空白の観測者と、真紅の共犯者   作:りー037

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【第十一章】背景の掃除と、暗い路地の演算

[Time: 2004年 2月3日 午前1:30]

 

[Location: 冬木市 新都外れ ── 竜胆茜の自室(安アパート)]

 

 

「……ふぅ。システム、冷却開始」

 

暗い六畳間で、竜胆茜は小さく息を吐き出した。

 

口元にわずかな熱を感じ、指先で拭うと、薄い血の跡がついた。だが、先程のような「致命的な崩壊」ではない。神代の大魔術をL2《物理条件の先行成立》による因果干渉で強引に軌道制御し、隠蔽した負荷は決して小さくない。だが、茜の脳内に構築された異常な魔術基盤──そのシステムは、すでにその負荷を「許容範囲内のエラー」として処理・隔離し始めていた。

 

 

「マスター……やはり、無理が過ぎます。すぐに休息を。これ以上の演算は、貴方の神経を不可逆的に焼き切ってしまいます」

 

 

背後に控える純白の少女、メディア・リリィが心配そうに駆け寄る。彼女の瞳には純粋な懸念が浮かんでいたが、茜は静かに首を振って立ち上がった。

 

 

「いや、まだだ。……おそらく間桐慎二がサーヴァントと共に動いている。座標は既に補足しているよ。……彼がマスターでほぼ確定かな」

 

 

茜は目を閉じ、L4《環境並列演算網》を冬木市の霊脈へと深く接続した。彼の意識の海には、深山町の暗がりで、霊脈を汚すように蠢くもう一つの「不快なノイズ」がはっきりと映し出されていた。

 

 

先ほどのバーサーカー戦の巨大な魔力衝突とは異なる、陰湿で、どろりとした吸血の気配。

 

 

「背景の掃除が、もう一仕事残っている。……あんな三流のバグに、遠坂の日常をこれ以上かき回させるわけにはいかないからね」

 

 

茜はベッドの脇に脱ぎ捨ててあった黒い上着を掴むと、夜の闇へと溶け出すように部屋を後にした。彼の無機質な瞳の奥には、既に次なる「処理対象」の末路が、幾通りもの計算式として演算されていた。

 

 

 

 

 

 

 

[Time: 同日 午前1:40]

 

[Location: 冬木市 深山町 ── 雑居ビルの屋上]

 

 

粉雪が舞う冬の夜空。

 

茜は、深山町の入り組んだ住宅街を見下ろす雑居ビルの屋上に音もなく降り立った。《可変存在解像度》の出力を調整し、完全に「風景の一部」として世界からの認識を遮断している。

 

冷たい風が頬を刺すが、第一階層《完全躯体制御》によって体温の低下と痛覚はすでにマスキングされている。

 

 

 

 

茜は屋上の縁に立ち、視線を眼下の細い路地裏へと向けた。

 

そこには、手っ取り早く一般人を襲い、魔力を簒奪している凶行の現場があった。

 

ゴミ捨て場の陰に倒れ伏しているのは、穂群原学園の弓道部主将、美綴綾子。そして彼女の首筋に牙を立て、その生気を啜っているのは、紫色の装束に目隠しをした妖艶なサーヴァント。

 

 

 

少し離れた場所では、間桐慎二が歪んだ愉悦の笑みを浮かべてその光景を眺めている。

 

(……対象を解析。クラス・ライダーか)

 

 

茜の脳内で、《構造解析》が即座に敵性サーヴァントのステータスと魔力波形を読み取っていく。

 

 

 

 

その瞬間、茜の瞳がさらに暗く、冷たく沈んだ。

 

 

(波形、完全に一致。……学校に血液溶解の結界を張り巡らせていた存在と同じだ。つまり、遠坂の管理地を荒らし、一般の生徒を巻き込もうとした元凶)

 

 

排除対象としての優先順位が、システム内で一気に跳ね上がる。

 

間桐慎二。魔術回路を持たないはずの彼が、どのような手段を用いてサーヴァントを使役しているのか。茜が視線を慎二の右手にズームすると、そこには令呪ではなく、一冊の不気味な古書が握られていた。

 

 

(……令呪の代替品。マスターとしての権限を委譲された『偽物の回路』か。くだらない。あんな泥縄式のデバイスで、英霊を御しきれるはずがない)

 

 

茜が、その偽りの書を遠隔からのL2《論理矛盾の意図的生成》で焼き切ろうと演算のトリガーに指をかけた、まさにその時だった。

 

予想外の乱入者が、路地裏の入り口に姿を現した。

 

「──慎二、お前……っ、何をしている!」

 

 

衛宮士郎。そして、その傍らに付き従う、白銀の甲冑を纏ったセイバー。

 

バーサーカーとの死闘で満身創痍のはずの二人が、美綴の血の匂いを嗅ぎつけてこの路地裏に踏み込んできたのだ。

 

 

(……また彼か)

 

 

 

茜は、演算のトリガーをそっと外し、ビルからの傍観を継続した。

 

あの衛宮士郎という人間は、確率論や自己保存のシステムを完全に無視して動く。自らが死にかけようと、他者の危機には必ず介入してくる「主人公」というバグ。

 

 

「……マスター。彼ら、また戦うつもりでしょうか。あの少年の肉体は限界です」

 

 

霊体化したまま傍らに立つメディア・リリィが、呆れたように、しかしどこか感心したような声で念話を繋いでくる。

 

 

「彼はそういう風にできているんだ。……とりあえず、事態の推移を観測する。セイバーの魔力は枯渇寸前だが、それでもあの不完全なライダーの相手なら後れは取らない」

 

 

茜は冷徹に状況を分析し、自らは背景としての役割に徹した。

 

眼下では、会話のキャッチボールすら成立しないまま、戦闘が開始された。

 

 

「やれ、ライダー! その女を殺せ!」という慎二の愚かな命令。

 

 

それに応えてライダーが鎖を放つが、セイバーの動きはそれに勝っていた。

 

「捕らえた」

 

 

セイバーが自らの首に迫る鎖を左手で掴み、強引に引き寄せる。体勢を崩したライダーの胴体へと、不可視の剣が容赦なく叩き込まれた。

 

爆音と共にアスファルトが砕け、ライダーが瓦礫の下へと吹き飛ばされる。

 

致命的な一撃。サーヴァントとしての急所を的確に捉えた、一切の容赦のない『殺し』の剣。

 

 

「ら、ライダー……!? 嘘だろ、何やってるんだよ!」

 

 

慎二がパニックに陥り、絶叫する。

 

「立て! 立って戦えよ、出来損ないが! 僕が……僕がマスターなんだぞ?!」

 

 

慎二は手にした本を高く掲げ、無理やりに魔力を注ぎ込んでライダーを立ち上がらせようとした。

 

 

 

だが。

 

 

 

──ボウッ。

 

 

 

慎二がライダーを制御するために使っていた『偽臣の書』が、突如として黒い炎を上げて燃え尽きた。

 

 

「ぎゃあぁっ!?」

 

 

慎二が本を放り出し、地面に落ちた灰が風に舞う。

 

それと同時に、瓦礫の中から這い出そうとしていたライダーの身体が、急速に透明化し始めた。

 

 

「……あ、あれ? 契約が……消えた?」

 

 

慎二の顔から血の気が引く。《偽臣の書》という借り物の魔力回路を失ったことで、ライダーとのパスが完全に断絶したのだ。

 

 

「……ここまで、です。マスター」

 

 

ライダーは消え入りそうな声で呟くと、静かに霧のように霧散していった。

 

眼下の路地裏では、セイバーが剣を構え直して周囲を警戒し、士郎が慎二に向かって激昂している。

 

だが、ビルの上からその全てを俯瞰していた竜胆茜の脳内では、全く別の演算が行われていた。

 

 

 

『……消滅? いや、違う。あれは霊核を破壊されたことによる消滅じゃない』

 

 

茜は、自身の脳内に流れる情報を高速で処理し、結論を導き出した。

 

 

『……周囲からは消滅したように見えただろうが、実際にはパスが途切れたことによる強制的な霊体化だな。彼女の真の契約者──おそらく間桐桜の元へと還ったに過ぎない。……あぁ、本当に面倒だよ』

 

 

 

間桐家において、魔術回路を持つ人間は誰か。

 

慎二がマスターではないことは明白。ならば、その背後にいるのは誰か。間桐慎二の妹、間桐桜。彼女が真のマスターであるという推論は、システムにとって極めて妥当な解答だった。

 

 

「キャスター」

 

 

茜は、氷のように冷たい声で、自らのサーヴァントに命じた。

 

「はい、マスター」

 

「ライダーを追って始末しろ。方角は間桐邸だ。魔力不足で霊体化した手負いのサーヴァントだ。君なら容易く追えるし、確実に処理できるだろう」

 

 

 

神代の魔女の追跡術から、傷ついたライダーが逃れる術はない。

 

 

「……承知いたしました。ですが、マスターはどうされるのですか? あの間桐慎二という少年は……」

 

 

メディア・リリィが、一人残る茜の身を案じて問い返す。

 

「僕は、マスターの方を処理する」

 

 

茜は淡泊に答えた。

 

「あんな三流をいつまでも盤面に残しておけば、巡り巡って遠坂の足元を掬う小石になりかねない。……システム上のバグは、見つけた時に完全に削除する。それが僕の役割だ」

 

「……どうか、ご無事で。すぐに戻ります」

 

 

メディア・リリィが霊体のまま一礼し、冬木の闇の中へと、紫色の魔力の残滓を残して飛び去っていった。

 

 

 

 

茜は再び眼下に視線を戻す。

 

 

そこには、路地裏の影から現れた不気味な老人──間桐臓硯の姿があった。

 

臓硯は「間桐は敗退」と一方的に宣言し、慎二を見捨てて影の中へと消えていく。

 

 

「ちくしょう、どいつもこいつも……! 衛宮、覚えてろよ!!」

 

 

全てを失い、完全に孤立した間桐慎二が、士郎たちにありったけの暴言と悪態を吐き捨てながら、路地裏の奥へと逃げるように走り去っていく。

 

茜は、逃亡するその背中をシステム上の『ターゲット』としてロックオンし、静かにビルの屋上から身を躍らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

[Time: 同日 午前2:05]

 

[Location: 冬木市 深山町 ── 誰もいない裏通り]

 

「ハァ、ハァ、ハァ……ッ! クソッ! なんで僕が、こんな目に……!」

 

慎二は、凍えるような寒さの中、足をもつれさせながら裏通りを逃げ続けていた。

 

「衛宮の分際で……あの出来損ないの癖に! なんであんなサーヴァントを……!」

 

 

 

怒りと屈辱。恐怖と絶望。

 

完璧なマスターとして、聖杯戦争の勝者として君臨するはずだった自分の栄光が、一晩で木っ端微塵に砕け散った。

 

「あの金ピカのサーヴァント……そうだ、セイバーを倒せば……僕の凄さが分かれば、お祖父様だって……!」

 

 

ブツブツと、実現不可能な妄想を口走ることで、かろうじて自我を保っている。

 

 

 

だが、その時。

 

周囲の空気が、不自然に重くなった。

 

まるで重力が局所的に増したかのような、肺を押し潰されるような圧迫感。

 

 

「──演算終了。対象の『不確定要素』を排除。残機ゼロを確認」

 

 

 

低く、無機質な声。

 

 

慎二が足を止め、顔を上げると、そこにいた。

 

 

路地の出口を完全に塞ぐようにして立つ、一人の男。

 

 

 

逆光で顔はよく見えない。周囲には、まるで世界の解像度がそこだけ極端に落ちたような、ノイズ混じりの靄がかかっている。

 

存在しているのに、存在していないような、圧倒的な異物感。

 

 

「……だ、誰だお前。どけよ、邪魔だ」

 

 

慎二は、心の奥底から湧き上がる正体不明の恐怖を押し殺し、精一杯の虚勢を張って怒鳴った。

 

 

 

だが、その男──竜胆茜は、感情の欠片も感じさせない冷徹な眼差しで、慎二の身体をただのデータのように「観測」していた。

 

やがて、モザイクのようなノイズが晴れ、その顔が月明かりに照らし出される。

 

 

「……お前、竜胆か? 遠坂の金魚のフンの、あの根暗な……なんでお前がこんなところにいる!」

 

 

慎二は相手の正体がただの同級生だと分かり、安堵と共に怒りを爆発させた。

 

 

「お前も僕を笑いに来たのか!? どけって言ってるだろ! ぶっ殺されたいのか!」

 

「ライダーの後処理はキャスターに任せた。……残るは、システム上のノイズである君だけだ、間桐慎二」

 

 

茜の口から紡がれた言葉に、慎二の表情がピシリと凍りついた。

 

ライダー。キャスター。一般人が絶対に知るはずのない、聖杯戦争の用語。

 

 

「な……お前、なんでその言葉を……まさか、お前もマスターなのか……!?」

 

「君はここまでだ。退場してくれ」

 

 

慎二が一歩、後ずさる。

 

茜の右手が、ゆっくりとポケットから出される。

 

その瞬間。彼の周囲で、空間の因果が目に見えて捻じ曲がり、キィィィィンという高周波の電子音が夜の静寂を切り裂いた。

 

 

「な、なんだよお前……何を言って……」

 

 

慎二の膝が笑い始める。目の前にいる同級生が、自分と同じ人間ではない何か恐ろしい怪物に見えてきたのだ。

 

 

「君は彼女の日常に不快なノイズを混ぜた。その代償は、ここで清算させてもらう。……安心しろ、死なせはしない」

 

 

 

 

茜が一歩、踏み出す。

 

アスファルトが、茜の足元からひび割れ、異常な魔力の波が慎二の足元まで波及する。

 

 

「ただ、『世界における優先順位』を、最低層まで引き下げるだけだ」

 

 

「ひっ……!」

 

 

慎二は尻餅をつき、後退りしようとした。だが、体が動かない。

 

空間そのものが茜の演算によって固定され、慎二を絶対的な『処理対象』として縛り付けていた。

 

 

「や、やめろ……! 僕は間桐の跡取りだぞ! 遠坂だって、僕を……!」

 

 

「君は魔術師ですらない。ただの血の繋がった一般人だ。……だから、本来の場所に返してあげるだけだ」

 

 

茜の瞳に、この世の終わりのような絶望的な冷酷さが反射した。

 

 

「背景の処理を開始する。……さようなら、三流のマスター」

 

 

 

茜が右手の指を軽く弾く。

 

 

L2《論理矛盾の意図的生成(パラドックス・インストール)》。

 

 

 

対象の脳内シナプスと、間桐の魔術に関する記憶、そして聖杯戦争という概念そのものの認識を『エラー』として強制的に切り離す、精神のフォーマット。

 

 

「あ、あああぁぁぁぁぁぁッッ!!?」

 

 

慎二の脳内に、耐え難い電子的なノイズが直接響き渡る。

 

 

自分が特別だという自負が。

 

 

魔術師であるという誇りが。

 

 

遠坂凛や衛宮士郎への執着が。

 

 

 

すべてが、文字化けしたデータのように崩れ去り、無意味な空白へと上書きされていく。

 

「やめ……や、僕、は……ぼくは…………」

 

 

慎二の瞳から光が失われ、口からは涎が垂れ、虚ろな表情で地面に突っ伏した。

 

物理的な外傷はない。だが、彼は二度と魔術の深淵を覗くことはできない。聖杯戦争のことも、自分がサーヴァントを使役したという事実すら、ただの「ひどく曖昧で現実味のない悪夢」としてしか認識できなくなったのだ。

 

 

茜は、地面に転がるただの『一般人』を見下ろした。

 

(……間桐慎二の再バグ化の確率は0.003%以下。処理完了。)

 

 

路地裏に、非情な宣告が落ちた。

 

茜は完全にシステムから切り離された慎二を一瞥することなく、再び《可変存在解像度》を展開し、夜の闇へとその姿を溶かしていく。

 

彼女の歩む道に、これ以上の石ころは必要ない。

 

孤独な観測者は、冷たい冬の風と共に、次の演算へと静かに向かっていった。

 

 

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