ある日、街の中でゴブリンに出会った。
……いや、正確には“ゴブリンみたいな何か”だ。
背は低い。せいぜい百四十センチくらい。
肌はくすんだ緑色で、子どもみたいな体つきのくせに、顔だけ妙に老けている。
そいつは住宅街のど真ん中に立っていた。
足元には、オバハンが倒れている。
買い物帰りだったんだろう。
ビニール袋から転がったネギとキャベツが、アスファルトに散らばっていた。
オバハンは動かない。
頭の横に血が溜まっている。
――死んでる。
一目で、そうわかる状態だった。
そして、その横にいる“それ”が。
血のついた棍棒を握っていた。
ギャウ、と耳障りな声を上げる。
犬とも猿ともつかない、不快な鳴き声。
そのまま棍棒を振り上げて、俺を威嚇してきた。
普通なら、ここでビビるんだろう。
けど。
なぜか――ムカついた。
十二時間ぶっ通しの仕事終わりだ。
やっと帰って、風呂入って寝るだけだったのに。
なんで、こんなもんに邪魔されなきゃならねえんだ。
「……あ?」
気づけば、口が動いていた。
「やんのか、コラ」
そいつの身長はせいぜい百四十。
手に持ってるのも、ただの汚え棍棒。
――いける。
そう思った瞬間、体が先に動いていた。
背負っていたリュックを顔面めがけて投げつける。
ぐしゃ、と鈍い音。
ひるんだ隙に踏み込む。
「オラァッ!!」
土手っ腹に、体重を乗せた蹴りを叩き込んだ。
軽い。
手応えが、軽すぎる。
そいつはそのまま、面白いくらい吹っ飛んだ。
地面に転がる。
棍棒が手から離れた。
――もらった。
俺はそれを拾い上げる。
立ち上がろうとする頭めがけて、振り下ろす。
ぐしゃ。
「死ぬまで――」
もう一度。
「殴るのを――」
さらに。
「やめねえ!!」
何度も叩きつける。
骨に当たる感触。
潰れる音。
ぬるい飛沫。
蹴り飛ばし、ぶん殴り、踏みつける。
止まらない。
――止める理由がない。
このへんは昔通ってた中学が荒れてたのが役に立ったと言えよう。
サンキュー懐かしの掃き溜め校。
カツアゲ仕掛けてきたやつ殴り返したら、なぜか俺まで呼び出し食らったの今でも納得いってねえけどな。
「ああ?」
不意に、手応えが消えた。
次の瞬間。
パァン、と乾いた音。
そいつの身体が、光の粒になって弾け飛んだ。
「……は?」
粒子は空中に漂い、そのまま俺の身体に吸い込まれていく。
ぞわっ、と背筋が震えた。
次の瞬間、内側から熱が湧き上がる。
心臓が強く脈打つ。
重かったはずの腕が軽い。
息も乱れていない。
さっきまでの疲労が、嘘みたいに消えていく。
「……なんだこれ」
思わず自分の手を見る。
血に濡れているが、それだけだ。
傷も痛みも、何もない。
気がつくと、返り血も消えていた。
服も、手も、綺麗なままだ。
残っているのは――やけに軽い体だけ。
とりあえず、周囲を見渡す。
倒れたオバハン。
散らばった野菜。
転がった俺のリュック。
……それ以外は、見慣れた住宅街だ。
静かすぎる。
あんなに暴れてたのに、誰も出てこない。
「……一応、救急車呼ぶか」
スマホを取り出す。
そのとき。
「あ、あら? なんで倒れてたのかしら」
むくり、と。
オバハンが起き上がった。
「……は?」
思わず声が漏れる。
いや、違うだろ。
さっきまでこの人は――
頭、割れてたぞ。
血が溜まってた。
動いてなかった。
どう見ても、死んでた。
なのに。
目の前のオバハンは、何事もなかったみたいに首をかしげている。
髪をかきあげる。
その下の頭部は――綺麗だ。
傷ひとつ、ない。
「ええ……?」
おかしいだろ。
俺は確かに見た。
あのゴブリンが、この人の頭を――
思考が止まる。
オバハンは俺に気づいて、少し気まずそうに笑った。
「あはは、ちょっと躓いたみたいで……」
そんなわけあるか。
喉まで出かかった言葉は、結局出なかった。
地面に散らばった野菜を拾い集め、何事もなかったかのように歩き出す。
足取りも、普通だ。
……おかしい。
何もかも、おかしい。
俺は、ただそれを見ていることしかできなかった。
結局、何もわからないまま。
俺は、そのまま家に帰った。
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この日、俺は初めて“あいつら”と戦った。
当時は、ゴブリンみたいな何かとしか思っていなかった。
けど違ったらしい。
あれは、人に巣食う“病気”だった。
それが、ああいう形で見えていた。
しかも、それが見えていたのは――俺だけ。
俺はその日を境に、あいつらを殴るようになる。
憂さ晴らし半分、人助け半分。
そしてもう一つ。
――あのとき感じた“見返り”。
体が軽くなる、あの感覚。
あれが欲しくて、俺はまた殴る。
理由なんて、だいたいそれで十分だった。
この先、俺はそれなりに長く、あいつらと関わることになる。
……その過程で、妙な連中とも関わることになった。
連中は俺のことを、勝手に何かの名前で呼んでいたが――
まあ、その話はまた別だ。
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