何かと理由を付けては保健室に来るバラム。
時を同じくして保健室に来るカルエゴ。女性生徒達はカルエゴとミリアが良い仲だと勘違いして噂がじわじわと広がってしまう。どうする!?バラム!
昼休み直前の保健室は、不思議と来客が重なる。
「失礼する」
入ってきたのは生徒、ではなく鋭い眼光をした教師ナベリウス・カルエゴだった。
ミリアは書類から顔を上げる。
「またお薬ですか?ちょっと厳しすぎるんじゃないですか?」
最近の野外授業で生徒の傷が絶えないので保健室で薬や包帯を貰いに来ているのだ。
「ふん。私の授業について来れないような生徒はバビルスに通う資格などない」
「そうですか・・・」
ミリアは薬品の瓶から少し取り分けて小瓶に詰めた。
最近、アブノーマルクラスの野外活動のためカルエゴがよく保健室に現れている。
だがそのせいで、女子生徒たちの間では妙な噂が立ち始めていた。
「ねぇ見た? またカルエゴ先生来てる」
「絶対仲いいよね」
「ミリア先生ってカルエゴ先生みたいなタイプ好きそう」
保健室前を通り過ぎる声が、廊下の向こうでひそひそ弾む。
ミリアは聞こえないふりをして消毒液を取り出した。
「まったく、暇な奴らだ」
カルエゴは腕を組んで、窓からこっそり覗いている女子生徒を一瞥した。
その時だった。
「ミリア先生ー、いますかぁ」
のそり、と大きな影が入口にかかる。頭を少し下げて低い入り口から顔を覗かせたのはバラム・シチロウだった。
「あら、バラム先生」
「すみません、ちょっと相談したいことが、今大丈夫ですか?…あれ?カルエゴ君?」
バラムは保健室内をキョロキョロと見回した後、足を組んで座るカルエゴの姿に気が付いた。
カルエゴはバラムを一瞥し、フンッと鼻を鳴らした。
「カルエゴ君どうしたの?怪我?」
「そんなわけないだろ。生徒用の薬を貰いに来た」
「あぁ、今野外活動してるんだっけ?」
バラムはのっそりと中に入り、カルエゴの横にある診察台に腰かけた。
小瓶に分けた薬と包帯を箱に詰めながら、ミリアが咳払いして口を開く。
「で、相談ってなんですか?」
「そう、それなんですけど!」
目を輝かせてバラムが振り返った。ちゃっかり手には前とは違うメモ帳が握られている。
「……変身中って、味覚も変わるのかなって!今研究している魔鳥なんですけど、一般的に魔鳥類には辛味成分である魔付災辛《マプサイシン》を感じないと言われていて、よく食べてるから感じないのは分かるんですが、しかしなぜ好んで食べるのかまでは分かってないんですよ。それで―」
カルエゴが深いため息をつく。
「シチロウ…貴様は暇なのか?」
「いや、結構忙しいよ?」
「忙しい奴は“味覚が変わるのかな”など聞きに来ん」
「でも気にならない?」
「ならん」
即答だった。
ミリアが思わず小さく吹き出す。バラムはその笑い声に気づいて、少しだけ嬉しそうに目を細めた。
その時、保健室の扉がそっと開いた。
「……失礼します」
入ってきたのは、どこか気怠げな女子生徒だった。まるで使ってないような綺麗な制服だが、その背は丸まっており弱弱しく立っていた。
「あら、リリィちゃん」
ミリアの声が柔らかく変わる。
「いらっしゃい。」
「……うん」
小さな声で俯いたまま返事をした。彼女は保健室登校気味の生徒だ。最近は午前だけ来て、そのまま保健室で過ごす日が増えている。
カルエゴが眉を寄せた。
「また授業を抜けたのか」
リリィの肩がぴくりと跳ねる。
「……っ」
「逃げ癖をつけるな。お前のゴールは登校することか?授業に出ろとは言わんが、自分の人生のゴールをよく考えろ」
声音は厳しい。だが怒鳴るわけではなく、事実を突きつけるような叱責だった。
リリィは俯いたまま黙り込む。
バラムは静かに二人を見ていた。カルエゴの言葉は正しい。実際、甘やかしでは解決しないこともあるのだ。
「……カルエゴ先生」
ミリアが静かに口を開いた。
「これ、薬と包帯です。くれぐれも大怪我させないよう気を付けてくださいね」
「……分かっている。ありがとうございます」
箱を受け取りカルエゴは立ち上がった。女子生徒へ一度視線をやったが、少し考えて何も言わず入り口へつま先を向ける。
去り際、バラムへちらりと視線を向けた。
「貴様も長居するなよ」
「え? あ、うん」
ぱたん、と扉が閉まる。
静かになった保健室で、ミリアはリリィの前にしゃがみこんだ。
「怖かった?」
リリィは小さく首を振る。
「……怒られるの分かってたし」
「カルエゴ先生の良い方はキツイけど、怒ってたわけじゃないわよ」
「……分かってる」
声が少し震えていた。
「ねぇ、リリィちゃん、なんでカルエゴ先生が“人生のゴールを考えろ”って言ったか分かる?」
「さぁ?」
「違ったら悪いんだけど、多分今、“今の事も分からないのに、将来の事なんて分かるはずない”って思ってるんじゃないかな?違う?」
「…うん。人生のゴールとか言われても全然分かんない」
「そうだよね。私もそうだった。…カルエゴ先生は教室に戻れって言ってるわけじゃないの。“分からない”なら考えろって言ったんだと思うよ。リリィちゃんがここに来てくれて先生は嬉しいけどね。ここに来るのは地図を握りしめてる状態だと思うんだ。」
「地図を握りしめる?」
「うん。リリィちゃんは今、自分がどこに向かうかを探してる。でも、ここにいる間に、地図を開いて世界を見ることはまだしてないわ。世界は広いから、地図を眺めて、気になる場所や歩きたい道を探して、目標を決めて欲しいな。保健室にいる間、やりたいことや行きたい場所を見つけるのを目標にしてみるのはどうかな?出来そう?」
「でも…授業は?」
「もちろん授業には出て欲しいけど、今じゃなくてもいいんじゃない?リリィちゃんに今必要なのは、向かう先を決めることだと思うよ。教室じゃなくてね」
「向かう先…」
「まぁ、ゆっくり考えてみて」
ミリアは立ち上がって微笑んで見せた。それを見たリリィも少しだけ安心したように笑った。
その光景を、バラムは静かに見ていた。
「先生…ちょっと図書室行ってきてもいいかな?」
「もちろん。今日は一日図書室で過ごしてもいいのよ。司書の先生に私から連絡しとこうか?」
「いい。自分で話すから」
「うん、いってらっしゃい」
リリィは少しだけ口元を緩めて保健室を出て行た。保健室の扉が閉まり、静寂が戻る。
「…ふぅ」
足音が聞こえなくなった頃、ミリアは椅子に深く座ってため息を漏らした。
「……こういう日は、どっと疲れるわね」
ミリアは机の上に置かれたまま冷め切ったコーヒーカップを持ち上げ、気だるげに揺らした。
昼下がりの生ぬるい風が窓から吹き抜け、ミリアの猫っ毛を巻き上げる。
「もう。邪魔・・・」
困ったように笑いながら耳へかけた横髪の隙間から、耳飾りがかすかに揺れた。先端に付いた淡いピンクの石が光を弾く。
バラムは、なぜかその小さな揺れから目を離せないでいた。
ふと、胸の奥が妙にざわつく。変身能力への興味とは違う、もっと曖昧な感情。
―知りたいと思った。
この人が、どうしてこんなふうに生徒を見るのか。どういう経験をしてきたのか。何を考えて笑うのか。何を楽しんで、何を嫌うのか、もっと沢山。
バラムがは手を伸ばし、風でふわふわと舞うミリアの髪の毛に触れようとした。
「あ、そういえばバラム先生、話がまだでしたね。なんでしたっけ?」
ミリアが振り返り微笑みかけた。彼女の顔は、生徒へ向けるのとは少し違う大人な表情だった。
「えっと……。」
バラムは伸ばしかけた手を止めて、三白眼を余計に見開いた。
「すみません、聞きたい事、…忘れちゃいました」
「えぇ?!ふふふ。バラム先生、暖かいからボーッとしちゃってるんですか?」
「はぁ…そうかも、しれませんね」
バラムは立ち上がり、そのまま扉に向かった。
「すみません、なんかただ邪魔しに来たみたいで…はは」
「ふふ、いいですよ」
去り際、バラムはもう一度ミリアの方を向いた。
“可愛い感じの服も似合いそうですよね”
“お綺麗ですし”
以前、同僚に言われた言葉がふと脳裏によぎる。バラムは無意識に、もう一度ミリアをつま先から頭までを見渡した。
「?」
ミリアは微笑んだまま首を傾げる。
「…あ、あぁ、失礼しました」
バラムはハッとしてお辞儀すると、また身を少しかがめて狭いドアから保健室をあとにした。
(なんだったんだろう、今の間は・・・?)
バラムの謎の間に訝しがりながらも、ミリアはカルエゴに渡した薬の在庫確認に取り掛かった。
保健室を出たバラムは、廊下の向こうからやってきた女子生徒とちょうどすれ違った。
「やっぱカルエゴ先生とミリア先生ってお似合いじゃない?」
「分かる。大人同士って感じ」
バラムは無意識に、閉まった扉の方を見た。
「……カルエゴ君と?」
ぽつりと漏れた声は、自分でも少し驚くほど低かった。なぜか分からない。
胸の奥が、ざらりと擦れる。濃く淹れ過ぎた魔茶を一気に飲み込んだような渋い感覚が喉を伝う。
(なんか変な気持ちだな)
バラムは手に握りしめたままだったメモ帳を見て、そのままポケットにしまった。