次の日の朝。教室に入ると、いつもと同じ景色が広がっている。
誰も、昨日のことなんて知らないみたいに。
「ミヤ、おはよう」
すぐ近くから落ち着いた声。顔を上げる。ユイナちゃんが、いつも通りそこにいた。
——あ。
一瞬、言葉が出ない。喉の奥で、何かが引っかかる。
「……おはよ」
「……?」
ユイナちゃんが、ほんの少しだけ首をかしげる。
たぶん、気づいている。いつもと違うって。
「どうしたの?」
「え? あー……なんでもないよ」
慌てて視線を逸らす。
「ちょっと寝不足なだけ」
適当に理由をつける。
嘘じゃない。昨日、あんまり眠れなかったし。
でも、本当の理由は言えるわけない。
「……そっか」
ユイナちゃんは、それ以上聞いてこない。
午前の授業が終わって、昼休みのチャイムが鳴る。
「ミヤ?」
名前を呼ばれて、ビクッとする。
「……一緒食べよ?」
少しだけ、間のある言い方。たぶん……朝のこともあって。
「ごめん、今日はちょっと……」
「……体調、悪い?」
「え……」
「今日、ずっと顔色悪いよ?」
「そんなこと……」
誰かがこっちを見ている気がする。そんなつもりじゃないって分かっているのに。
——やめて。
「その、あの……やっぱ昨日の寝不足が原因かも。ちょっと頭痛いっていうか……」
「……」
「だから、その……外の空気吸ったら治るかなって」
……何、言ってるんだろう。
自分でも意味が分からない。雑に言い訳だけを並べて。
でも……もう引き返せない。
「……ごめん、ちょっと行くね」
「あっ……ミヤ——」
後ろから声が追いかけてくる。でも、振り返れない。振り返ったら、全部崩れる気がして。
放課後。空気が緩んで、あちこちで笑い声が上がる。
その中で、私は誰よりも早く立ち上がった。鞄を掴んで、そのまま教室を出ようと———
「ミヤ」
「……っ」
「一緒、帰ろ?」
いつもと同じ言葉。同じ声……なのに。
胸の奥が、ぎゅっと締まる。
「ごめん、今日は……」
またそれ。自分でも分かる。同じことばっかりって。
「……」
ユイナちゃんが、すぐには返さない。ほんの少しだけ間が空く。
「……ミヤ」
その声が、少しだけ低くなる。
「今日のミヤ、変だよ?」
「……変って……」
「朝からずっと、様子おかしいし……」
「その……」
一瞬目が合う。全てを見透かされてそうな、綺麗な瞳。
「……何かあった?」
やわらかい声。責めてるわけじゃない。
分かってる。分かってるのに。
——逃げたい。
「な、なにもないよ」
「……ほんとに?」
「うん、ほんと」
視線を合わせないまま、沈黙が落ちる。
「……ミヤ」
もう一度、名前を呼ばれる。今度は、少しだけ近い。
「無理してない?」
「っ……!」
やめて、その言葉。これ以上優しくしないで……!
「してないって……大丈夫だから」
「……ミヤ。何かあるなら、私——」
「ごめん」
「あっ、まって……!」
足が止まりかける。
——だめ。
振り返れない。
一歩、また一歩。
「……ごめん」
名前が聞こえる。
それでも、振り返らなかった。