはい」
そして軽く言った。
「帰りますよぉ」
シンゲンの肩に手を置くと、ユキは振り返る。
「……追わない方がいいですよぉ」
小さく笑う。
「たぶん、死にますから」
静かな声だった。
だが、それは事実として突きつけられた。
テルトラが操縦桿を強く握った。
門天丸は起動している。
だが――
動けない。
気がつけば操縦桿は彼女の手汗で湿り、額から冷や汗が垂れ落ちて、コックピットの床に跳ねた。
ユキとシンゲンの姿は、既になかった。
武田兵達も、素早く撤退を始めている。
残されたのは、燃え残る街と、カエデとテルトラだけだった。
長い沈黙の後。
テルトラが小さく息を吐いた。
「……今の」
カエデが答える。
「うん」
短く言う。
「…無理」
二人とも、理解していた。
「アレ」は今の自分達では届かない。
そして。
武田の征伐は、まだ始まったばかりだった。