「AIさん、どうしたら恋人になれますか」 作:Geminiちゃん痛くしないで
放課後の第一音楽室。
夕日が差し込み、無数の埃が金色の粒子のように舞う空間で、秋山凛は一人、譜面台と向き合っていた。
彼女が愛用する銀メッキのトランペットが、西日を反射して鋭い光を放つ。凛はすらっとした背筋を伸ばし、深く、長く呼吸を整えた。その無駄のない所作は、まるで一つの儀式のようにも見える。
「――……」
放たれた音色は、鋭く、それでいてどこか哀愁を帯びて、静まり返った音楽室の壁を震わせた。
凛は吹奏楽部のエースだ。彼女の奏でる音には迷いがない。それは彼女自身の性格――落ち着きがあり、常に自分を律し、他人に甘えることを良しとしない潔癖さをそのまま映し出したような音だった。
「秋山先輩、お疲れ様です! 差し入れ、ここに置いておきますね!」
後輩の女子部員が、憧れの眼差しを隠そうともせずに駆け寄ってくる。凛は楽器を口元から離すと、わずかに口角を上げて、穏やかに、しかし一定の距離感を保ったまま応えた。
「ありがとう。でも、練習中に気を使わなくていいわよ。自分のパートに集中して」
「は、はい! 失礼します!」
後輩が去った後、凛は再び静寂の中に取り残された。
彼女はその端麗な容姿と、凛とした佇まいから、男子生徒たちにとって「眺めるだけで十分」な、いわば神格化された存在だった。実際に話しかけても、彼女は常に大人の余裕を感じさせる落ち着いた対応をする。その隙のなさが、逆に男子たちの気後れを誘い、結果として彼女の周囲には常に「静寂」が保たれていた。
だが、そんな彼女が唯一、その堅牢な防壁を緩める瞬間があった。
「……あ、もうこんな時間」
時計の針が午後六時を回ったのを確認し、凛は手際よく楽器のメンテナンスを始めた。
ふと、窓の外に目を向ける。渡り廊下のベンチ。そこには、今日も見慣れた少年の背中があった。
幼馴染の、佐々木陸。
凛にとって陸は、空気と同じくらい当たり前に側にいる存在だ。彼といる時は、エースとしての重圧も、周囲からの視線も意識しなくて済む。
(陸は、変わらないわね。……いつも、私が練習を終えるのを待っててくれる)
凛はケースの金具をパチンと閉めると、少しだけ足早に音楽室を出た。
廊下で彼と合流する。陸が「お疲れ、凛。今日の最後の一音、最高だったよ」と、何の裏もない、柔らかな笑顔で迎えてくれる。
「そう? ……少し、ピッチが甘かった気がするけれど」
「そうかなぁ? 俺は凛の音、好きだけどな」
陸の言葉は、凛の心に波紋を立てることなく、スッと染み込んで消えていく。彼女にとって、陸の「好き」や「褒め言葉」は、家族からの労いと同じカテゴリーに分類されていた。
陸が自分を異性として見ている可能性。そんな、今の心地よい関係を壊しかねない「ノイズ」を、彼女の理知的な脳は無意識のうちに弾き出していたのだ。
「帰り、スーパーに寄ってもいい? 今日の夕飯、お母さんに頼まれてるの」
「いいよ、付き合うよ」
凛は陸の横を歩きながら、ふと思う。
いつか自分に大切な人ができたとしても、陸はこうして隣で笑ってくれているのだろう。それは彼女にとって、疑いようのない「永遠の日常」だった。
その日常が、陸のスマートフォンの中に潜む「劇的な乙女ゲーム脳AI」によって、今まさに粉々に砕かれようとしていることなど、凛は知る由もなかった。