空白の観測者と、真紅の共犯者   作:りー037

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【第六章】泥まみれのシステムと、屋上の境界線

[Time: 2004年 2月1日 午前7:00]

 

[Location: 冬木市 新都外れ ── 竜胆茜の自室(安アパート)]

 

 

 

意識の浮上は、泥の底から無理やり引きずり上げられるような暴力的なプロセスだった。

 

竜胆茜は、六畳一間の万年床の上で、ゆっくりと重い瞼を開いた。

 

 

(……システム再起動。L1《自動修復機構》、稼働率八十二パーセント。……胸部の『黄金球体』、微小な亀裂を確認。魔力充填率、低下中。……左半身の神経網、ゲイ・ボルクの呪いによる概念的欠損の残滓あり)

 

 

脳の裏側に張り付いた非魔術スキル《確率演算》が、目覚めと同時に現在の肉体ステータスを無機質な数字の羅列として弾き出す。

 

全身の筋肉が軋み、骨の髄に鉛を流し込まれたような鈍い激痛が走っている。昨夜の代償だ。

 

時計塔の執行者バゼット・フラガマクレミッツを奇襲し、神代の英雄であるランサーと殺し合い、さらに休む間もなく中東の魔術師アトラムの工房を単独で解体した。

 

人間という脆弱なハードウェアで、神話の暴力と因果のバグを正面から処理し続けたのだ。第一階層《完全躯体制御》で痛覚を物理的に遮断していなければ、この激痛だけで脳が発狂していただろう。

 

 

「……おはようございます、マスター。お加減は、いかがですか?」

 

 

 

視界の端。

 

殺風景で生活感の一切ない部屋の片隅に、不釣り合いなほどに可憐で、真っ白な存在が立っていた。

 

 

 

 

神代の大魔女の幼き日の姿──キャスター、メディア・リリィ。

 

 

彼女は、手にした木製の杖を胸に抱きながら、茜の顔を心配そうに覗き込んでいた。その大きな瞳には、汚れを知らない純粋な慈愛の色が満ちている。

 

 

(……ああ。夢じゃなかったのか。僕のシステムに、規格外のデバイス(英霊)が接続されている)

 

 

「……最悪だ。身体中の回路が焼け焦げてる感覚がする」

 

 

 

茜は、枯れた声で答えながら、ゆっくりと上体を起こした。

 

昨夜、アトラムの倉庫で彼女を召喚した直後、茜は意識を手放す寸前だった。メディア・リリィが自身の魔力で茜の応急処置を施し、このアパートまで彼を運び込んだのだ。

 

 

「ごめんなさい……私の治癒魔術で、表面的な傷と出血は塞いだのですが……マスターの魂というか、魔術回路そのものに絡みついている『赤い呪い』のようなものは、私の力でも完全には取り除けなくて……」

 

 

 

メディア・リリィが、申し訳なさそうに眉を下げた。

 

 

「君のせいじゃない。これは、僕が自分のシステムの出力を限界まで引き上げて、相手の必殺の呪いと相殺させたことによる『処理落ち(エラー)』だ。……時間をかけて、世界の文脈に溶かすしかない」

 

 

茜は、ベッドの脇に置いてあった黒いタートルネックのシャツを手に取り、ゆっくりと腕を通した。

 

布地が擦れるだけで、脇腹の裂傷跡から鈍い痛みが走る。

 

 

「昨日の状況を再確認する」

 

 

茜は、痛みを完全に思考の隅へと追いやり、冷徹な観測者としての視点に切り替えた。

 

 

「バゼット・フラガマクレミッツは脱落し、ランサーはおそらく教会の言峰綺礼にマスター権を奪取された。アトラム・ガリアスタは僕が殺害し、キャスターの枠は君で埋まった。……つまり、聖杯戦争の初期盤面から、遠坂にとって脅威となる『未知の不確定要素』は二つ消えたことになる」

 

 

(残る敵性マスターは。アインツベルンのホムンクルス。間桐の家系。そして、おそらく言峰綺礼が裏で操るであろうランサー。……本来ならバゼットが召喚するはずだったランサーが言峰と契約したことで、盤面の構造自体にズレが生じている。僕が計算を急がなければ)

 

 

「マスター」

 

 

 

茜の思考を遮るように、メディア・リリィがそっと茜の手に触れた。

 

 

「貴方は、また一人で全てを背負おうとしています。私は貴方のサーヴァントです。貴方の魔力消費を抑えるために、私がもっと働きますから。……どうか、私を頼ってくださいね」

 

 

その真っ直ぐすぎる献身の言葉に、茜はわずかに目を細めた。

 

 

(……この英霊は、本当に……。誰かのために自分をすり減らすことに、一切の疑問を持っていない。だからこそ、危うい)

 

 

「……わかってる。君には、僕の外部魔力タンク兼、広域探知レーダーとして機能してもらう。今日はこれから学校へ行くが、君は霊体化して僕に付随し、周囲の霊脈の監視を頼む」

 

 

「はいっ! お任せください!」

 

 

純真に笑う少女を見つめながら、茜は洗面所へ向かい、顔にこびりついた血痕を冷水で洗い流した。

 

鏡に映る自分の顔は、死体のように青白かった。

 

 

 

 

 

 

 

[Time: 同日 午前10:00]

 

[Location: 冬木市 深山町 ── 穂群原学園への通学路]

 

 

朝の喧騒はとうに過ぎ去り、冬の太陽が高く昇り始めた通学路を、茜は一人歩いていた。

 

遅刻どころの時間ではない。だが、今の彼の肉体状態では、通常通りの時間に登校し、遠坂凛の視界に入ることはリスクが高すぎた。

 

 

(遠坂は昨夜、アーチャーの召喚を成功させた。……今、僕が不用意に彼女の近くを歩けば、あの鋭敏な英霊に僕の異常性や、キャスターの気配を悟られる可能性がある)

 

 

 

茜は、《可変存在解像度(モザイク・シフト・マニュアル)》の出力を極限まで高めていた。

 

街を歩く誰の目にも留まらない。風景の一部としての『背景』の機能。

 

 

『マスター。聞こえますか?』

 

 

脳内に、メディア・リリィの念話が響く。彼女は霊体化し、茜のすぐそばを歩調を合わせて進んでいた。

 

 

「……聞こえてる。周囲の結界網の状況は?」

 

 

茜は、口を動かさず、自身の脳内の演算領域を介して彼女に返答する。

 

『はい。この街の霊脈、とても複雑に絡み合っていますね。でも、マスターの脳内にあるこの……『システム』? これと接続しているおかげで、手に取るように分かります。……マスターの魔術基盤、本当に信じられません。神代の時代の神殿そのものを、個人の脳内に構築しているみたいです』

 

 

 

純粋な感嘆の念が伝わってくる。

 

「……ただのバグの集積だよ。それで、異常は?」

 

『学校の方角に、微弱ですが結界の兆候(ノイズ)があります。血液を溶解させるような、陰惨な魔力の網。……おそらく、他のマスターの陣営が仕掛けたものかと』

 

 

「……なるほど」

 

 

(……学校、間桐のサーヴァントの可能性が高いか。学園を丸ごと生贄の魔力炉にする気だな。……アトラムと同じ、三流の発想だ)

 

 

 

 

茜の思考が冷たく回転する。

 

 

だが、今すぐにそれを解体するわけにはいかない。遠坂凛がマスターとして動くための『標的』を残しておかなければ、彼女の行動予測が立てづらくなる。僕の役割は、彼女が処理できない致死的なバグを裏で潰すことだ。

 

 

「……今は放置しろ。僕たちは学校に着いたら、そのまま屋上へ直行する。教室には行かない」

 

 

『はい、マスター。……でも、少し休んだほうが良いのではないですか? 貴方の魔術回路、歩くたびに悲鳴を上げています』

 

 

「気にするな。痛覚は切ってあるから問題はない」 

 

 

 嘘だ。痛覚の遮断プロセスを、ゲイ・ボルクの残滓が時折貫通してくる

 

 

茜は、胸の奥でヒビ割れた黄金球体が立てる不協和音を無視し、冷たいコンクリートの校舎へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

[Time: 同日 午前10:30]

 

[Location: 穂群原学園 ── 屋上]

 

 

鍵のかかった屋上の鉄扉を、茜は《構造解析》でシリンダーの構造を読み取り、針金一本で数秒のうちに解錠した。

 

重い扉を開けると、凍てつくような冬の風が容赦なく吹き付けてきた。

 

茜は、屋上の片隅にある貯水槽の裏側──最も死角になり、かつ校庭と正門を一望できる座標へと歩を進め、背中をコンクリートの壁に預けて座り込んだ。

 

 

「……はぁ」

 

 

息を吐き出すと、白い蒸気と共に、微かな血の匂いが混じった。

 

 

『マスター。結界を張ります。少しでも、冷たい風が入らないように』

 

 

霊体化を解かずに、メディア・リリィが魔術を行使する。茜の周囲半径一メートルだけに、春のような温かな空気の層、保温結界が展開された。

 

 

「……ありがとう。助かるよ」

 

 

茜はポケットから安物のチョコレート菓子を取り出し、口に咥えた。糖分を補給しなければ、脳の演算が焼き切れてしまう。

 

 

(午前中の授業が終わるまで、あと二時間。……僕はここで、街全体の霊脈のモニタリングを続ける。遠坂の動向。アーチャーの気配。そして、言峰綺礼がどう動くか……)

 

 

 

L4《環境並列演算網》を、冬木市のノイズへと接続する。

 

 

莫大な情報量が、茜の脳を駆け巡る。

 

遠坂凛は今、二階の教室で授業を受けている。彼女の魔力波形は、隠しきれない緊張と焦燥に満ちていた。

 

 

(……僕が教室にいないことで、彼女を不安にさせている。……だが、これでいい。僕が彼女の視界から消えることが、彼女を運命のシステムから切り離す第一歩なんだ)

 

 

茜は目を閉じ、静かに演算の海へと身を沈めた。

 

時間が、ゆっくりと削り取られていく。

 

 

 

 

 

 

 

[Time: 同日 午後0:30]

 

[Location: 穂群原学園 ── 屋上]

 

 

チャイムの音が、遠くから響いた。昼休みの到来。

 

茜の《確率演算》と《環境並列演算網》が、一つの魔力波形が階段を上って屋上へと向かってくるのを正確に捉えた。

 

 

 

(……遠坂だ)

 

 

茜の心臓が、システムのエラーとは別の理由で、わずかに跳ねた。

 

 

 

彼女が来る。

 

 

ここを探しに来たのだ。

 

 

『マスター。あの女の子、こちらへ来ます。……とても綺麗で、でも、泣きそうな魔力の色をしています』

 

 

メディア・リリィの念話が響く。

 

 

「……キャスター、君は帰還しろ。アーチャーの千里眼に見つかるぞ」

 

 

『はい。では一度戻ります。お気をつけて、マスター。』

 

 

 

茜は、《可変存在解像度》の出力を調整し、周囲のコンクリートの壁と完全に同化する「ノイズ状態」を維持した。

 

 

 

ギィィ……と、重い鉄扉が開く音がする。

 

 

凛の足音が、屋上の床を叩く。彼女の呼吸。焦り。

 

 

(……見つかるな。僕は背景だ。ただの、存在しない風景の一部だ)

 

 

だが、凛の足音は、貯水槽の裏側へと迷いなく向かってきた。

 

彼女の優秀な魔力感覚が、茜が完全に隠蔽しきれなかった「世界のノイズの不自然な空白」を嗅ぎ取ったのだ。

 

 

 

凛が、貯水槽の裏側に回り込む。

 

 

「……竜胆」

 

 

彼女の声が落ちた瞬間、茜は《可変存在解像度》のモザイクをフッと解き、自らの存在を世界に実体化させた。

 

 

「……おはよう、遠坂。今日は風が冷たいね」

 

 

 

茜は、口に棒状のチョコレート菓子を咥えたまま、気怠げに半眼を向けた。

 

感情の起伏を一切見せない、完璧な「いつも通りの竜胆茜」のペルソナ。

 

 

だが、凛は茜の挨拶に応えるよりも先に、息を呑んだ。

 

茜は自身の《構造解析》を通して、凛の網膜に自分がどう映っているかを正確に理解していた。

 

 

(……隠しきれなかったか)

 

 

 

茜の顔色は、死人のように青白かった。

 

黒いタートルネックを着て傷を隠してはいるものの、布地の下から漏れ出す強烈な血の匂い。そして、普段の茜が周囲の環境と完璧に同調させているはずの「自然な呼吸のリズム」が、ゲイ・ボルクの呪いと黄金球体のダメージによって、所々で致命的に欠落していた。

 

 

「……貴方、その顔色……血の匂い……! なにがあったの!?」

 

 

凛が、持っていたピンク色の弁当箱を横に置き、悲痛な顔で茜に詰め寄ろうとする。

 

 

(……来るな。これ以上近づけば、僕の抱えているバグに君が巻き込まれる)

 

 

茜は、スッと右手を前に出し、彼女の歩みを物理的に制止した。

 

 

「なんでもないよ。ちょっと昨日、アパートの階段から落ちてね。……打撲と、少し切っただけだ。たいしたことない」

 

 

 

茜は、平坦な声で言い放った。

 

《完全躯体制御》が、声帯の震えを完全に一定に保ち、嘘の生体反応を固定する。

 

 

「嘘よ……! そんな血の匂いがして、ただの怪我なわけないじゃない! 傷を見せなさい!」

 

 

凛が、茜の制止を振り切って袖を引こうとする。

 

その手には、確かな熱と、茜を失うことへの強烈な恐怖が宿っていた。

 

 

だが、茜は静かに、しかし絶対的な拒絶の意志をもってその手を避けた。

 

彼女の指先が虚空を切る。その瞬間、茜の胸の奥で、システムにはないはずの鈍い痛みが走った。

 

 

 

「……遠坂」

 

 

茜の黒い瞳が、凛を真っ直ぐに見据える。

 

彼女を突き放すための、冷酷な論理(ロジック)を口にする。

 

 

「僕は、用事が終わるまで遠坂に介入しないと約束した。遠坂の日常の背景に、これ以上不自然なノイズを入れるつもりはない。……だから、見ないでくれ」

 

 

その言葉に、凛は凍りついたように動きを止めた。

 

 

茜は観測する。彼女の表情筋が微かに引き攣り、瞳が揺れ、行き場のない怒りと悲しみが彼女の内側で渦巻くのを。

 

 

(……これでいい。僕が君の視界から消えれば、君は正しい主人公としての道を歩める。……だから、そんな悲しそうな顔をしないでくれ)

 

 

凛の胸が、ギリリと音を立てて締め付けられているのが、茜には手に取るようにわかった。

 

 

「……そう。階段から落ちたのね。どんくさいわね、貴方は」

 

 

 

凛は、震えそうになる声を必死に抑え込み、いつもの「遠坂凛」の強気なトーンを装った。

 

そして、持ってきたピンク色の弁当箱を、茜の膝の上にドンッと乱暴に置いた。

 

 

「え……」

 

 

茜の計算システムに、わずかなエラーが生じた。

 

拒絶したはずなのに。彼女は、僕に弁当を押し付けてきた。

 

 

「昨日の残り物を詰めただけよ。捨てるのも勿体ないから、貴方に処理させてあげるわ。……ちゃんと全部食べなさいよ」

 

 

 

茜は、膝の上の弁当箱と、凛の顔を交互に見つめた。

 

 

ピンク色の、小さな弁当箱。彼女が今朝、僕のことを考えながら作ってくれたであろう、確かな質量の塊。

 

茜の無機質な瞳の奥で、冷え切っていた感情のベクトルが、ほんのわずかに揺らいだ。

 

 

「……いいの? 僕は背景なのに」

 

 

茜の口から、自嘲めいた言葉が漏れる。

 

 

「背景だって、お腹は空くでしょ。……それに、私は私が作ったものを、美味しく食べてくれる人がいる方が気分がいいのよ」

 

 

 

凛はそう言って、ぷいっとそっぽを向いた。

 

その横顔には、強がりの裏にある、不器用で、どうしようもなく温かい気遣いが滲んでいた。

 

 

 

 

茜はしばらく黙っていた。

 

胸の奥の黄金球体の軋みも、左半身の激痛も、この瞬間だけは遠のいていくような気がした。

 

やがて、茜は「いただきます」と小さく呟き、不器用な手つきで弁当箱の蓋を開けた。

 

 

 

綺麗な黄色の卵焼き。タコさんウインナー。

 

 

茜は箸を取り、卵焼きを口に運んだ。

 

 

甘くて、少しだけしょっぱい、完璧な味付け。

 

 

(……美味しい。……この味覚情報と、今の彼女の横顔を、第一階層《完全記録》の深層領域に永久保存する。絶対に、失われないように)

 

 

 

言葉にすれば、壊れてしまう。

 

互いに重大な秘密と命懸けの覚悟を隠し持ちながら、ただの「同級生」としての温かな時間を演じている。

 

僕が血に塗れた暗殺者であろうと、彼女が聖杯戦争のマスターであろうと、この屋上だけが、狂気に満ちた世界の中で彼らに残された最後の安全地帯だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

[Time: 同日 午後6:00]

 

[Location: 冬木市 新都外れ ── 竜胆茜の自室(安アパート)]

 

 

夕闇が冬木の街を包み込む頃、茜は自室のアパートへと帰還していた。

 

今日はこれ以上動けない。疲労をとるフェーズ。本格的に動くのは、明日の夜からだ。

 

ガチャリとドアを開けると、そこには、殺風景な部屋に似合わない温かな空間が待っていた。

 

 

 

「おかえりなさい、マスター!」

 

 

メディア・リリィが、パタパタと足音を立てて駆け寄ってくる。

 

 

「すぐにお茶を淹れますね。それと、魔力の供給も。……今日は、本当に無理をしましたね」

 

「……ただいま、メディア」

 

 

茜は靴を脱ぎ、そのまま倒れ込むようにしてベッドの上に横たわった。

 

全身の筋肉が強張りを解き、隠し続けていた激痛が一気に押し寄せてくる。

 

 

「ああっ、マスター、顔が真っ青です! 今すぐ痛覚を緩和する魔術を──」

 

「いや、いい。……痛みを完全に消すと、僕のシステムと肉体の境界線がブレる。この痛みは、僕がまだ世界のルールの内側にいるという重り(アンカー)だ」

 

 

 

茜は、荒い息を吐きながら、天井のシミを見つめた。

 

 

(……今頃、遠坂は教会の言峰綺礼に会いに行っているはずだ。アーチャーを伴っているとはいえ、あの男は危険すぎる。……僕の異常性に、どこまで気づいているか)

 

 

「マスターは、あの方……遠坂凛さんのことが、本当に大切なんですね」

 

 

メディア・リリィが、茜の胸元にそっと両手を当て、淡い光を放ちながら魔力を流し込み始めた。

 

傷を治すのではない。茜の枯渇した魔術回路と、破損した黄金球体の修復プロセスを、純粋な神代の魔力で直接アシストしてくれているのだ。

 

 

「大切、という概念とは少し違う」

 

 

茜は、目を閉じたまま無機質に答える。

 

「僕はただの背景。彼女という美しい絵画を、成立させるための額縁みたいなもの。……額縁が壊れても絵画は残るが、絵画が燃えてしまえば、額縁には何の意味もなくなる。だから、守るだけだ」

 

「……ふふっ。マスターは、本当に不器用ですね」

 

 

メディア・リリィは、茜の胸に顔を寄せるようにして、優しく微笑んだ。

 

「額縁だって、絵画の一部です。……彼女は今日、貴方がいないことにひどく傷ついていました。貴方が傷ついているのを見て、もっと傷ついていました。……貴方が彼女を想うように、彼女もまた、貴方という背景がないと、生きていけないのかもしれませんよ?」

 

「……そんなはずはない。それは、君の非論理的な感情論だ」

 

 

茜は反論しようとしたが、脳の処理速度が限界を迎え、深い泥のような眠気へと引きずり込まれ始めていた。

 

 

「いいえ。魔女の私にはわかります」

 

少女の甘く、純粋な声が、意識の端で遠ざかっていく。

 

 

「明日は、もっと激しい戦いになりますね。……ゆっくり休んでください、私のマスター。私が、貴方の夢を悪いものから守りますから」

 

 

 

 

温かな魔力に包まれながら。

 

竜胆茜という孤独な観測者は、冷たい冬木の闇の中で、束の間の休息へと落ちていった。

 

 

 

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