フリーレンと行く魔法のない世界で魔法を探す旅。 作:ぼたにかる
宿屋の駐車場に銀の箱のような車が一台、停まっている。
「・・・・・・これは何か分かる?」
「鉄の体躯の、馬無き馬車」
当たり、と新は言う。
側面には電力確保のための太陽光パネル。
後部には小さな梯子とキャリア。窓には遮光シェード。
後部はベッド展開、収納スペース、ランタンフック、サブバッテリー、簡易水道。
旅仕様の軽バン。
「これを人は自動車って言う」
「味気ない名前だね」
とフリーレンは素気ない。馬がいるのなら、馬で走れば良いのに。
「それで、どこへ行くの?」
「南へ。俺の故郷へ」
イグニッション・キーを取り出して新は応える。
「でもその前に、君に見せたい景色があるんだ」
出逢いから一夜が明け、日の出と共に新とフリーレンは宿屋を出た。
またいつでもいらっしゃい、と微笑む宿主に新は頷きを返す。
シートベルトの付け方を教え、エンジンの運動が車体に馴染むのを待っていると、エンデ、とフリーレンは言う。
その名は確か、元の世界でフリーレン一行が目指している地名だったと新は思い出す。
「そこには天国 魂の眠る地があると言われていてね。私たちは死者に会いに行っている途中だった」
「死者?」
「ヒンメル。勇者。私の仲間」
フリーレンは過去の記憶を思い返すように目を瞑る。
何か続きがあるのかと新はしばらくの間、彼女の言葉を待っていたが、話はどうやらそれで終わりらしかった。
代わりに新が会話を紡ぐことにする。
「ここらは昔、天国を模そうとした都市があったらしい。正しくは天国ではなくて浄土というんだけど」
「それは、死者と会うために?」
とフリーレンは語尾を上げる。
「いや、救いを得るために」
「救い?」
「救い。
じゃあ出発、と新はアクセルを踏む。
浄土から故郷へ――――これはある意味、冥界下りの逆再生だと新は思う。
フリーレンが死の国へ向かっていたように、対して自分は産道を逆走している。
そうではなく、本当はただ、環状線を進んでいるだけなのだと思い直す。
業を断ち切らない限りは。仏教の教えによればそうなる。
誰もがゆっくり死んでいくところであり、誰もが今しがた、生き返っているところであるのだと。
バンが発進しても、フリーレンの表情はほとんど変化しなかった。
車のことだけではなく、国道へ出て街の中を走り出ても、フリーレンは黙って外の光景に目を向けているだけに留まる。
元の世界とはまるで様相の異なるだろう新世界を見て、フリーレンがどのように感じているのかは新の想像の及ぶところではなかった。
とはいえ、もう少しリアクションがあっても良いのではないかと、あるべきではないかと、新は少し落胆する。
「落胆している、という感じの表情だね」
フリーレンは言う。
「......分かる?」
「昔は分からなかった。誰かが落ち込んでいても、浮ついていても、それに気が付くことはおろか、気を配るなんてことは私にできなかった。でもフェルンやシュタルクと旅を続けていて、ようやく人間という生き物がちょっとだけ分かってきた気がするんだ」
フェルンとシュタルク。聞けばこの二人はエルフではなく、ただの人間だという。
魔王討伐の際のメンバーとは一世代分の隔たりがあり、こちらはアイゼンという人物を除いて逝去している。
アイゼンはドワーフという種に属し、エルフほどではないにしろ長寿の種族であるらしい。
もしフリーレンの人生の尺度が人間と同じであると仮定した場合、フリーレンがフェルンとシュタルクに出逢い、人間を知り始めたのはほんの数分前ということになるのだろうか、と新は思考した。
それは、地球上に人類が蔓延したのは一日で喩えれば二十三時五十九分の出来事である、という話にどこか近かった。
「その二人も、落ち込んでいるときは俺と同じような表情をしていたというわけか」
「いや」
とフリーレンは窓の外に目を離さないまま、
「人間は落ち込むとき、表情にはそれがあまり出ない。弱みを隠そうとする本能が働くんだね。ただ内心については外面以上に隠すのが難しいから、結果的に発言がどこか上の空になっていたり、単に沈黙の頻度が多くなったりする。本当の落胆は、顔に出る前に、そういった些細な綻びから漏れ出すものだよ。……でも」
フリーレンは窓の外を流れる景色を見つめたまま、淡々と告げた。
「今のアラタからは、『僕は落ち込んでいる』という意思表示が、あまりに読み取りやすく外に現れている。まるで見つけてほしい、とでも言いたげなほどにね。だからそれは――」
それは、演技でしょ? フリーレンはそう呟いた。
「・・・・・・手厳しいね」
「ごめん、厳しく言ったつもりはないよ。私たちエルフはね、感情の躍動が人間に比べて格段に乏しい。欲求も問題解決意識も希薄なんだ」
「……言語学の視点から見ても、それは興味深い話だな」
新は前を見据えたまま、穏やかな声で応じる。
「言葉というのは、他者へ何かを伝えたいという切実な『欲求』から生まれる。世代が交代し、新しい価値観の進展がなければ、言葉は変化を止め、生きたままの死語になっていく」
「そうだね。社会性はなぜだか短命な種族に宿ると決まっている。だから私たちは、長寿種でありながら絶滅に瀕している」
フリーレンは窓の外を流れる景色を眺めながら続けた。
「エルフの中には、人間の生き方や思想を見習おうとする者もかつていなかったわけではない。でも大抵は上手くいかずすぐに霧散していく。私たちという種は本質的に、社会の確立に向かないようにできているんだ。矛盾を抱えていると思わない…………? 長命ゆえに種は存続できず、共存を望むほど孤立を深める」
魔王と同じ、とフリーレンは言う。魔王と呼ばれる存在と同一視されてしまうかもしれない現状に新は閉口しつつ、
「・・・・・・俺は別に孤独ではないよ。友達だっているさ」
「私も今は一人じゃない。可愛い弟子もいるしね。だから、アラタのその不器用な演技に感じるのは、過去の自分とのシンパシーかもね」
フリーレンは窓に映る新の顔を見る。
「……それは、フリーレンにも、他人に合わせて演技をしていた時期が?」
「あるよ。すぐにくだらなくなって諦めたけど」
新は頷き、シフトチェンジを繰り返しながら、エンジンの回転数を一定に保とうとすることへ意識を傾ける。
そのなだらかでせわしない新の所作をフリーレンは目で追うと、
馬を手綱で操るのとあまり変わらないね、と呟いた。
***
「魔法は、自由です。この世界も本当は・・・・・・そうあるべきだと思いました」
彼女はこちらを見ない。その声は、深海の静寂のように冷たい。
体が彼女の放つ圧倒的な魔力に耐えかねて軋んでおり、もう、指一本動かすことすらできなかった。
「・・・・・・運命、という言葉は使わないでおきましょう。それは科学に対する冒涜であるから。でも、師があの魔導書を見つけたことも、あなたとここで話していることも、偶然だとは・・・・・・思えなかったんです」
激しく打ち鳴らされる鐘のような音の連続に、
波打つのは祈りと呪いの声だ。まるで世界に穴が空き、そこから全てが流れ出てしまうようだった。
「あなたのような人を・・・・・・存在を・・・・・・これ以上、増やすわけにはいかないのです」
その言葉とともに、空の「青」が剥がれ落ち、真っ暗な宇宙が顔を覗かせた。
「・・・・・・この魔法には、一年を費しました。長い・・・・・・とても長い一年でした。あなたにとっては理不尽に思えるかも知れませんが、これはあなたのためなのです。あなたの救いのため、と表現した方が良いでしょうか」
初めて、彼女がこちらを見た。
星の影が、空間を圧し始める。
急速に薄れていく視界の彩度と意識の中、彼女の言葉だけが
「…………さん。――――様のこと、どうかよろしくお願い致します。きっと明日は、いい日です。そう信じるくらいは、許されるはずです」
***
「フリーレン。フリーレン」
新は寝息を立てる助手席のフリーレンを揺する。
「拘束具みたいで窮屈」と彼女が評していた車内の環境も、寝つけるかどうかはまた別問題であるらしかった。
突然起こされて不機嫌なフリーレンに新は言う。
「そろそろだよ」
「なにが・・・・・・?」
「そろそろ、海だ」
木漏れ日が踊る山間のトンネルを抜けると、視界が一気に開けた。
フロントガラス越しに飛び込んできたのは、圧倒的な「青」だった。
「気仙沼。元々はここに来るための旅行でね。せっかくだから寄りたかった」
フリーレンは窓枠に肘をつき、その青さをじっと見つめた。
窓を開けると潮の香りが車内に流れ込む。強い日差しがフリーレンの白いケープに反射して、舞い上がる光の粒子のように映った。
空の青を濃く写した海面が、凪いだ鏡のようにどこまでも続き、遠くの方でひとつの色に溶け合おうとしている。
その境界線を縫うように架けられた気仙沼大島大橋がなければ、本当に融和していただろうと思えるほどに。
大橋を渡る車両たちはその間、まるで海の上を飛んでいるような浮遊感を伴う。
この橋はつい数年前に架けられたものなのだと新は説明した。
「アラタはどうしてここに来ようと思ったの?」
フリーレンの問いに、新は応える。
「昔、妻と一緒にこの辺りへ旅行したことがあってね」
「奥さん・・・・・・」
「そのときもこれくらい美しい光景だったけれど、一度見れば十分だとも思っていた。
まだその頃は、記憶に自信があったのだと思う。でも最近、段々と自分が認識している過去に綻びが生まれてきてね。本当に自分がこの海へ妻と見に行ったのか、不安になってきたんだ」
新は眩しいそうな顔のまま言う。
「だからここには、過去を拾い集めに来た」
「そうなんだ」
平淡な調子を崩さずにフリーレンは頷いた。
「じゃあ私と一緒だね。私もヒンメルたちとの記憶を拾い集めている」
「大切な思い出なんだね」
新は微笑みフリーレンを見る。
「まぁ、そうだね」
「でも千年にも及ぶ人生って、記憶の整理も大変じゃない?」
そうでもない、とフリーレンは言う。
「私はまだ、自分の記憶には自信があるよ。それに、本当に記憶しておきたい大切な出来事は、私にとってはようやく最近、生まれ始めたばかりだから」
自分の位置からは窺えないフリーレンの表情を、新は想像した。
淡々とした顔であることに相違ないだろうが、その瞳にはヒンメルという仲間たちや、フェルンやシュタルクの姿が映っているはずだと感じた。
陽光が海面に乱反射し、不可視の破片がたった一度きりの奇跡のように舞っている。
「・・・・・・しかし人間って海を見るのが好きだよね。以前、新年祭のために海岸清掃を依頼されたことがあったな」
「ん? フリーレンは海が嫌い?」
車は海沿いを走り抜ける。
銀髪は激しくうねるが、それには意に介さず、フリーレンはただぼんやりと青の景色を眺めていた。
嫌いなわけではない。
ただ、果てしなく広がる青を見るたびに、彼女は思い出すのだ。
フェルンと一緒に日の出を見るため、日が暮れるまで掃除をした海岸のことを。
かつてヒンメルたちと並んで歩いた、潮風の香る砂浜のことを。
人間の時間は短く、波のようにすぐに引いていってしまうけれど、彼女たちと過ごした記憶だけは、この海のように色褪せることなくフリーレンの中に在り続けている。
そして今、隣にいる人間が「記憶の綻び」を拾い集めるために辿り着いたこの海もまた、彼女の瞳には同じように映っていた。
「・・・・・・綺麗だね」
というフリーレンの科白は、風の轟音にかき消されて、新の耳には届かなかった。
明日更新します。