空白の観測者と、真紅の共犯者   作:りー037

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【第三章】神話の槍と、泥に塗れた虚無の介入

[Time: 2004年 2月1日 午前2:00]

 

[Location: 冬木市 深山町 ── 双子館 二階東の部屋]

 

 

 

絶対的な「死」が、そこに立っていた。

 

召喚陣から溢れ出した青白い光が収束し、部屋の空気が一変する。先ほどまでバゼットの魔力が満ちていた空間は、今や英霊(サーヴァント)という神代の質量によって、物理的な重力を増したかのように軋んでいた。

 

 

 

 

青い装束の槍兵(ランサー)。

 

 

彼の手に握られた身の丈を越える深紅の魔槍から、血の匂いと濃密な呪いが立ち昇っている。ランサーの獣のような赤い瞳が、倒れ伏すバゼットを一瞥し、次いで、部屋の隅に立つ竜胆茜へと固定された。

 

 

「……おいおい、召喚されて早々、マスターが半死半生とはどういう冗談だ」

 

 

ランサーは肩に槍を担いだまま、低く唸るように言った。その声帯の震え一つをとっても、常人ならば本能的な恐怖で膝を折るほどの威圧感が孕まれている。

 

 

「そこの陰気なツラしたガキ。テメェがやったのか?」

 

 

(……サーヴァント。霊長の頂点。僕の物理的な肉体スペックでは、一秒たりとも太刀打ちできない純粋な暴力の結晶)

 

 

茜は、表情筋の微細な震えすら第一階層《完全躯体制御(オートメーション・マニピュレーター)》で完全に殺し、無機質な視線をランサーへ向けた。

 

 

「そうだよ。彼女には少し眠ってもらった」

 

 

「へえ」

 

 

ランサーの口角が、凶悪な弧を描いて吊り上がる。

 

 

 

 

次の瞬間。

 

音も、予備動作も、空気の揺らぎすら存在しなかった。

 

ただ、ランサーの姿が茜の網膜からフッと消失した。

 

 

(──速い)

 

 

茜の脳内で、L3《確定未来の選別(ルート・セレクション)》が絶叫に近い速度で演算を叩き出す。

 

視覚で追うのではない。ランサーが「移動した」という結果から逆算し、コンマ数秒先の物理的な未来分岐をスキャンする。

 

真紅の槍の穂先が、茜の眉間を正確に貫く未来。その確率、100パーセント。

 

 

 

「……ッ」

 

 

茜は、自らの意思で避けることを放棄した。

 

胸の奥に埋め込んだ劣化版『黄金球体』を強制駆動させ、L3《確率分布の整形(ルート・ウェイト・エディット)》を全開にする。

 

「槍が眉間を貫く確率」のエントロピーを極所的に再配分し、空間のノイズへと無理やり散らす。

 

 

 

 

ゴォォォォォォォンッ!!

 

 

 

 

爆音が部屋を揺るがした。

 

ランサーの槍は、茜の眉間からわずか数ミリ横の空間を突き抜け、背後の分厚い石壁を豆腐のように粉砕していた。衝撃波だけで茜の頬の皮膚が裂け、一筋の血が宙を舞う。

 

 

「ホォ……? 今のを見切るか。いや、違うな」

 

 

ランサーは槍を引き戻しながら、怪訝そうに目を細めた。

 

 

「テメェ、今の躱し方……『見えてて避けた』んじゃねえな。まるで俺の槍が、勝手にテメェを避けて通ったみたいに滑りやがったぞ」

 

 

「……ただの運だよ。僕は背景だからね、当たり判定が少しズレてるんだ」

 

 

茜は淡々と答えながら、間髪入れずに後方へ跳躍した。

 

だが、神代の英雄との距離など、あって無いようなものだ。

 

 

「面白い冗談だ。なら、その運がいつまで保つか試してやるよ!」

 

 

 

ランサーの姿が三つにブレた。

 

上段からの振り下ろし、中段からの刺突、下段からの薙ぎ払い。常人の動体視力では認識すら不可能な神速の三連撃が、茜の全身を同時に襲う。

 

 

(全弾回避不能。……ならば、削る!)

 

 

茜は《事象適応》で統合した武術の最適解を肉体に強制出力しつつ、第一魔術体系・五大元素魔術《戦闘用状態遷移(コンバット・トランジション)》を無詠唱で起動した。

 

 

 

属性【土】と【風】の融合──『分散防壁』。

 

 

 

空間の気圧と鉱物粒子を瞬間的に硬化させ、ランサーの槍の軌道上に不可視の斜面(スロープ)を形成する。

 

 

 

 

ギィィィィィンッ!!

 

 

 

 

槍と防壁が衝突し、火花が散る。強固な防壁はランサーの一撃で容易く粉砕されるが、そのコンマ一秒の「摩擦」が、槍の軌道をミリ単位で狂わせた。

 

茜は《完全躯体制御》により、自らの関節を人体の限界を超えた角度で折り曲げ、致命傷となる軌道から紙一重で身を捩る。

 

槍の刃が、茜の黒いコートを切り裂き、脇腹の皮膚を薄く削ぎ落とす。

 

熱い血が飛沫を上げるが、茜の心拍数は依然として低いままだった。痛覚は完全に遮断されている。

 

 

 

「チッ、すばしっこいネズミだ! だが、防戦一方じゃジリ貧だぜ!」

 

 

 

 

ランサーの猛攻は止まらない。

 

 

 

嵐のような連撃。部屋の調度品が木端微塵に砕け散り、床の絨毯が竜巻のように巻き上げられる。

 

茜は、劣化版『黄金球体』をフル回転させ、無限にも等しい未来分岐の中から「自分が即死しないルート」だけを血を吐くような演算速度で拾い上げ、なぞり続けていた。

 

 

(……演算負荷、限界突破。黄金球体のマナ充填率が異常低下している。……このまま数秒凌ぐだけで、僕の脳の血管が焼き切れる)

 

 

茜の鼻腔から、ツーッと鼻血が垂れた。神域の攻撃をシステムで処理し続けることの代償。

 

 

 

 

ランサーは、数十合の打ち合いの末、ふと槍を止めて距離を取った。

 

その赤い瞳には、明らかな「警戒」と「殺意」が混じっていた。

 

 

「……テメェ、魔術師じゃねえな。いや、人間かどうかも怪しいぜ。俺の槍の軌道が、当たる瞬間に『空間ごと滑る』。因果を捻じ曲げてやがるのか?」

 

 

ランサーは低く身を沈め、魔槍を足元へと下げた。

 

部屋中の空気が、急激に質量を増していく。ランサーの全身から噴き出す魔力が、真紅の呪いとなって槍の穂先に収束し始めた。

 

 

(……来る。あれは、ただの物理攻撃じゃない)

 

 

茜の《構造解析》が、槍に込められた異常な術式の構造を読み取る。

 

(因果の逆転。結果が原因を追い越す、運命そのものの強制書き換え。……必中、いや、必殺の呪い)

 

 

「俺のマスターの落とし前だ。その妙な術式ごと、心臓ぶち抜いてやるよ」

 

 

ランサーが、地を蹴る。

 

 

 

「──その心臓、貰い受ける!」

 

 

 

 

ランサーの腕が動くよりも早く。

 

茜の胸の中心に、絶対的な「心臓を貫かれた」という『結果』が先行して突き刺さった。

 

 

 

「『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』!!」

 

 

 

回避不能。防御不能。

 

世界そのものが「竜胆茜の心臓は貫かれた」という事実を確定させたのだ。

 

物理的な槍の軌道は、ただその結果をなぞるためだけのお飾りに過ぎない。

 

 

 

だが。

 

 

 

 

「……僕の心臓は、まだここにある」

 

茜は、限界を超えて明滅する『黄金球体』に、己の全存在を懸けた演算式を叩き込んだ。

 

 

 

《局所確率遅延(ローカル・プロバビリティ)》

 

 

 

ランサーの槍が、茜の胸の皮膚に触れる。

 

その瞬間、茜は「心臓が貫かれた」という確定した結果の『発生タイミング』を、強引に未確定の状態へと吊り下げた。

 

 

 

 

ギギギギギギギギッッ!!!

 

 

 

 

空間が、文字通り悲鳴を上げた。

 

「貫かれた」という結果と、「まだ貫かれていない」という現状。世界のシステムが矛盾(パラドックス)を起こし、茜の胸元で真っ赤な稲妻のようなスパークが吹き荒れる。

 

 

「な……にィ!?」

 

 

ランサーが驚愕の声を上げた。

 

彼の必殺の槍が、茜の胸の皮膚を数ミリ凹ませた状態で、見えない泥沼に囚われたかのように完全に停止していたのだ。

 

ゲイ・ボルクの呪いが、茜の因果操作のシステムと正面から噛み合い、相殺し合っている。

 

 

(……くそっ、重い……! 必中必殺の呪い、情報量があまりにも……!)

 

 

茜の左目から、パチンと音を立てて毛細血管が弾け、血の涙が流れ落ちる。胸の奥の黄金球体にピキリと微小なヒビが入るのを感じた。

 

 

 

 

このままでは、数秒後にシステムが押し負け、心臓が爆散する。

 

ランサーが、槍にさらに力を込めようと筋肉を隆起させた、まさにその刹那。

 

 

 

 

 

──シュパッ。

 

 

 

 

 

 

音もなく、背後の暗闇から三本の鈍色の刃が飛来した。

 

それは茜を狙ったものではなく、床に倒れ伏していたバゼットの『左腕』に向かって正確に突き刺さった。

 

 

 

「────ァ、アアアアアアアッッ!?」

 

 

 

意識を失っていたはずのバゼットが、腕を切断される激痛によって絶叫を上げ、覚醒した。

 

 

「チィッ!? テメェ、何者だ!!」

 

 

ランサーが茜から槍を弾き返し振り返る。

 

ゲイ・ボルクの呪いと因果遅延の拮抗が強制的に解除され、茜は激しく咳き込みながら膝をついた。

 

 

「……何者、と問うか。私はただの、教会の代行者に過ぎない」

 

 

砕けた壁の向こう側。闇の中から、ぬらりとした漆黒の法衣を纏った大柄な男が姿を現した。

 

 

 

 

 

 

言峰綺礼。

 

 

その手には、バゼットの左腕から切り落とされた、鮮血に染まる「令呪の刻まれた皮膚」が握り締められていた。

 

 

「バゼット・フラガマクレミッツ。優秀な魔術協会の猟犬も、これではただの哀れな肉塊だ。君の役割はここまでだ」

 

 

言峰は、一切の感情が抜け落ちた虚無の瞳で、倒れ伏すバゼットを見下ろした。

 

そして、その血塗られた皮膚を自らの腕に押し当て、呪文を紡ぐ。令呪の移植。

 

 

「貴様ァッ……!!」

 

 

ランサーが激昂し、言峰に向けて魔槍を構える。

 

 

「これは必要なことだ。盤面の整理としてね」

 

 

言峰は微動だにせず、移植を終えた令呪をランサーに見せつけた。

 

 

「ランサー。私は新たなマスターとして、令呪をもって命ずる。──バゼットに同調し、私を害しようとするその思考を捨てよ」

 

 

「……ッ、ガァァァッ!!」

 

 

ランサーの動きが、目に見えない巨大な鎖に縛られたかのようにピタリと止まる。絶対的な命令権である令呪の強制力が、英霊の自由意志を強引に捻じ伏せていく。

 

 

(……最悪のノイズが、最悪のタイミングで介入してきた)

 

 

 

茜は、膝をついたまま、口から溢れる血を拭い、言峰綺礼という「虚無」を睨みつけた。

 

言峰の視線が、ゆっくりと茜へと向けられる。

 

 

「……ほう。まさか、先客がいるとは思わなかった。しかも、あのランサーの宝具を正面から受け止めて生きているとは」

 

 

言峰の口元が、おぞましい愉悦の弧を描いた。

 

 

「君には興味がある。以前、凛の周囲をうろついていた少年。……君のその異質な内側を、じっくりと解剖させてもらいたい」

 

 

(……言峰綺礼。こいつの論理構造(システム)には、弱点やブレーキが存在しない。今の疲弊した黄金球体でこいつとランサーを同時に相手にすれば、僕の死の確率は100%に収束する)

 

 

戦うべきではない。ここは、撤退の一手のみ。

 

茜は、冷徹な計算のもと、即座に切り替えを完了させた。

 

 

「……悪いけど、僕には解剖される趣味はない。遠坂の背景に徹するだけだ」

 

茜の姿が、揺らいだ。

 

 

 

 

Tier 0 深層緩衝領域──◆《可変存在解像度(モザイク・シフト・マニュアル)》。

 

 

 

「逃がすか!」

 

 

言峰が黒鍵を投擲し、ランサーが令呪の縛りに抗いながらも槍を突き出す。

 

 

 

だが、その攻撃は茜の身体を『すり抜けた』。

 

否、すり抜けたのではない。茜という存在の解像度が、周囲の舞い上がる土煙、魔力の残滓、そして冬の夜の冷気という「環境ノイズ」と完全に同化し、世界からその実体を剥落させたのだ。

 

 

「……消えた、だと?」

 

 

 

言峰の目がわずかに見開かれる。

 

 

気配も、魔力も、生命反応すらも。一切の痕跡を残さず、竜胆茜という存在は空間から完全に蒸発していた。

 

残されたのは、重傷のバゼットと、令呪を奪った言峰、そして怒りに震えるランサーという、凄惨な儀式の跡だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[Time: 同日 午前3:00]

 

[Location: 冬木市 郊外 ── 工業地帯への道]

 

 

「……ッ、ゲホッ、ガハッ……!」

 

 

双子館から数キロ離れた冬木の暗い裏路地で。

 

茜は《可変存在解像度》の出力を弱め、路地裏のゴミ箱に寄りかかりながら、大量のどす黒い血を吐き出した。

 

 

(黄金球体のダメージ、24%。……魔術回路の擬似神経網に軽度の断裂。……ゲイ・ボルクの呪いの残滓が、まだ因果の計算を狂わせている)

 

 

茜は震える手でポケットからチョコレート菓子の棒を取り出そうとしたが、指先が言うことを聞かず、地面に落としてしまった。

 

第一階層《自動修復機構(セーフティ・リセット)》が限界を超えて稼働し、損傷した脳細胞と筋肉を強引に繋ぎ合わせている。その修復プロセス自体が、茜の神経に灼熱の苦痛を与えていた。

 

 

「……ハァ……ハァ……」

 

 

バゼットを潰し、ランサーを退場させる計画は、言峰綺礼という究極のノイズによって頓挫した。

 

結果として、ランサーは言峰という、より凶悪なマスターの手に渡ってしまった。これは、遠坂凛の生存確率を大幅に下げる最悪の事態だ。

 

 

(……だが、止まるわけにはいかない)

 

 

茜は、血塗れの口元を手の甲で乱暴に拭い、立ち上がった。

 

足元がふらつく。だが、その瞳の奥にあるシステムブレイカーとしての冷たい炎は、少しも弱まってはいなかった。

 

 

「……次だ。あの中東の魔術師(アトラム・ガリアスタ)が拠点にしているはずの……郊外の倉庫へ」

 

 

《環境並列演算網》が、遠く離れた工業地帯から漏れ出す、陰惨な魔力と血の匂い(人間の生贄の気配)をキャッチしている。

 

 

 

アトラムがサーヴァントを召喚し、陣地を構築すれば、さらに盤面は複雑化する。

 

彼が英霊を呼び出す前に、その工房ごと物理的に解体しなければならない。

 

茜は、深々と息を吸い込み、冷たい冬の夜風を肺の奥まで満たした。

 

痛覚を再び完全に遮断し、《身体最適化》で歩行プロセスを強制的に組み上げる。

 

 

 

「……僕は背景だ。彼女が明日も、当たり前のように笑って学校に行けるように。……この街のバグは、僕が全て駆除する」

 

 

 

 

重傷の肉体を引き摺るようにして。

 

竜胆茜は、底なしの闇が口を開ける冬木の郊外へと、ただ一人、静かに歩き出した。

 

 

 

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