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やったねー、ラッキー
[Time: 2004年 2月4日 午前0:50]
[Location: 冬木市 郊外 ── 柳洞寺・裏手の森]
痛い。
痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
衛宮士郎の脳内を、ただその一文字だけが警報のように埋め尽くしていた。
黒い影に触れた右腕。そこから侵入した「泥」の感覚は、肉体的な苦痛というよりも、魂そのものをヤスリで削り取られているような、根源的な存在の破壊だった。
「ハァッ、ガハッ……!」
血反吐を吐きながら、士郎は迫り来る異形の蟲を、手にした木の枝──『強化』の魔術を施した即席の武器で叩き落とした。
だが、臓硯が操る羽虫の数は異常だった。一匹叩き落とせば十匹が群がり、士郎の体力を、魔力を、そして希望を少しずつ削り取っていく。
「クカカカカ! どうした衛宮の小僧。その程度か? 聖杯の泥に触れてなお立っている意地は見事だが、もはや虫の息ではないか!」
木々の間から、間桐臓硯が嘲笑う。
その枯れ木のような手から放たれる蟲たちは、士郎の肉を食い破らんと執拗に迫る。
「……黙れ、この……外道……っ!」
士郎は、焼けるような右腕の痛みを無理やり意識の奥底へ押し込め、立ち上がった。
視線の先。
十数メートル離れた森の開けた場所で、セイバーが真アサシンと絶烈な死闘を繰り広げている。
「ハァッ!!」
白銀の甲冑が月光を弾く。セイバーの踏み込みは、魔力不足と士郎からのバックアップの途絶により、本来の神速からは程遠いものになっていた。それでも、彼女の剣技はアサシンの投擲刃を悉く弾き落とし、その細身の刃を敵の喉元へと迫らせる。
だが、真アサシンの戦い方は、極めて陰湿で狡猾だった。
「……ク、ク……速イ、ナ。ダガ、足元ガ留守ダ」
アサシンが後方へ跳躍した瞬間。
セイバーの足元に、まるで罠のように広がっていた「黒い影」が、大蛇のごとく鎌首をもたげた。
「……っ!?」
セイバーが剣を振り下ろし、影の触手を両断する。だが、斬り裂かれた影はすぐさま泥のように癒着し、増殖して彼女の足首へと絡みついた。
「オワリダ、セイバー。コノ影ニ捕マレバ、サーヴァント、トテタダデハ済マンゾ」
アサシンが髑髏の面を揺らし、嘲笑う。
影に触れたセイバーの表情が、目に見えて苦痛に歪んだ。彼女の膨大な魔力が、掃除機で吸い上げられるように影の泥へと流出していく。
「……くっ、この程度の泥で、私を止められると……!」
セイバーは渾身の魔力放出(マナバースト)を発動させ、絡みつく影を吹き飛ばそうとした。
しかし、その魔力の輝きすらも、影は「極上の餌」とばかりに吸収していく。
泥は彼女の足を、腰を、そしてその誇り高き白銀の甲冑を、ドロドロの黒で染め上げていく。
「セイバー!!」
士郎は、自身に群がる蟲を無視して、セイバーの元へと駆け出そうとした。
だが、限界を超えた両足はもつれ、無様に泥の地面へと倒れ伏す。
「シロウ……! 来ては、いけま……せん……っ!」
セイバーが、影に半身を飲まれながらも、士郎へと叫んだ。
その瞳には、自らの消滅への恐怖よりも、マスターである彼を残して逝くことへの強い無念が滲んでいた。
「あ、あああ……セイバー、駄目だ、駄目だ……っ!」
士郎が、血まみれの手を伸ばす。
ズブ、ズブブブブブッ。
無情な音が、森に響いた。
黒い影が、まるで底なし沼のように大きく口を開き、セイバーの身体を一気に飲み込んでいく。
「──シ、ロウ…………」
最後に、彼女の悲痛な声が微かに響き。
白銀の光は、完全に底なしの闇の中へと沈み込んだ。
「…………あ」
士郎の右手の甲から、強烈な熱が失われた。
セイバーと彼を繋いでいた、契約のパス。三画の赤い令呪が、音を立てて砕け散り、色を失って消滅していく。
パスの切断。
サーヴァントの喪失。
「クカカカカ!! 飲んだ! あの影が、最優のセイバーを飲み込みおったわ! これで聖杯の完成は盤石よ!」
臓硯が、狂喜の笑い声を上げた。
士郎は、完全に虚無へと突き落とされていた。
手が届かなかった。
誰かを助けたいと願い、戦うと決意したのに。最も身近で、自分を守ってくれていた彼女一人を、目の前で喪った。
「ああ……ああああぁぁぁぁぁぁッ!!」
絶望と無力感が、士郎の喉から獣のような咆哮となって迸る。
その隙を、臓硯の蟲が見逃すはずがなかった。
「さあ、用済みの小僧よ。貴様もその身の魔力を、ワシの可愛い蟲どもの苗床にしてくれるわ」
臓硯の無慈悲な宣告と共に、おぞましい数の蟲が、士郎の身体へと一斉に群がってきた。
士郎の抵抗する気力は、もはや残っていなかった。
脳裏に、かつての大火災の光景がフラッシュバックする。
結局、自分はまた何もできず、こうして泥の中で死んでいくのか。
蟲の鋭い牙が、士郎の皮膚を食い破ろうとした、まさにその瞬間だった。
世界が、反転した。
「──展開開始。《確率地平(プロバビリティ・ホライゾン)》」
低く、極めて無機質な少年の声が、森の静寂を完全に支配した。
瞬間、士郎の視界から「森」という現実が消失した。
否、現実が消失したのではない。世界の解像度が強制的に低下し、代わりに無数の「光の線」が全方位に放射状に走り抜ける異質な空間へと書き換えられたのだ。
「……な、何じゃ、これは!?」
臓硯が驚愕の声を上げる。
空間の至る所に、0と1の数字の羅列が漂い、無限の因果の分岐が可視化されている。
蟲が士郎の皮膚に牙を立てるという「結果」も。
士郎が絶望の底に沈んでいるという「現実」も。
すべてが、『まだ決まっていない(未確定)』状態として空中に宙吊りにされていた。
そして。
士郎に群がっていたはずの無数の蟲たちが、まるでテレビの砂嵐のようにノイズを起こし、次の瞬間、一斉に「最初から存在しなかった」かのように空中で消滅した。
「……え?」
士郎が呆然と顔を上げる。
光の線が飛び交う異界の中心。彼と臓硯の間に、一人の少年が立っていた。
黒いコート。
青白い顔。
そして、この世のすべての感情を抜け落としたような、底知れない深淵の瞳。
「……竜胆?」
士郎の口から、信じられない名前が漏れた。
常に教室の隅で背景と化していた同級生、竜胆茜。彼が、なぜこんな場所にいるのか。
「……僕が直接介入する予定はなかった。だが」
茜は、士郎を一瞥することもなく、ただ静かに臓硯と真アサシンを見据えたまま言葉を紡いだ。
「ここで衛宮士郎が欠損、あるいは死亡することは、遠坂が歩むべきルートの計算に深刻なバグを引き起こす。……彼女の精神的安定と、盤面の囮としての機能。それらを考慮すれば、君をここで失うのは極めて『非効率』だ」
それは、人間を完全にデータとして扱う、冷徹な観測者の論理だった。
「……貴様、何者じゃ! この空間、固有結界か!? ワシの蟲をどこへやった!!」
臓硯が、枯れ木のような手で茜を指差し、激昂する。
「ただの《局所確率遅延》の応用だ。いや、正確に言えば逆だけどね。君の蟲が衛宮士郎を喰らったという結果を未確定にし、その間に蟲の存在確率をゼロへと書き換えた。……もっとも、君のような三流のシステムには理解できないだろうが」
茜は、コートのポケットからゆっくりと両手を出した。
胸の奥にある『黄金球体』が、悲鳴を上げて高熱を発している。全身の疑似魔術基盤が、限界を超えた演算に軋みを上げている。
(……セイバーが影に飲まれたのは想定外だったが、事象は覆せない。ならば、せめてこの場にいる不確定要素を排除する)
茜の瞳が、漆黒の殺意に染まる。
「間桐臓硯。君はともかくとして──そこのアサシン。君はここで、確実に殺す(デリートする)」
「……ホザケ、小僧ガ」
真アサシンが、髑髏の奥で殺気を膨れ上がらせた。
サーヴァントにとって、ただの人間の魔術師の威嚇など、滑稽な強がりにしか見えない。
アサシンの姿が、影のように揺らぎ、完全に気配を消した。
(来る)
茜の脳内、《思考加速》が世界を数百倍の遅延へと引き伸ばす。
L4《環境並列演算網》がアサシンの軌道を瞬時に逆算し、最適解をL3《確定未来の選別》が弾き出す。
「……右、斜め上四十五度。初速マッハ二・三」
茜が小さく呟いた瞬間。
彼の頭上の空間から、アサシンの凶刃が音もなく振り下ろされた。
人間の反応速度では絶対に回避不可能な、必殺の奇襲。
だが。
「《身体最適化(オプティマイズ・ボディ)》──回避行動への最速遷移」
茜の身体が、物理法則を無視したかのような滑らかさで「ズレた」。
アサシンの刃が茜の残像を切り裂き、空を切る。
「ナッ!?」
「遅いよ」
茜は、アサシンの懐へと入り込みながら、右手の指先を虚空で弾いた。
L2《物理条件の先行成立(エディット・フィジクス)》
打撃が物理的に届く前に、「接触した」という条件を先行して世界に確定させる。
ゴォォォォォンッ!!
茜の拳がアサシンの鳩尾に触れるより早く、アサシンの腹部で爆発的な衝撃が発生した。
内臓をすり潰すような破壊力。武術英霊の防御すら貫通する、因果の暴力。
「グッ、ガァッ……!?」
この時、アサシンの霊核へ因果干渉のためのアンカーが確実に差し込まれた。
アサシンの巨体が、くの字に折れ曲がり、後方へと凄まじい勢いで吹き飛ばされる。
「バ、馬鹿な!? サーヴァントを、素手で吹き飛ばしたじゃと!?」
臓硯が信じられないものを見る目で絶叫する。
「前衛との連携を前提に設計された僕のシステムにとって、近接戦闘は専門外だ。だが……バグの処理程度なら、これで十分だ」
吹き飛んだアサシンが、空中で強引に体勢を立て直し、木の幹を蹴って再び茜へと殺到する。
今度は単調な奇襲ではない。彼の長い右腕に巻かれた呪いの包帯が解け、真の宝具を解放する準備に入った。
「……小僧。貴様ノ心臓、貰イ受ケル……!」
アサシンの右腕が、禍々しい赤黒い魔力を放ち始める。
『妄想心音(ザバーニーヤ)』。
触れることで、相手の心臓の「鏡像」を創り出し、それを握り潰すことで対象を確実に呪殺する絶対不可避の暗殺宝具。
「死ネッ!!」
アサシンの手が茜の胸をなぞる。
そこに、茜の心臓の鼓動を完全に同期させた、偽りの心臓が形成される。
アサシンはそれを、無慈悲に握り潰した。
──通常であれば、これで決着だ。
どれほどの防御力を誇ろうと、どれほど回避に優れていようと、心臓という概念を直接破壊されるこの呪いは防げない。
だが。
茜は、立ち止まったまま、無表情でアサシンを見つめていた。
「……ナ、ゼダ。ナゼ、死ナナイ……!?」
アサシンが動揺の声を上げる。
偽りの心臓は確かに潰した。だが、茜の胸には血の一滴も滲んでいない。
「……『参照先(ID)』が間違っているよ、アサシン」
茜は、冷たく告げた。
L2《参照先置換(IDスワップ)》。
対象の呪いが「竜胆茜の心臓」という結果を参照した瞬間、茜は自らの《構造解析》でその因果を読み取り、置換先を即座に書き換えていたのだ。
「君が今握り潰したのは、僕の心臓のIDを偽装した……そこら辺の木の枝の概念だ」
パキッ、と。
茜の足元に落ちていた枯れ枝が、不自然に真っ二つに折れた。
「バ、馬鹿ナ! 宝具ノ呪イヲ、対象ゴトスリ替エタト言ウノカ……!?」
「そういうことだ。君、ランサーとの戦闘では随分派手に動いてたな。君の宝具は既に解析済みだ。……さあ、君の論理(システム)は完全に破綻した。エラーは削除する」
茜の右手が、アサシンに向かって静かに翳される。
L2《論理矛盾の意図的生成(パラドックス・インストール)》。
初手の一撃で差し込んだアンカー。その位置を起点に、アサシンという英霊を構成する霊基。その中核に、茜は「存在の矛盾」を強制的に書き込んだ。
「あ、ガ、アァァァァァァァァッッ!?」
アサシンの霊基が、内側から激しく発光し始めた。
外側からの物理攻撃ではない。彼自身のシステムが、彼自身を許容できなくなり、自壊を始めたのだ。
「……対魔力が無ければ英霊でもこんなものか。」
「オノレ……オノレェェェェ!!」
アサシンの髑髏の面がひび割れ、そこから光の粒子が溢れ出す。
「……さようなら。三流の暗殺者」
茜の冷酷な声と共に、アサシンの身体はパァンという破裂音を残し、完全に消滅した。
後に残されたのは、アサシンが纏っていた黒い襤褸布の切れ端だけ。
「……ヒィッ!?」
それまで高みの見物を決め込んでいた臓硯が、ついに恐怖に顔を歪め、後退りした。
神話の英雄を、一切の詠唱も魔術行使の素振りも見せず、ただの「作業」のように消し去った謎の少年。
「貴様、貴様ァ……! 人間の分際で、世界の理からどれだけ逸脱しておるのだ!」
「君に答える義務はない。……だが、間桐臓硯。君の本体がここにあるとは思っていない。今日は見逃してやる」
茜は、臓硯を一瞥しただけで、興味を失ったように視線を外した。
「……く、クソォォォッ!! 覚えておれ、イレギュラーめ! 次に会う時は、貴様もあの泥に引きずり込んでくれるわ!」
臓硯は忌々しげに捨て台詞を吐くと、無数の羽虫へと分解され、夜の闇の中へ逃げるように消え去った。
[Time: 同日 午前1:00]
[Location: 柳洞寺・裏手 ── 終息]
「……システム、冷却。L5《干渉痕消去(インターフェアレンス・クリア)》実行」
茜が小さく呟くと、《確率地平》の異界がフッと消失し、元の静かで冷たい冬の森へと戻った。
茜の口から、どろりとした鮮血が溢れ出し、彼はそれを無造作に袖で拭った。
(……黄金球体の負荷、危険領域。……アサシンの宝具をIDスワップで逸らした反動が、予想以上に重い。だが、許容範囲内だ)
茜は、地面に倒れ込んだまま、呆然と事態の推移を見つめていた衛宮士郎へとゆっくりと歩み寄った。
「……竜胆。お前、本当に……」
士郎の声は、恐怖でも驚愕でもなく、ただ圧倒的な理解不能に震えていた。
セイバーを失い、絶望の淵にあった彼を救ったのは、日常を生きる側であるはずの同級生だった。
「……立てるか、衛宮士郎」
茜は、感情の読めない瞳で士郎を見下ろした。
「……セイバーが。俺のサーヴァントが、あの影に飲まれた。俺は……助けられなかった」
士郎が、血まみれの両手で顔を覆う。
「知っている。事象は観測した」
茜の言葉には、一片の慰めもなかった。
「だが、君は生きている。遠坂の同盟相手として、まだ盤面に残っている。……なら、君にはやるべきことがあるはずだ」
茜は、背を向けた。
「今日は帰れ。……そして、今夜の僕のことは忘れるんだ。僕はただの背景だ。君たちの物語の主人公じゃない」
「待てよ、竜胆! お前、なんでそんな力を持ってる! 遠坂のために戦ってるのか!?」
士郎の悲痛な叫びが森に響く。
だが、茜は振り返ることなく、再び《可変存在解像度》を展開し始めた。
「……僕はただ、彼女の日常という絵画が燃えないように、額縁を直しているだけだ。君も……彼女の描く絵の一部なら、簡単に死ぬなよ」
その言葉を最後に、茜の姿は完全な透明へと溶け込み、世界から消失した。
残された士郎は、満身創痍の身体を引きずりながら、ただ冷たい雪の降る空を見上げることしかできなかった。
同じ頃、遠く離れた森の反対側では、茜の命令を受けたメディア・リリィが、凛とアーチャーに絶対の撤退を強いていた。
それぞれの絶望と決意を抱えたまま、同盟初日の夜は、誰一人として望まぬ結末と共に幕を下ろそうとしていた。
あとがき
評価してくださった方、読んでくださった方ありがとうございます!!
この作品はあまりいい評価を得られないのではと不安で少し焦ってたので、シンプルに嬉しいです!
モチベ上がりました!
おもしろくするんで、ここから
やるんで
あとランサーは裏で死にました、ほんとすんません。