神様とかムカつくんで斬っていいですか? 作:一般通過小説好キー
雨が降りしきる『贖罪の街』エリア。その静寂に包まれた教会の中で、一振りの刀を抱きしめて泥のように眠る少女を、雨宮リンドウは静かに抱き上げた。
「……軽いな」
思わず漏れた言葉は、雨音に消えた。
腕の中に収まるその体は、あまりにも細く、頼りない。ボロボロになった服の下に見える肌は、泥と擦り傷に塗れている。けれど、その少女を抱え直し持ち上げたリンドウの眉が、わずかに跳ねた。
「おいおい、なんだってこんなに重てぇんだ……」
違和感の正体は、少女が背負っていたリュックと、その腕に固く抱えられた刀だった。
少女自身の重さは、見た目10歳前後程度の子供としてもなお軽い。だというのに、彼女が執着するように離さない荷物は、訓練を積んだゴッドイーターであるリンドウの手にもずっしりとした重量感を伝えてくる。
「リンドウ、急ごう。これ以上ここに留まるのは危険だ」
同行していた雨宮ツバキが、他者を威圧する鋭い眼差しの奥に憐憫の色をのぞかせた視線で少女を横目に見ながら告げる。
年端もいかない娘が、神機も持たずにこの地獄のような荒野をどれほど歩いてきたのか。その足取りを物語るボロボロの足先から目を離し、ツバキは無言でリンドウの前に立った。帰路を急ぐ背中が、言葉の代わりだった。
フェンリル極東支部、通称『アナグラ』。
人類の砦の一つであるその堅牢なゲートをくぐるまで、二人は一切の油断を見せなかった。ゲートが閉じた瞬間、ようやく一息つく。そのまま居住区を越え、極東支部内へ入るべく精密ゲートを越えた瞬間だった。
──ビ──、ビ──、ビ──。
館内に、けたたましいアラートが鳴り響く。
「おいおいおい! こんな時にアラガミの侵入か!?」
リンドウが少女を片腕で支え、空いた手で神機を構える。少女を抱えた状態ではまともな戦闘はできないだろうが、即座にシールドは展開できるため、多少不格好でも少女を離しはしなかった。
ツバキは即座に通信機を起動し、管制室へと連絡を入れた。
「こちらツバキ! 警報の出どころを確認しろ! 侵入地点はどこだ!?」
『そ、それが……! ツバキさんたちの居るエントランス付近にアラガミの反応が出ています! ただちに対処をお願いいたします!』
「……何だと?」
冷静なツバキの顔が驚愕に染まる。
エントランスには自分たちと、腕の中で眠る少女以外に人影も、ましてやアラガミの姿など微塵も存在しない。
「どうしたんです、姉上?」
「わからん。反応は私たちのすぐ側にあるらしいが……まさか新種のアラガミか?」
「マジかよ、勘弁してくれ……!」
混乱が広がる中、カツカツと乾いた靴音が響く。リンドウとツバキは警戒を解かず、口を閉じて音源へと視線を向ける。音が近付くにつれ、神機を握る手にも力が入っていく。
やがて、音の正体が姿を現し、それを見た二人は安堵したように息を吐く。丸眼鏡の奥であまりにも怪しく目を細めた男──ペイラー・榊だ。
「やあやあ、随分と賑やかだね。リンドウ君、その子が『侵入者』かい?」
「博士? なんでこんなところに……てか冗談はやめてくださいよ。この娘はどう見たって人間……」
「先ほどから、医療班ではなく私の端末に妙な反応が流れてきていてね……ふむ、まあ、ひとまずはこれを。話はそれからだ」
榊はリンドウの言葉を遮り、ツバキに一つの腕輪を渡した。
それはゴッドイーターが身につける制御用腕輪に酷似している。ツバキが怪訝そうにしながらも、少女の細い手首にその腕輪を装着する。
刹那、館内を揺らしていたアラートが嘘のように鳴り止んだ。
「……警報が、止まった?」
リンドウが呆然と呟く。
榊は満足げに頷くと、普段細められている瞳をクワッと広げ、鼻先まで迫るような勢いで少女を観察し始めた。
「ふむ……ふむふむ! いやぁ、実に興味深い! 見た目こそはどこからどう見ても愛らしい少女だが、その内側……まさかとは思ったが、この反応は……もしや、君は外から『これ』を連れてきたというのかい?」
「博士……!」
ツバキの鋭い声に、榊は「すまない、すまない」と大仰に手を振った。
「あまりに興味深くてね。ひとまず、彼女を医療班へ。それとリンドウ君、彼女の『私物』も忘れずに。問題はないはずだけどね。念のためチェックも必要だろう?」
少女は榊の指揮のもと、最深部のメディカルセンターへと運ばれていった。
精密検査が続く間、リンドウとツバキは待機室の硬い椅子に座り、少女の荷物と共に重苦しい沈黙の中にいた。
リンドウは、自身の両腕を見つめながら、少女を抱きかかえた時のあの奇妙な軽さを思い出していた。
あんなに軽い体でどうやってこの重い荷物を背負って歩けたのか。
「……あの娘、眠りながら泣いてたよ。”父さん”って呼んでさ」
「……ふぅ。このご時世、珍しいことではないが……やりきれんな」
ツバキが顔を顰め、溜息をつく。
リンドウは重い腰を上げ、危険物の有無を確認するという名目で、彼女のリュックの中身をテーブルに広げた。
出てきたのは、あまりにも貧弱な旅の道具だった。
汚れきった薄い布、何度も折り返されて破けかかった地図、針の狂ったコンパスなど……物によってはゴミにしか思えないものもあったが、この極限下の中で何が身を守り、状況を打破する道具になるかわからない以上、彼女にとっては必要なものだったのだろう。そして、その奥から出てきたのは、かつては乾パンでも入っていたのだろう、蓋のついた古びた金属缶だった。
リンドウが慎重に蓋を開けると、そこには小さく畳まれた一枚の紙が、大切に、それこそ宝物のように仕舞われていた。
『東。迷ったら太陽を見る。夜は動くな。水は少しずつ飲め』
無骨で、温かみのない、ぶっきらぼうな言葉。よっぽど急いで書いたのか、書き殴ったような筆跡だ。
けれど、極限まで荷物を削らなければならない過酷な移動の中で、この紙だけが美しい状態で保存されている。
それが、彼女にとってどれほど大きな、生きるための支えであったか。
リンドウは深い溜息をつき、その紙を汚さないよう、破かないよう、慎重に元通りに畳んで缶の中へと戻した。
一方、ツバキは少女が抱きしめていた刀をスキャンしていた。
「オラクル細胞の反応は……ゼロ、か。ただの古い鉄の塊だな」
刀は重く、少女の体格には不釣り合いなほど大きい。
業物ではあるのだろうが、神機ではないこの武器は、アラガミを相手にするには無力だ。少女がこれを持って歩くことは、サバイバルにおいてデメリットでしかない。
「それでも、彼女はこれを抱きしめていた……捨てられないほどの物だったんだろう」
ツバキは静かに刀を横たえた。
それは彼女の過去そのものであり、誰かが彼女に託した、最後の盾だったのかもしれない。
数時間後、扉が開く音が静寂を破った。
現れたのは榊博士、そして、極東支部を統括する支部長、ヨハネス・フォン・シックザールだった。
榊は、普段の細い目を珍しく見開いていた。丸眼鏡の奥の瞳には、隠しきれない昂揚が浮かんでいる。
「お待たせしたね! いやあ、驚いた。驚きすぎて、寿命が縮まるか、あるいは延びたかもしれないよ!」
榊はモニターに映し出された少女の解析データを指し示しながら、捲し立てるように説明を始めた。
「結論から言おう。リンドウ君、君が拾ってきたその少女……彼女の体内には、極めて特異な偏食因子が存在している。その性質は、我々が知る『P73』偏食因子に酷似しているが、決定的な部分で異なっている。私はこれを仮に『P73-S』と呼ぶことにしたよ」
「P73……?」
リンドウの言葉を待たず、榊は続ける。
「そう、詳しいことは省くが、特殊な偏食因子でね。通常君たちが投与されている『P53』偏食因子とは違い、直接投与することが限りなく難しいものなんだが……彼女の場合、どういうわけか後天的に、しかも全身の細胞レベルで完全に定着している! 見たまえ、この数値を。彼女の体細胞の実に九割以上が、オラクル細胞に極めて近い反応を示しているんだ! 正確には単純な置換ではない。人間の細胞としての形を保ちながら、内部構造だけがオラクル細胞と共生、あるいは同質化している。もはや見た目こそ人間だが、その肉体構造は限りなくアラガミに近い!」
榊の声が熱を帯びる。
「さらに驚くべきは、その適応力だ。彼女のオラクル細胞は常に微細な変化を続けており、このアナグラの偏食場パルスにすら、無意識のうちに同期しようとしていた。腕輪なしで警報が鳴ったのはそのためだ。放っておけば、いずれ彼女はシステム上の『アラガミ』ではなく、この環境の『一部』として認識されるようになるだろう」
ヨハネスが静かに、冷徹な声で口を開いた。
「……非正規の研究による、被験者ということか」
「恐らくはね。これほどの処置、フェンリルの正規ルートではありえない。……そしてヨハン。フェンリルの規定に厳格に則るならば、この少女は『極めて不安定かつ危険な、アラガミ化のリスクを孕んだ検体』として、即刻処分の対象となる」
「処分……!? 冗談じゃねぇ!」
リンドウが椅子を蹴り飛ばさんばかりの勢いで立ち上がる。
「あんな小さな子供を、化け物扱いして殺すってのか!?」
「落ち着きたまえ、リンドウ君。私は『規定に則れば』と言ったんだ」
榊は眼鏡を押し上げた。
「私個人としては、彼女は絶望に沈むこの世界における『希望』の雛形だと考えている。確かに多少のリスクはあるが、不思議なことに、彼女の偏食因子は驚異的な安定を見せているんだ。暴走の予兆は今のところ一切ない。むしろ、適切に管理・教育していけば、これまでにない新しい可能性を切り拓く鍵になるだろう」
ヨハネスは、深い沈黙の後、榊に視線を向けた。
「……博士の意見には賛成だ。だが、本部に対してこの事実をそのまま報告するわけにはいかない。彼女の存在が公になれば、本部の連中が何を企むか、想像に難くない」
ヨハネスは感情の見えない瞳でリンドウを見据えた。
「表向きは、適性が見つかった一人のゴッドイーター候補生として保護する。裏では榊のチームが彼女のデータを集計・管理し、経過を観察していく……まぁこれも時間稼ぎにしかならんだろうがね。リンドウ……これならば、今すぐ彼女を処分せずに済む。異論はあるかね?」
『管理』という物のような言い方、そして『今すぐ彼女を処分せずに済む』というまるでそのうち処分することになると言わんばかりの物言いに、リンドウは苦い表情を浮かべた。
けれど、今ここで自分が拒絶すれば、彼女に行く当てはない。それどころか、今すぐに『処分』されてしまうだろう。
「……支部長の判断に、異論はありません」
リンドウはそう言って、椅子に深く腰掛けた。
言葉だけは、どうにか整えたつもりだった。
少女──凛は、まだメディカルセンターの奥で眠っている。
あの紙切れを、宝物のように抱えて生き延びてきた子が。
いまは大人たちの都合で、希望だの、検体だの、処分対象だの、好き勝手に名前を変えられている。
リンドウは無意識に胸ポケットへ手を伸ばし、煙草の箱に指先が触れる。
けれど、取り出す前にやめた。
この部屋が禁煙だというのもある。
けれどそれ以上に、あの小さな体に、これ以上余計なものを吸わせたくなかった。
メディカルセンターとは距離がある。仮にここで吸ったところで、煙があの子に届くわけでもない。
それでも、嫌だった。
煙草の代わりに、長く息を吐く。
吐き出したはずの苛立ちは煙にもならず、ただ苦く喉の奥に残った。