ポケットモンスター マッドサイエンティストな俺が、禁じられた並行世界の数式を解き明かして、伝説の神を論破する話 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
「……くっ、ふふ。よろしい。実に見事な、そして完璧に欺瞞的な『お別れ』だ」
私は今、ミアレステーションの雑踏を見下ろすテラスに立っている。
眼下には、相変わらず草臥れたコートを翻して歩くハンサム君と、その隣で所在なげに周囲を見渡す少女――マチエールの姿があった。
カロス地方を覆っていた伝説の残響も、3000年の王が落とした毒の残り香も、一般市民の目には映らない。だが、私のアクロママシーン17号のモニターは、マチエールの足元から伸びる影が、じわりと「裏側」の色彩に染まりつつあることを示していた。
「……アクロマ様。本当にいいんですか? 直接会って説明もせずに、あんな怪しげなメールを一通送りつけるだけで」
端末のスピーカーから漏れる助手君の声には、隠しきれない非難の色が混じっている。
「説明? 助手君、科学者に情緒的な対話を期待するのは時間の無駄ですよ。……いいですか、彼女の身体はすでにジガルデ・セルと共鳴し、ウルトラスペースの干渉を受けやすい『受容体』と化している。このままミアレに留まれば、彼女は遅かれ早かれ『裏側』の侵食に飲み込まれ、第3話で見たあの幽霊の少女と同じ末路を辿ることになる」
私は手元のキーを叩き、マチエールのホロキャスターへ向けて一通の「きらきらメール」を送信した。
表面上は、カロスで流行している可愛らしいデコレーションメール。だが、その背後に埋め込まれたバイナリコードには、私がこれまで各地方で収集した「高次元炭素」の共鳴周波数と、アローラの「祭壇」へと繋がる特異点の精密な座標が隠蔽されている。
「……今、送りました。彼女がその座標を認識した瞬間、メールに偽装されたナノマシンが彼女の視神経を介して脳内へ浸透する。それは彼女の意識を現実世界へと繋ぎ止めるための、強固な『錨』として機能するはずです」
「……錨、ですか。それって、彼女を守るための……」
「おまじないですよ。……ハハハ! 科学者がおまじないなどと、滑稽でしょう? ですが、論理では制御できない異次元の侵食に対抗するには、観測者の『思い込み(バイアス)』を逆利用するしかないのですよ」
眼下の広場で、マチエールがホロキャスターを取り出した。
メールを開封した彼女の表情が、一瞬だけ驚きに目を見開く。
彼女は周囲を見回し、まるでどこかに隠れている私を探すように視線を彷徨わせたが、私は柱の影に身を潜めた。
「……アクロマ。あんた、どこにいるの? この座標……これって……」
彼女の呟きは、群衆の喧騒にかき消される。隣にいたハンサム君が不思議そうに彼女の顔を覗き込み、何かを問いかけているようだった。
「……さらばです、ミアレの英雄。君はそのまま、ハンサム君と共に不完全で美しい日常を歩みなさい。世界の裏側を覗く役目は、私一人が引き受ければ済む話だ」
私は踵を返し、ステーションの奥へと歩き出した。
私の目的地は、すでにカロスではない。
第15話で採取した「永遠の花」の毒。その毒の出処であり、すべての反転宇宙が閉じ込められているという熱帯の楽園――アローラ地方。
「……さて、助手君。次のフライトの準備を。エーテルパラダイスという場所に、私の知的好奇心を満足させてくれそうな、実におめでたい科学者たちがいるようですから」
「……はいはい。結局、マチエールちゃんに直接『元気で』って言えなかった照れ隠しですね、わかります」
「照れ? 助手君、君の言語辞書を再構成したほうが良さそうだ。……いいですか、私はただ、貴重なサンプルを無駄なノイズで失いたくないだけです。……ええ、科学ですから!」
私は笑い、白い白衣を翻してゲートを潜った。
背後のミアレの街灯が、夕闇の中で一番星のように瞬いた。
それは、これから私が解き明かそうとしている「創世の真理」からすれば、あまりに小さく、あまりに儚い輝きに過ぎなかった。