空白の観測者と、真紅の共犯者   作:りー037

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【第十章】雪夜の死闘、そして路地裏の深淵

[Time: 2004年 2月3日 午前1:30]

 

[Location: 冬木市 深山町 ── 住宅街への坂道]

 

 

雪は止む気配を見せず、静寂の中に街を閉じ込めていた。

 

バーサーカーという圧倒的な絶望を退けた安堵感と、空から降り注いだ正体不明の狙撃──紫電の熱線への困惑。それらを抱えたまま、凛と士郎、そして二騎のサーヴァントは、ひとまずの休息のために別れの時を迎えていた。

 

 

「……じゃあ、私はここで。いい、衛宮くん。今日は特別に助けたけど、次に見かけた時は容赦しないから。次に会う時は、私と貴方は敵同士。それを忘れないで」

 

 

凛は赤いコートの襟を立て、いつもの凛とした、それでいてどこか突き放すような口調で告げた。だが、その瞳には、重傷を負った士郎への隠しきれない懸念が滲んでいる。

 

 

「ああ、わかってる。……ありがとう、遠坂。助かった」

 

 

士郎が不器用に応えると、凛は「ふん」と鼻を鳴らして、アーチャーと共に夜の闇へと消えていった。

 

 

「……行きましょう、シロウ。貴方の傷、まだ完全ではありません。これ以上の強行軍は、肉体に致命的な結果を残します」

 

 

セイバーに促され、士郎は痛む身体を引きずるようにして、自宅への最短ルートを選び、人気のない路地裏へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

[Time: 同日 午前1:45]

 

[Location: 冬木市 深山町 ── 街灯の届かない路地裏]

 

 

住宅街の合間を縫う、狭く暗い路地。そこには、冬の夜の冷気とは異なる、どろりとした不快な魔力の澱みが漂っていた。

 

 

「……! 待ってください、シロウ。血の匂いです。それも、極めて新鮮で……おぞましい濃度の」

 

セイバーの声が鋭くなる。彼女が前方の暗闇を睨み据えると、そこには異様な光景が広がっていた。

 

ゴミ捨て場の陰、壁に寄りかかるようにして倒れ伏している一人の少女。

 

「……美綴……!?」

 

 

士郎の息が止まった。弓道部の主将であり友人でもある美綴綾子が、顔色を白く染め、首筋から鮮血を流して意識を失っていた。そしてその傍らには、黒の装束を纏ったサーヴァント──ライダーが、口元を血で汚して立っている。

 

「──あはっ、あはははは! なんだよ衛宮、いたのか?なにしてるんだぁ?」

 

 

暗闇から姿を現したのは、穂群原学園の同級生、間桐慎二だった。彼は手に古びた一冊の本──《偽臣の書》を握りしめ、歪んだ愉悦を顔に張り付かせていた。

 

 

「慎二……お前、美綴に何をした!」

 

「何って、魔力の補給だよ。僕のライダーは美食家でね、魔術師でもない一般人の血なんて効率が悪いんだけど……まあ、今は数で稼ぐしかないからさ。感謝してほしいくらいだよ、死なない程度に留めておいてあげたんだから」

 

 

慎二は士郎の怒りなど露知らず、勝ち誇ったように笑う。彼は知らないのだ。ほんの数十分前、士郎が神話の怪物であるバーサーカーと対峙し、死の淵を歩いてきたことを。彼にとって士郎は、今も昔も「自分より下の、何も持たないお人好し」でしかなかった。

 

 

「……友人を餌にしたか。間桐の魔術師、貴様のその傲慢、万死に値します」

 

 

セイバーの冷徹な声が路地裏に響く。彼女の不可視の剣から放たれる殺気は、冬の冷気をさらに数段階引き下げた。

 

 

「はっ、やれるものならやってみなよ! ライダー、こいつらを殺せ! あの金髪の女を跪かせて、衛宮の前で絶望させてやるんだ!」

 

「……了解しました、マスター」

 

 

慎二の命令を受け、ライダーがしなやかな動作で跳躍する。手にした杭のような短剣と、長く伸びた鎖が蛇のように士郎たちへ襲いかかる。

 

「下がって、シロウ!」

 

 

セイバーが地を蹴った。一撃。不可視の刃がライダーの短剣を弾き、火花が夜の闇を散らす。

 

ライダーの動きは速い。壁を蹴り、天井を走り、変幻自在の軌道で鎖を操る。だが、その一撃一撃には覇気がなく、魔力の波形が極めて不安定だった。マスターである慎二の魔術特性が欠落しているため、ライダーという英霊の本来のスペックが全く引き出せていないのだ。

 

「……これしきですか、ライダー! 貴方の剣筋には、守るべき矜持も、奪うべき執念も足りない!」

 

 

セイバーは、ライダーが放った鎖の隙間を縫うように踏み込んだ。

 

ライダーが回避のために再び鎖を投げ、セイバーの首を絡め取ろうとする。だが、セイバーはその誘いにあえて乗った。

 

 

「捕らえた」

 

 

セイバーは左手で自らの首に迫る鎖を掴み、その超常的な膂力で、ライダーの身体を無理やり手繰り寄せた。

 

 

 

「な……っ!?」

 

 

空中でバランスを崩したライダーの眼前に、セイバーの不可視の剣が迫る。

 

セイバーは無駄のない動作で、鎖を掴んだままライダーを地面へと叩きつけ、その胴体へと真っ向から剣を振り下ろした。

 

 

 

ドゴォォォォォンッ!!

 

 

 

アスファルトが砕け、衝撃波が路地の壁を震わせる。ライダーの黒色の装束が切り裂かれ、彼女の身体は砲弾のように壁まで吹き飛び、瓦礫の下へと沈んだ。

 

 

「ら、ライダー……!? 嘘だろ、何やってるんだよ!」

 

 

 

慎二が絶叫する。

 

「立て! 立って戦えよ、出来損ないが! 僕が……僕がマスターなんだぞ?!」

 

 

慎二は激昂し、手に持っていた本に魔力を込めようとした。ライダーに更なるブーストをかけ、セイバーを殺せと呪詛を吐く。だが、その傲慢な命令が形を成すことはなかった。

 

 

 

 

──ボウッ。

 

 

 

 

慎二の持つ《偽臣の書》が、突然、中心部から不自然な黒い炎を上げて燃え上がった。

 

 

「ぎゃあぁっ!? あ、熱い、熱いっ!!」

 

 

慎二は驚いて本を放り出した。地面に落ちた本は、一瞬のうちに灰へと変わり、冷たい夜風に吹かれて消えていった。

 

 

「……あ、あれ? 契約が……消えた?」

 

 

慎二の顔から血の気が引く。

 

《偽臣の書》という借り物の魔力回路を失ったことで、ライダーとのパスが完全に断絶したのだ。

 

瓦礫の中から這い出したライダーは、朦朧とした意識の中で自らの身体が透けていくのを悟った。

 

 

「……ここまで、です。マスター」

 

 

ライダーは消え入りそうな声で呟くと、静かに霧のように霧散していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……周囲からは消滅したように見えただろうが、実際にはパスが途切れたことによる強制的な霊体化だな。彼女の真の契約者──おそらく間桐桜の元へと還ったに過ぎない。……あぁ本当に面倒だよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……間桐、慎二。貴方の負けだ。彼女を解放し、消えなさい。さもなくば次は、その首を落とす」

 

 

セイバーの剣が、ガタガタと震える慎二の喉元に突きつけられる。

 

 

「ひ、ひいぃっ……! くるな、くるなよ衛宮! 覚えてろ、こんなことしてタダで済むと思うなよ!」

 

 

「──ふむ。やはり、これしきであったか」

 

 

 

 

不意に。

 

 

慎二の背後の影から、一人の老人が這い出るように姿を現した。

 

皺だらけの顔に、枯れ木のような四肢。その眼窩には、腐り落ちたような執念が渦巻いている。

 

 

「お、お祖父様……!? 助けて、助けてよ! ライダーが、僕の本が……!」

 

 

慎二が縋りつくが、間桐臓硯はその孫を一瞥だにせず、冷たい言葉を吐き捨てた。

 

 

「無能な孫よ。魔術師の端くれならば、己の器に見合った死に方をせよ。……衛宮の小僧、そしてセイバー。間桐の敗退は、この爺が宣言しよう。間桐の血はすでに枯れた。今回の聖杯戦争、我が家系は一歩引かせてもらうとしようかの」

 

 

臓硯は歪な笑みを浮かべ、士郎とセイバーをその暗い瞳で一撫でした。

 

 

「ククク……精々、残された時間を楽しむが良い。運命の歯車は、すでにお主らの理解を越えて回転しておるわ」

 

 

臓硯の身体が、無数の羽虫へと分解され、夜の闇へと溶けていく。

 

 

「ま、待って、お祖父様! 僕を置いていくな!」

 

 

慎二は臓硯の後を追うように、士郎たちに罵声を浴びせながら路地裏の奥へと走り去っていった。

 

 

「畜生、どいつもこいつも! 衛宮、お前なんて……お前なんて、今に見てろよ!!」

 

 

静寂が戻った路地裏。残されたのは、意識を失った美綴綾子と、重い疲労を抱えた士郎、そして不気味な余韻だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[POV Shift: 間桐慎二]

 

 

「ハァ、ハァ……クソッ! クソクソクソッ!!」

 

慎二は暗い裏通りを、転びそうになりながら走り続けていた。

 

寒さと恐怖で身体の震えが止まらない。ライダーを失い、お祖父様にも見捨てられた。あんなに完璧だったはずの自分の計画が、なぜこうも無様に崩れ去ったのか。

 

 

「衛宮の分際で……あの出来損ないの癖に! なんであんなサーヴァントを……!」

 

 

悪態を吐き、足元の小石を蹴り飛ばす。

 

怒りと屈辱で視界が歪む。今すぐにでも誰かを、自分より弱い誰かを、八つ裂きにしてやりたいという衝動。

 

 

 

 

だが、その時。

 

 

 

周囲の空気が、不自然に重くなった。

 

 

 

 

「──演算終了。対象の『不確定要素』を排除。残機ゼロを確認」

 

 

 

低く、無機質な声。

 

慎二が足を止め、顔を上げると、そこにいた。

 

路地の出口を塞ぐようにして立つ、一人の男。

 

 

 

逆光で顔はよく見えない。周囲には、まるで世界の解像度がそこだけ極端に落ちたような、ノイズ混じりの靄がかかっている。

 

 

 

「……だ、誰だお前。どけよ、邪魔だ」

 

 

 

慎二は精一杯の虚勢を張って怒鳴る。

 

だが、その男──竜胆茜は、感情の欠片も感じさせない冷徹な眼差しで、慎二の身体を「観測」していた。

 

 

 

「ライダーの後処理はキャスターに任せた。……残るは、システム上のノイズである君だけだ、間桐慎二」

 

 

 

茜の右手が、ゆっくりとポケットから出される。

 

彼の周囲で、空間の因果が捻じ曲がり、キィィィィンという高周波の電子音が夜の静寂を切り裂いた。

 

 

「な、なんだよお前……何を言って……」

 

 

「君は彼女の日常に不快なノイズを混ぜた。その代償は、ここで清算させてもらう。……安心しろ、死なせはしない。ただ、『世界における優先順位』を、最低層まで引き下げるだけだ」

 

 

 

茜が一歩、踏み出す。

 

慎二の瞳に、この世の終わりのような絶望が反射した。

 

「ノイズの処理を開始する。……さようなら、三流のマスター」

 

路地裏に、非情な宣告が落ちた。

 

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