フリーレンと行く魔法のない世界で魔法を探す旅。   作:ぼたにかる

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2話「続きのない旅、終わりのない夜 後編」

暗闇の向こう側から、幽かに歌声が流れ続ける。

 

胎盤から墓場までを、ひとつづきの言葉が繋いでいるのを私は知る。

 

時間とは、ひとつの旋律なのだと。まだわからない。

 

いずれ知ることになるのだと知っている。

母と父の名前や顔を私は知らない。

こうして生まれ育っているからには、肉親は確実に存在しているだろうと判断するのは早計だ。

ひょっとして私は、無から生まれたのかも知れないわけだから。

 

もう長い時間を、こうして旅をすることに費やしている。

 

旅行は私に課せられた責務だ。正しくは、ことばを収集している。

 

バベル以降、この星に広く離散してしまったことばを落穂のように拾い集めるのが私の仕事ということになる。

 

だから職業柄、ことばにはとても詳しい。

 

暗闇から流れ出る歌声は、この星の各地で語られることばのいずれとも合致しない。

 

ことばは人間と同じく、血統や派閥、群によって分類化できる。

 

たとえば英語は印欧語族というグループに属し、その祖先は印欧祖語と呼ばれる。

 

この血統書を入念に紐解いてみると、英語もロシア語もドイツ語もフランス語も、その祖母は共通していることが分かる。

 

祖母の祖母、その更に祖母、というように系譜を遡っていったなら、いずれは楽園(エデン)で用いられたという統一言語に辿り着くことになるだろう。

 

歌声は、この原初の楽園を出自とすることばではない、どこか異邦の言語で奏でられている。

 

別の世界、ということでも良い。

 

この歌声がなければ今の職務には就けなかった、というのは逆の理解だ。

私はことばを拾い集めるためにこそ、この歌声によって存在を定義づけられた。

 

この歌声は何、といつかの私は問うだろう。

 

魔法だ、と私を造った者は応える。

 

神に背く魔の法が、命なき生を形作るのだと。

 

科学の成す秘儀だ、とその支援者たちは応える。

 

彼らにはとてもよくしてもらったが―おそらく、もう生きている者はいないだろうと思う。

 

悟りであり、業だよ、と私の妻は応える。

 

彼女の信じる神は、彼らが信じる神とは性質が異なっている。

 

そこにはある種の別世界が併在している。

 

それらは死者の声だ。

 

死者に声は出せないから、死者もまた死者のことばを使って私に話しかけているのだろう。

 

 

()が死者のことばを摘むことができないのは、()が死者ではないからだと()は理解する。

 

 

ならば、この果てのない暗闇の中で、()はいったい何を探しているというのだろうか。

 

永遠にも似た静寂。

 

それが()の旅のすべてのはずだった。

 

 

 

「アラタ」

 

 

 

私の背後でフリーレンは言う。

 

 

 

 

「魔法だよ」と囁き、私の視界を塞ぐように冷たい手を置く。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、アラタ、これ、すごく美味しいよ」

 

 

栗の菓子を頬に詰め込みつつフリーレンは言う。

 

茶を淹れ直していた新としては、頬張ったリスの姿を連想せざるを得ない。

 

千年以上生きたエルフの乱心するシチュエーションとして、お菓子というのは果たしてという気もしなくはない。

 

 

「落ち着いて食べなさい」と、口調も自然、子に対するものへと近くなる。

 

 

「こんなに美味しいお菓子があるなら、ここに百年くらい居てあげてもいいかな」

 

 

「百年ね」

 

 

茶をフリーレンに差し出しつつ新は復唱する。

 

 

「居てくれたらそりゃ、有難いかも」と独り言のように続ける。

 

 

「そういえば、さっきの宿屋の主人が話している言葉、私には分からなかった」

 

 

「この地の言語だよ。日本語という」

 

 

そう言いながら新も座布団の上に座り、鉢から饅頭をひとつ取る。

 

 

「アラタは逢ってすぐ、私と同じ言葉で喋っていたから、てっきりこの世界でも同じ言語が話されているのかと思っていた。でも、それはよく考えてみればおかしいね。異なる世界であるならば、異なった言語体系が発展していると考える方が自然だから」

 

 

「俺はこう見えても言語学者でね。職業柄、言葉には詳しいんだ。フリーレンの話している言葉は、ドイツという国で話されている言葉に近い。活用の仕方は少し異なるけど、何を話しているのかくらいは分かるよ」

 

 

「それにしても、発音が完璧すぎる。会話もまるで支障なく成立しているし」

 

 

フリーレンは茶を口につけつつ、目を細めて言う。

 

 

「私の身体をあの高度から受け止めたことといい、色々と秘密はありそう」

 

 

 

「それは――」と新は咄嗟に返そうとするが、言葉が上手く続かなかった。

 

 

 

「新は何者?」

 

 

「―――今はまだ、答えられない」

 

 

そう、とフリーレンはあっさり引く。

 

 

顔を俯ける新から、フリーレンは彼の饅頭を取り上げる。

 

 

「それを見つけるために、魔法を探している、と言う方が正しいのかも」

 

 

新は笑われると思ってそう言ったのだったが、フリーレンの表情は真面目だった。

 

ばんばんと手に付いた粉を落としつつ、フリーレンは淡々とした表情で、「なるほど」と言う。

 

 

「そうか。どうして気がつかなかったんだろう。『魔法はイメージの世界』なのに」

 

 

と続け、鞄の中から分厚い書物を取り出す。

 

「新が探しているもの。それは多分、この魔法だと思う」

 

その書物は鎖で巻かれ、金属板が鋲によって留められている。

表紙に綴られた文字が、この世のいずれの言語でもないことを新は認める。

 

「これは?」

 

「分からない。私はこの書物を所持していた記憶がない。古エルフ語という言葉で記されていて、それ自体は魔導書なら何も珍しいことではないけれど、文章は更に多重の封印が施されていて、僅かな内容さえも窺えない。私は魔法による解析を得意としているけど、それでもこれは、骨が折れる」

 

「この書物を君の鞄の中に、誰かが仕込んだということ?」

 

「いや、新が仕込んだんだよ」

 

と、フリーレンは言う。

 

新は自分の頭の活動を補うように、指先をこめかみに当てる。

 

「えっと、よく分からないな」

 

「アラタは魔法を探している。それがどんな魔法なのかは見当もつかないけれど、とにかく求めている魔法がある。そこに魔法解析を得意とする私が、私の知らない書物を伴って召喚された。時間はかかるけど、私はこの書物の内容を将来的に新に伝えることができる」

 

内容の整理に手こずる新へ、フリーレンは更に助け舟を出す。

 

「魔法は、イメージができなければ扱えない。逆に言えば、素質諸々はあるにせよ、イメージさえ叶えば原理を知らなくても扱うことができる」

 

それは科学もまた同様だと新は感じる。

 

飛行機が飛ぶ原理を知ることと、機体を動かすことは、それ自体がセットというわけではない。

 

我々は、原理を知らずに結果だけを拾い上げる力がある。

 

ひとつの理解がせり上がり、新の頭を衝いた。

 

 

「......君は、俺のイメージ――魔法によって召喚された、ということなのか?」

 

 

フリーレンは頷く。

 

「魔法使いには見えないアラタが、そんなことができた原理については不明だけどね。でも状況証拠だけで推理するなら、そう考えるのが一番自然だと思う」

 

あまりに唐突な内容に、新は何か反論しなければという気持ちになる。

実際、反論は可能だと思ったが、同時に腑に落ちる何かを感じたというのも事実だった。

 

新はその根拠のない推論を――イメージを手に取る。

 

「ひとつ―――心当たりのある場所が」

 

「じゃあ、行こうか」とフリーレンは即答し、鉢の中の菓子を鞄に入れる。

 

せっせと身支度を始めたフリーレンに、慌てて新は補足しようとする。

 

「でも確証が」

 

「確証なんて後から確かめるものだよ。アラタが少しでも信じているのなら、そこに行くべきだと私は思う」

 

と言い、湯呑の中の茶をすべて飲み込む。

 

「お互い助け合えるかも、と言ったのは、新の方でしょ。どのみちこの世界における『魔法』を紐解かなければ、私も元の世界には帰れない。目的が一致しているからこそ、新も私を誘ってくれたんじゃないの?」

 

そんな強引な、と未だ躊躇う新に、行こう、とフリーレンは手を差し伸べる。

 

 

 

「まだ躊躇しているなら、アラタが今から旅をする理由は――――」

 

 

淡々としている翡翠の瞳に、夜風よりも柔らかい、どこかひどく懐かしむような光が宿る。

 

差し出された白く小さな手が、新の迷いを迎え入れるように少しだけ前へと伸びた。

 

 

 

「この私ってことにすればいい――ヒンメルならそう言う」

 

 

 

「ヒンメル?」

 

 

 

過去の記憶の光景を再生するように、フリーレンは目を瞑った。

 

 

「昔の仲間。一緒に魔王を倒した、私の世界における勇者。ヒンメルなら、今のアラタを見てきっとその背中を押すと思う」

 

 

「だから私もそうする」

 

 

フリーレンはそれ以上、何も言わなかった。誘いはするものの、決断は任せるということらしかった。

 

 

『――――だからそうした万物すべてを擁護しようとする神さまがいるのだと知って、とても安心したの』

 

 

あまりに性急すぎる決断の刻に、新の頭の中に響いていたのは、かつての妻の声だった。

 

こうして妻を思い返すとき、自分の手を引っ張って導く妻の後ろ姿ばかりが思い出される。

 

その光景の中で、彼女は言う。

 

 

『かつて、この地には、極楽浄土を模した黄金都市があったんだって』

 

『じゃあ、ここは天国ってこと?』

 

『そんな感じ』と妻は頷く。

 

 

『―――だからここで待っているね、新』

 

 

あれは、新婚旅行ではなかった。

だからといって実在しない夢でもなかった。

判然としたあれは、紛れもない記憶だったのだ。

新はそう、思い出すことができた。

 

 

「......フリーレンってさ、多羅菩薩だったりする?」

 

 

「それって何?」

 

 

不思議そうに首を捻る彼女を見て、新は小さく吹き出した。

 

 

「なんでもないよ。……よろしくフリーレン」

 

 

差し出されたその手を取る。

 

数千年の時を生きてきたエルフの指先は、夏の夜の空気よりも少しだけ冷たく、けれど驚くほどに柔らかかった。

 

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