フリーレンと行く魔法のない世界で魔法を探す旅。   作:ぼたにかる

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7話「道標」

この(おれ)が生を授かったのは、16世紀のプラハの研究室だった。

 

教会ではない薄暗く黴の臭いがする一室で、誰からの祝福も受けず生まれた(おれ)が、そのとき何を思ったか――別段、何も感じるところはなかったはずだ。

 

そもそもからして何かを感じるという器官を(おれ)は持たなかった。

 

そのときから今まで、(おれ)はただの土くれであるわけだから。

 

より詳しく説明しようとすれば、(おれ)はラビと呼ばれるユダヤ教の研究団体によって造られた、後世で語られるところの「アンドロイド」に近い存在だった。

 

Android という単語は、ギリシア語で「人」を意味する andorと、「〜のような存在」を意味する接尾辞oidの複合から成る。

 

(おれ)は確かに人を模されて造られたが、ラビは人そのものとして(おれ)を造ったわけではなく、あくまで最初から「人のような存在」として製造した。

神が人を自身の写し身として創れど、分身として創ったわけではないように。

そこにはある種の境界があり、節度があった。

 

さて、この世界には「初めから」、魔法が存在していた。

正確には魔導書(まどうしょ)が残されており、しかしそれはこの世界を出自とする書物ではあり得なかった。

構成物質、内容、形成物質、内容、そしてその書物が可能とする魔の法。

いずれもどこか別の世界の原理に基づいて作成されたものであるという事実は、早期に諒解(りょうかい)された。

そもそも書き手なるものが実在するとも限らない代物だが、それでも一部の者はその内容を読み取り、法を知り、更にはそれを扱うこともできた。

 

魔法使いと呼ばれる者たちである。

しかし魔導書(まどうしょ)の言語体系は神秘に(とざ)されており、他の言語に翻訳することが一切できない神性を有していた。

ゆえに魔法使いはその魔導書(まどうしょ)の内容を他者に教示することは叶わなかった。

継承は行われず、百年以上も地上から魔法使いが存在しなくなる時期さえあった。

 

(おれ)は、これらの魔導書(まどうしょ)の内容を解析し、その身の内に貯え、更には魔法を行使できるようになるための不死の存在、青年型のクリーチャとして発明された。

魔法と科学のハイブリッドによって構成された土人形は、額に「真理」を意味する「emeth(エメト)」の起動コードを入力することで起動し、そして永続的に稼働し続ける。

 

(おれ)は自由な魔導書(まどうしょ)の閲覧を許され、早期に魔法を理解した。

土人形に魔法を扱うことができないことは早い段階で知れたが、仮に行使できていたならば今頃、(おれ)は量産されて兵器として運用されていただろうから、これはむしろ幸いとも取れるはずだ。

魔導書(まどうしょ)を貯えた(おれ)は次に、その内容を任意に人間側が引き出せるようになるための中継言語を習得する必要があった。

魔導書(まどうしょ)のことばと、私たちのことばの橋渡し。この世界にも存在したとされる神性言語。

それはすなわち、魂の疎通を可能とするバベル以前の統一言語の追求だった。

 

(おれ)はこの世界の言葉を拾い集める。

様々な大陸に眠る、断片的なエデンの記録を回収し始める。

悠久(ゆうきゅう)の時間を越え、無限の空間を経る、あてなき旅。

この世界には様々な文献があり、現実を写し身とする物語があり、私たちの魂を直接描写するための言葉があった。

この事業は数百年そこらでの完遂を目的としておらず、少なくとも千年はかかると見積もられている。

当然、(おれ)の身体もその単位での稼働を想定されて造られていた。

計画名は時代により変遷しているが、現在では|言語互換性および認知論的同期のための議定書《プロトコル・フォー・インターリンガル・エクスチェンジ・アンド・インテリジェント・エピステミック・シンクロナイゼーション》(Protocol for Interlingual eXchange and Intelligent Epistemic Synchronization) 通称「PIXIES(ピクシーズ) 計画」の名で扱われているはずだった。

 

ラビの研究所が滅び、事業が別の団体に引き継がれてからは、こうした「旅行」以外の特務も言い渡されるようになる。指示内容自体は様々だが、暴走した魔法使いやその結社の葬送が大半を占めた。無論、「暴走」の定義は歴史と共に移り変わり、指導者と共に移り変わる。

(おれ)は言葉を多く知っているが、善悪については何も知らず、それを判断することもまたできなかった。

それらは言葉が持つひとつの技巧に過ぎないと感じていたからで、今もこの見解は別段、変わっていない。

 

対魔法(アンチ・マジック)

 

(おれ)の構成要素の多くを占有する錬金は、魔法の流れを遮断する反魔導の機能を有する。

いつしか「魔法使い殺し」の異名を(おれ)は背負うようになった。

(おれ)は魔法の復興を願い、その法を久遠(くおん)に伝承していく役目を持ちながら、同胞を殺しその記録を燃やす、静かでゆるやかな魔法文明 of 滅亡にも力を貸していたのだった。

 

この世界で最後の魔法使い、「星落とし(ほしおとし)」の二つ名を持つ「紫髪の魔法使い(しはつのまほうつかい)」が、(おれ)の機能のほとんどを停止に追いやるまでは。

 

 

 

 

 

 

 

新の上着を脱がし、フリーレンは急場の止血作業を行う。

心臓から流れる血は漆のように黒い。

フリーレンもまたロープを脱ぎ、白いワンピースの裾を引きちぎって包帯の代わりにする。

消毒は必要かというフリーレン問いに、大丈夫だと新は応える。

人間だったら必要だろうけど、と続けた。

 

 

 

「なんとかなったね」

 

 

 

微笑むフリーレンに、新は息をつく。

生き残れたというべきなのかは、よく分からない。

 

人を殺す魔法(ゾルトラーク)はアガットの身体を貫通し、新の身体で無効化されて消失した。

 

なぜ新が説明していないにも関わらず、新の身体の「魔力の無効性」に気がついたのかと問えば、フリーレンは答えた。

 

 

 

「なんとなくだよ。もちろん、諸共と考えたわけではないよ。抱きかかえられている間、術式の運用に奇妙な乱れがあったから、試しに逃走中にいくつかの状態異常の魔法をアラタにかけていたんだ。見事に弾かれたから、もしかしてと思ってね」

 

 

 

必死の逃走のさなか、すぐ近くで味方にデバフをかけられていた事実に新は思わず笑ってしまう。

信用されていたというべきか、単に賭けの材料にされたというべきか。

 

 

 

「仮に推論が不十分だったとしても、ちゃんとアラタの方は致命傷にならないように撃ったよ」

 

 

 

フリーレンは釈明する。

 

新が身を挺してフリーレンを守らず、わざわざ抱きかかえて逃げた理由は単に、アガットの射撃が発射機構のみを魔法に置き換えた、鉄の弾による物理攻撃だったからに過ぎない。

 

ナイフが貫通したように、新の身体は純粋な力学的衝撃には耐性がない。

 

もし最初から炎魔法のみをアガットが用いていたら、決着はもっとシンプルだったかも知れないと新は思う。

 

 

 

「傷口から見えた」

 

 

 

フリーレンは呟く。

 

 

 

魔導書(まどうしょ)が」

 

 

 

「こういう展開で語ることになるとは思っていなかったな」

 

 

 

新は言う。もっと穏当な説明で、この「図書館」 と共に自分の出自を語るつもりだったのだと続ける。

 

 

 

「あなたは――ゴーレム」

 

 

 

魔導書(まどうしょ)によってエンハンスさせたゴーレムではなく、ゴーレムによってエンハンスさせた魔導書(まどうしょ)

 

その設計思想はフリーレンの世界には存在しないものだった。

 

アガットは驚いたはずだ。

 

魔力探知を遮る錬金の肉体の内側で、膨大な魔力を持つ魔導書(まどうしょ)が心臓の代わりとして駆動していた事実に。

 

 

 

「君の世界にも、ゴーレムが?」

 

 

 

フリーレンは頷く。

 

 

 

「千年以上も昔、私の師匠フランメ(大魔法使い)によって製造方法が確立されてからは、軍用、農作業用、御者用、執事用といったゴーレムが開発され続けている。プラグインは多様化しているし、一方でフランメが造ったゴーレムの中には今なお稼働し続けているものもある」

 

 

 

「俺は――四百年ほど前に作られたゴーレムだ。この世界の魔導書(まどうしょ)を解析するために造られた人形」

 

 

 

「違う」

 

 

 

フリーレンは首を横に振る。

 

 

 

「あなたは――魔導書(まどうしょ)。それだけではない。思考する魔導書(まどうしょ)――――」

 

 

 

新は頷く。

 

 

 

「その話は、明日にしようか。少し複雑だからな。一旦バンに戻ろうよ」

 

 

 

そう言って力が抜けたように笑うと、新はフリーレンに掌を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

車中に戻った二人に会話はなかった。

観測所に来る直前にも同様の沈黙はあったが、それとはまた事情が異なるように、新は感じた。

 

命のやり取りを経て、新は「紫髪の魔法使い(しはつのまほうつかい)」のことを思い出している。

彼女の言葉を、決意を、そして結末を。

 

フリーレンはしばらく窓の外に目を向けている。

思えば、車中で過ごす時間のほとんどを彼女はそうしていた。

窓に映る表情は相変わらず起伏に欠いていて、その内奥は新の目からでは今もなお見通すことができなかった。

 

まだ日は落ちたばかりだったが、観測所の駐車場に停めたまま、二人はその夜も車中泊することにした。

新は用意したスペースに横たわる。

自分の正体については多少明らかにできたが、戦闘騒ぎのせいで、フリーレンの帰還方法についてはまだ検討すらも行われていない。

瞼を瞑り、明日フリーレンに語らなければならない語り残したことのすべてを、意識が落ちるまで整理しようと思った。

 

ようやく少し微睡ん(まどろん)できたとき、胸に重みを感じ、新はゆっくりと瞼を開ける。

 

 

 

「アラタ」

 

 

 

そこにはフリーレンがいた。ほとんど馬乗りの姿勢で跨られていることは分かったが、明かりを消してしまったせいで表情はよく見えない。

 

夜目に慣れるよう何度か瞬きをすると、一糸も纏っていない姿のフリーレンが縁取られる。

なだらかな曲線と乳白色の印象は、「図書館」で見た穹窿(ヴォールト)をどこか連想させた。

 

思わず息を呑んだ新は訊ねる。

 

 

 

「大丈夫………………? フリーレン」

 

 

 

「大丈夫だよ。大丈夫」

 

 

 

フリーレンは微かに顎を引き、気のせいか、潤んでいるようにも見える瞳を二回、瞬かせる。

恐ろしいほどに澄んだ声音で言葉を紡ぐ。

 

 

 

「今日の感謝をしようと思った」

 

 

 

冗談、とフリーレンは続ける。

 

 

 

「昨夜の謝罪をしようと思った」

 

 

 

冗談、とフリーレンは続ける。

 

 

 

「アラタの孤独に、少しだけ寄り添ってみたくなった......」

 

 

 

かな、となぜか新に同意を求めるように言う。

 

 

 

「孤独には慣れているから、問題ないけどな」

 

 

 

心を落ち着かせた新は優しく言う。

 

 

 

「本当さ。妻のような存在にも逢えている。それに、千年生きたキミに比べれば......」

 

 

 

君の方がずっと孤独を感じてきたはずだ、と新は言う。

 

違うよ、とフリーレンは首を横に振る。

 

 

 

「そうではなくて、アラタの『旅』を覚えているものが、どこにもいないという孤独に」

 

 

 

「俺の『旅』………………」

 

 

 

フリーレンは新の頬に手を伸ばす。

 

 

 

「ヒンメルはね、魔王討伐後、自分たちよりも何倍も生きることになる私へ向けて、大陸の各地に銅像を建ててくれた。それが十年の旅の記録になり、軌跡になり、証拠になるようにと。どこか余計なお世話だと思っていたけれど、この世界にやってきて、ヒンメルの銅像や、仲間たちの痕跡がどこにもない事実に、恐ろしさを感じたんだ」

 

 

 

異世界の風景にはまるで目を留めず、ただひやすら窓の外に目を向けていたフリーレンの姿を新は思い出す。

 

その翡翠の瞳に映っていたものを、なんとか想像しようとする。

 

 

 

「私の旅を覚えている者がどこにもいないことが、怖くてたまらなくなった。多分、あのアガットですら遠からず似たようなことを感じていただろうと思う。死者が忘れ去られること自体は仕方のないことだけど、誰の記憶にも残らない世界に住むことは、生きながらにして死ぬようなものだと知った。道標がないんだ」

 

 

 

道標、と繰り返す新の口に、フリーレンは指を乗せる。

 

 

 

「アラタは、奥さんとの記憶が曖昧になってきていると私に言ったね。それはたぶん、道標がないからだ。この世界にはエルフや魔族のような長寿の種族が存在しない。アラタが四百年以上生きているという事実を、客観的に観測できる者はこの世界に存在しない。覚えてくれる人はみな、いつかは死んでしまって、道標はやがて廃れてしまう。私にはその孤独が分かる。ヒンメルが建ててくれた銅像が――道標がなければ、私も道に迷っていただろうから」

 

 

 

「フリーレン」

 

 

 

「だからアラタの孤独に、私も付き添ってみたくなった。大丈夫。アラタの四百年は、私が保障するよ。私は永久を生き抜いて、アラタの旅をいつまでも記憶する。だから安心していいよ」

 

 

 

フリーレンの顔が新に近づき、唇が冷たく重なる。

 

間を置いて、もう一度重なる。

 

軽い感電のような感触が肌に走り、新はフリーレンの身体を強く引き寄せる。

 

もつれる指で、新の衣服をフリーレンは解いていく。

銀の髪からは彼女がこの世界に来てから気に入っている珈琲の匂いが少しだけ香った。

きちんとシャワーを浴びていないせいで少し汗に濡れた肌が密着する。

エルフとゴーレム。

歪な生を生き続ける二人は、それでも可能な限りのハーモニーを形成しようと、忙しなく体位を入れ替え続けた。

 

 

 

「俺も、フリーレンのことを忘れないよ」

 

 

 

再びキスをする。

 

陶器のように冷たかったはずのフリーレンの身体は、すっかり熱を発していた。

チョコレートのように甘く、溶鉱炉のように熱い。

それはどこか、生命が断たれる寸前に似ていた。

高鳴りと静寂が渾然(こんぜん)と渦巻く一瞬に向けて、新はフリーレンの華奢(きゃしゃ)な身体を強く抱きしめた。

 

 

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