空白の観測者と、真紅の共犯者   作:りー037

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【第十三章】黒き影の胎動と、病室の観測者

[Time: 2004年 2月4日 午前3:00]

 

[Location: 冬木市 郊外 ── 柳洞寺]

 

 

月雲が厚く垂れ込め、星の光すら届かない完全な闇夜。

 

冬木市の霊脈の要衝である円蔵山に建つ柳洞寺は、普段であれば静謐な空気に包まれ、俗世の喧騒から切り離された霊域としての静寂を保っているはずだった。

 

だが、その夜、寺の境内を支配していたのは、圧倒的な「死」の気配だった。

 

 

「……ガ、ハッ……!」

 

 

血を吐くような呻き声が、凍てつく空気を震わせた。

 

僧衣をまとった男が、本堂へと続く石畳の上で痙攣し、やがて力なく崩れ落ちる。彼の胸元は、鋭利な刃物のようなものでえぐり取られており、大量の血液が石畳を黒く染め上げていた。

 

 

 

蠢く「影」があった。

 

それは、本来この世に存在してはならないような、どろりとした不浄な泥の集合体。物理的な輪郭を持たず、ただ地面を這いずり回るようにして寺の人間たちを次々と飲み込み、その生命力と魔力を貪り食っていた。

 

 

そして、その影を従えるようにして、音もなく山門の屋根に降り立った者がいる。

 

 

黒い襤褸布を纏い、顔を不気味な髑髏の仮面で隠した、異形のサーヴァント。異常に長く伸びた右腕には、呪いのような包帯が巻かれている。

 

 

 

暗殺者の英霊(アサシン)。

 

 

 

 

「……シッ」

 

 

 

アサシンが蛇のような息を漏らすと、寺の奥から一人の男が歩み出てきた。

 

 

 

柳洞寺に居候している教師、葛木宗一郎。

 

彼は、惨劇を前にしてもその無表情を一切崩さず、眼鏡の奥の冷徹な瞳で異形のサーヴァントを真っ直ぐに見据えていた。彼には魔術の心得はないが、かつて暗殺教団で培った殺人鬼としての純粋な武の極致が、本能的に目の前の存在の「死の危険性」を理解させていた。

 

 

「何者だ。ここを寺と知っての狼藉か」

 

 

葛木が、静かに両腕をだらりと下げる。蛇の構え。

 

だが、アサシンは嘲るような低い笑い声を漏らし、闇に溶けるように姿を消した。

 

 

 

直後。

 

 

葛木の背後の空間が歪み、凶刃が彼の首筋へ迫る。

 

人間の反応速度を超越した、サーヴァントの神速の一撃。葛木は超人的な反射神経で身を捻り、その刃を紙一重で躱しながら、カウンターの拳をアサシンの胸倉へ叩き込もうとした。

 

 

 

しかし。

 

 

 

「……愚カ」

 

 

アサシンの仮面の奥で、昏い光が灯る。

 

彼の異常に長い右腕──呪いの腕が、物理法則を無視した軌道で伸縮し、葛木の胸部を背後から正確に貫いた。

 

 

「……ッ」

 

 

葛木の無機質な表情が、初めて苦痛に歪む。

 

心臓を的確に破壊された彼は、抗う術を持たないまま、石畳の上へと崩れ落ちた。感情の起伏を持たない殺人鬼であった男は、自身の死に際してすらも静かなまま、冬の夜の闇へと沈んでいった。

 

 

「……兄さん! 父さん……!! 誰か、誰かいないのか!!」

 

 

本堂の奥から、惨劇の物音に気づいた一人の少年が飛び出してきた。

 

 

 

柳洞寺の跡取りであり、穂群原学園の生徒会長である柳洞一成。

 

彼は、血だまりの中に倒れる家族や葛木宗一郎の姿を見て、絶望の叫びを上げた。

 

アサシンが、次なる獲物を見定めたように一成へと向き直る。

 

 

 

だが、彼がその凶刃を振り下ろそうとした瞬間、地面を這う「黒い影」が、獲物を横取りするかのように一成の足元へと絡みついた。

 

 

 

「うわああぁぁぁぁっ!!」

 

 

影に触れた瞬間、一成の全身の魔力と生命力が急速に吸い上げられ、彼は白目を剥いて意識を失い、石畳に叩きつけられた。即死には至らなかったものの、その生命の火は風前の灯火となっていた。

 

 

「……チッ。食イ意地ノ張ッタ影メ」

 

 

アサシンは忌々しげに舌打ちをすると、目的を果たしたとばかりに、再び深い夜の闇へと姿を消した。

 

 

 

残されたのは、血と泥に塗れた静寂だけ。

 

聖杯戦争という儀式の裏側で、おぞましい「悪意」が確実に胎動し始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

[Time: 同日 午前0:20]

 

[Location: 穂群原学園 2年A組 教室]

 

 

翌朝の教室は、普段の喧騒とは異なり、不気味なほどのざわめきに包まれていた。

 

遠坂凛は、自分の席に座りながら、クラスメイトたちが不安げに交わす会話を冷徹な思考の裏で拾い集めていた。

 

 

「ねえ、朝のニュース見た!? 柳洞寺で強盗殺人だって……!」

 

 

「嘘でしょ……しかも一成くんの家じゃん。住職さんたちも殺されて、一成くんは重体で病院に運ばれたらしいよ」

 

 

「葛木先生も巻き込まれて亡くなったって……どうなってんの、この街……」

 

 

 

凛は、手にしたシャーペンを強く握りしめた。

 

柳洞寺の惨劇。そして、新都のビル街でも昨夜、奇妙なガス漏れ事故による大事故が起きているという報道があった。

 

 

(……強盗殺人やガス漏れのわけがない。明らかに魔術師か、サーヴァントの仕業。しかも、一般人を無差別に狙っている)

 

 

魔術世界における暗黙のルールである「神秘の秘匿」。それをある程度隠蔽しているとはいえ、これほどまでに派手で凄惨な手口を使う陣営がいることに、凛は強い嫌悪感と怒りを覚えていた。

 

凛の視線が、無意識に教室の後方──窓際から一つ廊下側の席へと向かう。

 

 

 

空席だった。

 

竜胆茜。昨日、青白い顔をして完璧な「背景」を演じていた彼は、今日は登校すらしていなかった。

 

 

(……あいつ、まさか昨日の事件に巻き込まれたんじゃ……。いや、それとも……あいつ自身が何かを探りに、一人で動いている?)

 

 

胸の奥が、冷たい不安で締め付けられる。

 

彼が「背景」として無茶な確率操作を行い、自分の見えないところで致命傷を負って倒れているのではないかという想像が、凛の思考を否応なく掻き乱していく。

 

 

 

(……馬鹿。絶対に関わらないって言ったのに……!)

 

 

「遠坂」

 

 

不意に、廊下側の扉から顔を覗かせたのは衛宮士郎だった。

 

彼の顔には、隠しきれない疲労と、深く沈んだ怒りの色が張り付いている。

 

凛は小さく頷き、周囲に怪しまれないよう、自然な動作で席を立って教室を出た。

 

 

 

 

 

 

 

[Time: 同日 午後0:30]

 

[Location: 穂群原学園 ── 屋上]

 

 

 

昼休み。

 

 

冷たい冬の風が吹き荒れる屋上には、凛と士郎の二人しかいなかった。

 

重い鉄扉が閉められた空間で、士郎はコンクリートのフェンスに両手をつき、俯いたまま重い口を開いた。

 

「……今朝、病院に行って一成の見舞いをしてきた。医者は命に別状はないって言ってたけど……あいつの親父さんも、兄貴も、葛木先生も……みんな殺された」

 

 

 

士郎の声は、微かに震えていた。

 

日常のすぐ隣にいた友人や恩師が、一晩にして理不尽な暴力によって奪われた。その事実は、彼の内にある「誰かを助けたい」という強迫観念を、鋭い刃物のように研ぎ澄ませていた。

 

 

「新都の事件も、多分同じ連中の仕業だ。一般人を巻き込んで、魔力を集めてるんだと思う。……俺は、こんなふざけた連中を絶対に許さない。俺の命に代えても、あいつらを止める」

 

 

凛は、腕を組みながら冷ややかに士郎を見据えた。

 

 

「……冷静になりなさい、衛宮くん。怒りで我を忘れて特攻するなんて、三流の魔術師以下のやることよ。相手がどの陣営か分かっているの?」

 

「……分からない。ランサーか、バーサーカーか……それとも、まだ見ぬ他のサーヴァントか」

 

「でしょうね」

 

 

凛はため息をつき、風に乱れる髪をかき上げた。

 

「現在、確実に判明している陣営は、貴方のセイバー、私のアーチャー、イリヤスフィールのバーサーカー。そして、一昨日に暗躍していた未知の狙撃手、キャスター。……間桐のライダーは消滅したけれど、あの臓硯が本当に手を引いたかは疑わしいわ」

 

 

凛は一呼吸置き、さらに言葉を続ける。

 

「柳洞寺の件は、間違いなく魔力集めが目的よ。これだけ大規模に動くということは、マスターかサーヴァントがよほど魔力に飢えているか、あるいは何か別の儀式を進めている可能性がある。……私も、自分の管理地でこれ以上一般人が犠牲になるのは許せないわ」

 

 

『──よって、君の提案は一つだろう、凛』

 

不意に、凛の背後の空間が歪み、赤い外套を纏ったアーチャーが実体化した。

 

彼は腕を組み、士郎を皮肉げに見下ろしながら口の端を吊り上げる。

 

「アーチャー……」

 

 

士郎が警戒して身構えるが、凛はそれを手で制した。

 

「ええ、そうよ。私たちの利害は一致しているわ、衛宮くん」

 

 

凛は、士郎に向かって真っ直ぐに視線を射抜いた。

 

「私たち、同盟を結びましょう。この一般人を巻き込む外道を片付けるまで、私と貴方は協力関係になる。お互いの背中を守り、情報を共有する。……どう?」

 

 

士郎は、凛の予期せぬ提案に少し驚いたように目を見開いたが、すぐに力強く頷いた。

 

「……分かった。俺一人じゃ、セイバーに無茶をさせるだけかもしれない。遠坂が協力してくれるなら、これ以上心強いことはない。よろしく頼む」

 

「交渉成立ね。……アーチャー、貴方もいいわね?」

 

 

凛が背後を振り返ると、アーチャーは肩をすくめた。

 

『マスターがそう判断するなら従うまでだ。だが、この未熟な小僧が私の足を引っ張るようなら、その時は見捨てさせてもらうぞ』

 

「……上等だ。俺は絶対にお前たちの足は引っ張らない」

 

 

士郎がアーチャーを睨み返す。二人の間には、初対面から続く奇妙な嫌悪感と対抗意識がバチバチと火花を散らしていた。

 

(……とりあえず、これで衛宮くんの無茶はある程度コントロールできる。あとは……)

 

 

凛の思考は、再びあの「空白の少年」へと向かう。

 

彼が今どこで何をしているのか。まさか、彼がこの凄惨な事件に一人で首を突っ込んでいるのではないか。

 

同盟を結んだとはいえ、凛の胸の中にある重苦しい鉛は、一向に晴れる気配がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

[Time: 同日 午後1:15]

 

[Location: 冬木市 郊外 ── 柳洞寺]

 

 

凛と士郎が屋上で同盟を結んでいたのと同時刻。

 

黄色い規制線が張られ、警察の鑑識が慌ただしく出入りする柳洞寺の境内に、完全に風景と化した二つの影が存在していた。

 

「……マスター。酷い有様ですね。ここは霊脈の結節点……本来であれば、強固な魔術工房を築くのに最適な場所だったはずです。それが、ただの屠殺場にされてしまうなんて」

 

純白のローブを纏い、霊体化したままのメディア・リリィが、顔をしかめながら境内の惨状を見渡す。

 

「……ああ。魔力を集めるためだけに、ここを襲った。極めて短絡的で、醜悪な手口だ」

 

 

竜胆茜は、Tier 0《可変存在解像度》の出力を調整し、警察官たちの視界から完全に「存在しない背景」として境内の中心に立ち尽くしていた。

 

今日は学校をサボった。平穏な日常のシステムが大きく崩れかけている今、教室で大人しく座っている時間は無駄だった。

 

 

茜は黒いコートのポケットから手を出し、L4《環境並列演算網》を起動しながら、空中に残された魔力の残滓を観測する。

 

 

彼の起源である「解析」が、空間に焼き付いた因果のログを次々と読み取っていく。

 

 

(……《因果ログ解析(カウザル・ログ)》、実行。対象の魔力波形を逆算する)

 

 

茜の瞳に、昨夜の惨劇の光景がノイズ混じりの映像として再生される。

 

僧侶たちの断末魔。葛木宗一郎の死。そして、長い腕を持つ髑髏の仮面のサーヴァント。さらに、地面を這いずり回る「黒い泥」のような影。

 

「……メディア。君の《魔力視》には、どう映っている?」

 

 

茜は、傍らの彼女に問いかけた。

 

「はい。刃物による殺傷痕は、サーヴァントの仕業です。……おそらく『アサシン』のクラス。極めて陰湿で、呪いに近い魔力を持っています」

 

 

メディア・リリィは、杖を翳しながら正確に分析する。

 

「ですが、それ以上に厄介なのは……この地面にべったりと張り付いている、不浄な魔力の跡です。これは英霊の魔力じゃありません。もっと根源的で、底なしの悪意……まるで、英霊の形をした『泥』そのものです」

 

(……泥、か)

 

 

茜の脳内で、システムが警報を鳴らす。

 

聖杯戦争のルールを根本から破壊するような、規格外のバグ。アサシンのサーヴァントとは別に、この冬木には、聖杯のシステムそのものを汚染する「何か」が蠢き始めている。

 

「……遠坂の道に、とんでもない落とし穴が開いたな。このまま放置すれば、彼女の生存確率はシステム上で急激に低下する」

 

 

茜は、血だまりの跡を無表情で見つめながら、静かに踵を返した。

 

「行くよ、メディア。次は病院だ。生き残った唯一の目撃者から、直接『変数』を抽出する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[Time: 同日 午後2:45]

 

[Location: 冬木市 ── 新都総合病院]

 

 

消毒液の匂いが漂う、静かな病棟の廊下。

 

柳洞一成の病室の前には、警察の警備が一人立っていた。だが、茜は《可変存在解像度》で完全に認識を逸らし、音もなく病室の扉を潜り抜けた。

 

 

 

個室のベッドの上に、一成は横たわっていた。

 

頭に包帯を巻き、腕には点滴が繋がれている。肉体的な外傷よりも、家族を一度に失った精神的なショックと、魔力を吸い上げられたことによる深刻な疲労が、彼の顔色を土気色に染めていた。

 

「……衛宮か? さっきも言ったが、今は一人にしておいてくれ……」

 

 

一成は、目を閉じたまま弱々しい声で呟いた。

 

茜はベッドの脇に立ち、Tier 0の隠蔽をフッと解いて実体化した。

 

「衛宮じゃない。……竜胆茜だ。少し、話を聞かせてもらうよ、生徒会長」

 

 

感情の起伏を一切感じさせない、無機質な声。

 

一成が驚いて目を開けると、そこには、クラスは違うものの顔と名前だけは知っている、常に「背景」のように目立たない同級生が立っていた。

 

 

「……竜胆? お前、なぜここに……警察の警備はどうした。面会は謝絶されているはずだぞ」

 

 

一成は、虚ろな目の中にも、持ち前の生真面目さと警戒心を宿して身体を起こそうとした。

 

「警備には僕が見えていないだけだ。……無駄話をしている時間はない。昨日の夜、君の寺で何があったか。君の記憶にあるものを、すべて正確に言語化してくれ」

 

 

茜の態度は、家族を亡くしたばかりの者にかける言葉としては、あまりにも冷酷で淡々としていた。

 

だが、一成は不思議と怒りを感じなかった。目の前の少年の瞳が、同情や野次馬根性といった人間の感情を一切排除した、ただ純粋な「観測の機械」のように見えたからだ。

 

 

「……なぜ、私がお前にそんな話をしなければならない。これは警察が……」

 

 

「警察の手に負える事件じゃないことくらい、君自身が一番よく分かっているはずだ」

 

 

茜は一成の言葉を遮り、ベッドの脇のパイプ椅子に音もなく座った。

 

「君の家族と、葛木先生を殺したのは、人間の強盗じゃない。……人間を超越した怪物と、得体の知れない影の仕業だ。違うか?」

 

 

その言葉に、一成の息がハッと止まった。

 

 

「……お前、なぜそれを……」

 

「知っているからだ。僕も、君の言う『怪物』と同じ盤面に立っているからね」

 

 

一成は、力なく拳を握りしめ、唇を噛んだ。

 

昨夜の光景が、地獄のように脳裏に蘇る。父の死体。兄の死体。そして、常に冷静だった葛木が、心臓を貫かれて崩れ落ちる瞬間。

 

 

「……真っ黒い、ボロ布を被った化物だった」

 

 

一成は、絞り出すように語り始めた。

 

「腕が異常に長くて、顔には気味の悪い髑髏の面をつけていた。葛木先生は……あいつに、背中から心臓を抜かれた。宗一郎兄は、何も悪いことなんてしていないのに……!」

 

 

一成の目から、堪えきれない涙が溢れ落ちる。

 

気を張っていた生徒会長の仮面が崩れ、家族と恩師を奪われたただの少年の悲痛な嗚咽が、病室に響いた。

 

茜は、その涙を見ても一切表情を変えなかった。彼の中のシステムは、一成の悲しみを「処理すべきデータの装飾」として冷徹に切り捨てていく。

 

 

「……それで? もう一つ、地面を這う影がいたはずだ。君を襲い、生命力を吸い上げた泥のようなものが」

 

 

茜の容赦のない追及が続く。

 

「……あ、ああ。私が化物の前に飛び出そうとした時、足元から真っ黒い影が這い上がってきた。……冷たくて、恐ろしくて、まるで自分が泥の底に引きずり込まれるような……触れられた瞬間、全身の力が抜けて……」

 

 

 

一成は自身の体を抱きしめるように震え上がった。

 

(……間違いない。アサシンと、謎の影。……二つは別々の存在として、あるいは共生関係として動いている。この二つの不確定要素を排除しなければ、遠坂のシステムは遠からず破綻する)

 

 

茜の脳内で、無数の計算式が組み上がり、新たな「処理対象」のリストが更新されていく。

 

「……ありがとう、生徒会長。必要な情報は十分に得られた」

 

 

 

茜は椅子から立ち上がった。

 

 

「……待て、竜胆」

 

 

 

一成が、涙で濡れた顔を上げて茜を睨んだ。

 

「お前は……お前たちは、一体何者なんだ。衛宮も、さっきここに来た時、お前と同じような『何かを決意した』目をしていた。……お前たちは、あんな化物たちと戦うというのか?」

 

 

茜は、病室の扉に手をかけたまま、わずかに首だけを振り返った。

 

「衛宮士郎のことは知らない。彼には彼の主人公としての正義があるんだろう」

 

 

茜の瞳は、どこまでも冷たく、そして空虚だった。

 

「だが、僕は違う。僕には正義も、復讐の意志もない。……ただ、僕の大切な『日常の絵画』を汚そうとするゴミを、背景から処理して回るだけだ。……君の家族の仇を討つわけじゃないから、感謝は不要だよ」

 

 

「竜胆……お前……」

 

 

一成の呆然とした視線を背中で受けながら、茜は再び《可変存在解像度》を展開し、病室の空気の中へとその姿を溶かして消えた。

 

病院の廊下に出ると、メディア・リリィが静かに付き従ってきた。

 

 

『……マスター。あの方、とても悲しんでいましたね。マスターも、本当は彼の痛みが分かっているのではないですか?』

 

「……非論理的な質問だ、メディア。僕には他者への共感、そのシステムは組み込まれていない」

 

 

 

茜は淡々と歩みを進める。

 

だが、彼自身も気づかないほど無意識の領域で、茜の足取りは普段よりもほんのわずかに重くなっていた。

 

 

「……行くよ。盤面のノイズを、一つずつ確実に消去していく。遠坂が、それに気づく前に」

 

孤独な観測者は、血塗られた聖杯戦争のさらなる深淵へと、自らその身を沈めていくのだった。

 

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