神様とかムカつくんで斬っていいですか? 作:一般通過小説好キー
2070年。
極東支部の朝は、相変わらず慌ただしい。
食堂では任務前の神機使いたちが慌ただしく朝食を掻き込み、整備班は夜通し調整していた神機の最終チェックに追われ、オペレーター室では今日一日の任務割り振りが慌ただしく更新されていく。壁の外ではアラガミが今日も飢えていて、壁の内側では人間たちが今日も生きようとしている。
何年経っても、そこは変わらない。
変わったものがあるとすれば、顔ぶれくらいだろうか。
ジーナさんはすっかり極東支部の狙撃手として馴染み、カレルさんは相変わらず報酬や物資の話にしか興味がない。シュンさんは今日もどこかで調子に乗って怒られているし、ブレンダンさんは黙々と装備を確認している。ヒバリさんのオペレーションも、最初の頃にあった硬さが少しずつ抜け、今では任務中に聞こえる声の一つとして自然に耳へ馴染むようになっていた。
去年から支部に加わったエリックさんも、今ではすっかりその騒がしさの一部になっている。
エリック・デア=フォーゲルヴァイデ。
初めてその名前をNornの隊員一覧で見た時、僕はしばらく画面を見つめたまま固まってしまった。いつか来ることは分かっていた。けれど、実際にその名前が極東支部の中に並ぶと、ついに来てしまったのだと実感が湧いてくる。
原作開始時点で、ソーマの数少ない友人と言えた人。
軽くて、少し芝居がかっていて、ちょっと上から目線だけれど、ソーマに対して遠慮のなさを持っていた人。周囲がソーマを腫れ物のように扱う中で、彼は当たり前みたいに話しかけ、当たり前みたいに隣に立とうとしていた。
そして、原作では、あっけなく死んでしまう人。
その事実を思い出すたび、僕はエリックさんの笑顔を真っ直ぐ見られなくなる。
「やあ、噂の『白姫』のエース殿。今日も華麗な戦績に感服するよ」
「……その呼び方、恥ずかしいんですけど」
「二つ名とはハッキリとわかるものが望ましいからね。君に一番ピッタリな二つ名だと思っているよ」
「ちなみに、その呼び方してるのエリックさんくらいだよ」
「おや? どうやら周りの人間は随分とセンスがないようだ。僕を見習ってもらいたいものだね」
そんなふうに笑う彼は、僕が知っているよりずっと感じのいい人だった。きざったらしいところはあるけれど、決して人を不快にさせるものじゃないし、何より、周りの人間を大切にしているのがよく伝わってくる。
当たり前だけれど、彼は死亡イベントのために存在しているキャラクターなんかじゃない。目の前で喋って、笑って、時々しょうもない見栄を張って、ソーマに絡んでは鬱陶しそうな顔をされている、一人の人間だ。
そんな人間味のある人だから、より助けたいと思ってしまう。
ソーマのために。
エリックさん自身のために。
そして、目の前でまた
同じ頃、整備班には橘リッカさんも加わっていた。
明るくて、手際が良くて、神機を見る時の目がとても真剣な人だ。初めて僕の神機を見た時には、「うわ、何この子、癖強っ」と素直すぎる感想を漏らしていた。
「そうなんですか?」
「強いよー。持ち主に似たのかな」
「へぇ……って、あれ? それって僕のこと癖強いって言ってません?」
「自覚ないんだ……」
まさかそんなわけ……と周りを見ると、その場にいた整備班の数人が、なぜか一斉に目を逸らした。
解せぬ。
けれど、リッカさんが整備してくれる神機は、不思議とよく手に馴染んだ。明るく雑談をしながらも、彼女は神機の状態を細かく見ている。刃の噛み合わせ、変形機構の癖、オラクル細胞の反応。そういうものを一つ一つ拾い上げて、次の任務で少しでも僕たちが生き残れるように調整してくれる。
今ではこのアナグラにいなくてはならない、神機使いの心臓ともいうべき人材だろう。
また、名前が増えた。
ソーマの隣に立つ人が増えてくれた。
僕たちの神機を支えてくれる人が増えた。
それは本来、喜ばしいことのはずなのに、エリックさんとの日々が蓄積していくたびに、心のどこかで数えてしまう。
あの人が死ぬはずの日まで、あと少し。
サクヤさんは神機使いとしてメキメキと頭角を現し、今ではリンドウさん率いる第一部隊のサブリーダーとして頑張っていてくれる。
神機使いとしての経歴だけで言えば僕やソーマがサブリーダーになってもおかしくはないのだけれど、まぁ……僕もソーマも人の上に立つような人間じゃないしね。それに、サクヤさんも僕たちよりも年上ってことで気を遣ってくれたのかも。
ともかく、サクヤさんがサブリーダーになることは全員了承済みで、実際にサクヤさんのサポートは凄く動きやすいから適任だと思う。
ツバキさんは現場指揮官として僕たちの背中を見てくれている。リンドウさんはリーダーに就任してからも、相変わらず煙草を咥えているし、ソーマも無愛想なのは変わらずだけど、舌打ちされることはなくなった。何より僕が話しかければ返事をし、たまには自分から声を掛けてくれる時もある。あ、これ一番の収穫ね。毎回どんな話をしてくれるのか、ちょっと楽しみなんだ。
最近じゃそこにエリックさんも入ってきてるから、本当、賑やかになった気がする。
変わっていないようで、少しずつ変わっている──そう思える日常が、確かにあった。
だからこそ、僕は時々忘れそうになる。
この世界が、僕の知っている物語へ向かっているということを。
忘れそうになるだけで、忘れられるわけではないけれど。
その日、僕は榊ぱっぱの研究室に呼び出されていた。
「凛君、ロシア支部から届いた資料に目を通しておいてくれるかな」
榊ぱっぱはそう言って、端末にいくつかのデータを転送してくれた。内容はロシア支部所属の神機使いに関する適合率と、最近確認されたアラガミの活動傾向。それ自体は珍しいものではない。各支部間で情報共有が行われることはよくあるし、旧ロシアでの一件以降、僕はロシア支部関連の資料にもそれなりに目を通すようにしていた。
だから、いつものように軽く確認するつもりだった。
椅子に腰掛け、端末を開き、表示された一覧をスクロールしていく。
所属部隊。
適合率。
使用神機。
訓練記録。
直近の任務参加状況。
数字と文字が規則正しく並ぶ画面を流し見していた僕の指が、ある名前のところで止まった。
アリサ・イリーニチナ・アミエーラ。
ロシア支部所属、
その名前を見た瞬間、息を止めてしまった。
あの時、僕はディアウス・ピターを仕留められなかった。父さんの仇を逃した。そして、何より、アリサの両親を救うこともできなかった。結局、物語の大きな流れを変えることはできなかった。
あの日、僕が選んだことに意味がなかったのかもしれない。元々はリンドウさんがアリサを救うはずだったから。
それでも、あの状況の中、確かにアリサという少女の命を繋ぐことはできた、そう思いたかった。
「……神機使い、か」
小さく呟く。
資料によれば、アリサはすでにロシア支部で正式に神機使いとして活動しているらしい。訓練成績は優秀。適合率も高い。まだ若いが、実戦投入も始まっている。添付された短い映像では、白い髪を揺らしながら、彼女が神機を構えていた。
ゲームで見た姿に近づいている。
そのことが、嬉しくて、そして、怖かった。
彼女が生きていることは嬉しい。あの雪の中で終わらなかった命が、今も確かに前へ進んでいる。それは間違いなく喜ぶべきことだ。
けれど同時に、彼女が神機使いになったという事実は、物語がまだ原作の流れに沿っている証拠でもあった。
僕が介入しても、アリサは両親を失った。
僕が助けても、彼女は神機使いになった。
僕がどれだけ暴れても、ディアウス・ピターは逃げ延び、今もどこかで生きている。
もちろん、変わったものはある。でも、変わらなかったものの方が、ずっと大きい。
端末の画面に映るアリサは、凛とした表情をしていた。以前の泣き顔とは違う。強くあろうとしている顔だった。きっと彼女もまた、何かを抱えている。怒りも、悲しみも、復讐心も、そしてそれを押し殺すための強さも。
僕はその顔から目を逸らせなかった。
──ゴメン ナサイ。
胸の内側で、小さな声が落ちる。
こんなところで謝ったって、なんの意味もない。
彼女は僕に謝ってほしいわけじゃないだろうし、そもそも僕が謝る資格があるのかも分からない。僕はアリサを救った側の人間であり、同時に両親を救えなかった側の人間でもある。あの日の僕が彼女にとって何なのか、僕には分からない。
それでも、謝らずにはいられなかった。
しばらく画面を見つめていると、背後から榊ぱっぱの声がした。
「気になるかい?」
「……少し、だけ」
振り返らずに答える。
榊ぱっぱは、何も言わずに隣の椅子へ腰を下ろした。いつもなら寝不足だとか、研究が詰まってるだとか、どうでもいいことをふにゃふにゃと喋り始めるのに、その時だけは妙に静かだった。
「彼女は強いよ。君が助けた命は、ちゃんと今も生きている」
「……そう、ですね」
確かに命は救えた。しかし、それで「はい、おしまい」ではない。この後にも、アリサが辿る道には多くの困難が待ち受けているんだ。それを思えば素直に頷く事なんてできない。
アリサの次の試練、それは同じ部隊に所属する一人の少女の喪失だ。
オレーシャ・ユーリエヴナ・バザロヴァ。
両親を失いふさぎ込んでいたアリサを光の元に引きずり出す、太陽みたいな少女だ。正確にはオレーシャとその姉であるリディアによって、アリサは前向きさを取り戻しつつあるのだけれど、主治医である大車が裏で暗躍し、オレーシャの命を奪う。
しかも、オレーシャはアリサの両親同様に、アリサの目の前でヴァジュラによって全身を平らげられてしまう。
そして精神がどん底に落ちたところで、大車がそれを利用し洗脳をより強固なものに施していく。
これを14歳程度の少女に行うなんて、人のやることなんかじゃない。
そして、僕はその悲劇的で絶望的な未来を知っている。
実際にさっき確認した資料の中には『オレーシャ』の名前があったし、アリサの主治医は『大車』のままだった。
つまり何も変わっていない。
僕は拳を握りしめる。
両親は助けられなかったけれど、もう彼女にそんな苦しみも絶望も持って欲しくない。この世界では彼女との繋がりなんてたいしてなく、ハッキリ言って他人と変わらない。けれど、僕にとって『憧れ』の一人であり、そしてこの世界で確かに生きる一人の少女として何とかしてあげたい。けれど、僕がロシアに行ってどうにかすることもできない。かといって榊ぱっぱに『未来』を話したとして信じてもらえるとも思えない。
……いや、案外信じてもらえるのかもしれないけれど、そのためには僕の秘密を全て明かさなければならない。
それに何より、下手に変えれば、もっと悪い未来へ転がるかもしれないんだ。大きな行動を起こすのはあまりにも恐ろし過ぎる。
「凛君」
榊ぱっぱの声が、少しだけ低くなる。
「君は、全部を背負わなくていいんだよ」
「……僕、そんな顔してました?」
「してたねぇ。研究者としても、父親としても、見逃せないくらいには」
父親。
その言葉に、胸の奥が少しだけ痛んだ。
榊ぱっぱは僕の本当の父親じゃない。初めの方なんかは、保護者と言いつつ、研究対象を見る側面の方が強くて、よく色々な実験に付き合わされた。
けれど、この世界で僕を保護し、居場所をくれた。5年という長い時間の中で、徐々にその関係性は変化していき、ついには自分で『父親』を名乗るようになったし、『僕』の資料なんかには、必ず『榊』って苗字を付けてくれるようになった。
時に甘やかし、時に無茶を止めてくれる──だからだろうか、僕は彼を冗談めかしてぱっぱと呼んでいるけれど、その言葉には自分でも思っている以上に甘えが混じっている。
その事実に気づくたび、少しだけ怖くなる。
僕は、この世界の住人じゃない。
この世界にとって、僕は部外者だ。元々存在していなかったはずの異物だ。物語の外から入り込んで、登場人物たちの人生に触れて、勝手に救いたいだの、変えたいだのと思っている。多くの人が好んだ原作を私物化してめちゃくちゃにしようとしているメアリー・スーだ。
そんな僕が、誰かに父親のようなものを求めていいのだろうか。
幸せになっていいのだろうか。
そう思った瞬間、喉の奥に何かが突っかかったように詰まる。
「……大丈夫ですよ、ぱっぱ。僕、そんなに背負ってませんから」
嘘だ。
自分でも分かるくらい、下手な嘘だった。
榊ぱっぱも当然気づいていただろう。それでも、彼は深く踏み込まず理由も聞いてこない。ただ、困ったように笑って、僕の頭にぽんと手を置く。
「君は本当に、嘘が下手になったねぇ」
「えぇ、う、嘘……なんて、言ってない……です、よ?」
「はっはっは! 随分とぎこちないねぇ。だけど、そうだね。無理はしてほしくないってことには間違いないよ。君の姿を見ていると時折心配で仕方なくなることがあるんだ」
「それは……研究対象的な意味ですか?」
「もちろん、それもある! が、うーん、言語化するのが難しいんだけれどね。研究とは関係なしに、君には心の底から笑えるようになって欲しい、そう思っているんだ」
その言葉に、何も返せなかった。
この世界に生きる人からそんな風に思ってもらえて言葉にしてもらえること、それはたぶん幸せなことなのだろう。
けれど、幸せだと思えば思うほど、僕の胸の奥で透明な棘が刺さる。その鈍痛は増していくばかりだった。
「まっ、とにかく凛君を心配して見てくれる人はたくさんいる。それだけでも覚えておいて欲しいね」
「あ、はは……そう、ですね」
僕もバカじゃない。周りの人が僕をどう見ているのか何となくわかっている。わかってしまうからより辛いんだ。
榊ぱっぱは「さて! 実は三轍目でねぇ! 少しだけ仮眠をとらせてもらうよ」と言うと、そのまま椅子の背もたれを倒し、すぐに寝息を立て始めた。
……明るく疲れなんて微塵も感じさせない話しぶりだけれど、本当はかなり疲れていたんだろう。この情報の内容も僕なんかのために貴重な睡眠時間も削って入手してくれたんだろう。榊さん、貴方は十分親バカだよ。
僕の中の不安も恐怖も葛藤も、なにも解決はしていない。ぱっぱが言ってくれたように、背負い過ぎてもいけないのだろうけれど、やっぱりどうしてもアリサのことは気になってしまう。
「……せめて、情報だけでも」
本当は僕が向こうに行ってヴァジュラでもなんでも、脅威となり得るアラガミを狩ってしまえばいい。けれど、現実そこまでフットワーク軽く気軽に移動なんてできやしない。
現地に行かず、かつ大車やシックザール支部長を出し抜く方法……まぁ、そんな都合の良い方法なんて浮かばないから。
だから、ハルさんの時と同じだ。
僕はNornのメールフォームを起動した。
一方、エイジス計画については、順調に進んでいるらしかった。
少なくとも、公開されている情報の上では。
海上に浮かぶ巨大な人工島。人類の新たな希望。アラガミの脅威から隔絶された、未来の箱舟。そういう言葉が、Nornのニュースにも、支部内の会話にも、当たり前のように混じるようになっていた。
壁の外に暮らす人たちにとって、それは本当に希望なのだと思う。
アラガミに怯えず眠れる場所。
子供たちが、外の咆哮に泣かなくていい場所。
今日食べるものと、明日生きているかを同時に心配しなくていい場所。
もし本当にそんな場所ができるなら、それはきっと素晴らしいことだ。
だから、僕は何度も思う。
何も知らなければ、どれだけよかっただろう、と。
エイジスの名前を聞くたびに、胸の内側から熱が奪われていく。ヨハネス・フォン・シックザールという名前を見るたびに、指先がわずかに強張る。
あの人は悪人といって間違いない人だ。ゴッドイーターの物語における大体の元凶ともいえる人物。ただ、単純な悪として片付けられる人でもない。
彼には彼の理想と信念がある。
人類を救いたいという願いがある。
けれど、その願いのために、切り捨てられるものがあるというだけ。
そしてそれがどれだけ多くの人の犠牲の上に成り立つのか、僕は知っている。
『僕』という意識を持ってから数年、この世界で息づく人たちを見て、感じてしまった。ゲームのような0と1の信号ではなく、確かにこの世界で生き、そして死んでいく人間そのもの。知ってしまった以上、単純に切り捨てていいと、犠牲になるのも仕方ないと、その悲惨な未来を座して見ているだけではいられない。
僕には知識も記憶もある。そして何より未来の展開を知っている。でも、それをこの世界の現実として突きつけるための証拠がない。だから具体的な行動に移せない。
何より、僕は怖かった。
僕がここで大きく流れを変えようとすれば、何が起きるのか。
アリサの両親は救えなかった。
ヨシノさんのKIAも止められなかった。
ハルさんはグラスゴーへ行き、ケイトさんと婚約した。
エイジスは建設され、シックザール支部長の計画は着々と進んでいる。
世界は、僕の知っている物語へと進み続ける。それが偶然なのか、何かしらの修正力なのかは分からない。
でも、もし本当に流れがあるのだとしたら。
もし、僕が無理にそれを捻じ曲げようとした結果、誰かがもっと酷い形で傷つくのだとしたら。
(僕は、何をどこまで変えていいのだろう)
──何を変えてはいけないのだろう。
迎える悲劇に対しそんなことを考えているうちに、夜は何度も過ぎていった。
眠れない日は、訓練場でひたすら刀を振った。
形を整え、呼吸を整える。
無想無念。
余計な思考を削ぎ落とし、刃と一体になるように、ただ振る。
そうしている間だけは、未来のこともなにも考えずに済む気がした。
けれど、刀を振る手を止めれば、思考はすぐに戻ってくる。
来年。
僕の知っている物語が、もうすぐ始まる。
「……僕は」
声が、静かな訓練場の暗がりに落ちる。
何年も悩んで、悩んで、悩んで、悩んで。
どれが正解で何が最善なのか。
悩みぬいた末に、僕は一つの結論にいたった。
「──僕は、それでいい」
再度刀を振るう。
鋭く、余計なモノを斬らない、自然で静かな一刀。
僕は未来の答えを知っている。
僕は未来が変わることを恐れている。
僕は僕の大好きな人たちの幸福を切望している。
だから、僕の大好きな人たちが幸せであるために、僕自身を使い倒せばいい。
シックザール支部長の思惑すら利用すればいい。
誰かが犠牲になる前提で進む計画なら、その場所に僕が立てばいい。
物語の中の誰かが背負うはずだった役割を、僕が奪ってしまえばいい。
それにシックザール支部長のことも死なせるつもりもない。彼は諸悪の根源であれど、彼がいなければこの後、ソーマが博士になった時後ろ盾となってもらえるはずだ。
つまり物語の人物たちが犠牲になる必要なんてない。
──ソレデ ホントウニミンナ シアワセ?
胸の奥で声が響く。
そう。
そうだよ。
所詮僕は物語の外側の人間。
この世界で一番価値が軽いのが僕なんだ。
これまで、多くの物を貰った。第二の生にして、この混沌として救いのない世界において十分すぎるほどのものを僕は貰えた。
だから、僕がみんなにプレゼントするんだ。
少しでも明るい未来を。
そしたらきっと一心も笑ってくれるに違いない。
格納庫を出ると、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。
顔を上げると、ソーマがこちらへ歩いてきているところだった。身長は既に原作と同じくらいになっており、ただ歩いて向かってくるだけで威圧感がある。相変わらずの無愛想な顔で、不機嫌そうなもんだから、初対面の人なんかはビビっちゃうことだろう。
でも、そのコバルトブルーの瞳はしっかりと僕を映していて、威圧するために目を細めているのではないことがわかる。
「……こんな時間に何してる」
「ソーマこそ。あんまり遅くまで起きてると身長伸びないよ~? あ、それ以上おっきくなっても嫌だからソーマはたくさん夜更かししていいよっ!」
「だからお前はいつまでも
「ひどいっ! 僕が気にしていることをっ……!!」
突っ込まれたくないし、いつものように軽口を返す。するとソーマは舌打ちをするでもなく、鋭利な刃物と化した言葉で華麗な打ち返しをしてきた。鋭利すぎて僕のキャッチャーミットを通り過ぎ、心までダイレクトアタックだ。
おかげで、じんわりと目元が熱いなぁ、なんて思っているとソーマはそのまま僕の隣に立ち壁に背を預けた。
「……ひどい顔してるぞ」
「それはソーマが鋭すぎる返しをするからだよねっ!」
「その前からだ。いつもよりも……あー……辛気臭い顔してる」
「え? いつもより美少女フェイス?」
「黙れ」
「はい」
ちょっとふざけて返したら即答で遮られた。
あまりに雑な扱いだけれど、今の僕にとってはその雑さが少しだけ、ありがたかった。
ソーマはしばらく何も言わなかった。だから僕も何も言わない。薄暗い廊下で、二人分の沈黙だけがゆっくりと落ちていく。
昔の僕なら、この沈黙に耐えられなかったと思う。何か話さなければ、笑わせなければ、相手に気を遣わせてはいけないと、どうでもいい言葉を並べていたはずだ。
けれど今は、少しだけ違う。
ソーマ相手なら、沈黙していてもいい気がした。
「……お前、また変なこと考えてただろ」
「もー、変なこととは失礼な。僕はいつも真面目に世界平和について考えているのです」
「それが変だっつってんだ」
「ひどいっ」
ソーマは僕をじっと見た。
僕の心を見透かそうとするその視線に、少しだけ息が詰まる。
「一人で勝手に結論出すな」
短い言葉だった。
でも、胸の奥に深く刺さった。
「……何の話?」
「知らねぇよ。けど、お前はそういう顔してる」
そういう顔。
どんな顔だろう。
自分ではちゃんと笑えているつもりだった。いつも通り、明るく、軽く、何でもないように。けれど、ソーマには分かってしまうのだろうか。
いや、ソーマだけじゃないな。最近は、みんな少しずつ気づいている、気づかれてしまっている。
それは嬉しくもあり、恐怖でもあった。
「……ソーマはさ」
僕は廊下の壁に背を預けながら、小さく口を開いた。
「もし、自分がいない方がみんな幸せになれるって分かったら、どうする?」
本当はこんなことを言うつもりはなかった。けれど、今のソーマを前に僕の意志とは別に、自然と口が言葉を発してしまっていた。
ソーマの表情が、はっきりと険しくなる。
「……くだらねぇ」
「いや、たとえばの話だよ?」
「くだらねぇって言ったんだ」
いつも通りの低く心地の良い声。でもその中には怒りが込められているのがわかる。
「お前がいるいないかを、勝手にお前一人で決めるな」
ソーマはそう言うと、僕の頭に手を伸ばした。
もしかしてげんこつでも落とされるのかなんて思ったけれど、実際にはぐしゃりと髪を掻き回されただけだった。
「わわっ、ちょ、視界が揺れるぅ~! 」
「うるせぇ」
「もー! 最近みんな僕の扱いがひどいよぉ!」
「知るか」
ソーマは手を離すと、ほんの少しだけ視線を逸らした。
「……少なくとも、俺は困る」
「え?」
「二度は言わねぇ」
その言葉の意味を理解するまでに、少しだけ時間がかかった。
『俺は困る』。
僕がいなくなったら、ソーマが困る。
たったそれだけの言葉なのに、胸の奥が熱くなる。あんなに考えて、悩んで、苦しんで、辛いって思っていたのに、ソーマのその言葉で僕の心が少しだけ軽くなるのを感じてしまった。
「……そっか」
「分かったなら、さっさと寝ろ」
少し照れくさいのだろうか。若干、頬を染めたソーマがプイッと顔を背ける。
「ソーマは?」
「俺も寝る」
「じゃあ一緒に、寝る?」
「断る」
「即答!? もっと、こー、さー! 悩んだりしてくれてもいいじゃんねっ!」
いつものやり取り。
けれど、そのいつも通りが少しだけ眩しかった。
僕はぐしゃぐしゃになった髪を手で整えながら、ソーマの隣を歩く。彼はあーだこーだと言いながらも、結局僕を追い払うことはしなかった。
薄暗い廊下の照明の中、足音が二つ、静かに並ぶ。
僕は心地よいその音を聞きながら、心の中でそっと数える。
2071年まで、あと少し──。
変わらない未来が、すぐそこまで来ている。
変えられなかったものがある。
取りこぼしたものがある。
救えなかった人がいる。
それでも──僕はもう、見ているだけの観客じゃない。
この世界で生きる、
物語を壊すのが怖い。
未来を変えるのが怖い。
でも、何もしないまま失う方が、もっと怖い。
だから、選ぶ。
僕が大切だと思ってしまった人たちを、守るために。
たとえその先で、僕が何を差し出すことになったとしても、変わらない未来が来るのなら、その中で変えられるものを探す。
変えられない運命があるのなら、その隙間に手を伸ばす。
誰かが犠牲にならなければならないのなら、その場所に一番近く立てる自分でいる。
それが正しいのかは結局分かってはいない。
きっと、リンドウさんやツバキさんに言えば怒られるだろうし、榊ぱっぱも目を見開いて普段見ない顔でお説教をするのかもしれない。だとすると、もしかしたら僕の進む道は間違っているのかもしれない。
それでも、僕は僕のやり方で進むしかない。
この世界の、いや、みんなのハッピーエンドのために。
隣でソーマが小さく欠伸をした。
「何笑ってんだ」
「んー、別に。ソーマがいてよかったなって」
「……寝ぼけてんのか」
「まだ寝てないよ~」
「なら今すぐ寝ろ。俺が眠らせてやる」
「あはは、はいはい」
僕は笑う。
少しだけ、本当に笑えた気がした。
でも、その胸の奥で、声がまだ囁いている。
──ソレデ ミンナ シアワセ?
さぁね。
でも、前も言ったろ?
僕たちにできることはそれしかないんだ。
誰かが犠牲になる必要があるのなら、それはきっと僕でないといけないんだ。
それが、この世界に僕が生まれた『唯一』の理由だから。