神様とかムカつくんで斬っていいですか?   作:一般通過小説好キー

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8話:旧時代の残滓、黒の咆哮

 快晴の青空の下で、僕たちは再びヘリに乗り込んだ。

 

 旧ロシア地区。

 連合軍作戦司令基地跡地。

 

 つい先ほどまで、そこは人類が旧時代の遺産に縋りつき、アラガミという名の絶望へ最後の一矢を報いようとした戦場だった。

 

 けれど、その結果は惨憺たるものだ。

 

 作戦は失敗。

 

 核融合炉は、爆発と共に正体不明の黒い触手によって捕食された。

 

 周囲一帯に集まっていたアラガミの群れは黒い触手に捕食されたとはいえ、全てが消えていなくなったわけではない。

 当然、周辺には捕食を逃れ、散り散りになったアラガミが残っている。

 

 僕たちに下された次の任務は、その残党狩りだった。

 

「まったく、酷い話だよなぁ」

 

 ヘリの座席に深く腰掛けたリンドウさんが、煙草を咥えたままぼやく。もちろん、ここは機内だから火は点いていない。咥えているだけだ。それでも彼は、いつもの調子で肩をすくめてみせた。

 

「死ぬ思いで爆発から生き残ったってのに、休む暇もなく掃除係だぜ? フェンリルってのは優秀な人材を酷使することに定評でもあんのかねぇ」

「任務中だ。口を慎め、リンドウ」

「へいへい、隊長殿は相変わらず真面目だねぇ」

「……作戦中に姉上と呼ばなくなった点だけは評価してやる」

「そりゃどうも」

 

 ツバキさんの呆れたような声と、リンドウさんの軽い返事、いつも通りのやり取りだ。

 そのはずなのに、機内に流れる空気はどこか重かった。

 

 無理もない。

 

 作戦本部の連中は、僕たちを囮のように使った。

 

 『羊飼い』なんて言葉で取り繕っていたけれど、結局のところ、アラガミごと核の爆発に巻き込むつもりだったのだろう。あのタイミングで軍が退避していたということは、少なくともこちらへまともな退避勧告を送るつもりはなかったということだ。

 

 僕たちは、生き残った。

 

 けれど、もし僕が思い出すのがあと数秒遅れていたら。

 もし、シールドの展開が間に合わなかったら。

 もし、あの黒い触手が核を捕食しなかったら。

 

 その先を想像すると、喉の奥がひゅっと狭くなる。

 

 リンドウさんも、ツバキさんも、ソーマも。

 結果的には原作通り、第一部隊は生き埋め程度ですんだけれど、僕がこの世界で手に入れてしまった大切な人たちが、あそこで消えていたかもしれない。

 

 ……いや、違うかな。

 

 手に入れてしまった、じゃない。

 

 大切に思ってしまった、だ。

 

 僕は本来、この世界にいてはいけない異物。物語の外側から来てしまった、歪な存在だ。

 

 だから、深く関わってはいけない。

 変えすぎてはいけない。

 

 救いたいと願っても、手を伸ばしすぎれば、その先にある未来を壊してしまうかもしれない。

 

 そう、考えていた。

 

 それなのに。

 

 今の僕は、もしあの場でリンドウさんたちが死んでいたら、なんて想像するだけで胃の奥がぐちゃぐちゃに掻き回される。

 

 嫌だった。

 失いたくなかった。

 こんなにも、どうしようもなく、この人たちのことが大好きだったから。

 

「……おい、凛」

「へっ?」

 

 不意に名前を呼ばれて、間の抜けた声が出た。

 顔を上げると、向かいに座るリンドウさんがこちらを見ていた。

 

「顔色、また悪くなってんぞ」

「え、そうですか? いやぁ、寒さで血色が悪く見えるだけじゃないです?」

「その言い訳、さっきも似たようなの聞いたな」

「へへっ、レパートリーが少ないもので」

「自覚あるなら増やせ」

 

 リンドウさんは小さく笑った。

 けれど、その目は笑っていない。

 

 心配してくれている。

 気遣ってくれている。

 そのことが分かってしまうから、余計に胸が痛くなる。

 

「凛」

 

 今度はツバキさんが口を開いた。

 その声音は、先ほどまでのリンドウさんを窘めていた時のものとは違う。隊長としての、冷静で鋭い声だ。

 

「これから周辺エリアに散ったアラガミの掃討を行う。作戦本部は壊滅状態だが、周辺のサテライト地点から避難民の報告が上がっている。残存アラガミがそちらへ流れれば、被害はさらに拡大する」

「……はい」

「我々は二手に分かれる。私とソーマ、リンドウと凛だ。各班、担当区域のアラガミを処理しつつ、避難民の安全確認を行う」

 

 ツバキさんの言葉に、ソーマは無言で頷いた。

 相変わらずフードを深く被っていて、表情は読みにくい。

 けれど、さっき僕を瓦礫の中から引っ張り上げてくれた時の手の温かさが、まだ腕に残っているような気がした。

 

「ソーマ、ツバキさんのこと頼んだよ」

「……お前に言われる筋合いはない」

「おぉ、頼もしい返事だねぇ。お姉さん、感動しちゃう」

「黙れ」

 

 不機嫌そうにそっぽを向くソーマ。

 その様子に、リンドウさんがくっくっと喉の奥で笑った。

 

「仲いいなお前ら」

「えー、僕今のところかなり塩対応されているんですけれど?」

「いやぁ、俺にはそう見えるねぇ」

「見えてる世界が独特すぎる……」

 

 軽口。

 ほんの少しだけ、機内の空気が和らぐ。

 

 リンドウさんは、きっとわざとだ。

 僕たちがさっきの作戦で受けたものを、少しでも別の形に変えようとしてくれている。

 恐怖とか、怒りとか、疑念とか……そういうぐちゃぐちゃしたものを、軽口の中に溶かして、飲み込みやすくしてくれている。

 

 この人は、本当にずるい。こういうことを、自然にやってしまう。

 

 だから、頼りたくなる。

 だから、甘えたくなる。

 だから、危ないんだ。

 

「……」

 

 僕は膝の上で、ぎゅっと手を握りしめた。

 爪が掌に食い込んで痛い。痛いけれど、その痛みが、少しだけ思考を現実へ引き戻してくれた。

 

 その時、ヘリの通信機にノイズが走った。

 

『こちら第三中継サテライト……聞こえるか……! 周辺にアラガミ多数……避難誘導中……!』

 

 掠れた男の声。

 激しいノイズの向こうで、悲鳴と怒号が混じっている。

 

 ツバキさんが即座に通信を繋ぐ。

 

「こちらフェンリル極東支部、雨宮ツバキだ。状況を報告しろ」

『た、助かった……! 現在、拠点外周にアラガミが接近中! 住民は地下シェルターへ避難済み……の、はずだったんですが……!』

「何があった」

『子供が一人、見当たりません! 避難前に、家の中でかくれんぼをしていたらしく……両親が静止を振り切って探しに出ました! こちらも捜索隊を出したいのですが、外周防衛で手が回りません! お願いします、救助を……!』

 

 子供が一人。

 かくれんぼ。

 両親が探しに出た。

 その言葉が、耳に入った瞬間だった。

 

 

 ──世界が、軋んだ。

 

 

「……ぁ」

 

 頭の奥に、鈍い痛みが走る。

 視界の端が白く霞む。

 

 

ー ――

 幼い笑い声。

― ―― ―   ー ー

 楽し気な女の子の声。

   ―― ー  ――

 明るくて、無邪気で。 何も知らない子供の声。

―― ー   ー

 クローゼット。 狭い隙間。 暗闇の中で息を潜める、小さな少女。

           ―――― ―    ―――

 避難の声は届かない。 外で何が起きているのかも分からない。

―― ー   ー

 ただ、両親に見つけてもらえるのを待っている。

  ―  ――  ―― ―――

 『もうーいいーかーい』  『まぁだだよー』

―― ー  ――

 そして。 黒い影。 音もなく忍び寄る、獣のようで獣ではない何か。

  ― ――      ―

 巨大な口。 喰われる両親。 血の色。 叫び声。

― ―― ―   ー ー

 少女の心に刻み込まれる、消えない傷。

――        ――

 アリサ・イリーニチナ・アミエーラ。

ー ――

 

 

 その名前が、脳裏に焼き付いた。

 

(……アリサ)

 

 まただ。

 

 また、思い出してしまった。

 

 『アリサ・イン・アンダーワールド』。

 

 僕が前世で読んだ、彼女の過去を綴る物語。

 

 幼いアリサは、避難指示が出ていることも知らずにクローゼットに隠れていた。いつ両親が見つけてくれるかなと、ワクワクしながら待っていた。

 彼女は楽しかったんだ。楽しかったから、外がうるさいことも忘れ、両親が捜してくれるのをじっと待っていた。

 

 暫くして両親は娘を探しに戻ってきた。楽しそうではない。鬼気迫る声で必死にアリサの名前を呼ぶ。けれどアリサには届かない。

 

 そして、突如現れた黒いアラガミに跡形もなく喰われてしまう。

 

 アリサは、その光景を隙間から見てしまう。

 

 リンドウさんは現場へ急行し、黒いアラガミを撃退するも、凄惨な現場に生存者はいないと判断し、クローゼットに隠れたアリサには気づけなかった。そしてアリサは夢うつつの中、去っていく人影を見る。

 

 これら一連の流れはアリサに消えないトラウマを与える。そしてそれをメンタルカウンセラーとして主治医になる大車ダイゴに利用される洗脳の楔になる。

 その果てに起きるのが、2071年でのリンドウさん暗殺未遂。リンドウさんは腕輪を負傷し、KIA判定を受け、第一部隊は深い悲しみに沈む。

 

 知っている。

 僕は、その流れを知っている。

 今まで思い出せなかった重大な何かのうちのそれら。

 

 それが今、目の前に突きつけられた。

 

「……凛?」

 

 リンドウさんの声が聞こえる。

 けれど、すぐには返事ができなかった。

 

 呼吸が浅い。

 胸の奥が痛い。

 

 なんだってこんな直前に……もっと前もって思い出せていたら準備だってなんだってできたはずなのに!

 

 まただ。

 また、僕は選ばなければならない。

 

 物語を守るのか。

 それとも、自分の感情を優先し目の前の人を救うのか。

 

 原作の流れを壊してはいけない、そう思っていた。

 僕はこの世界の外から来た異物で、だからこそ、できる限り余計な干渉はしない方がいい。

 

 それはきっと正しい。

 

 でも。

 でも、じゃあ。

 あの子を見捨てるのか?

 

 何も知らずに、クローゼットの中で両親を待っている幼いアリサを。

 両親が目の前で喰われる瞬間を、ただ見ているしかないあの子を。

 リンドウさんが、自分では救えなかったと後に苦しむ未来を。

 ツバキさんが、弟の死を知らされる未来を。

 サクヤさんが、帰らない人を待って塞ぎ込む未来を。

 

 僕は、知っていて、黙っているのか?

 

「……っ」

 

 そんなの。

 そんなの、できるわけがない。

 だって僕は、知ってしまっている。

 

 絶望の底で誰かの手を待つことが、どれほど怖いのか。

 自分の名前すら壊されかけた場所で、たった一つの温もりに縋ることが、どれほど救いになるのか。

 

 僕には一心がいた。

 

 あの地獄みたいな研究所から、僕を人間に戻してくれた人がいた。言葉は少なかった。優しくもなかった。けれど、僕を凛として扱ってくれた。

 一心を失った後も、リンドウさんとツバキさんがいた。榊ぱっぱがいた。不器用で、少し距離感がおかしくて、それでも僕をこの場所へ繋ぎ止めてくれた人たちがいた。

 

 だから僕は、今ここにいる。

 

 なら。

 

 同じ絶望を、あの子に味わわせていい理由なんて、どこにもない。

 

──イイノ?

 

 頭の奥で、声がする。

 

──カエチャウヨ?

 

 うるさい。

 

──モノガタリ、コワレルヨ?

 

 うるさい。

 

──ソレデモ、タスケル?

 

 僕は、ゆっくり息を吸った。

 

 冷たい機内の空気が肺を満たす。震えていた指先が、少しずつ止まっていく。

 答えなんて、本当は最初から決まっていた。

 

 僕はヒーローじゃない。

 

 物語の主人公でもない。

 

 綺麗な正義を掲げられるほど、強くもない。

 

 でも。

 

 助けられるかもしれない子供を、見捨てられるほどには、まだ化け物になりきれていない。

 

「……ツバキさん」

 

 自分でも驚くほど、低い声が出た。

 

「そのサテライト地点へ向かってください。急いで」

「……当然だ。救助を優先する」

 

 ツバキさんが頷く。

 リンドウさんは、僕の顔をじっと見ていた。

 

 たぶん、今の僕はいつもの僕じゃない。

 明るくて、調子が良くて、少し生意気な後輩の顔――僕は仮面を被らずに、明確に自分の意志で、物語を壊してでもアリサを救うことを覚悟したから。

 

「凛」

「はい」

「何か知ってんのか?」

 

 一瞬、呼吸が止まった。

 リンドウさんの瞳は、いつもよりずっと真剣だった。軽薄そうな笑みはない。ただ、僕を案じる先輩の目で、こちらを見ている。

 

 嘘を吐くのは、苦手だ。

 でも、本当のことは言えない。

 

「……嫌な、予感がするんです」

 

 だから、半分だけ本当のことを言った。

 

「こういう時の嫌な予感、僕、外したことないので」

「……そうかよ」

 

 リンドウさんは、それ以上追及しなかった。きっと納得はしていないと思う。けれど、リンドウさんは僕を信じてくれている。

 咥えていた火の点いていない煙草を胸ポケットにしまい、代わりに神機のグリップへ手を伸ばした。

 

「なら、急ぐしかねぇな」

 

 ヘリが進路を変える。

 窓の外に、吹雪に霞むサテライト拠点が見えてきた。

 

 そのサテライトは、僕が思っていたよりも大きかった。

 旧ロシア地区の極寒に耐えるためなのだろう。建物は低く、分厚く、どこか要塞じみた作りをしている。

 周囲には簡易的な防壁と監視塔。けれど、その防壁の一部はすでに破壊され、黒い煙が空へ伸びていた。

 

 比較的綺麗な街並みだったのだと思う。

 

 雪に覆われた道。

 規則正しく並ぶ集合住宅。

 小さな広場には、子供が遊ぶためのものだろう、錆びついた遊具が残っている。

 

 それらが、アラガミの足跡と血痕によって踏みにじられていた。

 

 ヘリから降りた瞬間、冷たい空気が肺を刺した。

 けれど、そんなものを気にしている余裕はない。

 

「状況は!」

 

 ツバキさんが現地の兵士に声を飛ばす。

 兵士は顔を青ざめさせながら、震える指で端末の地図を示した。

 

「アラガミは外周部と居住区に分散しています! 避難民は地下シェルターに収容済みですが、先ほどの通信通り、少女一名が未確認! 両親も捜索のため居住区方面へ……!」

「名前は」

「アリサ! アリサ・アミエーラです!」

 

 その名を聞いた瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。

 

 やっぱり。

 

 ここだ。

 

 ここが、アリサの地獄になる場所だ。

 

「ツバキさん」

 

 僕は地図を覗き込む。

 記憶の中の描写と、目の前の地図を必死に照合する。

 

 完全ではない。

 

 細かい建物の配置までは覚えていないし、何だったら詳細な描写自体もあまりなかったはず。

 けれど、断片はある。

 

 住宅街。

 クローゼット。

 

 とても頼りない断片たちだ。でも、こんなご時世だ。人が住める場所なんてこの近辺でも限られているはず。

 

「捜索範囲を分けましょう。班分けは……元々の作戦通り、ツバキさんとソーマで、お二人は外周側のアラガミを抑えてください。そっちを抜かれるとシェルターが危ない。僕とリンドウさんで居住区側を捜索します」

「凛、お前……」

「居住区は建物が多いです。僕の能力を使えばアラガミの気配がわかりますし……多分やろうと思えば人の気配も拾えます。なので、リンドウさんと二人なら、救助と戦闘を同時にできます」

 

 言葉がすらすらと出てくる。

 

 自分でも驚くくらいに。

 

 たぶん、余計な感情を置き去りにしているからだ。

 焦りも恐怖も、全部胸の奥へ押し込めて、必要なことだけを口にしている。

 

 ツバキさんは一瞬だけ僕を見つめた。

 その視線は鋭い。 まるで、僕の内側に隠しているものを見透かそうとしているようだった。

 

 けれど、今は時間がない。

 

「……わかった。リンドウ、凛を頼む」

「あいよ」

「ソーマ、行くぞ」

「……了解」

 

 ソーマがこちらをちらりと見た。

 何か言いたげな目だったけれど、彼は何も言わず、ツバキさんの後を追って外周側へ駆け出した。

 

 僕もすぐに居住区へ向かおうとする。

 その腕を、リンドウさんが掴んだ。

 

「凛」

「……はい」

 

 振り返る。

 リンドウさんは、いつになく険しい顔をしていた。

 

「体調悪いなら、ここで戻ってもいい」

「え?」

「お前、旧ロシア行きが決まってからずっと変だ。寝てねぇのもそうだし、さっきから顔が死人みたいになってる」

「失礼ですね。僕、まだぴちぴちの十二歳ですよ」

「冗談言えるならまだマシか?」

「……そういうことにしてください」

 

 笑ってみせる。

 けれど、リンドウさんは笑わなかった。

 手首を掴む力が、少しだけ強くなる。痛いほどではない。けれど、絶対に一人で行かせないという意思が伝わってくる。

 

「……本当に大丈夫か」

 

 その声は、あまりにも優しかった。

 

 だから、胸の奥が痛くなる。

 今すぐ全部話してしまいたくなる。

 

 僕は未来を知っているんです。

 この先、あなたはアリサに撃たれることになるんです。

 腕輪を壊されて、KIA扱いされて、皆が悲しむんです。

 だから、僕はその原因を断ちたいんです。

 

 そんなことを言えたら、どれだけ楽だろう。

 

 でも、言えない。

 言ってはいけない。

 だから僕は、掴まれた腕をそっと外した。

 

「大丈夫です」

 

 その言葉に、嘘はない。

 

「僕は、助けたいんです」

 

 これも、本当だ。

 

「行きましょう、リンドウさん。たぶん、あまり時間がありません」

 

 リンドウさんは、僕の顔をじっと見ていた。その瞳の奥に、迷いが揺れる。

 

 僕を止めるべきか。

 それとも、信じるべきか。

 

 きっと一瞬の間に、彼の中で色々な考えが巡ったのだと思う。

 

 やがて、リンドウさんは大きく息を吐いた。

 

「……わかった。ただし、条件がある」

「条件?」

「何かあったら必ず言え。絶対に一人で突っ走るな。いいな? 必ずだぞ」

「もう、わかってますよっ! このくだり、何回目ですか!」

 

 いつもの調子で返す。

 困ったように笑って。

 少しだけ頬を膨らませて。

 

 けれど、リンドウさんの眉間の皺は消えなかった。

 

「……その返事が一番信用ならねぇんだよなぁ」

「ひどいっ!」

「日頃の行いだ」

 

 軽口を交わしながら、僕たちは居住区へ走り出す。

 

 雪を踏み砕く音。

 

 遠くで響くアラガミの咆哮。

 

 壊れた建物から漏れる、火花の散る音。

 

 僕は意図的にユーバーセンスを広げる。

 結局、地図だけじゃ判断なんてできない。だから僕の持つ能力を最大限発揮して捜すしかない。

 

 「……っ」

 

 少しだけ頭の奥に鈍痛が奔るも、いつも見る世界が、少しだけ違う形で見えてくる。

 

 アラガミの気配は、黒く濁った飢えとして。

 人の気配は、震える熱として。

 

 いくつかの小さな反応がある。

 それが生きている人間なのか、残された熱の残滓なのかまでは曖昧だ。

 

 でも。

 

 奥にいる。

 

 居住区のさらに奥。

 

 雪に半ば埋もれた住宅の密集地。

 

 そこに、ひどく小さな熱が一つと、その周辺に少し大きな熱が二つ。

 

 そして、その近くに。

 

 とても嫌な飢えが、蠢いている。

 

「……リンドウさん」

「見つけたか?」

「たぶん。奥です」

 

 僕は短く答えて、速度を上げる。

 

「おい、先に行きすぎんな!」

「わかってます!」

 

 独断先行が良くないことだっているのはわかっている。

 でも、足は止まらないし、止めるわけにいかないんだ。

 

 雪の積もった路地を駆け抜ける。

 

 角を曲がったところで、オウガテイルが一体飛び出してきた。

 

「邪魔っ!」

 

 僕は神機を振りぬく。

 

 抜刀一閃。

 

 足を止めることなく首を落とし、さらに奥へ。

 

 視界の隅に、倒れた兵士の姿が映る。血を吐いたまま、雪の上に横たわっていて、その灯は既に消えかかっている。

 

 助けられない。

 

 今は、まだ助けられるかもしれない子を探す。

 

 命を選別するなんて最低なことだけど、そうしなければ、全部が零れ落ちる。

 

「凛!」

 

 後ろからリンドウさんの声。

 わかっているこの先に邪魔者が一体いることを。

 

 ボルグ・カムラン。

 しかもこんなくっそ狭い通路で、だ。

 倒すにしても動きが制限されるしこの時間が無い中で一瞬で仕留めるのは難しい。

 

 僕がどうするか僅かに逡巡したところで、リンドウさんが前に出る。

 そして前足、胴体、顔面と決定打にはならないも、無視できないほどの猛攻を加える。

 

「ったく! いいか! こいつは俺がやる! この先なんだろ! 先に行け!!」

 

 ボルグ・カムランはそんなリンドウさんのことが目障りなのか、すっかり夢中で僕のことは眼中になさそうだ。おかげでその巨体の僅かな隙間、そこへ体をねじ込み、再び、走る。

 

 ありがとう、リンドウさん。

 きっと僕だけだったら、ここを抜けるのには少し時間が掛かったかもしれない。

 

 心の中でリンドウさんへの感謝をし、僕は全力で走る。

 

 間に合え。

 

 間に合ってくれ。

 

 住宅街の奥。

 

 既に家は半壊し、残っているのは僅かな面影だけ。

 

 しかし、中に人がいるのはわかる、わかるが。

 そこには人だけではない、アラガミも存在している――しかも飛び切り凶悪なやつが。

 

 腹の底まで震わせるような、咆哮と人の悲鳴。

 

 それと同時に、人の気配が、減った。

 

「くそっ!!」

 

 間に合わなかった?!

 

 いや。

 でも、まだだ。

 まだ、全部終わったわけじゃない。

 

 僅かに人の気配がする。

 

 辛うじて壁を成している外壁を回り込み、その黒い気配の元へ飛び込む。

 

 

 

 充満するのは濃い血の臭い。

 

 悍ましい何かを食む咀嚼音。

 

 どこかで、見た、その黒い影。

 

 

 

 黒い影の正体、その姿を見た時、()()は息をするのも忘れてしまった。

 

 真っ黒な体躯に黄金のマント。

 邪悪さを感じる赤の瞳と醜悪な人面。

 赤黒く濡れた豊かな白髭。

 

 そして、僅かに欠けた角。

 

 

 

 ボクの中で、あの日の映像が、こいつと重なる。

 

 

 

 どうりで、どうりで極東では見つからないわけだ。

 

 

 

 だって、ボクたちが捜していたヤツはここにいたんだから。

 

 

 

 「あ、あぁ……お前……お前ぇぇええええええええええ!!!!!」

 

 ボクは裂帛の咆哮を上げながら、ディアウス・ピターの眼前へ飛び込む。

 そして、生臭い最低な臭いを巻き散らす顔面めがけて神機を振るう。

 

 流石に硬いが、顔面を割られ、野太い悲鳴を上げる。

 

 あぁ、痛いよな。

 だって切断武器による弱点は顔面だもんな。

 でも、こんなもんで済ませてなるものか。

 

 次に、斬った勢いを利用して右前脚、左前脚と連撃を加えていく。

 

 結合崩壊前の前脚はまだ硬い。切断属性による攻撃は有効打にはならない。けれど、ここは現実だ。過剰な攻撃は属性の不一致だろうと結合崩壊させるに至ることができる――それをこの数年で学んだ。

 

 それに、少しでも痛みを感じてもらわないと、ボクの中の炎を消すことなんてできやしない。

 

 けれど、ヤツは後に『帝王』の名で呼ばれることになるアラガミだ。

 その意地なのか、全身のオラクル細胞を活性化させ、その堅牢な肌をより硬質化させた。

 

「ちっ……」

 

 ディアウス・ピターの厄介な能力だ。

 

 けれど、好都合。

 

「お前は楽に殺してなんてやらない……その全身、くまなく刻んでやるよ」

 

 ボクは神機の切っ先を向ける。

 

 次の瞬間。

 

 黒の咆哮が、家ごと世界を震わせた。

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