学校所有の森で傷付いた魔物を見つけたバラム。同僚である養護教諭ミリアの力を借りて魔物の保護に向かいます。
悪魔学校バビルスの保健室は、他の教室よりひときわ静かだった。
医薬品と紙と、ほんのわずかに甘い香りが漂っている。
「失礼します」
扉を開いたのはバラム・シチロウだった。先日の決起会もとい飲み会でバラムに撫でられて以来、養護教諭ミリアは変に意識している。彼女は驚きのあまり手に持った魔茶をこぼしそうになった。
「バ、バラム先生!?」
「おっと危ない!」
バラムは咄嗟に魔茶の入ったティーポットを支えた。
「すみません、驚かせてしまって」
くぐもった低い声が響く。
「あぁいえ、どこかお怪我でも?」
ミリアは姿勢を正して湯飲みを二つ用意した。
「あ、今日は僕じゃなくて、魔物の……保護についてなのですが」
「保護?」
「怪我をしている魔物がいて…保護してあげたいのですが…ただ、警戒心が強くて近づけないのです」
ミリアは少し考えたあと、ハッとしたように答える。
「なるほど。それで私に?」
「そう、ミリア先生の家系能力なら、魔物に警戒されずに近づけるんじゃないかと」
変身(メタモルフォーゼ)は彼女の持つ、姿を変える力だ。
ミリアは小さく頷いた。
「……分かりました。場所を教えてください」
バビルス近くの森の中。普段は生徒の授業に使われている場所だ。
問題の魔物は、岩陰に潜んでいた。体は小さいが、負傷しているわりにこちらが近づくと一定の距離を保ちながら機敏に逃げ回る。
「かなり怯えていますね」
ミリアは低く呟く。バラムは距離を取りながら頷いた。
「悪魔への恐怖が強いようです」
少しの沈黙。
そしてミリアは、目を閉じた。
その姿が、ゆっくりと揺らぐ。
次の瞬間――
そこにいたのは、小さな同種の魔物だった。飲み会で披露したよりは一回り大きく猫くらいのサイズだろうか。
「……見事ですね」
バラムが思わず漏らす。そして有無をいわさず抱きかかえて背中を撫でる。
「ち、ちょっとバラム先生!今はそれどころじゃ」
「あ、あぁ。そうだった。すみません。それより先生、変身中も悪魔語が話せるんですね。てっきり魔物に変身中は喋れないものかと」
「あれは酒に酔っていて完璧ではなかったからです。本来なら変身中も悪魔の時とある程度同じことが出来ます。このまま魔法も使えますよ」
「へぇ!すごいな!もっと聞かせてください」
「いやだから、今はそれどころでは・・・早く離してください」
「あ・・・すみません」
ミリアに窘められバラムはそっと地面にミリアをおろした。
ミリアは振り返らず、ゆっくりと魔物に近づいた。警戒していた魔物が、わずかに動きを緩める。
そのまま、時間をかけて距離を縮める。
「ミャァァァアウ!」
魔物の鳴き声を真似してゆっくりと近づき、そしてついに触れるほどに近づいた。
(今だ!)
ミリアは変身を解いて魔物を捕まえた。振り返りバラムの方を向く。
「バラム先生!捕まえまし―」
「危ない!」
魔物が爪を出してミリアに襲い掛かろうとした瞬間、バラムはミリアの前に駆け寄り魔物の爪を自身の腕で受けた。バラムの手袋が引き裂かれ、鱗状の肌が露出した。
「バラム先生!!」
「ミリア先生、お怪我はないですか?」
「私は…先生こそ!」
「はは、このぐらいなんともないですよ。この魔物は毒を持ってる種族でもないですし」
バラムはミリアから魔物を受け取り抱きかかえた。鋭い爪がバラムの胸元の羽を掻きむしるが、もはやなんの攻撃にもなっていないようだった。
「やっぱり強いですね」
「まぁ強いほうかな。はは。ミリア先生に怪我がなくてよかった」
いつものように魔物をわしゃわしゃと撫でまわしながら、バラムは優しく微笑んで見せた。
その表情を見て、ミリアの頬がほんのり桃色に染まった。
「…学校に戻りましょうか」
「はい」
「ありがとうございます、ミリア先生」
「……いえ」
元の姿に戻りながら、彼女は軽く息を吐いた。
「こういうのは、得意なので」
帰り道。
並んで歩く二人の間には、まだ少し距離がある。
だが、沈黙はどこか柔らかかった。
「ミリア先生は……なぜ養護教諭に?」
不意に、バラムが尋ねる。
ミリアは少し考える。
「……変身は便利ですが、“本来の姿”が曖昧になることがあります」
「曖昧、ですか」
「ええ。だからこそ、傷ついた若い子達の“そのまま”を守る仕事に、意味を感じているんです。若い悪魔達は、とても繊細で、変化の多い時期を過ごします。私は彼らの本来の姿、“芯”を守りたいんです」
バラムは静かに聞いていた。
「……ミリア先生らしい理由ですね」
ミリアは、目を丸くして振り向いた。
「そうでしょうか」
「はい。とても」
二人は暗い森の中を他愛もない会話で埋めながら、いつもより少しだけゆっくり歩いた。
学校に戻り、二人は保健室に帰ってきた。
「じゃあ魔物の処置をしますね」
ミリアが救急箱を取り出した。
「なんとなくで頼っちゃいましたが、魔物の処置もできるんですか?」
「えぇまぁ。悪魔も魔物もそんなに大きな差はありませんから。もう一度変身して本人からも話を聞きましょう。」
ミリアは再び同種の魔物に変身した。
バラムは興味深そうに顔を近づけて見つめている。
「ミャァァ?」
魔物語でミリアが何やら語りかける。
「ムミャミャ!」
魔物も何か言いたげに鳴き返した。二人、いや、二匹は互いに二、三言鳴いたのち、ミリアが納得したように元の姿に戻った。
「どうでしたか?ミリア先生!」
「どうやら大型の魔物に襲われたそうです。あの森にはそんなに大型の魔物なんていないはずですが・・・。もう少し詳しく聞く必要がありそうですね。それと、先ほどから左後ろ足をかばって走っている様子からも分かるように、やはり走首を傷めていますね。回復魔法でよくなるでしょう。バラム先生、押さえておいてもらえますか?」
「分かりました。」
バラムは魔物を抱きかかえ、足をミリアに向けた。
「いきますよ」
手のひらを魔物の足に沿わせて呪文を唱えると、黄色い柔らかな光で包まれた。緊張した面持ちの魔物の顔が緩んでいくのが分かる。
「すごい、やはり養護教諭は回復魔法が早いですね」
「…職務ですから」
バラムに褒められるたびに、胸がざわつく。幼い頃に満点のテストを親に自慢したときのような、もっと褒めて欲しいとすら思ってしまう。あの低いくぐもった声が頭の中で反響して、無意識に何度も繰り返される。
「先生、ミリア先生!」
「え?あ!」
気が付くと、魔物はすっかり治っているのに魔法をかけっぱなしでボーッとしていた。
「すみません、ちょっと考え事を…」
「大丈夫ですか?何か考えてたんですか?」
「え…、あ…その…」
バラムの声を反芻していたとは言えない。ミリアは必死に頭を回した。バラムがキョトンとした顔でミリアを覗き込む。
「ま…魔獣!…そう!この子を襲った大型の魔物が一体なんだったのか!…を、考えてました…」
「あぁ!たしかに!!あの森は生徒の研修用だし大型といってもそこまで凶暴な魔物はいないはずですよね。この子は一体何に襲われたんでしょうか。何か特徴は言ってましたか?」
(納得してくれた!良かった!)
ミリアは話をうまく切り替えられたことにホッとしながら話をすすめた。
「うーん、この子が言うには、木の高さほどの大きな魔物で、長い爪と蛇のような尻尾があったと。それ以上は逃げるのに必死で分からなかったと言ってます」
「そんなことまで分かるんですか?!やっぱりすごいですねミリア先生の魔法は」
「い、いえっ!!そんなことはっっ!!」
ミリアは顔が熱くなるのを感じてすぐに背を向け、バレないようにお茶の準備を始めた。
「お、お時間ありますか?ま、魔茶でも淹れますね」
「あぁ、次の授業まで暇だから頂きます。ありがとうございますミリア先生」
「は、はい…」
お茶を注ぐ手がわずかに震える。(おかしい)自分の動揺が信じられず、ミリアは一度深呼吸した。ここ最近、どうも調子が変だ。自分では分からない。嬉しいような辛いような、いろんな感情が混ざり合っている。
「それにしても、魔物語まで喋れるようになるのには驚きましたよ」
バラムは魔物を蔓で固定し、診察台に腰かけた。丸椅子では小さすぎるのだろう。
「変身中はその魔物そのものになるので、その魔物が出来ることは基本的に全てできるようになります。ただし私の体力と魔力量は変わらないので、例えば長距離移動する渡り鳥の類に変身しても、私ならせいぜい1時間くらいしか飛べないと思います。」
「へえ!!なるほど!!!」
バラムはポケットからノートを取り出した。
「先生、メモとってます?」
「はい!こんな貴重な話はメモしとかないと!」
「恥ずかしいです」
「どうして?すごい能力なのに」
「…!!!!」
ミリアは再び背を向けて、わざとらしく戸棚を漁った。
「お、お菓子もあります…」
魔茶と茶菓子を揃えて、ミリアはバラムに手渡した。
「バラム先生は、昔から生物がお好きなんですか?」
ミリアは何気なく問いかけた。
「ええ、そうですね。物心ついた時から大好きです。自分と違う姿をした生き物に興味が引かれるんですよね。どうして角が生えるのか、どうして鰭があるのか、僕もミリア先生みたいな家系能力が欲しかったな」
「…どうして角が生えるのか、どうして鰭があるのか…。私、全部当たり前だと思ってました…。不思議ですね、私は魔物になれるのに、そんなこと一度も考えたことがありませんでした。まぁ、魔物になれるようになったのは結構成長してからで、それまではどちらかというと無機物になるのが得意だったんですよ。」
「最初からできたわけじゃないんですね」
「ええ、魔物への変身はたしかダレス(4)に上がってからだったかな?」
二人はお茶を飲み終わるまでの少しの間、そんな他愛もない話を続けた。普段あまり他の職員と話す機会のないミリアにとって、大人との会話は興味深いものだった。
そしてそれはバラムにとってもそうだった。生徒からは怖がられ、親しい友人の少ないバラムにとっても、この日は距離を感じずに話すことが出来る時間だった。
「それじゃあ、僕はこの子を安全な場所に移してきますね。魔茶と茶菓子、ごちそうさまでした」
バラムは立ち上がり、空になった湯飲みと皿を手渡した。
「あの…バラム先生、今日はお話しできて良かったです。またいつでも、その、変身能力が必要なら言ってください。もちろん怪我したときも」
「ありがとうございますミリア先生」
バラムは目を細めて優しく微笑んだ。
(ミリア先生…もう少し色々お話聞きたかったな)
ぼんやりとそんなことを考えながら、バラムは保健室をあとにした。