空白の観測者と、真紅の共犯者   作:りー037

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【第三十二章】共犯者たちの絶盾、あるいは最も美しき証明

[Time: 2004年 2月5日 午前10:10]

 

[Location: 冬木市郊外 ── アインツベルンの森・氷の城前広場]

 

 

それは、一切の前触れを持たない、文字通りの「死の急襲」だった。

 

アインツベルンの森の奥底から、冬木という土地そのものが嘔吐したかのような絶望の魔力が押し寄せた直後。

 

「──ッ!?」

 

 

遠坂凛の背後の空間が、音もなく泥のように歪んだ。

 

そこから這い出したのは、先ほどまで足元を這い回っていた帯状の影ではない。空間そのものを削り取るような、圧倒的な質量と殺意を持った「影の刃」だった。

 

魔術師としての優れた直感を持つ凛でさえ、反応できなかった。

 

死角からの、完全な奇襲。

 

影の刃が、凛の心臓を背後から貫こうと迫る。

 

だが、その場にいた誰よりも早く──否、まるで最初からその位置に影が現れることを知っていたかのような速度で、赤い外套の英霊が動いた。

 

 

「──しまっ、アーチャー!?」

 

 

ドンッ!! と、乱暴な力で凛の身体が横に突き飛ばされる。

 

凛が突き飛ばされた直後、彼女が立っていた空間を、太い影の刃が残酷な音を立てて貫き去った。

 

「ガ、ハッ……!!」

 

 

凛を庇い、彼女の立っていた位置に割り込んだアーチャーの腹部を、漆黒の影が深々と貫通していた。

 

無敵を誇る英霊の肉体が、まるで紙切れのように貫かれ、そのまま上空へと乱暴に放り投げられる。

 

「アーチャー!!」

 

 

地面を転がりながら、凛が悲痛な叫びを上げる。

 

ドサァッ! と、血を吐きながら地面に叩きつけられたアーチャーは、自身の腹部に開いた風穴から凄まじい勢いで魔力(生命力)が削り取られていくのを感じながらも、双剣を地面に突き立てて強引に身を起こした。

 

 

「……ッ、立ち止まるな凛!! 早く逃げろ!!」

 

 

アーチャーの血を吐くような叱咤が、凍りついていたマスターたちの時間を強引に動かした。

 

 

「くそっ、走れ遠坂!! イリヤ、行くぞ!」

 

 

士郎が、腰を抜かしているイリヤの手を強く引き、後方へと後退を始める。

 

 

「マスター、お掴まりを!」

 

 

メディア・リリィが、瀕死の重傷を負い気絶している竜胆茜の身体を魔術的な浮力で抱え上げ、士郎たちに続くように猛スピードで森の出口方向へと飛び退く。

 

凛もまた、唇から血が出るほど強く噛み締めながら、アーチャーをその場に残して後方へと駆け出した。

 

ここで立ち止まることは、彼の判断を無駄にすることと同義だと理解しているからだ。

 

 

 

だが。

 

後退しながら森の奥を振り返った凛の瞳孔が、恐怖に限界まで収縮した。

 

「……嘘、でしょ」

 

 

 

森の最奥。

 

木々をなぎ倒し、空間そのものを押し潰しながら現れた「影の本体」。

 

それは、まるで巨大な黒い風船のように、グツグツと沸騰しながら異常な速度で膨張を始めていたのだ。

 

暴発寸前の、極大質量の爆弾。

 

周囲の大気中のマナが、ブラックホールに吸い込まれるようにその影の中心へと収束し、恐ろしいほどの密度を形成していく。

 

 

「ガァァァッ!!」

 

 

前方では、殿を務めるアーチャーが、無数に襲い来る影の刃を干将・莫耶で迎撃している。

 

だが、腹部を貫かれたダメージと、影の持つ強烈な呪いによる魔力欠乏により、その動きは致命的に鈍っていた。

 

ズバッ! と、新たに二本の影の刃が、アーチャーの肩と太腿を深々と刺し貫く。

 

 

「アーチャー!!」

 

 

凛が、たまらず後方へ向かって叫ぶ。

 

「前を向け遠坂、走れ!!」

 

 

士郎が、イリヤを引きずりながら凛へと叫び返す。

 

 

 

だが、逃げ切れない。

 

あの森の奥で膨らみ続けている影の爆弾が限界点に達し、解放されれば、この森の半分が消し飛ぶ。

 

距離を取ったところで、到底逃げ切れる規模ではない。

 

 

(……このままじゃ、全滅する!!)

 

 

誰もがその絶対的な死の予感に絶望しかけた、その数秒の狭間。

 

 

「──ッ、ガァァ……ッ!!」

 

メディアの魔術によって宙に浮き、運ばれていた竜胆茜の身体が、突如としてビクンと激しく跳ねた。

 

極限の魔力枯渇と《身体最適化》による肉体崩壊で、完全に意識を失っていたはずの観測者。

 

だが、彼の脳内に組み込まれたL1《自動修復機構(セーフティ・リセット)》とL4《環境並列演算網(レイライン・ボットネット)》が、周囲の異常な魔力密度の高まり(致命的なバグ)を検知し、茜の意識を強引に、暴力的なまでの電気信号で「覚醒」させたのだ。

 

 

「マスター!?」

 

 

驚くメディアの腕の中で、茜はズタズタになった身体を無理やり立て直した。

 

血反吐を吐きながらも、彼の漆黒の瞳は、すでに森の奥で膨張限界を迎えている「影」の姿を正確に観測(ロックオン)していた。

 

「……茜!!」

 

 

茜が覚醒したことに気づいた凛が、彼の傍へと駆け寄る。

 

全身から血を流し、息も絶え絶えな共犯者の姿。

 

 

だが、茜の表情には微塵の焦りも、絶望もなかった。

 

「……大丈夫だ、遠坂」

 

 

茜は、掠れた声で、しかし絶対に揺らぐことのない平坦なトーンで告げた。

 

「だけど……少し、魔力を分けてほしい」

 

 

そう言って、茜は血に塗れた右手を、凛へと差し出した。

 

 

 

 

爆発まで、残り数秒。

 

一瞬の迷いが全滅に直結する極限の状況下で。

 

凛は一切の躊躇いなく、差し出された茜の右手を、自らの両手で強く、きつく握りしめた。

 

 

 

ドクンッ、と。

 

 

 

二人の掌が触れ合った瞬間、昨夜の交わりによって完全に最適化されていた互いの魔術回路が、パスを通じてシームレスに接続された。

 

凛の身体から、清冽な魔力が茜の枯渇した回路へと注ぎ込まれる。

 

それは単なる魔力の譲渡ではない。互いの精神、思考、そして魂そのものが、パスを通じて深くリンクする感覚。

 

死の恐怖が支配する戦場の中で、二人の繋いだ手から伝わる確かな体温と魔力の循環が、外界のあらゆるノイズを遮断し、奇跡的なまでの「安心感」と「精神の絶対的安定」をもたらした。

 

極限の緊迫感の中で、二人の体感時間だけが静かに引き伸ばされていく。

 

思考が、恐ろしいほどの速度で澄み渡っていく。

 

 

(……魔力貯まりの規模から算出した破壊半径、約1.2キロ。指向性を持たない全方位への面制圧)

 

 

茜の脳内で、《確率演算》が即座に結論を弾き出す。

 

 

(……退避行動による生存確率、0%。回避不可。物理的防御による相殺以外に、生存ルートは存在しない)

 

 

爆発まで、あと2秒。

 

自身と凛、そして士郎たちを守り抜くための最適解。

 

茜は、メディアと、前方で血まみれになっているアーチャーの「盾」としての防衛能力を瞬時に計算し、最も確実な一手を選択した。

 

 

 

 

しかし、茜がその決断を下し、言葉を発しようとした、まさにその時。

 

 

 

(……!)

 

 

 

茜は、繋いだ手を通じて、凛の精神から全く同じ「演算結果」が流れてくるのを感じ取った。

 

 

自身の思考加速と同等の速度で。

 

ただの人間でありながら、状況を完全に把握し、絶望に呑まれることなく、生き残るための「唯一の正解」へと一切の遅延なく辿り着いた少女。

 

 

遠坂凛は、紛れもなく「天才」だった。

 

竜胆茜という観測者が、世界で最も信頼を置く、最高の魔術師。

 

二人の視線が交差する。言葉による確認すら必要なかった。

 

 

爆発まで、あと1秒。

 

彼らは同時に息を吸い込み、完全に重なり合う声で、命令を下した。

 

 

 

 

 

 

『──令呪をもって命ずる!』

 

 

 

 

 

茜の右手の甲に刻まれた、二画目の令呪。

 

凛の右手の甲に刻まれた、一画目の令呪。

 

二つの絶対的な魔力結晶が、同時に真紅の光を放って蒸発した。

 

 

『アーチャー!!(キャスター!!)』

 

 

 

二人のマスターの魂からの叫びと、令呪による規格外の魔力ブースト。

 

それが、二騎のサーヴァントへと神速で叩き込まれた。

 

影の風船が、ついに限界点を突破し、太陽のように発光する。

 

絶望の魔力爆発が、音を置き去りにして士郎たちへと襲いかかる。

 

 

 

 

「I am the bone of my sword(体は剣で出来ている)──!!」

 

 

 

 

血まみれのアーチャーが、令呪の魔力を全身に漲らせ、前方に右腕を突き出した。

 

彼が展開するのは、トロイア戦争において大英雄アイアスの用いた、投擲兵器に対して絶対の防御力を誇る盾。

 

 

 

「──『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)』ッ!!!」

 

 

 

 

ピンク色の、七枚の巨大な光の花弁が空間に展開される。

 

そして、彼と並び立つように、神代の魔女が杖を天へと掲げた。

 

茜の令呪による強引なバックアップを受け、メディア・リリィの背後に、黄金に輝く羊の幻影が浮かび上がる。

 

彼女のルーツ、コルキスの秘宝の力を術式へと編み上げた、神話の防壁。

 

 

 

 

「──紡げ、黄金の羊毛! コルキスの星々よ、いま我が主たちを覆う不可侵の神盾(クリソマロス・アスピス)となれッ!!」

 

 

 

 

黄金の光が、アーチャーのロー・アイアスの花弁を包み込むように重なり合い、物理と概念、そして神代の神秘が完全に融合した「多重絶盾」が完成した。

 

 

 

直後。

 

影の本体から放たれた、すべてを融解させる極大の魔力爆発が、二つの盾へと激突した。

 

 

 

 

ドゴォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!

 

 

 

 

 

鼓膜が破れるなどという次元ではない。

 

世界そのものが軋み、悲鳴を上げるような破壊の奔流。

 

本来の歴史であれば、この影の爆発によりアーチャーのアイアスは耐えきれず、花弁をすべて砕かれ、彼自身が致命傷を負い、その背後にいた衛宮士郎の左腕をも吹き飛ばすほどの理不尽な威力を誇っていた。

 

 

 

 

だが、今は違う。

 

「おおおおおォォォォォッ!!」

 

 

 

アーチャーが叫ぶ。

 

ロー・アイアスの第一層、第二層が、影の呪いに侵食され、ガラスのように砕け散る。

 

 

だが、その奥に控えるメディアの黄金の神盾が、呪いの侵食を強引に弾き返し、アイアスの崩壊を食い止める。

 

そして何より、この盾には「二人のマスターの令呪」という、世界すらも書き換える絶対の願いが込められていた。

 

 

 

(絶対に、守り抜く──!!)

 

 

 

茜と凛、そしてアーチャーとメディア。

 

四人の意志が完全に一つに融合し、絶望の奔流と正面から拮抗する。

 

ギギギギギッ!! と、光と闇がぶつかり合い、空間にすさまじい火花と雷光を撒き散らす。

 

 

「防げ……防ぎ切ってくれッ!!」

 

 

士郎が、イリヤを庇いながら叫ぶ。

 

数十秒にも感じられる、永遠のような数秒間。

 

影の呪いが、最強の盾を侵食しようと牙を剥き、それを黄金と真紅の魔力がさらに押し返していく。

 

 

 

そして──。

 

 

 

パァァァァンッ……!!

 

 

最後の魔力波が弾け飛び、凄まじい爆風が森の木々を薙ぎ倒して、消え去った。

 

アインツベルンの広場は、爆発の余波で完全に更地と化し、クレーターのように抉り取られている。

 

 

 

だが。

 

土煙が晴れたその先。

 

「……はぁっ、はぁっ……」

 

 

膝をつき、肩で息をするアーチャーとメディア。

 

しかし、彼らの背後に広がる空間は、一片の呪いにも侵食されることなく、完全に守り抜かれていた。

 

 

士郎も、イリヤも。

 

アーチャーの霊基も、士郎の左腕も。

 

誰一人欠けることなく、誰の肉体も損なわれることなく。

 

遠坂凛と竜胆茜の放った共犯者の一手が、本来ならば避けられなかった絶望の運命を完全に叩き割り、最高の形での「最優の結果」を力ずくで掴み取ったのだ。

 

 

「……やった……防ぎ切った、わ……」

 

 

凛が、へたり込みそうになりながら、震える声で呟いた。

 

「遠坂……! アーチャー!!」

 

 

士郎が、無事だった彼らの姿に、心底からの安堵の声を上げる。

 

森の奥から放たれた極大の一撃を最後に、「影」の気配は急速に霧散し、地中深くへと撤退していくのが感じられた。

 

 

 

すべてが、終わった。

 

その確信が全員の胸に広がった瞬間。

 

「……っ」

 

 

凛と手を繋いだまま立っていた竜胆茜の身体が、糸の切れた操り人形のようにグラリと傾いた。

 

魔力も、体力も、精神力も、すべてが限界を超えていた。

 

「茜……!」

 

 

地面に倒れ込む寸前、凛が咄嗟に両腕を回し、茜のボロボロの身体をしっかりと抱き留めた。

 

血と泥に塗れ、体温すら失いかけている彼の肉体を、凛は自身の胸に強く抱きしめる。

 

「マスター!」

 

 

メディアも慌てて駆け寄り、茜の背中に手を当てて治癒魔術を流し込む。

 

「……遠、坂」

 

 

意識が完全に途切れる、その最後のほんの一瞬。

 

茜は、自分を抱きしめる凛の顔を見上げ、今まで見せたことのないような、深い信愛と、どうしようもない優しさが込められた眼差しを向けた。

 

「……君の負担を、増やしてしまう。……それは、君の影として、本当に申し訳ないと思っているんだが……」

 

 

茜は、途切れ途切れの呼吸の中で、自らのサーヴァントであるメディアを見やり、そして再び凛へと視線を戻した。

 

「……キャスターへの、魔力供給を。……僕が目覚めるまで、肩代わりして、ほしい」

 

 

それは、今まで自身のことを「背景」と呼び、彼女に頼ることを極端に避けてきた竜胆茜からの、「お願い」だった。

 

 

「……この先、間桐臓硯やあの影を滅ぼすために……キャスターの神代の魔術は、絶対に必要になる。……彼女を、消滅させるわけにはいかない」

 

「……馬鹿。そんなの、言われるまでもないわよ」

 

 

凛の瞳から、ポロリと涙が零れ落ち、茜の頬を濡らした。

 

「アンタのサーヴァントの面倒くらい、私が全部見てやるわよ。だから……もう、喋らないで」

 

「……ありがとう。……さすがは、凛、だ……」

 

 

凛の言葉に、茜はひどく満足そうに、微かな笑みを浮かべた。

 

自身の存在意義のすべてを懸けて守り抜いた少女への、絶対の信頼。

 

「泥も、負担も、すべてを分け合う」という、真の共犯関係の証明。

 

 

 

その柔らかな微笑みを最後に、竜胆茜の瞳は静かに閉じられ、彼の意識は深い、深い眠りの底へと落ちていった。

 

「……休んでなさい、茜。ここはもう、絶対に安全だから」

 

 

凛は、腕の中の少年の頭を優しく撫でながら、静かに、しかし力強く誓った。

 

冬木の森の死闘は、ここに終結した。

 

失われた命も、払った代償も大きかった。だが、彼らは誰一人として致命的な欠落を負うこと、全員で生きて、この絶望の淵から生還を果たしたのだ。

 

 

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