北の街は今日も冷え込む、
吐き出す息が白くなるのを見ながら、レインは窯に薪を投げ込む。
幾度も繰り返した行為。
少しずつ内部に、部屋に温が満ちていく。
今日は幾つ試すか。
そう思いながら窯を見つめるレインに、玄関からの打音が届いた。
誰何はしない。その手間は不要と直接向かう。
はい、と扉を開けた先に居たのはこのところ出入りを頼んだ商人。
「どうも、…今日はどうされました? またお願いしたものの予定は先だったと思うのですが」
「あ、ああ、悪いな、レインさん。…ちょっとそのことで言わなきゃいけないことができちまった」
レインの双眸が細くなる。
金子の問題だろうか、だとしても2往復に足りるような額は先払いしたはず。一体なんだのだろうか。
その疑問を考える時間の沈黙を商人は先を話せという意図に受け取った。
どもりながらも言を続ける。
「レインさんの依頼、あの小麦の依頼っ、あれはあの南の王国産のやつだったろ。
あれ、もう、…扱えなくなっちまったんだっ」
「…扱えない?
それは一体またどうしてでしょうか。
定期での扱いの商路にしては少し長すぎたでしょうか?
ああ、それであれば隊商での依頼や2次依頼にしていただいても結構ですよ、その代わりもう少し量をいただければ…」
「違うっ! 違うんだ、違うんだよ、レインさん…
あんた、…まさか、知らねえのか?
あの王国はとっくにねえんだよ!
あの国はとっくに地図から消えちまったんだ!」
「…どういう、ことですか?」
「…もう一月も前の情報だ。
魔王が現れた。
…何言ってんだって、…そんなの御伽噺だろ、って思ってんだろ。
…そうだよ、その御伽話の魔王だよ!
悪い子は魔王に食われるって、その魔王が王国を食っちまったんだよ!」
叫ぶ。
雪の中半身を白く染めながらその叫びはレインの家に反響した。
「何がどうなったのか、わけがわからねえ。
ただ、王国は魔王の出現をわかってた。
それで迎え撃つって、総動員するって号令を掛けたらしい。
…だがそれも無意味だった。
王国は冬が落ちたって。
ここも寒い、だがあそこは地獄のそれだ。
…人間が立ったまま凍ったって。
嘘だと思ってるだろ、そうだろ!
…いいんだ、…そんなことが本当にあったかなんてどうでもいい。
…問題はその魔王ってのと帝国は戦ってる。
…それに確かめに行った馬鹿もいる。
…王国は何にもねえってよ。建物しかねえって。
人がいねえんだ、その人も、たまに北に向かう、路で、死んでるって!」
堰を切ったように止まらぬ言葉。
その中でレインの目は、商人の身体が少し震えていることを捉えていた。
寒さだけではない、怯えと不安だろうか。
「…アランさん。
ここは冷えます。一度上がりましょう。
お茶くらいは出しますし、話もまだ聞きますから」
そうして家へと招き入れ、いくらかの茶を傍らにまた話は続く。
「…レインさん、俺は怖くて怖くてしょうがないんだ。
王国いっこ落として、まだこっちに向かってこれるような、そんな化け物がいるなんて。そんなの空から岩が落ちてくるより、ずっと避けられない厄災そのものじゃないか。
帝国だっていつまでもつかわからねえ、そんな中で俺は、俺は、どうしたらいいのかもうわかんねえんだ。
このままここに居ても死ぬかもしれねえ、でも行く先もどこにもねえ。
…ただゆっくり死ぬのが近づいてるなんて、どうにかなってちまいそうなんだ…」
「…落ち着いてください、と言っても難しいでしょうから、代わりに少しだけ話を聞いてもらえますか?
…私も魔王は昔書物で、それこそ御伽話でも聞いたことがあります。
ええ、恐ろしいですよ。…でも、もし空から岩が落ちてくる程度の厄災なら私やドワーフの皆さんで止められます。それで傷ついても癒せます。
…少しでも何とかなりそうな気がしてきません?
…それに魔王について昔見た本では、そう長く生きる生物ではなさそうな記述でした。あまりに特殊な生物なのかもしれませんね。帝国も弱くはありませんし、それに国土からしても広大です。
まあ、帝国の土地まで来ているということは驚きではありますが、あくまで魔王は魔王として個の存在でしかないものです。組織された軍でも、数に意味を持たせた群でもない。その末路は必ず潰えるものですよ」
「…何か、あんたが言うと、そう思えてくるな。
本当にどうにかなるのか?」
「おそらくは、ですけどね。
ただこの辺りに居る者も決して弱いわけじゃない。もし魔王が迫ってくるというのならそれに応じて戦うことは出来るでしょう。
…ましてこの辺りは冷えます。いくら王都を凍らせることが出来たとしてももっと広く冷えた土地で生きるには準備と対応がなければかなり厳しいでしょうね」
「そ、そうなのか。
…いや、本当にそれなら、それなら本当に良いんだっ…
もう、毎日、寝れなくてっ…、いつこのまま死んじまうのかって…」
「ええ、大丈夫でしょう、そうはなりませんから。
ささ、もう一杯くらい飲んでください。
…それに少しばかり落ち着いて来ませんか?
実はこのお茶、少しだけドワーフに貰った謹製のお酒を混ぜてるんです。
酔う程ではなくちゃんと薄めてはいますが気付けにしてもよく効くものですよ」
「な、なな、な…ドワーフの酒を、茶に…?
…あんた、そんな、随分なことを…」
「ええ、まあ、貰い物ですし。
そのまま飲んでも良いんですが、少々彼らとは身体が違いますからね。
こうして飲むと良い感じに身体が温まりますよ?
…それと、落ち着いたら先程の小麦の話もしましょうか」
「あ、ああ、あんたが良いならそれで。
…さっきも言ったが、王国はもうない。これはどうしようもない事実だ。
扱おうにも産地そのものに流通の人間が消えちまってる、どうにもならんよ。
まだ残ってるかもしれない農家まで当たりを付けろって言うのならやらないでもないが、それだってどんだけ時間がかかるかわかりもしねえ。
…そもそもそういう農家だと売ってくれるかすらもわからん、全てにおいて王国の小麦を使おうなんて絶望以外の何物でもないな」
「そう、ですか。
…そうなるともう小麦については他の産地のものにするしかありませんね。
アランさんの扱えるもので他のところのものはどういうのがありますか?」
「今だと、東の方は問題ない。
逆に西のいくつかのものも扱えてたが、こっちはもうほぼ売り切っちまって新しいのは確認しないとどうにもな。帝国なり王国の路を使ってたりもしたもんだから、すぐに必ずとは言えん」
「でしたら、東のものを可能な限り買わせてください。
これまで王国のものを買っていた量で、総量を同程度にして全ての種類を試したいと思います」
「あ、ああ、それならそれで俺は良いんだが…。
レインさん、あんた、何もないのか?
…一応王国、故郷なんだろ?」
「…いえ、何も」
そうか、と一言を残しそそくさとアランは出て行った。
最後に少しばかり期日は伸びるが必ず用意はすると添えて。
部屋に残ったレインはまた、何もなかったように窯に向き合った。
「…そうか、この小麦が最後になるのか…」
その視線の先には以前購入した小麦の袋。片手で数えられるようなものが積んであった。
少し見直さないといけないな。
そうして部屋の一角、箱に収められたノートを取り出す。
パラパラとめくるたび、細かに書かれた記述の雪崩に、一つを残して全ての頁に大きく書かれた斜線。
その一つ一つを見返しながら、焼き上がったパンを手に取って、ちぎり口にする。
「…これも、違う」
あの時の味はずっと届かない。
また頁に斜線が加わった。
いつかこの火もノートも、誰も知らないまま消える。