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視界を埋め尽くす無数の小さな太陽が、風に煽られてざわざわと歓声をあげている。青々とした夏草の香りに混じって、たっぷりとお日様を吸い込んだ花びらの匂いが鼻をくすぐった。
見上げる空はどこまでも青く、深呼吸をすると、胸の奥まで優しい安心感で満たされていく。
「よ、よぉし」
肩から下げたポーチを、そっと撫でる。中には、昨夜ダイヤちゃんとお話をしながら準備したハサミが入っていた。
『キタちゃん、知ってる? ひまわりの花言葉』
昨夜の消灯後、シーツの上でパタパタと尻尾を弾ませながら、彼女はひそやかに教えてくれた。
ポーチの中の冷たい鉄の重みが、今は不思議と温かく感じられる。胸の奥に結んでもらったその言葉の秘密に触れるだけで、臆病になりそうな耳が、ピンと前を向いてくれる気がした。
「やっぱりキタサンはひまわりみたいだ」
不意に降ってきた言葉に隣を向くと、トレーナーさんは眩しそうに花畑を見渡していた。
きっと誰に聞かせるでもないその言葉。だけど、それが耳の奥でじんわりと溶けていき、尻尾が左右に揺れた。
「あたしが、ひまわり……」
甘い余韻のまま、思わず口をついて出た呟きに、ハッとして口元を覆う。
そっと隣を窺うと、視線がかち合った。耳まで赤く染めた彼が、さっと目を逸らし、口元を片手で覆う。
「…………っ」
「……あ、あはは」
沈黙を誤魔化すように愛想笑いを浮かべると、彼もまた、気まずそうに目を伏せたまま小さく咳払いをした。
「……まあ、隣にいるしな。君、耳もいいんだから」
何でもないように紡がれた言葉。けれど、その響きには隠しきれない揺らぎが混じっている。
わずかに背けられた横顔は、降り注ぐ夏の日差しに少しだけ目を細めていた。
「あたしの、どのあたりが……ひまわりですか?」
「えっ」
彼は一瞬言葉に詰まり、気まずそうに瞬きを繰り返す。
「そこを、詳しく聞くのか?」
「だって……気になりますから」
追求された彼は、首の後ろをかきながら押し黙った。そのまま黄金に波打つ花畑をじっと見つめ、やがて、一度だけ喉を鳴らして向き直る。
「ほら、ひまわりって太陽の方を向くじゃないか?」
さっきまで黄金の波を映していた瞳が、今は真っ直ぐにあたしへと注がれている。
「そのまっすぐな姿に元気を貰えるところが君と似ている」
「っ……」
その熱から逃げるように、目を伏せる。視界が暗くなった分、すぐそばにいる彼の気配や、わずかに身じろぐ衣擦れの音がやけに響いた。
「っていうのも――あるんだけど」
「えっ?」
続いた言葉に、急いで顔を上げる。
目の前には、先ほどひまわりに向けていたのと同じ、穏やかな光を宿したトレーナーさんがいた。
「太陽みたいに咲いているひまわりの姿が、君の笑った顔みたいだなって。……そう、思ったんだ」
一瞬、吸い寄せられるように見つめ返してしまったその奥には、影一つ落とさない熱があって。
言うことを聞いてくれない尻尾を誤魔化すように、ギュッと目を瞑った。
「 ……やっぱり、言葉にするもんじゃないな」
その静かな響きに、片手でそっと口元を覆う彼の姿が脳裏に浮かんだ。
見てみたい。その仕草すべてを、この目に焼き付けてしまいたいのに。
「キタサン?」
すぐ近くから降ってきた陽だまりのような声に、びくりと肩が跳ねた。
ギュッと握りしめていた拳を解き、熱を持ったほっぺたを両手で一度だけ強く叩く。
「……っ、トレーナーさん!」
弾かれたように目を開けると、ひまわりの鮮やかな色彩が痛いくらいに飛び込んでくる。その強烈な光に負けないよう、精一杯の声を張り上げた。
「ここ、ひまわり摘んでいいんですよね!?」
「え? あ、ああ。持ち帰り自由のエリアだけど……」
唐突な問いに、彼は戸惑いながら案内板へ視線を投げて頷いた。
あそこに書かれた文字の通りだ。大丈夫、間違いじゃない。
そう自分に言い聞かせながら、ポーチの奥のハサミを指先でなぞる。
鉄の冷たさに触れた瞬間、トクン、と心臓がひときわ大きく跳ねた。
ここで立ち止まってなんていられない。
「ちょっと一本、選んできます!」
「あ、うん。いってらっしゃい……?」
背中越しに届く彼の声を振り払うように、あたしは大輪の花が連なる迷路へと飛び込んだ。
視界を遮る高い波をかき分け、茎の合間を縫うように突き進む。ざわざわと騒ぐ葉の音に包まれて走るうち、火照った顔を撫でる風が心地よかった。
彼の姿がすっかり見えなくなった群れの外れで、ようやく足を止める。視線の先にあったのは、周りの子たちより少しだけ背丈の低いひまわり。
風に揺れるその小さな花を見つめていると、耳の奥で、昨夜の優しい声がふわりと蘇る。
『大きくて立派なひまわりも素敵だけど……。渡すなら小さい方が良いんだって。「憧れ」っていう、キタちゃんにぴったりの、優しくて真っ直ぐな言葉が添えられているんだよ』
足元のそのひまわりは小さく、だけど凛として太陽を仰いでいた。
うん、この子がいい。あたしは迷いなくポーチの中のハサミへ手を伸ばした。
「ちょっとごめんね」
産毛に覆われた茎の、少しざらりとした感触を手のひらに感じる。
少しだけハサミを持つ手に力を込め、茎へと滑らせた。――チョキン。
小気味よい音と一緒に、ひまわりはあたしの手の中に収まる。
切り口からふわりと香る青い匂いに、心臓がまた少し跳ねた。ハサミをポーチにしまい、折れないように、ひまわりを胸元で大切に抱え込む。
よし、と小さく頷いて。
「トレーナーさぁん!」
彼にこの想いを届けるため、来た道を勢いよく駆け戻った。
青々とした大きな葉が腕を撫で、掠めていくけれど、そんなの構っていられない。ただひたすらに、土を強く蹴りつけた。
「き、キタサン?」
あっという間にトレーナーさんの元に辿り着く。
不思議そうに首を傾げる彼に、迷わず手を伸ばす。
「これ、トレーナーさんにあげます!」
「ひまわりを?」
いきなり突きつけられたひまわりに、トレーナーさんは目を丸くしている。
「トレーナーさん、ひまわりの花言葉を知ってますか?」
「いや、申し訳ないけど全然知らないな」
「そうですか」
良かった、それならあたしは渡せる。
ううん、違う。嘘ついた。
きっと知っていても渡してる。
「ひまわりには、憧れとかあなたは素晴らしいって意味があるんです!」
「そうなのか、良い意味だな」
「ですよね! それでですね、これってトレーナーさんにも当てはまると思うんですよ!」
「そうかな?」
不思議そうに瞬きをする彼に、もう一歩距離を詰める。どうしてもわかってほしくて、少しだけ背伸びをするように彼を見上げた。
「トレーナーさんはいつも、ずっと、あたしのことを一番近くで見ててくれますから! それに今日だって、あんなに嬉しいこと言ってくれて……!」
「えっと、最後のはちょっと違うような?」
「違わないですっ! だから、どうか受け取ってください! あたしからの、めいっぱいの『ありがとう』です!」
差し出した指先が、ほんの少し震えていた。
悟られないように、ごくりと喉を鳴らす。そして、彼に向けてとびきりの笑顔を作った。
「そうか、そう言ってくれると嬉しいな。ありがとうキタサン」
「えへへ♪ 貰ってくれますか?」
「もちろんだよ」
トレーナーさんはそう言うと、差し出したひまわりを壊れ物のように両手で受け取った。
花をそっと包み込む手つきに、あたしの耳と尻尾は意思を持ったように風を切り始める。
「せっかくだし、トレーナー室に飾ってみるよ」
「そうして下さい! きっと太陽みたいな元気を貰えますから!」
「うっ、君みたいって言ったこと、まだ覚えてるの?」
「もちろんですよ! だって嬉しかったんですから!」
勢いよく言い切った体の横で、爪が食い込むほど手のひらを強く握りしめていた。
「……勘弁してくれ。自分でも柄じゃないことを言った自覚はあるんだ」
彼は小さく肩をすくめ、わざとらしいほど落ち着いた声で息をつく。けれど、耳の先だけがほんのり赤く色づいているのを、あたしは見逃さなかった。
「あはは、絶対に嫌で〜す♪」
「キタサン……!」
絞り出すような、それでいて少し呆れたような声が聞こえて、あたしは思わず小さく微笑んだ。
彼の手の中で揺れる小さなひまわりに視線を落とすと、胸の奥が甘く締め付けられる。
『あなただけを見つめている』
――あの日ダイヤちゃんが教えてくれた、もう一つの花言葉。
言葉にできないその想いを一輪のひまわりに乗せて、カアッと熱を持った顔と耳を風で冷ますように、あたしは勢いよく駆け出した。
背中には、陽だまりのように温かい視線。 絶対に追いつけないはずなのに、彼は大きな足音を立てて真っ直ぐに追ってきてくれる。 その愛おしい姿を、今はまだ見ないようにして。