フリーレンと行く魔法のない世界で魔法を探す旅。   作:ぼたにかる

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戦闘回です。


6話「余焔のアガット」

九州道を南下し、海峡を越えて四国最西端の半島、佐多岬(さだみさき)観測所へ。

それが新とフリーレンの最終旅程だった。

単調なアスファルトの海をひたすらに滑るだけの旅路であっても、ここまで至れば流石に平泉(ひらいずみ)の穏やかな景観とは決定的に異なってくる。

焦り立つような真夏の太陽がジリジリと車体を灼き、窓の外には狂おしいほどに生い茂る亜熱帯特有の濃緑がうねっている。

むせ返るような青葉の匂いと、海風が運んでくる濃密な潮の香りは、新にとってどこか遠い異国に迷い込んだかのような錯覚を抱かせるものだった。

 

 

 

「こちらの世界に来て初めて」

 

 

 

フリーレンは揺れる熱波を見つめながらぼんやりと呟く。

 

 

 

「魔力探知に反応があった」

 

 

 

「多分、そこが目的地だ」

 

 

 

新は前を向いたまま答える。

 

 

 

「でもまだ十キロくらいはあるよ。そこまで遠距離の探知が可能なのか?」

 

 

 

「他に、この世界に魔力を感じ取れないものがないからね。ノイズがない分、見通しやすい」

 

 

 

そこから二人に会話はなかった。

昨夜のやり取りに少なくとも新は気まずさを感じていたというのもあるが、旅の終着点がすぐ目の前に迫っているという理由も当然あった。

 

そこでは何かが暴かれ、何かが分かることだけが確約されており、何も分からないまま終わるということは決してない。

 

またそこから新しい旅が始まるのだとしても、ひとつの終わりを迎えることには変わりなかった。

 

喫茶店で朝食を済ませた後、陽炎(かげろう)の立つ下道を一時間半。

 

二人は予定通り、真昼の太陽が容赦なく照りつける頃に観測所へ到着した。

 

フリーレンが感知した魔力の発生源は、この寂れた観測所の位置にぴたりと重なっていた。

 

 

 

「気分が悪い」

 

 

 

フリーレンは熱を持った窓ガラスに頭を預ける。

 

 

 

「大丈夫?」

 

 

 

「三日ぶりの魔力のせいかな。どうやら元の世界の魔力とは要素が多少異なるみたい。酔い、みたいなものなのかも」

 

 

 

白茶けたコンクリートが陽炎を吐き出す殺風景な駐車場に、新はバンを停める。回復するまで休んでていいと新は気遣ったが、大丈夫だと応えてフリーレンは茹だるような熱気の中へ歩み出た。

ただでさえ白い肌がどこか透き通るように蒼白く、その足取りが酷暑のせいでなくひどく頼りないことを新は認める。

 

新がトランクから必要な物資を取り出していると、フリーレンは指であるものを示した。

 

 

 

「あれは持っていった方が良い」

 

 

 

新は黙って頷いた。

 

観測所周辺は、暴力的なまでに豊かな夏草に侵食されていた。

すぐ近くの断崖を叩く波の轟音と、耳をつんざくような蝉時雨(せみしぐれ)だけが支配する空間には、人の営みの気配など微塵も残されていない。

佐多岬自体は観光客の絶えない景勝地であるはずだが、この観測所の一帯だけは、まるで時の流れから残酷なまでに切り捨てられ、忘れ去られたという強烈な孤独と寂しさを見る者に強いる。

錆びついた長波用、短波用の無骨なアンテナが、灼熱の夏空を突き刺す巨大な墓標のように立ち並ぶ姿を、フリーレンは静かに見上げていた。

 

 

 

「観測所って、何を観測しているの?」

 

 

 

宙でトンビが悠然と輪を描いて羽ばたく様子を見上げながら、フリーレンは問う。

 

 

 

「観測所というのは表向きだよ」

 

 

 

新は答える。

 

 

 

「実際はこの世界で見つかっている魔導書(まどうしょ)の管理をしている施設だ。昔は研究もしていたんだけど、魔法使いが絶えてから研究部門は閉鎖している。魔力は電波――この世界で通信などに用いられる目に見えない力――を妨害する作用があるらしくてね。だから人里離れたこの地が選ばれ、観測施設に偽装した」

 

 

 

「アラタは、この施設に来るのはいつぶりになる?」

 

 

 

蜃気楼の彼方を見つめるように新は応えた。

 

 

 

「最後に訪れたのは、ずっと昔だ」

 

 

 

新は懐から鍵を取り出すと、施設入口の金属製の扉の鍵穴に差し込む。

 

中からガチリと開扉の仕掛け音が鳴るが、ノブを捻っても扉は開かない。

不思議そうにしている新にフリーレンが歩み寄る。

 

 

 

「魔法で封印されている」

 

 

 

新は戸惑いの表情を見せる。

 

 

 

「・・・・・・前に来たときは、こんなことはなかったんだけど」

 

 

 

「離れて」

 

 

 

フリーレンが告げると、大人しく新は二歩後退する。

フリーレンは所持していた杖を扉に向けると、魔法名を言い放つ。

 

 

 

低度の封印を解く魔法(ソトールラーン)

 

 

 

新が再びノブを捻ると、重い扉は素直に開いた。

 

フリーレンは胸を撫でおろす。

 

 

 

「うん、良かったよ。この世界の魔力であっても魔法の運用に支障はないみたいだ」

 

 

 

「魔法使いに戻れたというわけか」

 

 

 

新の言葉にフリーレンは頷くと、掌を差し出す。

 

 

 

「案内してよ」

 

 

 

施設内は廃墟というほど朽ちてはいないものの、長らく人の手による管理がなされていないことは明らかだった。

 

外界の光はほぼ差し込んでおらず、今が昼だとは分からないほど暗い。

 

埃の積もる雑多な機器類はいずれも実際に電波観測を行うためのものであるが、それらはただ用意されているだけということであって、いわばカモフラージュに過ぎないのだということを新は知っていた。

 

迷う素振りを一切見せず、新はフリーレンの手を取って地下階へと進んでいく。

 

バンから持ってきたランタンで周囲を照らしつつ歩いていく様はどこか肝試しのような趣があったが、史上最も多くのダンジョンを攻略したパーティーに属していたというフリーレンの側に怯えの様子はない。

 

新が前方を指し示す。

 

 

 

「ここだ」

 

 

 

その先には「関係者以外立入禁止」の表示がなされた扉がある。

ここも施設の入口と同様、新の持っている鍵で開錠はできたものの、魔法によって二重の施錠が敷かれていた。

フリーレンは何気ない所作で解呪し、二人は扉を開ける。

 

噎せ返るような魔力がどっと廊下の方に押し流れる。

 

魔力を感じる器官を持たない新ですら、冷気に似た感触に鳥肌が立つ。

 

視界を前に向ける。

観測所の間取図を確認するまでもなく、そこにはその部屋にあるべき広さ以上の、広大な空間が広がっている。

 

まず目についたのは、壁となだらかに接続されて丸天井を成す穹窿(ヴォールト)だった。

窓はステンドグラスで、地下であるにも関わらず陽光を透かして奇妙な幾何学を床へと映す。

その床は市松模様に組まれた大理石のように見える。

 

そして、それらの調度を圧倒せんとする本棚。

整列された棚群には書物が隙間なく敷き詰められている。

その背表紙に並ぶ文字はこの世界のいずれの言葉でもない。

記録としての言葉ではなく、そのひとつひとつが神であり神性である魔導書を腹に収めた、あまりに魔術的で洗練されて美しい趣向の「図書館」がそこにある。

 

 

 

「高度な空間魔法」

 

 

 

呆気に取られるように呟くフリーレンの横で、新は頷く。

 

 

 

「しばらく来ないうちに、また室内が変異している。以前はもっとシンプルというか、まだ現実味があったんだけどね。行こうか」

 

 

 

フリーレンの袖を引き、新は本棚の合間を進んでいく。

奥へと行くほどに冷気はいや増す。

仄暗い「図書館」の中で、二人の足音だけが響いていた。

先ほど体調が悪そうに見えたフリーレンの顔を思い出し、新は口を開く。

 

 

 

「どこか休めるところがあれば良いんだけど。その間に俺は電気系統を探して――」

 

 

 

「危ない!」

 

 

 

普段の声の調子からは想像もできないような叫びがフリーレンから放たれ、新はほとんど反射的に身を低くする。

その上をフリーレンが覆いかぶさり、直後に爆ぜるような音が耳をつんざいた。

 

顔を上げた新の目線の先に、人影がひとつ揺れる。

「図書館」は光源もなしにその明度を上げていき、まるで演劇の舞台のようにその影の正体が明るみに照らされる。

二百年前の欧州ならば三つ揃えとされていただろう衣装に身を包み、髭をたくわえ、山羊を思わせる角を生やした男が一人、既に立ち上がって杖を構えているフリーレンを睨みつけていた。

 

 

 

「葬送のフリーレン」

 

 

 

刃物を連想させる冷徹な声音で、フリーレンは言葉を返す。

 

 

 

余焔(よえん)のアガット」

 

 

 

「アラタ、私の後ろへ」

 

 

 

遅れて立ち上がった新は、フリーレンの指示通り彼女の背へと回り込む。

その間にも、アガットと呼ばれた人物とフリーレンは視線を強く向け合う。

先に口を開いたのはアガットの方だった。

装いや佇まいはどこか紳士的な雰囲気を出しているが、眼光と剣幕には残忍な気配が宿る。「図書館」の主とも取れる登場の仕方ではあるものの、新の方に面識はなかった。

 

 

 

「フリーレン。久しいな。なぜ貴様がここにいる?」

 

 

 

「アガット。それはこっちの台詞だよ。ピジメルー行に負けて逃げ帰った後、どこかで野垂れ死んでいるものと思っていたけど」

 

 

 

アガットは笑うが、気配の鋭利さは増し続ける。

 

 

 

「気がつくとここにいた、というやつだ。かなり腕の立つ召喚師に呼び出されたんだろうが、顔を見たことはない。無論、見かけたら殺すつもりではいるんだが・・・・・ 」

 

 

 

「私も大体似たような経緯だよ。こうしてここで鉢合わせたのも何かの作為を感じる――偶然ではないんだろうね。もしかすると、私へ復讐のために用意された舞台なのかも」

 

 

 

アガットは鼻であしらう。

 

 

 

「復讐などと掲げる種は人間だけでな。貴様たちに負けた後も、私は相変わらず村と人と家畜とを燃やし続けていたよ。魔王が死に、生き残った七崩賢(しちほうけん)の下にくだってからも、公私を問わずな」

 

 

 

フリーレンは肩をすくめる。

 

 

 

「そうか。まったく、魔族は生かさない理由が明確で助かるよ。虫を殺すのとは訳が違う」

 

 

 

淡々と交わされるどこか虚ろな言葉の内容に、新はおぞましさを感じる。

目前の男は生命を尊ぶものとも、蔑むものとも見ていない。

車輪が動物を轢くことに思想が伴わないように、挙動の一環の中に、殺戮が巻き込まれている。

フリーレンは同胞のほとんどを魔族に殺されたのだと、新は車中でフリーレン自身から聞いた。

 

 

 

「まあ、私も今この瞬間までは、自分は既に死んでいるのだとも考えていたんだがな。だからフリーレン、貴様の姿を見たときは正直、ほっとしたよ。貴様の存在は、かつて私が過ごしてきた世界が存在し、これまで焼き尽くしてきた雑多たちもまた存在していたということの証左なのだから」

 

 

 

「魔族の言葉は、あくまで狩りのための網や銛に過ぎないから、基本は聞かないようにしているんだけどね。でもその台詞については概ね同感だよ、アガット。魔族の言葉に共感したのは生まれて初めてかも」

 

 

 

なぜか新の方を向いてフリーレンは言う。

 

 

 

「同郷の好として久しぶりに積もる話をしたいところだけど――でも結局、魔族は魔族だからね。意味のない会話はこれでおしまい」

 

 

 

フリーレンは強く杖を握り直す。

 

 

 

「どうもそういうことらしい」

 

 

 

アガットもまた新に同感を求めるように、酷薄な笑みを浮かべる。

交渉や協力すらも前提としない話の決着に、新は思わず絶句する。

外観はほとんど同じでも、人間と魔族の間には膨大な溝が横たわっている。

 

 

 

「魔族の言葉には本当に意味がないんだよ、アラタ。案内人であるはずのアラタがこいつの存在に驚いている以上、こいつは何か重要な情報を握っているのかも知れないけれど、聞き出そうなんて考えは捨てた方がいい。こいつらは自分が真実を語っているのか、嘘を語っているのかさえ、判別がついていない化け物だ」

 

 

 

あんまりな言い方だと呆れるように、アガットは冷たく笑う。

そして新を指した。

 

 

 

「ところでこの人間は? ここの世界での貴様の戦士か? 節操がないな。噂で聞いたぞ。ヒンメルの死後、新たな魔法使いと戦士を伴ってお前が旅をしていると。そしてそいつらが死ねば、貴様はまた自分のことを守ってくれる次の従者に乗り換える。そうやって悠久に等しい人生を、貴様は誰かに寄生して生きてきたんだろうさ」

 

 

 

フリーレンが攻撃魔法を放とうとする一瞬の間を狙い、アガットは懐から瞬時に散弾銃のような得物を取り出し、フリーレンへ照準を据える。

フリーレンは咄嗟に術式を切り替えて防御魔法を展開しようとするが、その前にアガットは引き金を引いており―――更にその前に新がアガットへ向けて放ったランタンによって、射線は外れて新とフリーレンのすぐ真横へ逸れる。

 

新はフリーレンを担いで、その重量を無視するかのような速度で本棚と本棚の間を縫うように疾走する。そのすぐ後ろを続けざまに散弾で打ち抜かれるが、新は減速しないまま遠く離れた大きな棚の後ろに身を隠した。

 

アガットはそのあまりに瞬発的で人間離れした「逃走」に意表を突かれたのか、警戒しすぐに追ってくる気配はない。

 

 

 

「本当に戦士みたいだね、アラタ」

 

 

 

流石のフリーレンもやや苦笑気味に言う。

 

 

 

「シュタルクの修行の相手になれるかも」

 

 

 

「散弾銃みたいなものを持っていた」

 

 

 

「あの魔法武器だね。初戦のときは早い段階でアイゼンが叩き落していたから忘れていたけど、一度魔力を込めさえすれば、術式の展開よりも素早く攻撃できて、連射性もある厄介な得物だ」

 

 

 

息を切らす新の身体を検めつつ、フリーレンは問う。

 

 

 

「怪我はない?」

 

 

 

「参ったね」

 

 

 

新は薄く笑う。

 

 

 

「出入口まで戻るのは危険かな」

 

 

 

「まあ、見張っているだろうね。アガットは元々、炎魔法の使い手だ。あの武器に頼らなくても、出入口に火を点けるだけで私たちは袋の鼠だ」

 

 

 

「何か策はある?」

 

 

 

妙に冷静にも見える新の表情に、フリーレンは首を傾げつつも答える。

 

 

 

「あるにはある、かも。あの魔法武器と屋内で渡り合うのは相当分が悪いけど、幸い攻撃魔法に多い追尾性は持ち合わせていない。でも、もう少し追跡を撒く必要が」

 

 

 

「了解」

 

 

 

新は再びフリーレンを抱きかかえる。ちょうどお姫様抱っこのような形で両足を救い上げられたフリーレンは珍しく小さな悲鳴を上げた。

 

三、二、一と合図を出し、脚部に力を入れ、走り抜く。

 

 

 

「逃げてばかりだな」

 

 

 

数メートル先にいたアガットは銃を構え、新たちに向けて発砲する。

 

一発目は新の後ろ髪の先端を焼き、二発目の腰部を狙った銃弾は、予め張っておいたフリーレンの防御魔法によって防がれる。フリーレンは魔力の指向性を瞬時に切り替え、今度は攻撃魔法を放つ。

 

 

 

七本の光の矢を放つ魔法(リヒトプファイル)

 

 

 

七本の光の曲線がアガットへと伸びるが、一本が肩口を貫通しただけで、残りは不発だった。

 

致命を狙わない攪乱(かくらん)目的の攻撃だとアガットが気がついたときには、既に新とフリーレンは距離を再び置いている。

 

 

 

「拍子抜けだ」

 

 

 

アガットは叫ぶ。

 

 

 

「もし客人が来たときのために、色々と歓迎の準備もしておいたのだがね。まさかこんなくだらん追いかけっこに興じることになるとはな」

 

 

 

「ここにいるよ」

 

 

 

フリーレンは本棚から手を突き出して振る。

散弾銃を構え、ゆっくりと周囲に注意しつつ近づくアガットに、フリーレンは棚の裏から声を張り上げる。

 

 

 

「不思議だよ、アガット。お前ほどの炎魔法の使い手なら、火力に任せて私たちを燻り出せば良いのに。適度にここにある魔導書(まどうしょ)を焼いて、出入口で待っていれば安全に私たちを殺せるはずが、随分と慎重な戦い方だ」

 

 

 

アガットが無視するのに構わず、フリーレンは続ける。

 

 

 

「ここにある魔導書の損失を嫌ったのか? しかし発砲自体は躊躇(ちゅうちょ)する気配がない。第一お前にとって、ここにある魔導書がそれほど価値のあるものとは思えない。魔族はその生涯をもって一つの魔法を発明し、研鑽(けんさん)する存在だ。特殊な例を除けば魔法学というものの研究にそもそも関心がない種族といえる。ましてやこれらの魔導書は私はお前なら一目見ただけで異世界の物だとわかる。そんなものに拘らずとも、私のような天敵がいないこの世界で、お前はお前が望む魔法を好きなだけ時間を費やして生み出すことができる」

 

 

 

アガットは一発、フリーレンの隠れている棚に向けて放つ。

破裂音が響き、不幸にも被弾した一冊が灰となって焼け落ちる。

 

 

 

「なかなかお喋りじゃないか、フリーレン。以前出逢ったときは、もう少し寡黙な印象があったものだが」

 

 

 

「そんなことはないよ。私は元々よく喋る――話を戻そうか。お前も知っているだろうが、この世界には大気の基本要素の中に魔力が存在しない。この『図書館』に満ちる魔力は、保管されている魔導書(まどうしょ)から発せられているものだ。私はただのエルフであって魔法使いに過ぎないから、魔力がなくても魔法が使えなくなるだけで、生存そのものには影響がない。でも魔族はどうなんだろう」

 

 

 

フリーレンは隣にいる新に不器用なウインクで合図を出しつつ、続ける。

 

 

 

「魔族を殺すと、死体は残らずに黒い灰のようなものへ変わり果てて霧散する。あれは言うなれば魔力の残滓(ざんし)だ。つまり、お前たち魔族の身体は大部分が魔力によって構成されているのでは? 魔力のないこの世界は魔族にとって真空のようなもので、だからこの図書館はお前にとって生命線であり独房のようなものだと、私は思う。お前を召喚した者もそれを理解しているはずだ。お前は残念ながら、この図書館を守るしかない。炎魔法を気安く撃つことができないのも同じ理由からだ」

 

 

 

アガットの喉からクツクツと、ほとんど咽るような笑い声が響き出す。銃は保持したまま肩で目尻を拭う。

 

 

 

「そんな分かりきった推理を述べたからといって何になる? 確かに俺はここに幽閉(ゆうへい)されている。俺を召喚した者は余程頭が悪いとみえる――図書館の司書に、よりによって炎使いを招くなんてのは阿呆(あほう)としか言いようがない。しかし、この図書館を守らねばならないのはお前も同様のはずだ、フリーレン。おそらくは帰還のための魔導書(まどうしょ)がここに所蔵されており、お前はそれを求めにここへ来たんだろうから。魔導書(まどうしょ)の内容よりもその実存自体が重視される俺と比べて、守らねばならん要件が多い分、そちらが不利だとは思わんかね。ひょっとすると貴様たちが(かわ)し、代わりに撃ち抜かれた魔導書(まどうしょ)の中に、元の世界への帰還方法が記されていたかも知れないな」

 

 

 

挑発するアガットに、フリーレンは杖を棚に背を預けたまま言う。

 

 

 

「帰還方法ね。そんなもの、もう諦めているとしたら? ―広域を燃やす魔法(グロースブラント)

 

 

 

かつてアガットが村と人間と家畜とを焼き続けた魔法名に、「待て!」とアガットは声を荒げてフリーレンの隠れる棚の方へ一気に詰め寄る。

 

その背後に、フリーレンに促されて持ってきたアウトドア用のナイフを握った新が、強靭な胆力をもって跳ねるように接近する。

 

炎魔法はブラフとした、死角からの一撃。

 

切っ先はアガットの背を貫通し、新の手に骨と内臓を破る鈍い衝撃が伝わる。

アガットは動きを停め―――しかし崩れ落ちることはなくそのまま振り向く。

思わず突き刺さったままのナイフから手を離してしまった新の首を、アガットは片手で掌握して持ち上げる。

苦しげに呻き声と共にもがく新を見て、アガットは獰猛(どうもう)な笑みを浮かべる。

 

 

 

「心臓を刃物で突いたところで私が死ぬとでも? 人間の想像力は貧弱だ。人類と魔族の魔法体系の格差は、想像力の格差だと考えたことは? それゆえに喰われるべき種であるという事実になぜ気がつかん」

 

 

 

首を掴む手とは他方の手で腰の鞘から短刀を抜き、アガットは勝利を確信して新の心臓に強く突き刺した。

しかし、顔を歪めたのはアガットの方だった。

今しがた自分が貫いたものが信じられないといった表情で、新の顔を見上げる。

 

 

 

「なんだ・・・・・・この感触は・・・・・・?」

 

 

 

その疑問が口をついて出た、次の瞬間。

苦しげにもがいていた新の動きがピタリと止まる。

 

 

 

「――捕まえた」

 

 

 

何事もなかったかのような声と共に、新は心臓を突いたアガットの腕をガッチリと掴み上げた。

 

メキッ、と嫌な音が鳴る。

アガットがこれまでの生涯で味わったことのない常軌を逸した怪力に、腕の骨が軋みを上げ、異様に変形していく。

 

 

 

「がっ……!? 離せ……ッ!」

 

 

 

アガットは血相を変えて腕を引き離そうと暴れるが、新の指は万力のように食い込み、微動だにしない。

想定外の拘束と、眼前の「人間」から発せられる異質さに、アガットの顔に初めて明確な焦りが浮かぶ。

 

 

 

「お前が油断したのは、この世界で人間を知ろうとしなかったからだ」

 

 

 

氷のように冷ややかな声で、新は言い放つ。

 

 

 

「一般的な人間の身体能力を把握していれば、さっきの俺の速さを見てもっと警戒できたはずだ。少し調べればわかることだろうに。……貧弱なのは、人間を見下すことしかできないお前の『想像力』の方だったな」

 

 

 

アガットの意識が新の言葉と圧倒的な力に完全に釘付けになった、その一瞬の隙。

 

 

 

人を殺す魔法(ゾルトラーク)

 

 

 

本棚から身を現したフリーレンは、自身の世界で歴史上最も多くの人間を殺し、今では「一般攻撃魔法(ゾルトラーク)」として人間側が魔族を狩るのにも使われる必殺の魔法名を唱えると、動揺のために瞬時動きを停めてしまったアガットの上半身を、新の身体ごと破砕した。

 

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