火遊びはよくない 作:竹藪焼けた
面倒くさいからサブタイトルを話数にしているのですが…サブタイトル、必要なんですかね。
体育祭の仕事をほとんど終え、電話を取る。
『…繋がった。もしもーし…あ…お兄さん、もしかしてまだ仕事中だった?』
男はそれを肯定した。
皐は申し訳なさそうな態度で話を続ける。
『やっぱり?…ごめん、急に電話かけて』
『後でかけ直した方がいい?』
いや、別にいい。話してどうぞ
『そう…?なら、聞きたいんだけど…』
『来週末の土曜日、空いてる?』
『…アタシの好きなアーティストのチケットが二枚手に入ってたんだけど…友達が行けなくなってさ…暇だったら…一緒にライブを見に行かない?』
…ライブか。
どんな人のライブなんだ?教えてくれ
男がそう問えば、皐から返答が返ってくる。
皐は嬉しそうに声を弾ませて、男にメッセージを送ってきた。
『…この人のライブ、詳細はチャットで送ったから見て』
男がそれを見る。そのアーティストは…彼が大学生のころ、狂ったように聞いていた人物だった。
今でこそ、あの時の熱量は失われてしまったが…今でもたまに聞いている。
彼はカレンダーアプリを開き、予定を確認した。
おぉ…君もこの人が好きなのか。若いのにいいセンスしてるな
俺も昔よく聞いてたよ、懐かしい。
来週の土曜日だったか?…空いているよ。
是非一緒に行かせてくれ。
男がそう答えれば。
『…昔、よく聞いてた…か』
小さく皐は呟く。男は聞き取ることが出来ずに聞き返したが。
『ごめん、なんでもない…気にしないで』
『来てくれるんだね、良かった』
『…言質は取ったから…ちゃんと覚えといてよね』
『持ち物とかはそっちで準備できるでしょ?』
皐からはうやむやにするかのように誤魔化されてしまう。
だが、そこまで重要でもないので聞き返すことはしなかった。電話越しで別の人の声が入り込んだのかもしれないし。
勿論、それじゃ。もう仕事に戻ってもいいか?
とだけ返し、彼女の了承を得て通話を切った。
その後。体育祭の後始末を完全に終えて。
独りで駅まで向かう傍ら、昔よく聞いていた音楽をイヤホンに流していく。
久しぶりに聞いたが、やはりいい曲だと、男は思った。
~~~~~
そして、数日後。6月の最初の週。
彼は指定された待ち合わせ場所を訪れる。
皐と約束した十数分前に到着したわけだが…うわ、もういる。
男の視線の先には、暇そうに携帯を動かしている彼女がいた。
だがまぁ、来てしまった以上は話しかけないわけにもいかない。
男だって彼女からの誘いに応じた立場な訳で、一応遅刻してはまずいという意識の元、早めに訪れたのだから。
おはよう。随分と早いじゃないか、まだ時間に余裕があるのに。
気軽な感じで彼女に話しかければ、柔らかな笑顔で皐は応じる。
『ん、おはよ。お兄さん』
『まぁね、ライブに遅れたりしたら嫌だったし。早めに家を出たんだ』
『お兄さんこそ…今日は、いつもみたいに遅れたり、理由をつけて引き延ばしたりしないんだね』
『てっきり、電車一本くらいは遅れてくると思ってたけど』
微笑みながらも、彼女はチクチクと言葉を飛ばしてくる。
別に好きで遅れてる訳じゃないんですけどね、消臭剤とかかけないといけないし、意外と仕事は忙しいもので。
…金や娯楽に関する約束はきちんと守ることにしてるんだ。
友人でそういうのにルーズな奴がいて、そいつに散々痛い目見せられたからな。
他の人にそんな体験をさせたくないから、遊びの約束は守るし、時間前に来るようにしている。
…いつものあれは…仕事終わりだからさ。電車が込んでて乗れない事もたまにあってな、許してほしい。
そんな風に、男は手を合わせて軽く弁明する。
皐は男の言葉を聞いて、少し意外そうに…というか、どこか不愉快そうに言う。
『…へぇ、意外。お兄さん…約束とか思い出とか、全然記憶してないタイプだと思ってたけど』
『直近の約束とか、友達同士の約束とか、お金の貸し借りの事はきちんと憶えてるんだ…』
『…アタシとの思い出は、それ以下って事…?』
男はそんな彼女の様子に気づくことなく、普通に話し続ける。
そうだ、そろそろ行こうじゃないか。
早く出ればその分、アクシデントにも対応できるしな。
『…うん、そうだね。そうしよっか』
そうして、二人はそのまま電車に乗ってライブ会場に向かう。
電車の中はそこまで混んでいなかったが、二人の間には気まずい雰囲気が漂う。
座席に座りながら、携帯でも弄ろうかと出した瞬間。
メッセージアプリの通知音が鳴る。
【色裂 蔡】からのメッセージが届いています。
おっと…これはまずい。
男は思わず、瞬発的にその通知をスワイプする。
そしてその直後。
『…』
何も言わず、隣に座っていた皐が肩に頭を預けてくる。
当然、携帯をのぞき込むような形にもなる訳で。
男は自然体を装いながら、携帯をスリープモードにした。
流石にSNSの通知だけで詰めてくることはないだろうが、こういうのは念には念を入れておいた方がいい。
頭を預けながら、流し目で見つめてくる皐の視線が痛い。
…もしかして、イロからの通知を見られてしまったか?
そんな嫌な想像が、男の呼吸を薄くする。
『ねぇ、お兄さん』
はいなんでしょう。
『…別に、携帯見ててもいいよ。アタシ、何にもしないからさ』
『退屈なんでしょ?』
いや、無理だが。そっちが気にしなくてもこっちが気にする。
携帯というのはプライバシーの塊のような物だ。それを他人にずっとのぞき込まれた状態なのは嫌悪感がある。
更に言うのならば、万が一にもイロからの連絡を見られたくないし。
男は携帯を開かずに鞄にしまい込む。
『あ、弄るのやめるんだ』
『…見られたくないモノでも、有るの?』
どこか不満そうに、探るように。
皐は男の耳元で、小さく囁く。
本音を言うのなら、はい、そりゃありますよ。とんでもない爆弾が。
しかし、馬鹿正直に理由を述べる訳にはいかないので。
男は一般論を述べて誤魔化すことにした。
見られたくないものくらい誰にだってあるだろ。職場の人とのラインとかな。
そういう君は見られたくないものはないのか?
皐は少し考えるそぶりを見せた後、ぽつりとつぶやく。
『まぁ、有るけど。別に貴方にだったら見せてもいいよ』
『…見る?』
いや、やめておきます。
だってそれ見ちゃったら、こっちも見せなきゃいけなくなっちゃうじゃん?
そんな本心を隠しながら、男は丁寧に拒否する。
すると皐は、微かに笑って。
『…そっか、なら。また別の機会に見せてあげるね?』
『きっと…驚くと思うよ』
ほの暗い笑みを浮かべ、皐は笑う。
その笑みからは、どこかうすら寒さを覚えた。
だが幸運なことに彼女はそれ以上、携帯に関しては追及してこなかった。
それ自体は良かったが、退屈なのは変わっていない。
携帯を弄れない以上、どうしても手持ち無沙汰だ。
イヤホンでも持ってくるべきだったかな。
男がちょっぴり後悔していると。
皐がワイヤレスイヤホンの片方を取り出してくる。
『…聞く?暇してるっぽいし』
『アタシのイヤホン、右だけ貸してあげる』
おぉ、ありがとう。
何も考えずに、男はそのイヤホンを受け取る。
そして耳にはめ込み、何の曲が流れて来るかと思っていると。
昔、よく聞いていた音楽が流れてきた。
大学生時代、軽音サークルに所属する傍らよく聞いていた、今から行くライブのアーティストの曲。
その中でも、大学時代特にお気に入りだったもの。
あのアーティストの曲の中ではそこまで人気ではなかったが、男はその曲が一番好きだった。
この曲が、好きなのか?
男は思わず聞いてしまう、なんというか。あんまり彼女の雰囲気には合っていないような気がして。
少しだけ言うと、意外に感じられたから。
『…うん、この曲が一番好きなんだ』
彼女はどこか懐かしむような視線を男に向けながら、そう呟く。
そうか、俺もこの曲が好きだったよ。
その言葉に皐はピクリと反応する。
『…好き、だった?』
『今はもう、一番好きではないの?』
あぁ、今は一番じゃない。昔はかなり良く聞いてたのは確かだ。
今はもうあんまり聞かなくなったけどな。
…おおっと、すまん。失言だった、別にあの曲を貶してる訳じゃない。
勿論今でも好きだぞ、ただ…一番じゃなくなったってだけで。
『…そう、なんだ』
皐が露骨に意気消沈する。
何かまずいことを言ってしまったらしい。
きっと、自分と趣味が合わないことに皐は悲しんでいるのだろう。
そう男は考え、彼女を慰めるような言葉を吐く。
あぁ…まぁ、そんなに気にすることでもないさ。
人間って時間で変わるものだからな。趣味や人間関係だって、そうだろ?
移り変わって、忘れていくんだ。
あのアーティスト、今でもちゃんと好きだから別に趣味が合わないわけじゃない。
だからそんなに…あー、まぁ気にすんな。
そう言って、慰めようとはしたけれど。
なんだか皐の様子が少しおかしくなる。
『…人は、変わる…忘れていくか』
『ははっ…そう、そうだね、お兄さん』
『簡単に、人は変わってしまうし…忘れてしまうんだね』
皐の見開かれた眼からあふれる視線が、男を貫く。
冷や汗が流れてきそうな、嫌な視線だった。
なんですか、なんでそんな視線を向けるんだよ。
男は剣呑な雰囲気にたじろいで。
彼は何も言うことは出来ず、皐もそれ以上何も言ってはこなかった。
ただ、少し気まずい時間が流れていく。
そんな事をしていれば、最寄り駅まで着いた。
男は感謝を述べてイヤホンを外し、皐に返す。
『どういたしまして』
彼女はそう言うけれど、その言葉から謙虚さはあまり感じ取れない。
男は、冷たい視線を浴びながら。
そのままライブ会場まで歩みを進める。
なぜ自分がこんな目を向けられているのか、さっぱり分からないまま。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
その後は特別何も起こる事はなく。ライブ会場を訪れ、二人並んでライブに参加した。
ライブ中二人の間に何かが起こる事はない、ただ他の観客と同じように熱狂しながら音楽に身を委ねる。
ただそれだけ。
皐は男に何か仕掛けてくることはなく。
男もそのライブをただただ楽しむ時間を過ごす。
一度始まってしまえば、電車での蟠りなんて気にしない。
元々ライブを楽しみに来たのだ。ここで気まずい雰囲気のままなんて馬鹿らしい。
故に二人で場に乗って、全力で楽しむことに専念した。
そして、楽しい時間は終わりゆく。
観客たちは案内員に従い、各々散っていき。皐と男も帰り道を歩いていく事になる。
『お兄さん、楽しかったね』
あぁ、誘ってくれてありがとう。
二人はそんな風に軽く言葉を交わし。ライブの良さを語り合い、盛り上がったシーンを思い返す。
そうして、夜風を浴びながら興奮を冷ましていく。
話しているうちに。男はある疑問が頭に浮かんだ。
皐の音楽の好みは、昔の男に非常によく似ていた。
その好みは男の知っている今どきの学生たちに比べると古いものが多い。
まぁ曲の好みは人それぞれだろうが、普通の学生に比べると逸脱しているのは確かだと思う。
男は衝動のまま、彼女に少し質問をしてみることにした。
そう言えば、このアーティストの事をどこで知ったんだ?
ファンは根強いけど、結構マイナー寄りだよな、何かきっかけでもあったのか?
その質問をした瞬間、皐の笑顔が少しだけ凍り付く。
だが、直ぐに答えを返してきた。
『…えっと、昔…アタシにギターを教えてくれた人が、この人の曲が好きでさ』
『その影響で、聞くようになったんだ』
どこかしどろもどろになりながら、皐は答える。
少しだけ、期待を孕んだ眼をしながら。
そして。その言葉を聞いて、男は。
へー
としか思わなかった。特に何も考えることなどない。
そして、続けるように言う。
そうかぁ、そいつセンスいいな。
いつか逢えたら楽しい会話が出来るかもしれないな。ハハッ!
チッ
どこかで、小さく舌打ちが聞こえたような気がしたが。
男の耳には入らなかった。
皐の方を見ないで、そのまましゃべり続ける。
いやでも…そうかぁ。君、ギターをやってたんだったな。
俺も実は昔やってたんだよ。今は殆ど覚えてないけど。
サークルではボーカルも兼任してた。
いやぁ、懐かしい。
そうだ。君にギターを教えた相手ってどんな人なんだ?
その時、男は皐の機嫌が『何故か』悪くなっていることに気づく。
またなんか変なこと言ったかな?
『その人が…どんな人かって?』
『そうだねぇ…女癖が悪くて、物覚えが悪くて、人助けが好きな癖に人を助けたことを全く覚えてない癖に…ヘラヘラしてる、アタシより年上の男』
やけに機嫌悪そうに、誰がどう見ても怒っているような雰囲気を纏って。
酷く具体的に皐は答える。
そ…そうっすか。
男は相槌しか返せない。
なんか、思ったよりも…反応が悪いな?
どうやら皐はその男性とはあまりいい思い出がないらしい。
…深堀しようとするだけで彼女をこんなに怒らせる人って、どんな奴なんだろうか。
彼女はしょっちゅう不機嫌になるが、あの忌々しい脅迫と恋愛事が絡まなければ極めて真っ当だ。
ちょっと遊んでそうな外見に反して、かなり中身はいい子だし、大体の人や動物に優しい。
そんな彼女にここまでボロボロに罵られるなんて、そんなに酷いな奴なのか?
一周回って男はその人物に興味を抱く。
彼女の言葉曰く、自分と音楽の趣味は近いみたいだし…会ってみたら意外と面白いかもしれない。
もし会うことが出来れば、彼女との関係を切るためのアドバイスとか貰えるんじゃないだろうか?
そんな思考をするが、直ぐにその考えは霧散する。
余りにも荒唐無稽な考えだ。多分皐にその人の連絡先を聞いても教えてくれない事だろう。
だって、話題にするだけでこんなに不機嫌になるんだし、連絡先なんて持ってるはずもないだろうから。
まぁいい。皐との会話で彼女が『何故か』不機嫌になるのはそこまで珍しい事でもない。
これ以上悪化する前に、さっさと電車に乗って帰るとしよう。
男はもはや口を開く事すらやめて。
そのまま歩き始める。
背中に、酷く苛立った視線を浴びながら。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そして、電車に乗って。
待ちあわせ場所となったターミナル駅まで戻ってきた。
そして、男はいつも通りのお別れの言葉を述べて。
そのまま立ち去ろうとするのだが。
『あ…アタシも行くよ』
皐は男の腕を手繰り寄せ、寄り添うように男の隣に並び立った。
男が驚き、彼女に何かを言おうとする前に。
『…明日、休みでしょ?』
『やろうよ、久しぶりに。貴方の家で』
こいつ…体力が有り余りすぎだろ。
こっちはもうライブで限界なんだが。
別の日じゃダメ?
男は彼女にそう提言するが。
『ダメ。そもそも、最近…仕事を理由にアタシの事を放置してたよね』
『ちょうどいいし、そのまま泊めて』
『…それに今。少しイライラしてるんだよね。だから…発散させて?』
やけに据わった眼で、少女は男の腕に絡みつく。
酷く窮屈に締め付けるその腕からは、逃がさないという強い意志を感じた。
男は諦め、そのまま彼女を家に引っ張っていく事にした。
もしここで振り切ろうとしても、彼女に家を知られているわけで。
抵抗して現状が悪化するよりはマシだ。
そこら辺の飲食店でテイクアウトした食事を食べて。
風呂で汗を流した後に二人で踊る。だが、今日はいつもとはどこか違っていた。
貪りあい、踊る最中。
皐が男にもたれ掛かり、高揚し、熱に魘された様子で男に問う。
『ねぇ、お兄さん』
『貴方の事…噛んでいい?』
???
男はその言葉の意味を一瞬咀嚼して。
彼女はその隙に、男の肩にちょこんと頭を乗せ、綺麗な歯をそのまま首元に当てた。
いいわけないだろ
男はそう言うが。
『…だいじょーぶだって、血管を噛んだりはしないからさ』
『噛まれた結果死んじゃいました、みたいなことにはならないから』
そういう問題じゃないんですけど。
男は彼女の凶行を阻止しようと両手を彼女の肩に当てる。
そうすると、微睡むような様子だったはずの皐の視線が冷えていく。
そして、小さく男の耳元で囁いた。
『…アタシの機嫌、悪くしてもいいのかなぁ…』
『貴方の人生はアタシが握ってるってこと、忘れてない?』
『…ぜーんぶ、台無しにしてほしいのかな?』
この性悪女…イロもそうだが、脅迫に躊躇いが無さ過ぎるだろ。
男の手が止まる。それを見た皐は満足そうに息を吐いた。
『あは…そうそう…大人しく従ってよ』
『目立たないところにしてあげるからさ…あー…』
だが、噛み痕をつけられるのは流石に困る。
口を開けた彼女が男の事を噛み千切る前に、彼は説得を行った。
…待て待て、相手を噛むなんてそんな倒錯的な事。やっぱりやめないか?
ほら、痕だって目立つじゃないか。
そう言うと、皐は訝しむように眉を顰める。
『…今さら何言ってんの?…倒錯的って、ギャグのつもり?…面白くないけど』
『アタシを抱いてる時点で、お兄さんは既に倒錯してるでしょ』
『それに…いいじゃん、噛み痕くらい。この関係よりよっぽど健全だよ』
男は何も言わない。というか何も言えない。
言われてみればまぁ、現状の方が倒錯しているかもしれない。
だが、そうではないのだ。この際、別に噛まれることはいい。問題は噛み痕の方なのだ。
流石に噛み痕をイロに見られたらヤバい。
男はそう思い、何とか説得を続けようとするが…。
『…ねぇ、お兄さん。噛み痕、見られたらダメな理由でもあるのかな』
『そんなにやめさせようとしてくるって事は…アタシとの約束、もう破ってたり…する?』
どこか光の失せた目で、皐は男に眼を向ける。
その視線は、酷く冷たかった。
おっとまずい。
そう言われると男には否定の選択肢しかない。
本当に破ってるんだけど、正直に話したら殺されてしまうから。
其れっぽい言葉を述べて、男は回避を試みる。
ハ…ハハ…ソンナワケナイダロ。
エえと…。俺はただ…教師として生徒にそんなインモラルな物を見せるわけにはいかないんだよ。
分かってくれるよな?
男がそう言えば、意外な事に皐は表面上は理解を示してくれた。
『…ふーん、まぁ。いいけど』
『分かった…』
助かった、納得してもらえ―
『じゃ、服で見えないところ嚙むよ』
は?
男が警戒心をを手放した瞬間。
鋭い痛みが、綺麗な白い歯が肩に突き刺さり、男の肉を裂いた。
いっ…
思わず身を震わせれば、皐は赤い液体を楽しそうに滴らせ。
満足そうに唇を舐める。
その様は酷く扇情的で、彼女を知らない人ならばきっとそれはそれは美しく見えたことだろう。
最も、目の前の男にとってはどちらかというと怪物のように映ったのだが。
『あは…ごめん。やりすぎちゃった』
『まぁでも、大丈夫だよね。服を脱がない限り見えないだろうから』
『…次は、ちゃんと痕で済ませてあげる』
これじゃあ噛み痕じゃなくて噛み傷じゃねぇか。
男はそんな事を思いながら、反対側の肩にも噛みつこうとする彼女を止めようとするが。
『…別にいいじゃん。次は、血が出ないようにするから…』
『お願い…ね?』
上目づかいで皐は頼み込んでくる。
綺麗な顔で見つめられると、男の心は簡単に傾いてしまう。
結局、シンプルな色仕掛けに男は弱かった。
性欲に身を委ねてきた人間だったから、致し方のない事なのかもしれない。
…
男は悩んだ末、結局許す事にした。
もうついちゃったし。今さら一個増えても同じだろう。
『ふふ…なら遠慮なく。…あむ』
彼女は口に出した言葉とは裏腹に、かなり強く、そして深く男の事を噛みつけてきた。
血はでてないが、かなりくっきりとした痕が残っている。
痛みをこらえて、男は耐える。
どうやってこの痕を誤魔化そうかな、みたいなことを考えていれば。
皐は男に乗りかかったまま。ずいと肩を男の目の前に寄せてくる。
?
男が困惑し、何もしないでいれば。
『…はい、噛んでよ』
『貴方だけっていうのは、不公平でしょ』
『思いっきり噛んでいいよ。アタシの事。血が出るくらい、強く…痛くしていいから』
…こいつ倒錯しすぎだろ。
男は内心、彼女にドン引きしながらも。
噛まないと納得しなさそうなので。仕方なく、本当に仕方なく。
皐の綺麗な白い肌に噛みついた。
柔らかい肌に、男の歯が踏み込んでいく。肉を噛むように。ゆっくりと痕をつける。
その感触は、とても嗜虐心をそそられるもので。男は何だか吸血鬼みたいな気持ちになった。
皐の痛みと興奮で漏れた微かな、けれど澄んだ声は、男の興奮を引き立てるには十分なスパイスになる。
そして、二人の踊りはさらに過熱していく。
痛みと倒錯は興奮を呼び起こし、二人の乱れを増幅させた。
そして全てが終わった後。
朝日を浴びて冷静になった男は。
一日や二日では到底消えなさそうな跡を見て。
皐を止めなかったことを、ものすごく後悔した。
鈍感系主人公っていましたよね。
こいつもある意味そうなのかもしれません。