フリーレンと行く魔法のない世界で魔法を探す旅。   作:ぼたにかる

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1話「続きのない旅、終わりのない夜 前編」

夏の平泉は、夕暮れの光を受けて黄金に揺れていた。

稲穂の波を渡る風には青い香りが混じり、北上川の水面は沈む陽を砕いて散らしている。

かつて、この地には、黄金文化と呼ばれた都があった。

 

奥州藤原氏が極楽浄土をこの世に写そうと祈りを重ね――その名残はいまも丘の上の寺院に、ひそやかに光を宿している。

 

(カルマ)を退けるために無量光明(アミダーバ)を地上に引き込む様は、ある種の異端さと豪胆さを併存させている。

 

青年は小径を歩いていた。

 

稲の匂いを吸い込み、川の光を眺めつつ宿を目指している。

千年近く前には見出されたという「黄金の国」を、周囲の光景に頭の中で重ね描きながら。

 

青年は仏教徒でも、歴史家というわけでもなかった。ここではただ、何となしに風趣だけを享受している。

 

趣でなければ徳かも、あるいは気かも知れず、虚実不明の漠然とした経歴の残り香を受け取っている。

 

「黄金の国」だって実際には現代とそれほど変わった景色ではないだろうと分かっていても、救済の輝きに満ちた美しい金色の都市の姿を想起せざるを得ない。

 

そういう姿であるべきなのだ。

 

 

 

 

 

それは夜半のことだった。

 

いい加減、そろそろ落ち着ける場所を見つけねばと考えていたところで、それまで足もとをかすめ続けていた風が、ふいに止んだ。

 

稲穂を揺らしていた波もびたりと鎮まり、川面の光が吸い込まれるように翳る。陽は沈みすっかりあたりは暗くなり、月明かりが穏やかに青年を照らす。

 

 

―――視界の端に、粒子が舞った。

 

 

最初は蛍かと青年は思った。

 

けれどそれはあまりに強く、鮮やかで、星の欠片のように夜の空気へ溶けていく。

欠片は刹那、星座のように光の線によって連絡されていく。

ひとつ、ふたつと数えられる単純な交差から、瞬く間にアラベスク模様のようなグロテスクを形成する。

 

あたりに人気はなかったが、無象の気配がむしろ増していくのを感じた。

呆気にとられる青年の目の前で、紡がれた輝きの繊維はやがて印象を結ぶと、直後には役割を終えたかのように光度を下げていった。

 

そこに、少女が立っていた。

 

銀の髪は夕暮れと夜の境をすくい取り、淡くきらめいている。

肩を覆う白いケープは夏の風をはらみ、翡翠の瞳は川面の光を映す。

髪のすき間からのぞく長い耳が、月明かりに縁取られてやわらかく揺れ、まるで透き通る妖精の羽根のように見えた。

 

稲穂の海にただひとり、御伽噺から紛れ込んだ存在。

あまりにも神秘的で可憐で、目を逸らせなかった。

 

思わず一歩後退した青年の姿を、夢現(ゆめうつつ)から回復したような面持ちの少女が翡翠の瞳に捉える。

 

その片手に保持した大きめの鞄が小さく揺れる。

 

青年は無論動揺していたが、少女もまたどこか戸惑っている―――まるで人形のように少女の表情からは感情の機微が排されていたが、なんとなく青年の目からはそう見えた。

少女は青年が知らない言葉でそう言う。

だから、青年もまた自分の知らない言葉で、

 

 

「これは――魔法?」

 

 

と、訊ねるようにも、断じるようにも言った。

 

 

「魔法だけど」

 

 

と、少女は歌声のような声音で応えてから、問いを返す。

 

 

「とりあえず、ここがどこか、聞いていい?」

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

青年が平泉を訪れたのは二度目のことで、一度目は妻と一緒だった。

地図を持っていてもすぐに迷ってしまう自分の手を引き、導く妻の姿を青年は思い出す。

 

まだ妻が存命だった頃の出来事であり、あのときはそう、新婚旅行として行ったのだったかと青年は思う。

 

ここと同じような小径でまだよそよそしく会話していた記憶だけがあり、今は手元にないが、家に戻れば額縁に入れて飾られているだろう写真を見れば、自分と妻の背景には金色堂が映っているはずだった。

 

青年の妻が亡くなったのは、二十二年前である。

酩酊した未成年たちが運転していたキャデラックに轢かれて即死だった。

 

しかし青年の感覚的には、新婚旅行はそれよりも新しい出来事として記憶されており、せいぜいのところ十年前くらいである。

ついては、妻と結婚したのも大体そのくらいの時期ということになるはずだった。

結婚指輪には入籍年月日が刻印されていて、試しに確認してみると、そこには四十年前の西暦が連なる。

 

あれは、新婚旅行ではなかったのだと、青年は気づく。

何かがどうしようもなく錯誤しており、錯誤の仕方すらも倒錯していた。

 

もし仮に、自分の身に残された時間感覚だけに準拠した年表を作ったとしたのなら、

 

四十年前、自分は妻と出逢い、

 

二十二年前、自分は妻を亡くし、

 

十年前、自分は妻と新婚旅行に行った。浄土を模すこの土地に。

 

当然、そんなのが事実である道理はなかった。

 

自分は空間的に音痴であるだけでなく、時間的にも迷子であるのだと、青年は思う。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

平泉(ヒライズミ)。初めて聞く地名だ」

 

少女は淡々とした口調で言い、周辺の景色に視線を巡らせる。

 

「まるで見たこともない景色だけど、ヴァイゼよりは北方であるのかな」

 

「ヴァイゼ?」

 

青年の頭の中に岩手の地名リストが浮かぶが、そんな名前は検索範囲を日本全域に広げてもありそうになかった。

 

「城塞都市ヴァイゼ。かつてグリュック家が治め――少し前までは黄金郷とも呼ばれていた都」

 

「黄金郷………………『黄金の国』のこと? それならこの辺り一帯が、一世紀前はそう呼ばれていたそうだけど」

 

少女は訝しげな目で青年を見つめ、「まぁ、北側諸国のどこにも、こんな風景の盆地なんてないか」と呟く。

 

起伏に乏しい表情でも、目はそれなりに物を語っていると言えた。

 

いまひとつ噛み合わない相互の認識に、少女は「うーん」と首を捻ったきり、会話の方は諦めてしまったような雰囲気である。

 

青年を置いてきぼりにしたまま、独白化した思考を口に漏らす。

 

「魔力探知が反応しない。けど、幻影鬼(アインザーム)楽園へと導く魔法(アンシレーシエラ)のように、欺かれているような気配は感じない――これは現実だ。でも私がいた現実とは異なる気もする。よほど高度な転送魔術で、特殊な空間に飛ばされたのか。ただの魔法ではなくて、魔族か女神様関連の術式かも知れないな」

 

「あー、あの......?」

 

思考の深みに嵌りかけたところで、少女は手持ち無沙汰そうに声をかける青年に気づき、

 

「情報提供ありがとう」

 

と言う。

 

「空を飛んで、周囲を散策してみるよ」

 

と、青年にとっては耳を疑うような言葉を告げると、少女はどこかへ信号を出すように右手を軽く掲げた。

 

そのまま無から何かを掴むような仕草をすると、「掴んだ」という結果から原因を逆算するように、右手の内から淡い光が滲む。

 

その光はやがて、杖の姿となって顕現する。

 

松葉杖やステッキではなく、絵本で描かれる魔法使いの杖のような形として。

 

杖は仄かに点灯すると、今度はそれを合図として、少女は垂直に浮上した。

 

「垂直」に「浮上」?

 

青年は自分が感じたあまりにも愚直な表現に、思わず笑ってしまいそうになる。高度を調整しつつ、地上40メートルほどをゆっくり遊覧する少女。

 

青年からはそれが単なる驚異(ファンタジー)ではなく、少し滑稽(コメディ)なもののように思えた。

 

その「浮遊」は現実を嘲笑っていたし、虚構(フィクション)でさえどこか、馬鹿にしていた。

 

少女は種や仕掛けを以て浮かぶのではなく、何かの冗談として飛んでいるように見える。

そこにはそもそも道理なんてないように青年の目からは映る。

 

手を離してしまった風船を追いかけるように、青年はしばらく少女を見上げながら歩いていたが、それまでは安定しているように見えた少女の直立姿勢が、ふいに乱れ始めた。

 

気流に流されているのだと青年は憶測し、そうではなく、斥力だか反重力だかを可能としている仕組みの方に不具合が出ているのだと予想を立て直す。

 

 

そうしている間に少女は空の上で半回転し、そのまま頭を地面に向けた状態で落下し始めた。

 

少女は咄嗟に杖の先端を地面に向け、エネルギーを放出して落下速度を緩和しようとするが、それを実行するには高度がむしろ足りず、充分な時間が残されていなかった。

 

少女が死を覚悟するように目を瞑る様を青年は見る。

 

 

ひとつ、ふたつ、と少女は心の中で時間を刻んだ。

 

 

みっつとまで数えるが、予期した一瞬はなかなか訪れない。

 

 

少女が再び目を開けると、後ろの月の明かりに逆光して影が差す青年の顔が見えた。

 

 

青年は言う。

 

 

「名前は(あらた)。今はこのあたりを放浪している旅人で......」

 

 

状況に反して随分と悠長な自己紹介を聞いた後で、この青年が落下する自分を受け止めたのだと遅まきながら少女の理解が追いつき、続けて「どうやって?」という問いが頭の中で生まれた。

 

少女が知る「戦士」と呼ばれる者たちでさえ、墜落する人体を双方無傷で受けるなんて芸当はできないだろうから。

 

しかしそれを口に出す前に、新と名乗る青年は更に言葉を紡いだ。

 

 

「旅の目的は――魔法を探すこと。......良ければ君の話を聞かせてくれると有難い。お互い、何か助けになれるかも知れないだろ」

 

 

少女はそれに対し何か応答しようとしたが、言葉が上手く出なかった。

 

 

強い眩暈が少女を襲うと、視界は瞬く間に暗闇が覆い――少女は意識の座から崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

国立博物館で行われた密教の展示会を、新はかつて、新の妻と観に行ったことがある。大学でインド思想を専攻していた彼女の趣味だった。

 

空海が直筆で書いたという書簡や、唐から持ち帰ったという諸々は、その歴史的価値を知らない新の目からはとても退屈なものとして映ったが、展示の最後に飾られていた曼荼羅(まんだら)については視覚的なインパクトもあり、見惚れた。

 

曼荼羅は、仏教における九つの世界観を視覚化した絵画である。

そいつはつまり多元宇宙(マルチバース)のようなものかと新が一人で理解していると、無数に描かれた仏や菩薩の中の一体を妻は指差し、あの菩薩様が一番好きなの、と言う。

 

多羅(ターラー)という女性の菩薩でね。他の仏では救うことができなかった人々を、最後の最後に救ってくれるとされている」

 

「とんでもない悪党とか?」と問う新に、新の妻は首を横に振り、

 

「仏はね、悪人のことはよく見てくれているの。そうした者たちにも救済の(みち)を説くのが彼らの役割だから。もちろん、善人もちゃんと見ている。見逃してしまうのは、そのどちらでもない人」

 

「どちらでもない――」

 

「善人でも悪人でもないがゆえに、つい救済の手から溢れてしまう者たちにも、多羅という菩薩は目を向けている。私はね、自分のこともまた、善人でも悪人でもない存在だと思っている。だからそうした万物すべてを擁護しようとする神さまがいるのだと知って、とても安心したの」

 

なるほど、と新は心から、彼女のその安堵に同感した。

なるほど、それは、安心できる。

 

直接の救済よりも、自分の救いを考えてくれる存在があることに、救いを感じるということ。

 

決して信心深くない自分だからこそ、その菩薩の神性がやけに腑に落ちたような気がして、新もその日以来、多羅菩薩のことが好きになったのだった。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

新が茶を淹れて戻ると、少女はいつの間にか布団から身を起こしており、庭の石灯籠をぼんやり眺めていた。

 

「まだ安静にしないと」と茶を傍らに置きつつ新は言う。

 

「ここは――」

「俺が泊まる予定だった宿だよ。突然眠ってしまったから驚いた」

 

新の目的地である古民家を改装した小さな宿に辿り着いたのは、夜もすっかり更けた頃だった。

仮装(コスプレ)を纏った外国人にしか見えない少女を背負った自分を迎え、宿の主人がどう思ったのかについては、新の想像の及ぶところではなかった。

 

一応のところ事務的な対応をもって通されたのは、畳敷きの和室だった。

床の間には野の花がさりげなく生けられている。

 

「魔力切れだね。それで気を失うなんて、まったく何百年ぶりかな」

 

新は十分に冷ました緑茶を少女に手渡す。少女はしばらくそれを見つめていたが、やがて受け取り、一息にあおった。

「私はフリーレン」と少女は名乗る。

 

「よろしく、フリーレン」

 

二人は短く握手を交わす。

 

「――さっきは、助けてくれてありがとう」

 

気にしないで、と手を振る新に、

 

「そういうわけにもいかない」とフリーレンは返す。

 

「恩はしっかり返さないと、フェルンに怒られる」

 

フェルンとは自分の旅に同行している少女だとフリーレンは説明する。

シュタルクというもうひとりの人物と共に、“友人”のお願いによって北方のエンデと呼ばれる地に向かっている途中だったという。

 

「あの子たち、見なかった?」

 

新は首を振り、

 

「いや、見てないよ」

 

「はぐれちゃったか。まあ、別行動はあまり珍しいことじゃないけどね。フェルンもシュタルクももう一人前だから。それに多分、危機的状況なのはむしろ私の方だ」

 

本当にそれほど気にしていなさそうな表情で言うために、新はフリーレンと二人の関係性を上手く測れなかったが、どうも師弟の間柄ということになるようだった。

 

「杖の魔力が回復したら、ここに流れ着いた原因を探らないといけない。それまで、何か困っていることがあったら助けてあげるよ」

 

困っているのはフリーレンの方なのでは、という疑問を新は飲み込む。

聞き間違いでなければ、フリーレンは先刻「何百年ぶり」という言葉を使った。

妙齢の若さを保つ老魔女の物語はありふれているが、彼女もそういうものなのかも知れない、と新は思った。

 

「困っていることはないけど、いくつか質問を」

 

どうぞ、と手を差し伸べる姿は、新の目からはどこか生徒に対する教師のような風情が感じられた。

 

新は手元の椀に視線を落としつつ言う。

 

「君は――魔法使いだね」

 

「いかにも私は、千年以上生きたエルフの魔法使いだよ」

 

エルフ、という言葉を復唱する新に、フリーレンは、

 

「当座、人間の長寿種のようなものだと思ってくれて構わない」

 

と言い、崇めてくれてもいいよ、となぜか胸を張りつつ無表情のまま告げた。

 

新は何となく頭を下げつつ、溢れ出る御伽噺のことばに、軽い眩暈のようなものを覚えていた。

だが、訊きたいことは訊いておくことにする。

 

「でも、『別の世界』の魔法使いだ」

 

フリーレンは眉を少し上げ、

 

「―――どうして新はそう思ったの?」

 

「この世界には魔法がないから」

 

と顔を上げて、どこか沈痛にも思える面持ちで言う。

 

「この世界では、人は反発力もなしに垂直に浮かび上がることができない。ましてやそのまま遊覧することなど。その前は、虚空から光と共に君が出現した。視覚のトリックとはとても思えない。『飛行』も『出現』も奇跡の出来事で、奇跡は物語の中でしか生まれない。だから君はここでは、御伽噺の登場人物に近い」

 

あるいは神に、と新は思う。

 

どの宗教でも、たった一度きりの奇跡が「神」を定義する。

そうして、久遠に延期され続ける二度目の奇跡を渇望している。

御伽噺、とフリーレンは一息を置き、真っ直ぐな視線を新に向けた。

 

「まずひとつ誤解を解いておくと、『出現』の方は私の魔法ではないよ。魔法であることに違いはないけど、私は何者の意思によって、この世界に召喚された」

 

召喚、と新は微かに息を呑む。

自分が典型的な貴種流離譚に巻き込まれていることを自覚する。

 

「そのうえで新の言うとおり、ここは魔力が安定しないどころか、ほとんど感じられない。さっきの『飛行』はそのせいで術式の運用に支障が出て、すぐに動作不良を起こしてしまった。『飛行』は比較的新しい魔法だから、補助詠唱が整備されていないというのもあって、ただ落下に身を任せるほかなかった」

 

フリーレンは保持していた湯呑を置き、宙で回転したときのことを思い出すように目を閉じる。

 

「魔力の不感よりもこの事故の方がよっぽど深刻で、私はこうした形で魔法を失敗したことにより、その魔法をイメージすることさえ、覚束なくなり始めている。

泳ぐことに決定的な失敗を犯すと、それまで全身をどのように動かして遊泳していたのか忘れてしまうように――魔法はイメージの世界なんだ――ゆえにイメージできない結果は扱えない。

新が『飛行』を奇跡と断じたように、私もやがて『飛行』を不可能なことだと信じてしまうようになるだろう。そうなれば私はもう飛ぶことができない。

この状態が続けば、仮に後から魔力の供給が可能となる手段を見つけたとしても、私が知っている他の魔法もどんどんイメージが叶わなくなってくる可能性が高い。  ・・・・・・考えたこともなかったけど、当然といえば当然だ。魔力がない世界では、魔法使いは魔法使いでいられなくなる」

 

フリーレンの声の調子はあくまで平坦だが、その眼光に僅かな翳りが差すのを新は認める。

新にその話のすべてが理解できたわけではなかったが、深刻性は十分に伝わった。

過度に不安にさせないよう、努めて柔らかい声音で新は問う。

 

「世界を行き来したり、させたりする魔法というのは、フリーレンの世界では一般的?」

 

フリーレンは首を横に振る。

 

「転送魔法はかなり高度な術式だ。原理を提唱するだけでもあと数回の技術革新を要するくらいには。それに、魔法の使用そのものが魔力に対する信仰と言える以上、『魔力のない世界』へ他者を転送させるほどのイメージを維持できる魔法使いが存在するとは思えない。ひとつ例外があるとするなら女神様だけど、これはあまりに上位的存在すぎて、何を考えているのかよく分からない」

 

フリーレンの世界にも神が存在することに、新は少し意外な気持ちになるが、別におかしいことではないかと思い直す。

 

新の暮らす現在だって、千年前の人々からすれば十分「御業」ではあるだろう。

人体は飛ぶことが叶わないが、飛行機は人を乗せて空を飛ぶ。

まだ話を聞いたわけではないが、フリーレンの世界に飛行機があるとは限らず、フリーレンからすれば、飛行機の方が余程「魔法」と感じることだってあるかも知れない。

 

 

新は頭の中で話を整理する。魔法とは彼女の世界にとって、奇跡を描くためのペンに過ぎない。

そして魔法使いは画家だ。

被写体の規模によって必要な芯の長さは変わり、顔料は多彩化し、画家側の技巧にも更なる精緻さを要求する。

それらの要件は、すなわち「イメージ」に総括されるのだとフリーレンは言う。

 

それは聖杯だ。

 

それは普遍の鍵だ。

 

それは確かに願望機械なのだが、自らの願望を正しく理解していない者には無用の長物となる、そういう代物だ。

 

つまり、

 

「神のいたずらのごとき奇跡を理解しなければ、君は――フリーレンは――元の世界に帰れないということか」

 

「ヒントがないわけではない――おそらくはこの書物が――」

 

と、フリーレンが鞄の方へ寄ろうしたとき、戸の奥から「失礼します」という声が聞こえた。

 

新が出迎えると、そこには宿の主人がおり、様々な菓子が盛られた鉢を差し出される。

当宿からの差し入れです、と主人は朗らかな表情で言い、ごゆっくり、と頭を下げた。

パタン、と静かに戸が閉まり、再び部屋に静寂が戻る。

 

盆の上に置かれた菓子の甘い香りが、なぜかひどく懐かしく、そして——ひどく異質なものに感じられた。

 

やはり、何かがおかしい。

 

 

この平穏で作り物めいた平泉の夜。

 

その沈黙を塗りつぶすように、意識の奥底から、またあの幽かな『歌』が聞こえ始めていた。

 

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