「まったく、…書類、書類、書類と、どれだけ非効率を極めれば気が済むのだ!」
怒りの篭った声と机を叩く鈍い音。机の揺れでインクがツボの中でちゃぽりと波立つ。
声の主はこの国を統べる王。齢24にして王位についた男のもの。
うず高く積まれた書類は崩れそうになりながら、朝から晩まで腕を酷使しようとまたさらに積み上がっていく。
権限の掌握をしたのは二月ほど前の事。そこから仕事として動き始めれば手元にやってくるのは無数の報告と紙の束。
そして何よりこの王の神経を苛立たせるのはその内容。
無数の書類に書かれた報告はまとめてしまえばたったの数枚で済む程度。それをわざわざ分割し幾度のやり取りを発生させ、時間も手間も何重にもかけ続ける。
辟易も呆れもとうに通り越し、ひたすらに無駄という事実に怒りだけが心中を支配する。
「…お怒りですな。
もっともこれだけの無駄がある以上当然ではありますが」
「…その通りだ。…こんなことを放置していてどれだけ金も浪費したやら。酔狂や遊戯にしても程度が低すぎる」
部屋に入ってきたのは男。クレオンにとっては王位の継承、そしてその ずっと前の学園の時代から付き従う盟友であった。
「…それで、そちらの仕事の方はどうだ?
問題は根本から断たんとな。片付けば随分と楽になるだろう?」
「勿論です。
随分と色々ございましたよ。
…クレオン様に上がるの報告のうちで、およそ4割ほどが片付く話です」
「ほう…、それは随分だな。
詳しく話せ」
書類にひたすら文字を書き綴る手が止まる。
そこで初めてクレオンは部屋を訪れた男、パリスに顔を向けた。
「クレオン様に届く報告を追ったところ、レインという男にたどり着きました。
このレインなるものですが、定時の報告やら成果の報告があるわけではないのです。
どうも先王や直属の者に直接文を上げ、そこからバラバラと多くの官僚に指示が分散されております」
何だそれは、そんな奇妙な指示体系があるか。
内心に浮かんだ疑問をそのままに耳を傾ける。
「そして恐ろしいのはここからです。
このバラバラになった指示を元に王国中の工房に指示書が届き、さらにそこから工房から報告が上がることでクレオン様に届く報告は異様な数にまで膨れ上がります」
「…なるほどな。そんな面倒なことが起きているのなら現状にも説明は付くな。
で、そこまでわかっているならもう手は付けてあるのだな?」
「勿論です。
書類もそこからの成果も追いましたが、あまりに非効率で役に立たないものばかり。
このレインを王国に置いておくことは不要。
当然解雇に研究室も解体の上、研究室に付いていた者達も再編し別の場所に移しました。
指示も成果も集約させ、本当に必要なものだけがクレオン様に届くようになります」
「そうか」
短い返答。その言葉には解放の期待に喜悦が滲む。
「良い、…良いぞ、…とてもな」
身体を伸ばしながら仰向いて息を吐きだす。
「随分と余計なことに時間を取られたがこれで漸く俺たちのやりたいことが出来る。
お前もこれで動きやすくなったろう?
くだらないやつらに阿ることはない、俺達で国を新たに作り直すぞ」
ゆっくりと笑みを浮かべ再び視線が合う。
数秒の沈黙の後、口火を切ったのはクレオン。
「さて、報告はそのくらいか?
なら下がってくれ、これからまだまだ書類と来客を裁かなくてはな。
ああ、代わりに今夜は開けておいてくれ、久々に飲もうじゃないか。
妹も入れて三人でな」
承知いたしました、とパリスは部屋を後にする。
その靴音は直ぐに消えて、クレオンが再び書類に向き合うのも数秒の事だった。
王の私室、煌々とした明りの灯ったそこに3人の男女。
乾杯の言葉を皮切りに始まった晩餐は美食と美酒を讃えながら、ゆっくりと話題を現況と過去に変えていく。
「しかし、パリスよ。そのレインというやつは一体何だったのだ?
俺の方でも調べてみたが、訳が分からん。何故あのような平民が登用されていたのだ?」
「それがどうにも先王の決定によるものらしく、急に招聘されたと思えば権限が与えられております。
聞いた話では先王に何らか奏上をしたともありますが、如何せん噂以上に証拠もなく…」
「何もなしと、それで王都で仕官を取れるとは冗談にしては笑えん話だ。
それにヘレネ、お前も内々にそのレインと婚約を決められていたのだろう?」
「その通りですわ、お兄様。
ろくに作法も風情もわからない野蛮人と縁を結べなど本当に、本当に厭な時間でしたわ」
「全くだな、耄碌したとしか思えん。
お前にとっては辛い時間で悪かったが、それでも蒙昧が玉座に座り続けることは避けられた。それで勘弁してくれ、妹よ」
「許しますわ、でももう少し早かったら嬉しかったかもしれません」
「おお、怖い怖い。流石は我が妹、苛烈な王の才があるな」
くつくつと喉を鳴らし、手元の杯を傾ける。
笑いの後に牽引の縄はパリスへと。
「しかし今思い出してもクレオン様の手並みは鮮やかでしたな。
あそこ迄美しく退位を迫るというのは、王国の歴史をもってしても及ぶものはないでしょう」
「であろう? 足かけ2年。辺境の地で随分と練ったからな。
ああ、ヘレネよ。あまりつぶさには訊くなよ、長く詰まらん話だ。
ただ、そうだな、俺とパリスで王権の中枢を一か所に集めた。
本来ならば一堂に会すことなどありえん、そんな連中をな。
俺とお前の兄、父、それに宰相を含めて5人ほどだったか。
その場の顔ぶれを見た時のあの男の顔は、実に傑作だった」
「それは、どのような…」
「まさに、終わった、という顔だよ。
霧の湧いた頭でもわかったのだろうな。
本来そこに居てはいけない連中だ。
そうなった時点で先がないことは悟ったのだろうよ。
存外、わめきすらしなかったのは興ざめでもあったが」
杯を呷る。一息で飲み干し、ふっと気を吐く。
酒精が喉を焼いたか、呼吸のそれで冷涼さも感じる。
「まあ、最早愚痴だな。
だがお前らもこの程度の気分などあるだろう。
今の内に吐いておけ、どうせここには我らしかおらんぞ」
視線は二人を見やって、往復した後でふとヘレネを射止める。
「ヘレネよ、そのレインを野蛮というからに相当のものだったのだろう。
その苦を兄に聞かせてくれないか」
「お兄様が望まれるのであれば、お話しますが、パリス様もそれでよろしいでしょうか」
「もちろんでございます。
お話しいただいて殿下の心穏やかになるならそれは私の喜びでございますがゆえ…」
「わかりました。
であれば、先にワインをもう少しばかりいただきたく…
少々淑女の話す言葉にしては口を傷つけますので」
先の兄の仕草によく似て、一息で酒を呷る。
その子機に混じって紡がれる言葉は随分と饒舌だった。
「元はあの父の言葉でしたわ。
…アレは、あのレインとは何が何でも縁を繋げと。
王女として国家の礎石となることにためらいは有りませんが、故を問うてもいずれわかるとばかりで…
文を幾度も交わしはしましたが、季節時候の挨拶もそぞろ、香の編み方も洒ぎが足りず、果ては贈り物も、貴種の子女に、まして王権に連なる者に届くものとしては泥とすら言えるほどでしたわ。
…今にして思い出せば、父も婚約をということで側付やメイドを幾人派遣して繋ぎをさせるつもりではあったのでしょうが、言伝を先の事として書くばかりでその後は何も沙汰なく、実にお会いすることもありませんでしたわ」
「おいおい、それはもう、失敬にもほどがあるな。
文の一つもまともに書けんとは。
ああ、いや、元は平民だったか。
そこに期待を掛けるのは無駄ではあるが、その程度はできるような人間を置かねばならんだろうよ」
「ええ、本当にその通りで。
その、ヘレネ様に届いた泥とやらはどのようなものだったのでしょうか。
今更ながらで恐縮の思いではありますが、もし余程のものであればレインに罪科を問い王国の土を踏ませることを禁としてもよいかと」
「パリス様は篤実の方なのですね。
…あれはそう、いくつかありましたわ。
…最初は確か、拳ほどの石くれでした。次はもう少し大きな箱を、最後には宝飾品の為の飾り箱でしたわ。
…本当に、心の底から何故このようなものが届いたのかもわからず、何度無礼とペンを動かしそうになったことか。
ええ、私の方で何かしたようなというのは無いのです。ただ近頃は寒く閨やその後が辛い時分だとか、肌が乾いてしまうとその程度を書いただけで、そんなものを送ってきたのです。
装飾には少々の難があり、だとか、もし何か不便があれば伝えて欲しいだとかも添えてありましたが、そもそもそんなものを部屋に置くというそれだけで随分を設えが乱れますわ。
それに加えて、それを指摘すれば、最後に贈られてきたのは只の箱なのです。これであればお手許の美しい一粒一粒はその価値を永遠に失わないでしょう。そんな文こそ添えられていましたが、中身を贈ることなくその空箱だけを贈るなど軽んじられるにしてもここまで極まったかと」
「それは、いやはや、…お怒りをお心に留めるのもさぞ大変でしたでしょう。
まさか私としてもそこまでの人間が入り込んでいたなどとは…」
「ああ、全くだ。舐められているなんてもんじゃない。
俺はそのレインを見つけたら必ず殺す、不愉快極まりない不敬だ。
だが、一応の確認だがその石ころなり箱は只のものだったのか?
仮にそのレインが箱同様に頭の中身の入っていない人間だったとして、だとしても碌に魔法の一つもかかっていないものをよこしたのか?」
「ええ、それはもう。
だって、私に何一つ読めなかったんですもの」
「…殿下は学園では才女という言葉では足りないほどのお方でしたからな。
レインもまさかその才女に無才を見抜かれるとは思わなかったのでしょう。
ものも見えない先王こそ手癖の悪さで騙せたらしいですが、殿下の本物には敵わず、つまらない理屈でどうにか逃げようとしながらそれも無意味、と」
「…そういうお前も学園では主席だったろう、俺を置いて」
「陛下にあられましては、最も才ありしは政と軍事のそれですがゆえ…」
「…わかっているさ」
くっと鼻を鳴らし、低く笑う。
「だがそうすると、そのくだらん贈り物は捨てたのか?
もし手許にあるならレインを呼びつけてお前ら二人で詰問するというのも許すが」
「残念ながらとうに捨てておりますわ」
そうか、と。それで愚痴の一つは終わった。
代わりにまた話の手綱はパリスへ渡る。
「パリス、お前はどうだ?
レインのせいで、これだけ面倒な追跡に書類仕事も重なっただろう?」
デキャンタを差し出しながらクレオンが問う。
「本当に、その通りで。
王国中様々駆け巡りました。そこで手に入るのはバラバラになった情報と少しばかりの紙片と。互いに碌に何をやっているかも知らずにいるせいで聞き取りも要領を得ず、随分と時間も使う羽目になりましたよ。
わざとやっているなら悪意すら感じますな、あれでは灰と紙を見分けろというものです」
「…だが、それももう終わったと?」
「ええ、それだけ非効率の極みであった各地の情報体勢、制作体制を一元化し集約させました。
少しずつではありますが、我々の念願だった新兵装も配備が動き始めています。
まだまだ末端全てにまでとは言えませんが、希望者や古参の幾人かに渡すまでにはできております」
「…素晴らしい。
おっと、愚痴を聞いたつもりだったが進捗報告になってしまったな、許せ。
それだけ動いているのなら俺たちの代であの余計な帝国を下すことも十分可能になるな」
「はい、必ずや」
鷹揚に頷いて、クレオンはまた杯を進める。
そうして幾度か味わった後で切り出した。
「…随分と時間がかかったが俺たちはこれで先王の膿は消した。
まだこれからも忙しいだろうが、これからは真に国を変えていく」
頼むぞ、と続けた言葉で再度杯を合わせる。
その動きの中で音にならない言葉として、縁談もまとめんとな、と誰に聞かれるものでもないささやきがあった。
夜は更けていく。
知られぬままに。
そして明けないこともわからぬままに。