カイルはその日、同期のリード、グリムと共に歩哨をしていた。
と言っても大した仕事でもない。
領地の境界付近の森に入って、魔物や木々の異変が無いかを確認するだけ。
たまに魔物に逢うこともあるがそれも3人もいれば何事もなく終わる。むしろ上手く討伐できれば帰ってからの食事がちょっとだけ豪華になることも考えればそれすら美味しい話の範疇でしかなかった。
「…しっかしよお、まさかグリムが当たるなんてよぉ。
…俺も応募したのになあ。
その剣つえんだろ? 代わりにちょっと奢ってくれよ」
「なぁに言ってんだよ、俺ら全員まとめて応募したろうが。恨みっこなしの公平ってやつよ。ま、もしかしたらエリートたる俺に期待ってやつかも知れないがな」
「お前こそ何言ってんだよ、お前俺より成績下じゃねえか」
ゲラゲラと笑う。
彼らは王国の南の果て、辺境領に任官されて3年になる。
元は王都で学び、そうして知り合ってから共に仕事をする仲になった。
そしてグリムが新兵装を手にしたのは純粋なる偶然。
限られた配備の数に、実際の使用に耐えうる彼の実験も含めた試用期間。その中でテスターの一人として選ばれたのが彼だった。
「ま、新王サマも色々やってるらしいし?
そのうちお前らにも配備くらい来るだろ。
ま、その時まで俺は使わせてもらうけどな」
「あー、確かに応募に外れちまった以上文句はねえけどよ。
実際それどうなんだよ?
使えんのか?」
「おいおい、カイル、ストレートすぎんぜ。
この辺なら大丈夫だろうがお貴族様に聞かれたらうるせーぞ。
お前らは陛下を疑っているのか、なんてな」
威厳らしき姿の仕方をマネしながら茶化す態度のグリムにまた笑いが起きる。
「そりゃまあ、俺ら平民だし?
何より使えるものかってのが重要じゃん?」
「俺もそれには同意だ。
だがまあ、グリムの言う通りで避けられる面倒は避けとくのが良いだろ?
それにあいつら話長くね?
辺境伯様はまだいいけど、マジで何かでこの辺に来るたび来る度挨拶だのなんだの、視察が何だので、暇で死んじまうぜ」
「そうそう、この前の時なんか、ジョージのやつが二日酔いなのもあってヤバかったぜ。
話し中じゃなきゃいつ吐くかで賭けたかったわ」
「俺も見てたわ、あんときの顔なあ。最後の方なんか白いのか赤いのかわかんなくなって、話終わって即行で走って行ってたぞ。
てかグリム、その剣の話聞きてえんだよ、それどうなんよ?」
「ん? ああ、これかあ。
ぶっちゃけちと重いしデカいんだよな。
いや、まあ、確かに相手にぶつければ相当ぶった切れるし魔力も込めりゃ火だのなんだので色々出来る。
だけどまあ、今までのやつからこれってのはちょっと慣れは必要だろうな」
「おいおい、急に真面目かよ。
火だのなんだのって何が出来るんだ?」
「あー、俺も詳しくはわかんねえけど、結構色々出来るらしい。
俺が火だけしか適合してねえから火なりデカイ炎を出すくらいだけど、それこそ辺境伯様だったら雷堕としたり一帯を氷漬けとかできるとかは言ってた気がするな」
「なんだそりゃ、もう辺境伯様だけで良いんじゃね」
「違いねえな。
だけどまあ、俺らは俺らでこういう仕事があるからな、安全てやつには万々歳よ」
また笑う。
これが彼らにとっての日常だった。
訓練と歩哨との繰り返しで、たまの休みに遊び飲んで過ごす。金があれば少し遠出して女を買っても良い。
ただそれだけの事。
軍属として死はそれなりに近くにはあるだろう。
だがそういうものだ、それで金になるならそれでいい。
何よりどうせ死んだところで仲間が笑って酒の肴にする。その程度だ。
ちょっと前にも先輩が死んでいた。確か7年ほど勤めていた人か。
運悪く2人での歩哨の際に2体の魔物に遭ったらしい。
そのせいで、いや3人にとってはそのおかげもあって今は3人で組むようになった。
ついでにその知らせを聞いて何日かの後には隊を上げてで随分と飲んだ。個人を偲びながら、そんな名目で浴びるように。
ほんの少しだけ死が近い。だが街に居ても旅に出るならそう変わるものでもない。だとしたらまだ仲間内でやれてる方がずっといい。
そしてそう死ぬもんじゃない。
そんなことを思いながら。
「安全安全、その通りで。
新王サマもその内この辺来るのかね?」
「まあ、来るだろな。
今でこそ大した何かも無いが、昔は結構ドンパチしてたらしいしな」
「うわ、まためんどくせえ。
しかも王サマとかもう最上級に色々やらされるじゃねえかよ」
「そりゃあな。
でも、流石に王サマなんだ。慰労とか何やらで酒と飯くらいは出して、く、…グっ…」
「ああ? 何だ、リード。風邪、…か」
最後の言葉はほぼ呼吸音そのものだった。
カイルがリードに視線を向け、咳込みでもしたかと姿を見ようとしたところで、
そこに在ったのは喉笛に噛みつかれ、牙が突き立ち、流れ出る赤の中に肌と似た色の繊維片を散らしているものが目に入ったのだから。
「は? リード? …何して…」
リードの傍には薄灰の体躯、毛並みと4つ足のそれは何度も見かけたことのある存在。
魔物であった。
だが、何故?
気付かなかった?
目視に、音すら?
カイルの脳内には濁流となった思考。
と同時に、危険への対応が身体では始まっていた。
「あ、ああ、ああああああっっっ!!!」
無理矢理喉を使い声を絞り出す。
心臓を、筋肉を、強制的に動かす。固まって動けなくなる前に。
意識が回り始める。
その最中、眼前、手掌一つ分ほどの先でがちんと音が鳴った。
驚くより先に認識。
それは刃と牙の接触。
先程までリードに食らいついていた獣が目の前にいた。
目が慣れる。
そしてにおいも。
血と野生のそれだ。
飛び掛かった姿勢のまま魔物は牙を合わせ、こちらを睨む。
重い、何とか受け止めたはいいがその勢いもなくなりつつあり獣の重量そのものが腕にかかり始めている。
「カイル!」
「…! グリム! 頼む!」
救いになったのは応援の存在。
押さえている内にグリムが斬ってくれ。
その意図は視線だけで伝わった。
長大な剣が獣に向かう。
終わる。
そう思った。
が、その剣先は空を切った。
身に届く前に口を離し、カイルの件に爪を当て自らを跳ねさせて避けきった。
反動でよろめく中でその姿がぼやけながらも見えて居た。
「…あいつ、リードを…」
「グリム、アレはめちゃくちゃ速いぞ」
彼我の距離は10歩程度。だがあの速さにとってそれは無いに等しい。
気を抜けば死ぬ。
カイルにとって恐ろしい絶望がそこに形として存在していた。
結果としてカイルは生き延びた。ただし左腕を肩から損傷する形で。
長く鋭い牙は彼の左肩を貫き、骨も砕きながらカイルを大地に引きずり倒した。
カイルが生き延びたのはそこで右手に持っていた剣を突き立てられたこと。
本の少しだけ先に動いていたカイルの剣が喉下に刺さり、飛び込んだ魔物の軌道を変えながら切り裂いたことで先に力尽きる路に至った。
カイルにとってその動きの殆どは見えて居ない。
ただ恐怖と仲間を失った怒りで冷静になりきれず、身体が動いてしまった。ただそれだけで、ただそれだけの幸運によって生き延びた。
歩哨中に魔物との遭遇。死者2名、生存者1名。その報告は直ぐに領軍で広まった。
そしてその長たる辺境伯にも。
「ご報告!
たった今領内歩哨中の3名が魔物に遭遇、内2名死亡、1名は重傷を負っての生還をしております!」
辺境領はそう広いわけでもない。ただしそれは国内の他の領土に比べてであり、人にとっては十分広く、そして多くの者が生きる土地であった。
それゆえ何が緊急となるやもしれぬ、異常の欠片は全て報告を上げよと各所に伝令が控えていた。
その伝令が蹴破るような勢いで執務室の扉を開け叫んでいた。
「…その魔物は死んだか? それとも引っ張ってきたか?」
「生還の1名が討伐を確認しております!
証拠こそありませんが、遭遇地点に死体ありとのことです!」
「わかった。…すぐに人を向かわせろ。最低5人と回収班だ。それと何があっても魔物の死体は回収しろ。急げよ」
「はっ!」
残された部屋に一人。
辺境伯の脳裏には死者の事。ただそれはその個々の人柄に、ではない。
数が多い。
死ぬことを受け入れていないわけではない。
ただそれ以上に、ここ数月の死者はどうにも多い。
他にいくつか気になることもある。
必要があるのかもしれない。
先程までの書類を全て忘れ、新たに奏上の文に取り掛かった。
それから夕暮れの中で、回収を命じた小隊が戻ってくるのは数刻の事。
いくつかの火に照らされ、広場に晒された魔物の死体に検分の目が入る。
「…これは…、常に見かけるものとは異なりますな…
変種、ではない、これはむしろ、…変異か?」
「その違いにはあまり立ち入らぬ。問題はこれが何を意味するかだ。
カイル、治療中だというに済まぬな。
…この魔物はどのようなものだった?」
問いかけの視線の先はカイル。
兵装の代わりに包帯を巻き、ところどころに赤の斑点を滲ませている。
その眼だけが昏くありながら、端に灯りが輝いている。
「ただ、速くありました。
いつもの歩哨では遭ったことのない速さでした。
俺たちの誰にも気づかれないまま近づいて、そのまま一人を殺しました」
「グリムは、あの剣はどうした」
「避けられました。
その魔物を、俺たちの誰も捉えられませんでした。剣傷は一つだけの筈です。
俺たちは一度たりとも剣を当てられなかった…」
「ならば、どうしてお前は生きている」
「偶然です。ただの偶然なんです。
たまたま俺が動いてしまった、そんなタイミングでちょうど向こうも飛び込んできた。それで剣が当たっただけです」
「…わかった。辛い中すまなかったな、だがその情報、助かるぞ」
彼を戻してやれと、副官に伝え、そして間髪もなく叫ぶ。
「早馬を用意せよ! 王都に向かう!」