フリーレンと行く魔法のない世界で魔法を探す旅。   作:ぼたにかる

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4話「群青の境界 中編」

 

「フリーレン、少し休憩しようか。喉、渇いてない?」

 

新が車を路肩に寄せてエンジンを切ると、助手席のフリーレンが小さく頷いた。

 

 

「うん。少し渇いたかな」

 

「何か冷たいものを飲むといい。水と、甘い......果実水と、冷やした茶があるけど、どれがいい?」

 

「じゃあ、甘いやつで」

 

 

新は後部座席に積んである車載用の小さな冷蔵庫からボトルを取り出し、フリーレンに差し出した。

受け取ったフリーレンは、ボトルの表面にびっしりと結露した水滴を指の腹でそっと撫でる。

 

「……冷たい。これが科学?」

「そうだよ。電気というエネルギーを使って、箱の中の熱を外に逃がす仕組みなんだ」

「へえ。魔法がなくても、人間は随分と理にかなった便利な生活をしているんだね」

 

 

フリーレンは感心したようにボトルの表面を眺めていたが、やがて蓋の開け方が分からず、不思議そうにボトルを回したり傾けたりし始めた。

 

その様子を見て、新は苦笑しながら自分のボトルの蓋に手をかける。

 

「あぁ、ごめん。開け方はね、こうして上の部分を反時計回りに捻るんだ。中身が溢れるかもしれないから、ゆっくりね」

 

新は自分のボトルを使って、カチリと音を立ててリングを切り、静かに蓋を回すお手本を見せた。

それから、彼女が上手くできそうかどうか、その手元をじっと見守る。

 

「……こう?」

 

フリーレンは新の所作をなぞるように、慎重に、けれど確かな手つきでボトルの蓋へと指をかけた。

小さな抵抗の後に「カチッ」と小気味よい音が響くと、彼女は少しだけ満足そうに目を細めて、甘い液体を口に含んだ。

 

「……ん。美味しい」

「それはよかった」

 

新は自分の茶を一口飲み、再び前を向いた。

何気ないやり取りではあるが、こうして少しずつこの世界の「理」を共有していく過程が、新にはどこか心地よかった。

 

目的地は本土最南端に位置する、とある観測所だと新はフリーレンに説明した。

 

数日後には辿り着くだろう、とも付け加える。

 

東北道から圏央道、東名、名神、九州道、順当にいけば本土縦断の旅路だ。徒歩であればともかく車で向かうのならその道程は呆気なく、面白味がない。

ないこともないが、かつての彼女が経験したような冒険と呼ぶほど、色彩に溢れているわけでもなかった。

外から見える風景は概ね住宅街の連続である。

捲られていく絵本のように、脈絡の切断された花鳥風月、山川草木が経巡られていくわけではない。

 

フリーレンは起きている間、冒険の話を新によく聞かせた。意外とお喋りであるのは、おそらく単独行動の不安もあるのだろうと新は考える。

ヒンメル、ハイター、アイゼン。それにフリーレンを加えた四名の編成による物語。

 

剣と竜が、魔法と魔王が実在する世界。

シーンとシーンの狭間にさえ、新たな物語をインフレーションさせるに足る十分な世界観が挟まる。

フリーレンは、海に向かって崩れていく氷河を見たことがあるのだと語る。

再現なく溶岩を吐き出す火山を実見したのだと語る。

目まぐるしく流転する動物界を、植物界を、その足で歩んだのだと語る。

人智を越える世界の姿。神秘。

人間の言葉と思考を真似る魔族との戦い。

判断を誤れば命に直結するやり取りを、勝利の一手に至るまでの様々な意思決定を――仲間たちとの言葉なき疎通と連携を、フリーレンは語る。

 

そこでは虚構が溢れており、現実が溢れている。

 

フリーレンの話では、魔王討伐のための勇者一行の冒険は、往来にして十年を要したという。

フリーレンの暮らす世界における地理のスケールが、自分の世界のスケールと合致している道理は無論なかったが、少なくとも自分の世界で今や十年単位の時間を必要とする冒険というのはむしろ、実行不可能ではないかと新は考えた。

 

ここ百年で敷かれた交通と情報の網はこの星をおそろしく縮小化し、「冒険」や「未開拓」という言葉は地上から拭い去られ、ファンタジーの世界へと退転して久しい。その気になればたった一週間、トランク一個で地球を一周できる時代に新は存在している。

 

そういう意味では、新が所有する軽バンなどは国内旅行において過剰な設備を有していると言わざるを得ないわけで、だからこれはほとんど趣味に近かった。しばしば現実性を超過した機能を持つキャンプグッズが人気であるように、男性的嗜好のひとつに過ぎない。

 

新が固定の住居を持たないという理由も一応ある。

持っていないわけではないのだが、使っていない。そうなった契機は妻の死である。

 

もう十年以上、その家には帰っていないことを新は思い出す。

 

これからフリーレンと向かう故郷も、妻と過ごした住居のことではない。

今後もおそらく帰ることはなく、仮にその建物が既に売却され誰かの住処にすり替わっていても、自分はしばらく気がつかないだろうと感じる。

 

魔法を見つける。自分が魔法だと実感できるものを探している。

 

もう少し正確に述べるなら、魔法によって生じる結果を探している。

もし結果が先に鎮座しているのなら、新が魔法を探すことはないだろう。

魔法を見つけるために旅をしている。それが流離であれば良いが、徘徊の方にきっと近いのだと、新は思う。

 

フリーレン曰く、その魔導書は四十二の章と百八のパラグラフによって成立する。全文、古エルフ語と呼ばれる文字体系によって綴られているところまでは分かるが、高度な暗号化が解読を阻んでいるという。

 

フリーレンの話す言葉を瞬時に理解した新でさえ、魔導書の内容はその片鱗さえ読み解くことは叶わなかった。新の世界に存在する言語とは根本的に構造が異なっており、新には正直これが、とても言葉とは思えなかった。

 

印象としてはヴォイニッチ手稿などに近く、「不可読性に主眼を置いた言語」と表現する方が適切とさえ感じられた。

 

「分からなくて当然だよ」

 

とフリーレンは言う。

 

「何せ神話の時代の言語だ。文字ひとつひとつにも神性が宿っている。古来エルフ族はこの“ことば”をコミュニケーションのための道具としてではなく、儀式のための供物として利用していた。自然、読もうとするには、魔の法に頼るしかない」

 

ウイチグス呪法典、と続けたのは、どうやらその魔導書の題名であるらしかった。まだタイトルしか分かっていないけど、と言う。

 

「まぁ、解読はできなくても、解析は可能だよ」

 

「解読と解析はどう違うんだ?」

 

と、新は水の入ったポットを傾けつつ問う。旅に出始めた翌日の昼下がり、二人は定食屋で昼食をとっていた。間もなく店主が持ってきた料理は、それぞれ新に「メカジキのステーキ定食」、フリーレンに「マグロのから揚げ定食」となる。

 

食事前には祈りでもするのだろうかとフリーレンの動向を見守っていた新だったが、フリーレンはいきなりナイフとフォークで丁寧にから揚げを切り分けると、その欠片に齧りつく。

 

盛られたご飯については馴染みがないようで、その山の表層をナイフで突いていた。

 

 

「アラタは自分の知らない言語で記された書物と対面したとき、それをどのようにして読もうとする?」

 

「翻訳ソフトを用いる」という回答は、まず翻訳ソフトとは何かの説明から始めなくてはならないようだから、代わりに順当な答えを新は返す。

 

「まずその言語の辞書を手に入れるかな。当然、俺の知る言語訳を含む二言語辞典が必要となる」

 

たとえば日本人が英語を学ぶ上では、英和ないし和英辞典が入用だろう。

 

「そうだね。でも辞書を用いたからといって、文章単位での解読であるのならともかく、分厚い書物の内容を紐解くことはかなり難しいだろう。当然、文法や用例を知るため、長期の学習が不可欠となる。『解析する魔法』は、そうした理解のための複雑なプロセスを踏み倒して、学習なき読解を強行する魔法だ」

 

「・・・・・・随分と便利そうに聞こえるな。それなら、仮にそれが解読困難な暗号言語であっても、一瞬で読み解くことができるということ?」

 

 

先日読んだ量子コンピューターに関する記事を思い出しつつ新は訊く。

現在のコンピューターは暗号を解くために、南京錠の番号を一個ずつ回していくような手法を採る。

対して量子コンピューターはその南京錠に可能な数列のバリエーションを一息に試行することで、どれほど高度な暗号でも一瞬で解除することができるのだという。

 

「いや、一瞬というわけにはいかないかな。でも一度専用の術式を構築すれば、あとは基本的に魔力を入力するだけで解析は進行する。ちなみにこの『解析する魔法』は別に書物でもなくても、魔道具や魔力で構成された存在であれば問題なく適用できる。このウイチグス呪法典も―――」

 

とフリーレンは一瞬、鞄の方を見遣り、

 

「―――難解な構造を有してはいるけれど、まぁ想定の範囲内、常識の範疇ではある。元の世界にあった『呪い』の方が余程厄介だね。さて、さっきこの魔導書の触りの部分だけを解析にかけて、完了までの大まかな時間を予測してみた――だいたい十年くらいかかると思う」

 

「・・・・・・そんなにかかるのか」

 

「これでも早い方だと思うけどね・・・・・・でも確かに、人間には長い時間だ。何より、元の世界にいるフェルンや、もし私の帰りを待ってくれているのなら、シュタルクをそれだけの期間、待たせることになる。それは流石に容認できない」

 

フリーレンはフォークの上にご飯を乗せて口に入れ、咀嚼する。表情から窺う味の御感想は――新の目からは判別できない。

 

「ウイチグス呪法典がどのような内容にせよ、解析しなければ帰還できない、なんてなりゆきはできれば避けたい。それを踏まえて、これからアラタが向かうところには、本当に私が帰ることのできる手立てがあるの?」

 

新とフリーレンの間で交わされる未知の言語に、傍にいる客たちは好奇の視線を向けるが、新はそれには気にせず言う。

 

「そこには、魔法が残されている。この世界で現状唯一と言っても差し支えない魔法が」

 

その新の答えに、フリーレンは眉をひそめた。

 

「・・・・・・この世界に魔法はない、と言ったのはアラタの方じゃなかったっけ?」

「今はね。二百五十年くらい前までは、この世界でも盛んに魔法が研究されていた。だからより正確に言うなら、今のこの世界に魔法使いはいない、となる。魔法学はその継承者をなくして失伝してしまったんだ。だからこれから向かう場所に残る魔法は記録として存在しているだけで、実現することのできない技術ということになる。ゆえに魔法は存在せず、丁度、御伽噺の中の奇跡のようなものに過ぎない」

 

「でもそれが真正に魔法であると、アラタは知っているわけだね」

 

「因縁があって」

 

 

と新はどこか誤魔化すように顔を背ける。

 

 

「それで、そのウイチグス呪法典は四百年前に消失した、かつてその観測所の前身だった施設に保蔵されていた書物だと思っている」

 

 

フリーレンの頭の中で一連の情報が一周するのを新は待った。

 

・かつてこの世界には魔法が存在した。

・四百年前に謎の魔導書、ウイチグス呪法典は消失し、その後一世紀半あまりで魔法自体が失伝した。

・その魔導書はなぜか今になって新の目の前に出現し、親切にも「解析役」まで伴ってきた。

 

十分な間を置いてから、フリーレンは問いを再開する。

 

「そこまで見当がついているのに、この魔導書の中身について説明してくれないのは一体どうして? まるで何も知らないというわけでもないだろうに」

 

「・・・・・・フェアじゃないことについては申し訳なく思っている。こうして御足労いただいていることについても。まだ確証はないにしろ、君がこの世界に転送された要因をつくっているかも知れない事実についても、抗弁のしようがない」

 

 

新は顔を俯ける。

フリーレンはその面持ちに、「落胆の演技」は感じられなかった。

 

 

「でもやはり先に、実際に観測所に来てほしい。推論に裏付けを得るためだけではなくて、フリーレンに『物語』を知ってもらうために」

 

物語、とフリーレンは新の言葉を繰り返す。

新は顔を上げて、

 

「もし、フリーレンが平泉で空を飛んだという事実を、誰かの物語として聞いただけなら、俺はその事実を信じなかっただろう。『飛行』を実際に目にしたからこそ、俺は君というファンタジーを受容することができた。この魔導書と俺の因縁もまた、どうしようもなくファンタジーに分類されるものだ。だから数日後には辿り着く観測所で、全てを語りたい。帰還の方法もそこにあるのかは正直なところ不明だ。でも俺の人生を尽くして、君を元の世界に帰すと約束するよ」

 

 

そう、一息に言う。

フリーレンはしばらく考え込むように視線を落としたが、やがて数度、顎を引いて頷く。

 

 

「分かった」

 

「アラタを信じるよ。全てを語ってくるなら、それまで待っていよう。実際、こっちの世界に来てから面倒は見てもらっているし、安請け合い自体はあっちの世界でよくやっていたからね・・・・・・それに、ヒンメルなら今のアラタを見て、きっと手を差し伸べる」

 

 

フリーレンが仲間たち――とりわけヒンメルについて語るときの表情は、少し特殊なように新からは見えた。

 

その特殊性はまだ言葉にできず、あるいはそれを表現する言葉はまだこの世界に現れていないように新は感じる。

 

 

「だから―――私もそうするよ」

「ありがとう」

 

 

千年の人生。十年の旅。昨日出逢ったばかりの関係。

 

ミクロとマクロが併在するフリーレンの人生。

 

そして、死後もそのすべてに影響を及ぼし、フリーレンという存在や原理を支えているヒンメルという人物に、新は言葉にせずとも同じように感謝を捧げた。

 

 

料理、冷めちゃうよ、と、最後のから揚げの欠片を口の中に放り込み、ごちそうさま、とフリーレンは呟いた。

 

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