影が一つ多い   作:怪盗エンペラー

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幸せってどういう時に一番感じるのかな


6月11日 距離

 

 

 

 次の日の朝。教室に入ると、いつもと同じ景色が広がっている。

 誰も、昨日のことなんて知らないみたいに。

 

「ミヤ、おはよう」

 

 すぐ近くから落ち着いた声。顔を上げる。ユイナちゃんが、いつも通りそこにいた。

 

 ——あ。

 

 一瞬、言葉が出ない。喉の奥で、何かが引っかかる。

 

「……おはよ」

「……?」

 

 ユイナちゃんが、ほんの少しだけ首をかしげる。

 

 たぶん、気づいている。いつもと違うって。

 

「どうしたの?」

「え? あー……なんでもないよ」

 

 慌てて視線を逸らす。

 

「ちょっと寝不足なだけ」

 

 適当に理由をつける。

 嘘じゃない。昨日、あんまり眠れなかったし。

 

 でも、本当の理由は言えるわけない。

 

「……そっか」

 

 ユイナちゃんは、それ以上聞いてこない。

 

 

 

 

 

 午前の授業が終わって、昼休みのチャイムが鳴る。

 

「ミヤ?」

 

 名前を呼ばれて、ビクッとする。

 

「……一緒食べよ?」

 

 少しだけ、間のある言い方。たぶん……朝のこともあって。

 

「ごめん、今日はちょっと……」

「……体調、悪い?」

「え……」

「今日、ずっと顔色悪いよ?」

「そんなこと……」

 

 誰かがこっちを見ている気がする。そんなつもりじゃないって分かっているのに。

 

 ——やめて。

 

「その、あの……やっぱ昨日の寝不足が原因かも。ちょっと頭痛いっていうか……」

「……」

「だから、その……外の空気吸ったら治るかなって」

 

 ……何、言ってるんだろう。

 

 自分でも意味が分からない。雑に言い訳だけを並べて。

 

 でも……もう引き返せない。

 

「……ごめん、ちょっと行くね」

「あっ……ミヤ——」

 

 後ろから声が追いかけてくる。でも、振り返れない。振り返ったら、全部崩れる気がして。

 

 

 

 

 

 放課後。空気が緩んで、あちこちで笑い声が上がる。

 その中で、私は誰よりも早く立ち上がった。鞄を掴んで、そのまま教室を出ようと———

 

「ミヤ」

「……っ」

「一緒、帰ろ?」

 

 いつもと同じ言葉。同じ声……なのに。

 

 胸の奥が、ぎゅっと締まる。

 

「ごめん、今日は……」

 

 またそれ。自分でも分かる。同じことばっかりって。

 

「……」

 

 ユイナちゃんが、すぐには返さない。ほんの少しだけ間が空く。

 

「……ミヤ」

 

 その声が、少しだけ低くなる。

 

「今日のミヤ、変だよ?」

「……変って……」

「朝からずっと、様子おかしいし……」

「その……」

 

 一瞬目が合う。全てを見透かされてそうな、綺麗な瞳。

 

「……何かあった?」

 

 やわらかい声。責めてるわけじゃない。

 

 分かってる。分かってるのに。

 

 ——逃げたい。

 

「な、なにもないよ」

「……ほんとに?」

「うん、ほんと」

 

 視線を合わせないまま、沈黙が落ちる。

 

「……ミヤ」

 

 もう一度、名前を呼ばれる。今度は、少しだけ近い。

 

「無理してない?」

「っ……!」

 

 やめて、その言葉。これ以上優しくしないで……!

 

「してないって……大丈夫だから」

「……ミヤ。何かあるなら、私——」

「ごめん」

「あっ、まって……!」

 

 足が止まりかける。

 

 ——だめ。

 

 振り返れない。

 

 一歩、また一歩。

 

 

「……ごめん」

 

 

 名前が聞こえる。

 

 それでも、振り返らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

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