[Time: 2004年 2月3日 午前1:15]
[Location: 冬木市 深山町 ── 住宅街への坂道]
「ルォォォォォォォォォォォォッッ!!」
それは、ただの絶叫ではなかった。
大気が震え、舞い散る粉雪が強烈な音波によって放射状に弾け飛ぶ。神話の時代から蘇った狂戦士(バーサーカー)の咆哮は、それ自体が周囲の空間を圧壊させる『純粋な暴力』だった。
「来る……ッ、シロウ、遠坂凛も下がって!!」
白銀の甲冑を纏った少女──セイバーが、両手で不可視の剣を構え、雪に覆われたアスファルトを力強く蹴った。
その華奢な身体からは到底想像もつかないほどの、爆発的な魔力放出(マナバースト)。彼女は猛然と突進してくる巨人の一撃を、真っ向から迎え撃つ。
ガガァァァァァァンッッ!!!
鋼と岩、いや、最高峰の英雄の概念同士が衝突する絶烈な轟音。
セイバーの不可視の刃が、バーサーカーの振るう無骨な岩剣(斧剣)と激突し、二人の足元のアスファルトがすり鉢状にクレーターのごとく陥没した。発生した凄まじい衝撃波が吹き荒れ、後方にいた凛と士郎の身体が、突風に煽られてよろめく。
「くっ……なんだ、こいつの力は……!」
士郎は腕で顔を庇いながら、信じられないものを見る目で眼前の死闘を凝視した。
『最優』と呼ばれるセイバーの剣技は、確かに神業と呼ぶに相応しいものだった。巨人の大振りの一撃を紙一重で躱し、その重力を利用して自らの身体を回転させ、不可視の刃をバーサーカーの肉体へと叩き込む。
ズバァッ!!
「ガァァァァッ!!」
剣戟が交差するたびに、赫い血飛沫が雪の夜空に舞う。
セイバーの剣は、狂戦士の強靭な筋肉を確かに斬り裂き、ダメージを与えていた。星の光を束ねたA++ランクの神造兵装。その白刃は『Bランク以下の攻撃を無効化する』というバーサーカーの概念防御を真正面から突破する力を持っていた。
「チィッ……! あの巨体でなんという敏捷性だ!!」
上空から、鋭い風切り音と共に数本の矢が降り注いだ。
アーチャーだ。彼は民家の屋根に陣取り、セイバーを援護するために神速の連続狙撃を行っていた。彼が投影した矢は、バーサーカーの足元や視界を正確に射抜き、巨人の猛攻をわずかに鈍らせる。
バーサーカーは頭上に視線すら向けず、鬱陶しい羽虫を払うかのように岩剣を天に向かって振り抜いた。それだけで発生した真空の刃が、アーチャーの立つ民家の屋根を丸ごと吹き飛ばす。
アーチャーは間一髪で跳躍し、空中で体勢を立て直しながらさらに牽制の矢を放つ。
そのアーチャーの援護によって生じた、ほんの瞬きの間の隙。
セイバーの『直感』が、それを逃すはずもなかった。
(……ここだ!!)
踏み込みは神速。バーサーカーの巨大な腕を潜り抜け、セイバーの不可視の刃が下段から一気に跳ね上がった。
ザシュゥゥゥゥンッ!!!
凄絶な肉の断裂音。
セイバーの渾身の一撃が、バーサーカーの鳩尾から心臓までを斜めに両断していた。
巨人の動きが、ピタリと止まる。
「……ル、ォ…………」
虚ろな声と共に、バーサーカーの瞳から光が消え、巨大な肉体が地響きを立てて雪の積もるアスファルトに倒れ伏した。
「やった……! バーサーカーを、倒した……!」
凛が息を呑み、安堵の声を上げる。セイバーもまた、荒い息を吐きながら剣を下段に構え直した。
だが。
「フフッ、やった? まさか。バーサーカーが、そんなので死ぬわけないじゃない」
街灯の上に座っていたイリヤスフィールが、無邪気で残酷な笑い声を上げた。
次の瞬間、倒れ伏し、完全に絶命していたはずのバーサーカーの肉体が、突如として赤黒い肉塊を蠢かせ始めた。
『十二の試練(ゴッド・ハンド)』。
死からの完全蘇生にして、命のストック。
斬り裂かれたはずの心臓と肉体が、まるで呪いのビデオを逆再生するかのように急速に形を取り戻し、ものの数秒で、狂戦士は何事もなかったかのように立ち上がったのだ。
「……なっ!? 傷が、塞がった……いや、蘇み返ったというのか!?」
セイバーが驚愕に目を見開く。
「ルォォォォォォォッ!!」
蘇生したバーサーカーの眼に、先程よりもさらに深い狂気と怒りが宿っていた。
一度殺されたことで、彼の戦闘本能はさらに研ぎ澄まされていた。踏み込みの速度が先程の倍に跳ね上がる。
「くっ……!」
セイバーが防御の姿勢をとるが、その動きには明らかな陰りが見えた。
致命の一撃を放つために魔力を大きく消費した彼女は、魔術回路の閉じた士郎からの魔力供給がないため、急速に疲労し始めていたのだ。
ガァァァンッ!!
バーサーカーの岩剣が、セイバーの剣を力任せに弾き飛ばした。
「ああっ……!」
セイバーの体勢が大きく崩れ、両腕が弾き上げられる。完全に無防備となった彼女に向けて、バーサーカーが必殺の蹴りを放った。
「セイバー!!」
士郎の絶叫が、雪の夜空に響いた。
アーチャーの援護は間に合わない。凛の魔術も届かない。
誰もが、最優の剣兵の死を覚悟した。
だが、次に響いたのは、甲冑が砕ける音でも、肉が裂ける音でもなかった。
「……やめろォォォォォッ!!」
雪を蹴り立てて。
衛宮士郎が、丸腰のまま、バーサーカーとセイバーの間に飛び込んだのだ。
「なっ、シロウ……!?」
「馬鹿ッ、衛宮くん!!」
凛とセイバーの悲鳴が重なる。
魔術の素人。ただの人間。そんな彼が、神話の狂戦士の前に盾となって立ちはだかるなど、狂気の沙汰以外の何物でもない。
自己犠牲。
バーサーカーの足が、無慈悲に振り抜かれた。
「が、はァッ……!!」
直撃ではなかった。だが、その常軌を逸した質量の蹴りが生み出した衝撃波と、わずかに掠った余波だけで、士郎の身体は紙切れのように跳ね飛ばされた。
ボキボキと、全身の骨が軋むおぞましい音。
士郎はアスファルトの上を数十メートルも転がり、血塗れになってピクリとも動かなくなった。
「シロウ……!! ああ、なんてことを……!」
セイバーが、自らを庇って血だまりに沈んだマスターの姿に、絶望に顔を歪める。
「ふふっ、馬鹿なお兄ちゃん。自分から死にに来るなんてね。……さあ、邪魔者は消えたわ。トドメを刺しなさい、バーサーカー」
イリヤの残酷な宣告。
バーサーカーが、再びセイバーへとその岩剣を振り上げる。
もう、誰も止められない。
──否。
この異常な聖杯戦争において、その『理不尽』を裏から観測し、システムに抗う孤独な術者が存在していた。
[Time: 同日 午前1:20]
[Location: 冬木市 新都外れ ── 竜胆茜の自室(安アパート)]
『……シロウ!!』
使い魔の視界(モニタリング)を通して、セイバーの悲痛な絶叫が茜の脳内に響き渡った。
衛宮士郎がセイバーを庇って吹き飛ばされ、血だまりの中に倒れ伏す映像。
そして、バーサーカーが次にその矛先を、魔力を失ったセイバーに向けようとしている光景。
茜は、暗い部屋の中で、カッと目を見開いた。
(……対象、ヘラクレス。宝具『十二の試練(ゴッド・ハンド)』。一度絶命しても蘇り、耐性を獲得する理不尽な神の呪い)
これ以上、セイバーと遠坂凛をあの場に留めるわけにはいかない。
僕のシステムが許容する生存限界を超えている。
「メディア」
茜は、背後に立つ純白の少女に向けて、低く、絶対的な冷たさを孕んだ声で呼んだ。
「魔力炉心、最大出力で僕のシステムと接続しろ。使い魔の視界を共有しつつ座標データを元に計算。……あの巨人の命を、もう一つ強引に削り取る」
「はいっ、マスター!!」
メディア・リリィが杖を高く掲げる。
神代の大魔女の桁外れの魔力が、茜の脳内に構築された『黄金球体』へと一気に流れ込み、茜の魔術回路がオーバーヒート寸前の高熱を発し始める。
(……目標座標、冬木市深山町、坂道。距離、三・五キロ。風速、湿度、空間の魔力濃度、全て計算完了)
茜は、神域の演算速度で、冬木の夜空に「目に見えない魔力の砲身」を組み上げていく。
(L2《物理条件の先行成立》による因果干渉。射線を隠蔽し、発射のプロセスを省略。……着弾点、バーサーカーの頭上。誤差、ゼロ)
茜は虚空に向かって右手を突き出し、引き金を引くように指を曲げた。
「──『撃て、キャスター』」
その命令と共に。
メディア・リリィが、神言による極大の魔術詠唱を紡ぎ出した。
[Time: 同日 午前1:20]
[Location: 冬木市 深山町 ── 住宅街への坂道]
バーサーカーが、セイバーを粉砕すべく、その巨体を躍らせようとした、まさにその時だった。
空が、割れた。
「……え?」
街灯の上に座っていたイリヤが、夜空を見上げてポツリと呟く。
分厚い雪雲が、円形に大きく吹き飛ばされる。
そこから現れたのは、星の瞬きを一つに集束させたような、極大の『紫色の光柱』だった。
音は、なかった。
ただ、圧倒的な熱量と神代の純粋な魔力の奔流が、天空から真っ直ぐに、寸分の狂いもなくバーサーカーの巨体へと突き刺さったのだ。
「ルォォォォォォォォォォォォォッッ!?」
バーサーカーが、悲鳴にも似た咆哮を上げた。
L2干渉によって直前まで隠蔽されていた、回避不能の超遠距離狙撃。
Bランク以下の攻撃を無効化する防御ルールを、純粋な神代の大魔術の出力によって上からぶち破る極大の熱線。
紫色の閃光が周囲の雪を一瞬にして蒸発させ、アスファルトをドロドロのマグマへと変え、そして──バーサーカーの強靭な肉体を、完全に炭化させ、消し飛ばした。
ズシンッ、と。
絶命した巨人が、地響きを立てて雪の上に倒れ伏す。
完全な『死』。
「……なっ」
凛は、目の前で起きた理不尽なまでの破壊の光景に、言葉を失った。
アーチャーもまた、目を見開き、天を仰いでいる。
「バ、バーサーカー……!? 死んだ……!? 嘘でしょ……今の、誰の魔術……!?」
イリヤが、パニックを起こしたように立ち上がる。
だが、数秒後、倒れ伏していたバーサーカーの肉体が再び赤黒く蠢き始めた。
二度目の蘇生。
「ルォォォォォォォッ!!」
生き返ったバーサーカーが、姿の見えない狙撃手を探して空を睨みつける。
その時だった。
イリヤの頭上の空間に、チカチカと『紫色の魔力陣(ロックオン)』が展開された。
茜のシステムによる、フェイントの照準だ。
「……ッ!」
バーサーカーの獣の直感が、それがマスターを狙う致死の一撃であることを悟った。
彼は怒りの対象を切り替え、即座にイリヤの元へと跳躍。その巨大な背中で彼女を完全に覆い隠すように庇う姿勢をとった。
「……チッ。なによ、あの大魔術」
イリヤは、バーサーカーの背中に守られながら、忌々しげに周囲を睨みつけた。
「……どこから撃ってきたの。気配も、魔力の残滓すら全然読めない」
イリヤの優れた魔術的知覚をもってしても、軌道と因果を隠蔽された狙撃の出所を掴むことはできなかった。
目前には、傷ついたとはいえセイバーとアーチャー。そして、遠隔からバーサーカーの命を容易く奪うほどの火力を、マスターである自分に正確無比に撃ち込んでくる未知の術者。
これ以上の戦闘は、イリヤ自身の死を招くリスクが高い。
「今日は帰るわ。……バーサーカー、戻って」
その命令に従い、巨人はイリヤを抱え上げると、凄まじい跳躍力で雪の降る夜の闇へと姿を消していった。
[Time: 同日 午前1:25]
[Location: 冬木市 深山町 ── 住宅街への坂道]
死の暴風が去り、再び静かな粉雪が舞い降りてくる。
残されたのは、ドロドロに溶けたアスファルトと、凄惨な破壊の跡だけだった。
「……ゴホッ、ガハッ……!」
血だまりの中で、士郎が激しく咳き込む。
「シロウ!」
セイバーが駆け寄り、士郎の身体を抱き起す。
士郎は全身の骨を折る重傷を負っていたが、直撃を免れていたことと、彼自身の内にある『何か』の力によって、奇跡的に命を繋ぎ止めていた。
「……助かった、のか……?」
凛は、へたり込みそうになる膝を必死に堪えながら、紫色の光柱が降り注いだ夜空を見上げた。
「今の……何? あの威力の魔力砲撃を、感知できない程の長距離から寸分の狂いもなく撃ち込んでくるなんて……誰の仕業よ……」
凛の言葉に、アーチャーが双剣を消滅させながら、低い声で答えた。
「……あの規模の魔術、そして純粋な神代の魔力の匂い。間違いなく『キャスター』のクラスだろう。だが──」
アーチャーは、鋭い視線で冬木の街の暗闇を見渡す。
「あの精密すぎる超長距離狙撃。それに空間の歪みを利用した軌道の隠蔽か?……あれは、純粋な魔術の業ではない。もっと異質で、機械的な計算式のような何かだ。」
その言葉に、凛の心臓がドクンと跳ねた。
機械的な計算式。事象の歪み。
(……全身から血の匂いをさせて……必殺の呪いを、因果ごと止めた……?)
ランサーが口走った言葉が、再び脳裏をよぎる。
まさか。いくらなんでも、あいつが……あの竜胆茜が、キャスターという英霊を使役して、遠く離れた場所から自分たちを救ったというのか。
「……まさか、ね」
凛は自嘲気味に呟きながら、ふるふると頭を振った。
「衛宮くん、大丈夫!? とにかく、早く治療しないと……!」
凛は思考を振り払い、士郎の元へと駆け寄った。
だが、凛の胸の奥には、紫色の閃光と共に深く刻み込まれた「空白の少年」の影が、どうしようもなく重くのしかかっていた。
[Time: 同日 午前1:35]
[Location: 冬木市 新都外れ ── 竜胆茜の自室(安アパート)]
「……グゥッ!!」
暗い六畳間で。
竜胆茜は、口から鮮血が滴り落ちる。そのままベッドの上に倒れ込みそうになる。
「マスター!!」
メディア・リリィが茜の身体を抱きとめる。
神代の大魔術を、自らのL2干渉システムを通して無理やり軌道制御・隠蔽した代償。
茜の胸の奥にある『黄金球体』には、修復不能なほどの巨大なヒビが走り、全身の魔術回路が焼き切れるような高熱を発していた。
「……はぁ、はぁっ……。イリヤスフィールは、撤退したか……?」
茜は、口元を血で染めたまま、虚ろな眼差しで虚空(モニタリング映像)を見つめた。
「はい、敵のマスターとバーサーカーは退きました! それよりも、貴方のお体が……! 今すぐ治癒を──!」
メディア・リリィが泣きそうな顔で治癒魔術を展開しようとする。
「……いや、いい。……これで、生存ルートは、繋がった……」
暗い六畳間で、竜胆茜は小さく息を吐いた。
「……ふぅ。システム、冷却開始」
口元にわずかな熱を感じ、指先で拭うと、薄い血の跡がついた。だが、先程のような「致命的な崩壊」ではない。神代の大魔術をL2干渉で捻じ曲げた負荷は大きいが、茜のシステムはそれを「許容範囲内のエラー」として処理し始めていた。
「マスター……やはり、無理が過ぎます。すぐに休息を。これ以上の演算は、貴方の神経を不可逆的に焼き切ってしまいます」
メディア・リリィが心配そうに駆け寄るが、茜は首を振って立ち上がった。
「いや、まだだ。……おそらく間桐慎二がサーヴァントと共に動いている。座標は既に補足しているよ。……彼がマスターでほぼ確定かな」
茜の《環境並列演算網》には、冬木の霊脈を汚すように蠢く、もう一つの「不快なノイズ」がはっきりと映し出されていた。
「背景の掃除だ。もう一仕事残っている。……あんな三流のバグに、遠坂の日常をこれ以上かき回させるわけにはいかないからね」
茜は上着を掴むと、夜の闇へと溶け出すように部屋を後にした。彼の瞳には、既に次なる「処理対象」の末路が演算されていた。