領内を出て一日と半分ほど、辺境伯の姿は王城の門にあった。
怒髪にも似た剣幕で警備兵に言葉と文を叩きつける。
「我は辺境伯ヴィストなり! 疾くこの文を国王、宰相、軍務卿、法官、財務卿、…全てに届けよ! 誰に会っていようが無視しろ! 悪いがこのまま登城までさせてもらう!」
はっ、と短い敬礼の後に走り出す兵。その姿は平時であれば好ましく映ったであろう。だが今はそれすら惜しい。
馬は既に置いてきている、今は自らの脚だけで良い。
城門から階段、前室、内部大階段を経て中枢へと走り抜ける。
その速さに時折振り返る者もいるがそれも無視した。
都合三度の昇段で執務室への扉にたどり着いた。
「火急の事態にて失礼つかまつる! 陛下、今すぐ首脳陣の招集を!」
ドアノブを握り、半ば潰すほどの力で扉を空けながら叫ぶ。
その声に、驚きもないような顔でクレオンは応えた。
「うん? 卿との会談は予定になかったはずだが、どうした?」
「…ここで話すには聊か以上に、そして全員に話さなければなりません。
先に門番の兵に主要な大臣への召集の文を持たせてあります。今すぐに枢密院を」
「ふむ…。卿がそこまで言うのであれば構わんが…。
領からそれで来たのか? 人を呼ぶ、水くらい口にしておけ」
その応答をしたところで、ぜいぜいと大息をつきながら先の門番の男が走ってきた。
「陛下にご報告! 辺境伯より、緊急の招集の…」
そんな言葉を口にしたところで室内には既に辺境伯の姿を認め、言葉は一度切れた。
「ああ、よい、よい。内容はわかっている。報告元の辺境伯はここに居るからな。下がっていいぞ、それと誰か人をよこしてくれ、水を持たせよ」
頭を下げ下がっていく兵。再び室内には二人となった。
「…して卿をそこまで駆り立てたものは何だ?」
一瞬の逡巡。重く躊躇うように口を開く。
「…魔王の兆候らしきものが辺境にて確認されました。
旧魔王領への斥候からの報告はまだですが復活していてもおかしくありません」
「誠か? どの程度信頼できる?」
「ほぼ間違いはないかと。
魔物の変異らしきもの、狂暴化も観測されています」
そうか、ならば急がねばならんな、とクレオンは答える。
辺境伯が目にしたその唇にはどこか嗜虐の匂いが浮かんでいた。
「…ヴィスト殿、火急の用との文から我らはここにいるが早速次第を聞かせてもらえるかね」
8人の重鎮を集めての枢密院、その口火を切ったのは財務卿だった。
「ええ、勿論です。…単刀直入に言いましょう。
辺境にて魔物の変異を確認、旧魔王領にて魔王の復活の可能性があります」
馬鹿な、とは口にしない。だが半分を除いた面々には驚きが走った。
「…それは、もし本当であるなら、真の火急である。
だが、それを信じられるのか?
これまで我々も先代、先々代であろうと魔王など触れたこともない。
そも、魔王など寝物語以上に在りうるものか?」
嘲りは無い。同時に信の情もなかった。
「…卿はその家門に幾つの代を重ねておいでか。
8か9だろうか、私の系譜はその倍を数える。
勿論辺境の歴史を各々が記してな。
その上で魔王の誕生にはある程度の期間があることはわかっている、今もその期間からしてあり得ない話ではない。
無論、これが外れているのであればそれでいい、その時には私の首も賭けて構わん」
真直ぐに視線は目を貫く。
沈黙に、蝋燭の解ける音だけが妙に響いた。
「…各々がた。よろしいかな?
異存なければ我々はこれより魔王の存在を前提に動く。
国内の動員も、同盟国との連携も含めてな。
そして伯、卿はこの後どう動くつもりだ?
すぐに出るのか?」
「その心算にて。
領には副官を残してあります。魔王の前提で私の帰り次第いつでも出陣可能な体制を取れることを言い含めてあります。
王国の、そして同盟の軍も入れた連合の軍が届くまで押し留め、時間を稼ぎます」
「…死兵となる気か」
「…それこそ辺境の者ゆえ」
「なればよし。疾く領地へ帰参し、陣を整えよ」
その言葉を合図に各々が動きだす。
あるものは外交を担うものとして諸外国の大使との接見に、あるものは軍の特務再編と行軍旅程の作成に、あるものは臨時の法制に。
その中で2人だけが部屋に残っていた。
「パリスよ、これをどう見る?
天運とやらが回ってきたぞ」
「ええ、まさに。
辺境伯のあの様相、魔王を打ち砕くことで陛下の権勢はこれ以上ない輝きになります」
「で、あろう?
踊りだすにしては随分と先走ったものだが、見世にしては悪くない。
兵装も間に合わせられるか?
この好機に、あの父がひた隠した幻影は、我らが粉砕する。
舞台は飾らねばな、手落ちは許さんぞ」
「御意に。
王国は動き始めております。日夜止まらずにあれば、確実に間に合い、そして追加すらも行えるでしょう。
…辺境伯には感謝をしなくてはなりませんな、その時間で必ず全員の新兵装配備は間に合わせます」
「よろしい」
クレオンは笑う。
魔王の存在は知らなかったわけではない、ただ随分と早い。ただそれだけの事であった。
そしてその打倒も、そこからの復興でさえ手の内でしかない。
さらにその先、魔王を打倒した力は外の知へ向かう。
それこそ覇の強国と未来を描いていた。